第百九十三話 異変
【葦原の中つ国・現代日本・芝公園】
「魂返し……」
翔はアマテラスから託された勾玉を見つめた。
勾玉が連なる首飾り。
❨少しだけ、勾玉と勾玉の間が空いているような…?❩
ふと、不自然な隙間が気になった……が、今はそれどころではないっ!と気付く。
「……よし!頑張らなくちゃ!」
自分を鼓舞する。
まず、ハタレのひん曲がった魂を真っ直ぐに浄化する。
次に、己の犯した罪を知り、今の自分自身の醜い在り方を目の当たりにさせる。
仕舞に、魂と肉体を繋ぎ止めている魂の緒の捻れを解き放ち、魂を天上へと還す。
これが奥義・魂返しだ。
ホノイカヅチは八咫鏡を、
翔は勾玉の首飾りを持っていた。
そしてーー。
「これはシナツヒコに」
アマテラスはそう言うと、シナツヒコに八重垣の剣を渡した。
「え…?
これは……?」
「八重垣の剣だ。
シナツヒコ。
この剣に風の息吹を、カケルの言霊の歌を宿すのだ。
良いか?
八咫鏡に映ったハタレ達の凝り固まった罪は、ホノイカヅチの稲妻で祓う。
その直後、言霊の歌が吹き込まれた剣を一振りしたのなら、魂は風の息吹とともに天へと舞い上がる」
「う…、うわぁぁぁ…。
責任重大ですね……」
「ふふ。……そうやもしれぬな。
だが、私は確信している。
調和のとれたお前達が力を合わせたのなら、必ずハタレ達の魂返しは成功し、清らかな魂を天上へと還す事が出来るだろう」
「は……、はいっ!
頑張ります!
ねっ!!
カケルくん!ホノ!」
シナツヒコはガッツポーズをした。
「うん!!
頑張ろう!!」
翔もガッツポーズをし、ホノイカヅチは力強く頷いた。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ………………。
遠雷が聞こえる。
分厚い雲が空を覆い始めた。
少々ひんやりした風が頬を横切っていく。
「………?
何だ……………?」
スサノオがあたりを見回す。
ざわざわ…。
ざわざわ…。
ざわざわ…。
不意に、木々がざわめき始めた。
ごとごと…。
ごとごと…。
ごとごと…。
地面が微弱に揺れ動いている。
「何なんだ…?
これは……?」
スサノオは底の知れない、気色の悪い焦燥感に襲われていた。
鳥肌がたつ。
吐き気を催す。
頭が…、
頭が…、
割れるようにーー、
痛い。
「ううう………っ!!!」
堪えきれず、スサノオはその場で平伏すようにしゃがみこんだ。
「ううう……!?
うおぁあああ……!!」
「スサノオ?
どうしたのだ?」
アマテラスが即座にスサノオのもとへと駆け寄った。
シナツヒコ、ホノイカヅチは後追いする。
翔も行きたかったが、ベンチから動く事が出来ない。
「スサ様……!?」
少し離れた場所で見守るしかなかった。
「スサノオ!
突然どうしたのだ!?」
アマテラスはスサノオの大きな背中に手を置いた。
震えている。
たくましいスサノオの巨体が、ぶるぶると怯えるように震えている。
「スサノオ…………?」
スサノオは頭を両手で抱え、とても苦しそうに絶叫した。
「うおおおおおおおおお!!!」
冷や汗がだらだらと流れ落ちる。
目玉がぎょろぎょろと回転し、身体中を巡る血液が逆流しているかのようだ。
スサノオ自身にも何が起きているのかわからない。
ただ、ただ、
胸が痛い。
怒りを感じる。
そして、
ーーー怖いーーー
『………………』
無音の音が微かに揺らいだ。
『スサノオ……』
スサノオの頭の奥から、見知らぬ声が聞こえてくる。
『スサノオ………』
その声のトーンは不協和音だ。
不安と安堵が入り混じっている。
脳内に響き渡る。
梵鐘のように、いつまでもいつまでも鳴り響いてやまない。
「……ぐっ……!?
ぐぅぅ……!!!
だ、だ…、誰……………だ………………!?」
スサノオは苦し紛れに声を出した。
『俺か……?
俺はお前だ……。
お前は俺だ……』
「なっ…………!?
ど……、どういう意味…………だ!?」
ゴロン!!
ゴロン!!
ゴロン!!
