第二百一話 青海原
【葦原の中つ国・現代日本・淡路島】
「キェぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
耳をつんざくほどの奇声をあげながら、無数の魑魅魍魎、異類異形の化け物が恵比寿とヒルコに向かって突撃してくる。
「うわぁぁ!?」
思わず目を瞑るヒルコ。
恵比寿はヒルコを抱きかかえ、目にも止まらぬ速さで上空に舞い上がった。
「……大海原よ。
私達を護り給え…………………、
………………………………………………」
天空の中、恵比寿が海を遠望して微かに聞こえる小さな声で祝詞を唱える。
ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ…………………………!!!
水平線の彼方から、猛スピードで波が迫ってきた。
それはみるみる大きくなり……………、
やがては巨大波となって、魑魅魍魎・異類異形の化け物の群れに猛烈な勢いで襲い掛かった。
「ぎゃあああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
一気に波に呑みこまれる。
「あ…、あれ…?」
恵比寿にしがみついて、上空からその一部始終を見ていたヒルコは目をぱちくりさせた。
なんと、海の中の水が負の感情が具現化した魑魅魍魎・異類異形の化け物の身体にぐるぐると巻き付いているように見えるのだ。
魑魅魍魎・異類異形の化け物達を絶対に逃さないという意志をも感じる。
「え、恵比寿さん…。
あ、あれって……?」
「うん。
先程、強制的に海にいる悪霊を目覚めさせてみた。
海には………。
……………………いるからね」
「い……、いるって……………、
あ、あ、悪霊…………が?」
「うん。
いるよ。
悪霊の正体はね、人間の執念なんだ。
死んでもなお、この現世に未練を残している人間は、いずれことごとく魂が悪霊と化してしまう。
…………仕方のない事だけどね」
「……………そう…なんだ…。
でも…、
海の神は……、それでいいのかな…?
海に…、そんな…、。
悪霊…、なんて…………」
「……ああ…、そうだね。
そこは寛容かな。
海や山、川、岩などいったものは、それ自体が神である上に、もともと浄化の作用もあるんだ。
そもそも海は懐が深い。
だからね、人間の無念な想いが含まれている執念の魂を拒む事なく受け入れてしまうんだよ。
しかしね、それをイザナギ様は憂い、悲しみ、禊祓をしたかった。
それ故、海原を統べる神にスサノオ様を任命したんだ。
海に沈む人間の執念の魂、ひいては悪霊を取り除くために………」
「ええ!
そうだったの……!」
「………うん。
だけどね、三貴神という尊い神々はもともと人間に近い魂を持っている。
加えてスサノオ様は優しいからね。
人間の想いに同調してしまっても何ら不思議ではない」
海に潜んでいた無数の悪霊は、魑魅魍魎・異類異形の化け物達の身体に巻き付いたまま、深く深く水底に沈んでいった。
海面に波紋がいくつも広がっている。
「…………恵比寿さん。
一つ…、聞いてもいいかな?
どうして…、三貴神の魂は人間に近いのかな…?
高天原の神々の中でも…、三貴神は崇高なる神なんでしょう?
だったらどうして………?」
「…………うん、そうだよね。
人々に最も崇められ、拝まれ、祈りを捧げられている。
太陽・月・海の神が人間の魂に近い……なんて呆れるかな」
「い、いえ…。
呆れるというか…、驚き…というか…」
「ヒルコは…、この世界を造った神々を知っているかい?
アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビの造化三神だ」
「あ…。
は、はい………」
「でもね、その前に。
もう一柱、存在する。
クニトコタチという神だ。
クニトコタチはこの世界の始まりであり、成り立ちだ」
「クニトコタチ………」
「その神が言ったそうだよ。
最も尊い三貴神となる神々が司るものは、人間にとってかけがえのないもの。
だからこそ、三貴神は必ず人間に寄り添わなくてはならない、と」
「あっ…。
だから…、三貴神の魂は人間に近いのか…!」
「うん。
そうなんだよ。
現代でも人間は祈るだろう?
太陽に、
月に、
海に。
畏敬の念を抱くだろう?
人間は生かされている喜びを知るんだよ」
「ああ…。
そういう事なんだ…」
「でも…。
現代ではそれが裏目に出てるかな。
近すぎて、優しすぎるから…………、
…………ね」
恵比寿が困ったように微笑む。
切ないような。
嬉しいような。
面映ゆい感覚のような…………。
ヒルコは少し胸が痛んだ。
バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャ!!!!!
いつの間にか再び海面にあがってきていた、無数の悪霊と魑魅魍魎・異類異形の化け物達。
奇妙な戦いになっていた。
双方ともに、互いが互いの身体を乗っ取ってやろうと目論んでいるのか水中で必死に足掻き悶えている。
今のところ互角に見えた。
「ねぇ、恵比寿さん…!
これからどうしよう!?」
「私達は影法師ナニカの邪な心を祓う。
そして浄化をしよう。
……時にヒルコ。
キミはイザナミ様から言魂を授けてもらったのかい?」
「え…?
言……魂…?」
「ヒルコはこの葦原の中つ国の言葉には、とてもとても強い力が宿っている事は知っているかい?」
「……あ、う…、
ううん……」
「この世に生まれた子どもはね、親から言魂を授かるんだ。
それは必ずしも親である必要はないけど。
子どもは絶対に言魂を授かる」
「えっと…。
ぼく…、
母上から…授かったかな……」
「言魂の種類は星の数ほどあるから。
誰もが皆、一つ一つ違うんだ。
……そして…、言魂を授かった者は言霊を使える。
神のみならず。
人間も」
「あっ!
