第百八十二話 神々の集い
【高天原・天岩戸前】
「結局…、私の弱さが招いたものなのだな…」
アマテラスは深い溜め息をつき、力なく肩を落とした。
ツクヨミが異世界を地獄にしようとする理由。
それは、アマテラスの悲しみを打ち消すためだったのかもしれない。
---遠い昔、葦原の中つ国の官僚・大臣といった政を仕切る人間達が、民を奴隷のように見下し、搾取し、命をも奪っていた。
そう、現代の日本と同じ状況だ。
それを嘆き、憂いたアマテラスの正妃・セオリツヒメは、魂が腐った政を仕切る官僚や大臣などを【破壊】するため、自らが祓戸大神の一柱となった。
祓戸大神とは、人間の穢れや邪気を祓い清める四柱の神。
その方法とは、大洪水を発生させて一斉に洗い流すのだ。
汚された国土も清めるため、そこにあった建物なども一緒に流されてしまう。
生き残った人々はとてつもない困難に見舞われるのだが、土地は清めれ、自分達を苦しめ続けてきた官僚や大臣は死に絶える。
…どちらが良いのかはもう聞くまでもないだろう。
ーーーそれでも。
【破壊】はすべてが”善“ではない。
アマテラスの統治する高天原と葦原の中つ国は、【調和】が大前提としてあった。
悪に満たされた心が邪な人間がいたのなら、悪を取り除き、歌の力で清らかにし、【調和】して共に生きる。
それが、アマテラスオオミカミの…、いや、もっと前の、クニノトコタチの時代からの教えであった。
しかし。
時代が流れゆく中で、産業も医療も徐々に発達し、人間の邪悪な心も進化を遂げていった。
もう既に、歌の力で【調和】する時代は終わっているのかもしれない。
アマテラスオオミカミの象徴である太陽の光を避けるような邪悪な人間が、葦原の中つ国を恥じる事なく闊歩する事態になってしまった。
だから。
アマテラスオオミカミの正妃・セオリツヒメは【破壊】を選択した。
これ以上、アマテラスを汚したくなかったのかもしれない。
だが、セオリツヒメを失ったアマテラスオオミカミの悲しみは神々の想像をはるかに超えていた。
まさか、アマテラスが自ら〈女神〉だと偽ってしまうほど、我を見失ってしまうとは思わなかったのだろう。
それが、今日まで続くとは………。
ツクヨミは、今の葦原の中つ国(日本)は、セオリツヒメが祓戸大神になった時代と瓜二つだと考えていた。
いや、もしかしたらその時よりも悪質なのかもしれない。
政府は国民に【嘘】ばかり撒き散らしている。
歴史の嘘。
薬の嘘。
病気の嘘。
メディアもグルになって国民を洗脳し、長年騙し続けている。
その挙げ句、多額の税を徴収しながらも、一体何に使用しているのか全くわからない。
国民を意図的に殺し、意図的に売国している。
国土が汚されている。
食品の添加物もかなり異常だ。
葦原の中つ国を滅亡させたいとしか思えない行為の数々だ。
そしてーー。
希望を失った葦原の中つ国の人々は、必然的に子供を生まなくなる。
未来が見えないのだから当然だ。
生活が苦しい故に、同じ国民同士で鬩ぎ合い、奪い合い、離れ離れになっていく。
国民が分断されていく。
言葉が荒れ果てていく。
本当に最悪の状態だ。
このままでは、今度こそ太陽が汚されてしまうかもしれないーー。
ツクヨミはそう思ったのだ。
太陽とは、物質としての”太陽“という意味だけではない。
日の光には、神々からの一番最初の教えである【調和】の意味も含まれる。
その【調和】の力が、清めるための歌の力が、この時代で汚されてしまうのではないか。
そんな危機感を覚えたツクヨミは、【破壊】を選んだ。
悪に染まった魂の人間を【地獄】に連れていく。
どんな立場の人間も関係ない。
悪に染まった腐った魂の人間は、すべて【地獄】に連れていくのだーーー。
「………スサノオよ。
私が“女神”と偽った時から…、少しずつ…、少しずつ…、この国は歪んでいったのかもしれない。
……すべて、私のせいだ」
「……いいえ、アマテラス様。
それは違います…。
……様々な要因があるかと思います。
ヒルコの事…、
イザナギ様、イザナミ様…。
本当に…、
色々な事があるかと」
「……それでも。
私がもっと、もっと強くあったのなら……。
セオリツヒメは【破壊】を選ばなかったかもしれぬ…。
……ツクヨミも………」
「……。
…時に、アマテラス様。
覚えていますか?
その昔、人間が堕落し、鬼に魂を売った時、その者は〈オロチ〉と呼ばれる。
〈オロチ〉と化した人間は、途轍もなく邪悪な力を発揮するという事。
……今の葦原の中つ国は…、
そのような〈オロチ〉がウジャウジャいるのでしょう」
「…そう…かもしれないな。
見た目にはわからないが…、
魂は〈オロチ〉になってしまっているかもしれない」
「そうなのです!