スサノオの身体が何度も転び、倒れ始めた。
いわゆる七転八倒だ。
思いがけずアマテラスをはじめ、シナツヒコ、ホノイカヅチ、翔は衝撃を受ける。
スサノオは身長が二メートルをゆうに超え、筋肉もムキムキについている。
つまりマッチョだ。
ガタイがすこぶる良い。
そんなスサノオが、突然ゴロゴロバタバタ暴れ出したら…、
しかも無言で激しく暴れ回ったりしたら……。
いくらかは恐怖を感じる。
スサノオの頭の中に響いている謎の声は、外部には一切聞こえていない。
自分はスサノオだ…と言う頭の中の声の主は、更に話を続ける。
『スサノオ…。
お前は血脈の呪いがかかっている。
生まれつき…、血が呪われているのだ。
その証拠に。
幼少期より、お前の精神はまったく安定してはいない。
常日頃から落ち着きがなく、衝動を抑えられず、些細な事で苛立ち、それが募り爆発すると堪忍袋の緒が切れ暴れ回る。
様々な物を壊し、数多の神を傷付けてきた。
それでも…、
アマテラス、ツクヨミの弟が故に、三貴神と呼ばれて罰は受けない。
それどころか、ちやほやと持て囃されてきたという愚かな事実。
何とまあ、滑稽な事だ。
なぁ、スサノオよ。
お前にはそのような資格などない。
お前が一番わかっているだろう?』
「ぐ………、ぐぐぐ……………!!!
だ、だ、黙れ…………!!!」
頭の中の声に抗うため、ぎりぎりと力の限りに歯ぎしりし、地面の土を狂ったように掻き回す。
口からは血を垂らし、両方の手の平からは血が噴き出している。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!!」
スサノオには劣等感があった。
拭いきれないほどの劣等感が。
完璧な兄を見るにつけ、自分の落ち度を嫌と言うほど突き付けられてきた。
アマテラスもツクヨミも、一見女性と見間違えるほど容姿端麗だ。
❨アマテラスは女装も完璧だった❩
しかも頭脳明晰、立ち居振る舞いも素晴らしい。
もはや完全無欠。
誰もが認める、美しく気高い二柱の神だ。
一方でスサノオはというと。
まるきり正反対だった。
見た目は野性的でワイルド。
食欲旺盛で、身体は非常に大きく筋肉も隆々だ。
何事にも不器用で、粗野で粗暴で注意力散漫。
同じ場所で長い時間じっと座っている事が何よりも苦痛。
力が必要以上に強く、加減というものが出来ない気性のために色々なモノを破壊してしまう。
こんなんじゃない!
こんなんじゃない!
こんな自分は嫌いなんだ!!
スサノオなりに努力をした。
どうにか頑張って頑張って、アマテラスやツクヨミのように振る舞おうとして。
だけど出来ない。
余計にひどく失敗してしまう。
いつか、いつか、いつの日か、
自分もアマテラスやツクヨミのようになれたら…。
そう願っても、頑張っても、結局何も変わらない日々に絶望し、怒りと苛立ちが積み重なり、最終的には再び暴れ回ってしまうのだ。
『血脈の呪いを背負うスサノオよ。
それを祓う事は不可能だ。
お前が生きている限り、
お前の命がある限り。
その呪いは血となって、永遠にお前の身体の中で流れ続けるであろう』
「ぐぐぐぅぅ……………!!!」
少し離れたベンチで、苦しみ悶えるスサノオ見ていた翔。
スサノオの波動がいつもと違う事に気付く。
うねうねとうねる真っ黒な波の合間から、途轍もない邪悪な憤りを感じるのだ。
以前のスサノオの波動は、
荒々しくはあるけれど、とても優しくて温かくて、スーパーヒーローのように強い光を放っていた。
「スサ様………。
本当に…、どうしちゃったんだろう………」
スサノオの身体の内側にいる、何か得体の知れない魔物に攻撃されているような感じに見えて仕方がない。
「スサ様…!」
翔はわざとベンチから滑り落ちた。
足をズルズルと引きずり、匍匐前進のように這いつくばって移動をする。
「カケル!?
どうした!?」
ホノイカヅチが翔の両脇を急いで持ち上げた。
「ご、ごめん…、ホノくん…。
ぼく、スサ様と話をしたくて…………」
「……話?