そっか!
カケルくん、言霊使ってるよね?」
「そう。
カケルくんは既に言霊の使い手だね」
「わあ、やっぱり!
カケルくん、凄いね!」
「ふふ。
ヒルコ。
キミにも言霊の使い手になってもらうよ?」
「え!?
ぼ、ぼくも?」
「ヒルコという名の意味の一つに、
日出ずる子というものがある。
言霊の力でヒルコの身体から太陽の光を出すんだ」
「えええ!?
た、た、太陽!?
ぼくの…、身体から??」
「大丈夫。出来るよ。
名には必ず意味がある。
キミが照らす光で、影法師ナニカの邪念を浄化させるんだ」
「ぼ、ぼくの………太陽……で?」
「きっと、アマテラス様が力を貸してくれる。
アマテラス様もキミの弟だろう?」
「…あっ…」
「影法師ナニカは気を失っている。
まあ…、無理もない。
腹からあれだけの数の魑魅魍魎・異類異形の化け物を出したのだから。
今が千載一遇のチャンスなんだ」
「う、う、うん!
わ、わかった…!」
ヒルコは恐る恐る、影法師ナニカのそばまで寄りつく。
巨大な土蜘蛛の姿の影法師ナニカ。
腹が大きく裂けて…、
確かに気を失っていた。
「ヒルコ。
いいかい?」
「うん………!」
ヒルコは深呼吸をした。
言葉に集中する。
全神経を発する言葉に集中させる。
「………ぼくの中にある太陽よ……。
ぼくの…、
捻れ曲がった、卑劣で悪辣な【思考】を!
照らし、祓い、清め給え!!」
ヒルコが発した高音の声が、空いっぱいに響き渡ったーーー、
と思うが早いか、
ヒルコの身体がきらきらと輝き始める。
「わ……あ……!?」
黄金色に輝くヒルコの身体。
さながら、うらうらと輝く陽光がそこにあるみたいだ。
しばらくするとーーー。
ジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリ………。
影法師ナニカの身体が焦げ始めた。
今のヒルコの全身は照り輝く日の光のようになってはいるが、ギラギラの灼熱の太陽ではない。
例えるなら暖かな陽光だ。
けれども、現状では確実に影法師ナニカの身体はヒルコの身体の太陽によって焼かれて焦げていっている。
「えっ?
えっ?
な、何でなの?」
ヒルコは困惑してしまう。
「キミの光は純粋で清らかだ。
邪悪なモノには眩しすぎる。
ヒルコの太陽の光によって、影法師ナニカは間違いなく焼滅するだろう」
恵比寿が落ち着いて答えた。
「えっ?えっ?
そう……かな?」
何だか照れてしまう。
ーーその時。
「うぎゃあああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
海の中から絶叫が轟く。
悪霊の声か?
それとも、魑魅魍魎・異類異形の化け物達か?
暗い暗い水底から、醜悪で不気味な波動がふつふつと湧き始めた。
「…何かあったのか?」
不穏な空気を察し、恵比寿は眉をひそめる。
「…ヒルコ。
私は様子を見てくるよ。
キミはそのまま影法師ナニカの浄化を急いでくれ」
「はっ…、はいっ……!
恵比寿さんも気をつけて…!」
恵比寿は急降下し、矢のような速さで海の中に入っていった。
「え…、恵比寿さん…………」
ヒルコは急に不安になる。
だが、気後れしている場合ではない。
勇気を出さなければ!
無理やり自身を鼓舞し、身体中に力を入れて光を強めた。
光を出すやり方がわかってきた。
土蜘蛛の姿の影法師ナニカの身体は、すでに半分以上が焼失している。
「あともう少しだ……………!」
ジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリジリ……………!!
「…………恵比寿さん。
大丈夫かな…………」
ヒルコがぼそりと呟き、海を見下ろしたーーー、
ーーー次の瞬間。
『調子に乗るなよ。
出来損ないがぁ…………』
目の前に影法師ナニカがいた。
「!!??」
土蜘蛛の姿の影法師ナニカだ。
身体は最早とっくに半分以下になっているのに…!!
動けるのか!?
何故!?
何故!?
何故!?
ヒルコは声が出ない。
『ひょひょひょ…。
愚か者め。
わらわはお前の【思考】だぞ?
いくらお前の光が清くても…。
わらわが邪悪なモノでもなぁ……。
結局…、
結局、お前はわらわなのだ…。
すべてを焼き尽くせるとでも思ったか!?』
ガシッ!!!!
炭化せずに残っている土蜘蛛の足で、ヒルコの身体を掴んだ。
ギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリ……………!!
蜘蛛の足で、なんという怪力か。
押しひしがれる。
ヒルコには骨はない。
身体はスライムのような触感だ。
しかしながら痛覚はある。
影法師ナニカはヒルコの身体を圧死させるつもりか。
激痛が身体中を駆け巡る。
「うわぁぁぁぁ!!!」
堪らずにヒルコは叫んだ。
『ひょひょひょ!!
痛いか?痛いか?痛いか?
もうお前などいらん。
わらわの容れ物はパラレルワールドのヒルコ姫にする。
お前など!!
お前など…!!
跡形もなく押し潰してやる…………!!!』
影法師ナニカの蜘蛛の足の力が更に一層強くなった。
「がはっ……………!!」
ヒルコは白目をむいた。
息が出来ない。
視界が真っ白だ。
身体が……、
身体が……、
潰される…………!!!!!
ヒルコの身体から放つ、太陽の光が徐々に弱くなってゆくーーー。