現実問題、ツクヨミ兄様が正しいのかもしれない。
もはや、【破壊】でしか解決出来ぬのかもしれない。
以前、セオリツヒメ様は〈オロチ〉と化した人間を洗い流し、国土を清めるためにその土地の建物なども一掃した。
今回のツクヨミ兄様の方法は、〈オロチ〉だけを対象にしている。
〈オロチ〉だけを【地獄】にと。
それでも……、因果は免れない。
ツクヨミ兄様のやり方が正しいとはいえ……、
やはりカルマは……、
カルマだけは避けられない。
セオリツヒメ様は祓戸大神となる事でカルマからは逃れている」
「そう……。
そうだ……。
ツクヨミだけに…。
ツクヨミだけに…、
カルマを背負わせるわけにはいかない。
…………。
……………。
……………」
「アマテラス……様?」
おもむろに、アマテラスは立ち上がった。
全身に纏っている、茜色と黄金色が配色された長い着物を静かに取り払う。
白銀色の着物を召し、鉄色のズボンを履いていた。
長身のアマテラスによく似合っている。
艶やかな長い黒髪を一つに束ねた。
男神としての、凛々しく美しい眼差しが煌めいた。
「スサ。
この世には男と女がいて、それぞれに尊い役目を持って生まれてくる。
どちらが優れているのではなく、男女がいなければ何もかもが成り立たない。
この世の仕組みも繁栄も…、喜びも悲しみも。
男と女が存在してこそのみ生まれいずるのだ。
…たとえ、今世でその役目を成し遂げなくとも、男としての、女としての誇りを持ち続けて生きてゆけばそれだけで尊いものだ。
そうだろう?」
「はい!
アマテラス様!
俺もそう思います!」
「…私は間違っていた。
偽りでは何も得られない。
歪みだけが生じるだけだ。
私は…、
私は…。
私は太陽の神、アマテラスオオミカミ。
高天原と葦原の中つ国の人々と国土を太陽の光で照らし、清く正しく導く三貴神の一柱だ!」
アマテラスが声高らかに宣言するとーーー。
神々しく輝く太陽が、ゆっくりとゆっくりと天高く昇っていった。
すると、
高天原中に蔓延っていた邪神達は、真白い太陽の光に照らされると同時に丸焦げになって、あれよあれよという間に消滅していった。
高天原に太陽が蘇った。
…と、いうことは、葦原の中つ国も同じ状況になっているだろう。
うようよと蔓延っていた邪神達は、太陽の光を浴びて一気に消滅しているはずだ。
アマテラスオオミカミが再び男神として生きていく事を決意したこの太陽の光は、以前とは比べ物にならないほどの輝きと清らかさと誠実さを内包していた。
「アマテラス様!!
邪神どもは消え失せました!
さすがです!」
「……しかし、葦原の中つ国の〈オロチ〉までは太陽の光だけで消滅はさせられないだろう。
……行こう、スサ。
ツクヨミを止め、〈オロチ〉と化した人間を【調和】させよう。
………だが…、もしも…。
もしも【調和】が難しいのであれば…、我々三貴神で討伐する事も…、
考えておかねばならないだろう」
「心得ております!
その時はこのスサノオ!!
〈オロチ〉を討伐する覚悟にございます!
アマテラスに……、
アマテラス様!!」
「……スサ。
兄と呼んでも構わない。
…いや、兄と呼んでほしい。
我が弟よ」
「はいっ!!
アマテラス兄様!!」
アマテラスとスサノオは葦原の中つ国へと向かった。
【地獄】を造り、悪に魂を売った人間に罰を下そうとしているツクヨミを止めに。
葦原の中つ国で今もなお増え続けている、魂が汚れて堕落した人間の成れの果て〈オロチ〉。
それらを【調和】させるために。
□□□
葦原の中つ国(日本)に、神々が集まり始めている。
ヒルコの【思考】である《影法師ナニカ》は、人間の憎しみや悲しみの思念を溜め込んで、膨大な怨念の塊を作り上げた。
ヒルコの【身体】を手に入れて、葦原の中つ国で立て替え(破壊)と立て直し(再生)を画策していた。
しかし、ヒルコの【身体】は《影法師ナニカ》を拒否して再び分裂した。
【思考】である《影法師ナニカ》は、入れ物の【身体】に入っていなければ、いくら膨大な怨念の塊を手にしたとて、立て替えと立て直しは不可能。
どうしても【身体】を取り戻さなくてはならない。
【身体】のヒルコを捕らえるために、《影法師ナニカ》は葦原の中つ国のどこかで身を潜めて機を伺っている。
□□□
【思考】の入れ物である、【身体】のヒルコは、今はどこにいるのかわからない。
もしかしたらもう既に、葦原の中つ国のどこかにいるのかもしれない。
□□□
イザナギとカグツチも葦原の中つ国へと向かっていた。
黄泉の国から消えてしまったイザナミを探すため。
ヒルコの【思念】が画策している、立て替えと立て直しを阻止するためだ。
ーーーそれからもう一つ。
イザナミが忘れてしまった言魂を、イザナギからヒルコに授けるために。
□□□
高天原と葦原の中つ国の空から月の存在がなくなったのだが、ツクヨミも葦原の中つ国にいるはずだ。
【地獄】におとす人間の選別をするために。
では、どうして月がいなくなかったのか。
それはツクヨミが闇になると決めたからだ。
本来、夜の世界を統べる神は、自身は必ず光の中にいなくてはならない。
自らが闇に染まってしまっては、夜の世界の真実が何も見えなくなるからだ。
だが、ツクヨミは自分も闇の存在になると決めてしまった。
だから月が不在になってしまったのだ。
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風の神・シナツヒコと、雷の神・ホノイカヅチも、現在葦原の中つ国にいる。
ヒルコの立て替えと立て直しを止めるため。
そして、【地獄】を造り、魂を売った人間に罰を下そうとしているツクヨミに、それらを断念するよう説得するためだ。
ーー様々な想いを胸に、
神々が葦原の中つ国に集結しようとしている。
◇◇◇
そんな中、パラレルワールドの世界に残っている翔。
翔にとっては幸せな現実が広がっているパラレルワールドの世界。
だけど、複雑な気持ちの糸が絡まりあって、頭の中がグチャグチャにこんがらがってしまっていた。
寂しくて、心細い想いのまま、
翔は三日目の朝を迎えるーーー。