今の…、スサノオ様と出来るか…?」
「わからない…。
でも…。
出来るかわからないけど…。
ぼくは…」
「……そうか…。
わかった。
…ほら、掴まれ」
ヒョイっと翔を抱きかかえると、スサノオがいる場所の近くに降ろした。
緊急事態に備え、ホノイカヅチもそばで待機している。
「スサ様……?
スサ様……?」
「うぉぉおおおおおおおおおお!!!」
うめき声をあげて、のたうち回るスサノオ。
見ているだけで胸が締め付けられる。
スサノオの身に何が起きているのだろう?
「カケルよ。
あまり近付くと危険だ。
離れなさい」
「…………ア…、アマテラス様。
スサ様、一体…。
どうしたのでしょうか?」
「わからぬ。
…確かに、スサノオは幼少の頃より落ち着きがなく、まわりに迷惑をかけていた節があった。
いつまでも小さな子供のようで…。
何かにつけて駄々をこねるような仕草も多々あったのも事実。
私も…、そんなスサノオの横暴な振る舞いに耐え切れぬ事があった…。
私自身の精神を安定させるため、天岩戸に引きこもった過去もあったほどだ」
それがかの有名な、【天岩戸隠れ】というやつだ。
「……とはいえ…、
近頃はスサノオも多少なりとも成長した兆しが見えたと思っていたのだが…………」
むむむ……と、難しい顔をして黙り込むアマテラス。
「……そうですか…。
でも…、今のスサ様…。
何だか葛藤…………、
しているように見えます。
…………まるで…自問自答してるみたいな…………」
翔にも覚えがある。
時々…、
【誰か】ではなく、【自分】を責めたくなる事があった。
車椅子である事の劣等感に苛まれ、嫌悪感に陥り、ひどくネガティブになり、自分を卑下して自分に罵詈雑言を浴びせたくなる。
そんな時が度々あった。
一人になる瞬間、空白の時間、
何の前触れもなく、もう一人の大嫌いな自分が何食わぬ顔で飄々と現れる。
現れたかと思ったら、過去の過ちをねちねちねちねち掘り返す。
ああすれば良かった。
こうすれば良かった。
ああしなければ良かった。
こうしなければ良かった。
今さら取り返しのつかない後悔だらけの過去を、いつまでもいつまでも罵ってくる。
聞きたくない。
思い出したくない。
だからぼくは耳を塞いで目を閉じる。
でも……、
もう一人の自分が、汚らわしい言葉で、嫌味ったらしい口調で、ぼくの悪口を、ぼくに向かって言ってくる。
いや、違う。
ぼくが言っているんだ。
そいつが消えるまで、ぼくはぼくの悪口を言い続けている。
たとえ耳を塞いでいても、ぼくはぼくの言った言葉を覚えてる。
ぼくがぼくに浴びせた、罵詈雑言を覚えてる。
誰よりも、ぼく自身が。
「…スサ様…。
今、きっと…、悲しくて………、苦しんでる……」
スサノオの中で何が起きているのかわからない。
けれど、内なる自分との闘いなんだという事だけはわかる。
少し前の翔は、自分の事が大大大大大嫌いだった。
だからこそ、ヒシヒシと伝わってくるのだ。
スサノオの
悲痛な想いが…。
苦悩の叫びが。
「ぼく…、シナくんとホノくんに教えてもらったんです。
自分を愛する事。
自分を大切にする事。
……それがわかった時…、
ようやく理解出来たんです。
納得したんです。
この世界は…、愛で出来てるんだって。
…………わかったんです」
スサノオのゴツゴツした腕を触る。
とても優しいゴツゴツだ。
「今…、この国が壊れてしまったのは…、
自分を愛していないから。
自分を大切にしていないから。
愛を忘れてしまっている人達が増えたからだと思います。
自分を愛していなければ、他者を大切にする事は出来ない。
共感も出来ない。
だから荒んだ…、
欲望の塊のような世界になってしまっている…。
そんな気がします」
アマテラスは深く息を吐き、物悲しそうに呟いた。
「その通りだ。
すべては…。
人々の忘却から始まっていたのだ。
尚且つ、この時代の葦原の中つ国は言葉がひどく乱れている。
葦原の中つ国の言葉が乱れてしまえば…、
天の道の教えは伝わらずに断絶してしまう。
言い換えるなら、すべての礎でもある愛という概念そのものが断絶してしまうという事だ」
ぎゅっと、翔はスサノオの腕を掴む。
何に怯えているのだろう。
ぶるぶるぶるぶる震えている。
「シナくんとホノくんが教えてくれたように…。
今度はぼくがスサ様に伝えたい!
スサ様に……!!」
「僕も手伝うよ、カケルくん!」
「俺も」
シナツヒコとホノイカヅチは微笑み、翔の手の上に自身の手を重ねた。
「うん…!
ありが…………」
「うぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
いきなりスサノオが叫び声を上げた。
勢いよく両腕を振りかぶった。
「わっっ!!??」
腕を掴んでいた翔。
そのまま遠方へ投げ飛ばされそうになる。
「カケルくん!!」
宙に浮きかけた翔の身体を、シナツヒコが間一髪で抱き留めた。
「カケルくん!
大丈夫?」
「あ……、う、うん…。
ビックリした…。
あ、ありがとう…、シナくん……」
スサノオの息遣いはますます荒くなり、ふらつきながら当てもなく彷徨い始める。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ………!
うるさい…、うるさい………………!
うる………さい…!」
ブツブツと口走りながら、スサノオは思い切り自分の頭を殴りつけていた。
「消えろ…、消えろ……、消えろ…………!!」
「スサ様…!!」
スサノオの頭からだらだらと血が流れる。
当たり前だ。
スサノオが手加減無しに全力で頭を殴っているのだ。
そのパワーは計り知れない。
純粋なる力勝負なら、誰もスサノオには敵わないだろう。
スサノオの頭の中の声が、不安な感情を煽るように追い打ちをかける。
『……おい、スサノオ。
いい加減認めろよ。
お前はハタレの大将だ。
ハタレそのものだ。
わかっているだろう?
お前が命ずれば、六人のハタレの長が目覚めるぞ。
何もかもうまくいかない、理不尽なこの世界。
もういい加減飽きているだろ?
派手に暴れてやれよ。
お前にはその権利がある。
力がある。
ハタレ達は壊したいんだよ。
偽善者どもが無法国家の無秩序の上に群がって、金や地位や名誉ばかりを追い求めている。
こんな腐った世の中さ。
滅ぼしたいんだよ』
「!!!!!」
ピタリーーー。
突然、スサノオの動きが止まった。
大木のように、ぴくりとも動かない。
しん…………。
不気味な静けさに包まれている。
「スサ様………?」
翔の小さな声が響き渡った瞬間ーーー。
ゆらり。
ゆらり。
ゆらり。
浄化したはずのハタレ達の魂が再び穢れを帯びて……。
一人……、
また一人と立ち上がっていた。
「は!?
な、何で…!?」
驚きのあまりに、シナツヒコはホノイカヅチの背中をバンバン叩いていた。
「シナ…!
痛いって……!」
「ハタレの魂…、僕達が浄化したのに…!
な、何でなの!?
何でまた穢れてるのさ!?
てゆーか、何で復活してるの!?」
「俺が知るか!!
俺だって…、
な、何がなんだか………」
「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
スサノオの咆哮があたり一面に轟いた。
びりびりびり!!
声は鋭い刃物のようだ。
身体中を切りつける感覚。
実際、めちゃくちゃ痛い。
「落ち着くのだ!!
スサノオ!!」
「………!」
アマテラスの声に反応し、スサノオはゆっくりと振り向いた。
「!?」
スサノオの顔を見た刹那。
アマテラス、シナツヒコ、ホノイカヅチ、翔は言葉を失う。
スサノオの瞳は血のように赤く、浮き出た血管を流れる血潮はどす黒く穢れていた。
「スサノオ……!?
どうしたのだ!?」
アマテラスがスサノオのそばに接近したーーーーーー、
その瞬間。
ドスッ……………………。
鈍い音がした。
次の瞬間。
ドサッ!!
その場にアマテラスが倒れ込んだ。
「ア……、アマテラス様!?」
「アマテラス様!!」
ホノイカヅチとシナツヒコがアマテラスを抱き起こす。
意識を失っている。
「こ、これは……!?」
「さ…、刺されてる…!?」
アマテラスの脇腹のあたりから滲み出た血が、たちどころに上衣を真っ赤に染め上げる。
鋭利な刃物が脇腹に差し込まれ、引き抜かれたその傷口から大量出血していたのだ。
「シナ!!
止血だ!!」
「え…、し、止血って…!?」
ホノイカヅチが自分の狩衣の裾を引きちぎり、アマテラスの脇腹に当てる…が、それも虚しく、瞬く間に血が溢れ出し、あっという間に布がびしょびしょになってしまう。
「くそっ…!
血が止まらない…!」