第百八十一話 祓戸大神
【高天原・天岩戸前】
「姉様!
姉様!!
姉様!!!」
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!
スサノオは天岩戸を叩く。
怪力の持ち主のスサノオ。
普通に叩いただけでも高天原中にノックの音が響き渡る。
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!
だけどスサノオ的にはそんな事はおかまいなし。
とにかく天岩戸に閉じこもっているアマテラスオオミカミを連れ出して、ツクヨミの〈異世界地獄化計画〉(←スサノオ命名)をぶっ潰さなくてはならない。
ツクヨミは月の神。
夜の世界を統べる神。
太陽の神・アマテラスオオミカミと対等の存在。
つまり力は絶大だ。
自分だけでツクヨミの計画を阻止できるかどうか、正直スサノオ自身が不安だった。
それに、ツクヨミはアマテラスを尊敬している。
アマテラスが説得してくれたら、ワンチャン〈異世界地獄化計画〉をすんなり諦めてくれるかもしれない。
そんな目論みもあった。
「姉様!
姉様!
姉様~~~!!」
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!
太陽の神が天岩戸に隠れたせいで高天原は昼間でも薄暗く、先ほどまで邪神がそこら中に飛び交っていた。
どのくらいの暗さかというと、目の前に誰かがいる事はわかっても、顔までは判別出来ない暗さだ。
相変わらず辺りは薄暗いままだが、スサノオが天岩戸を思い切り叩いてるせいか、おかげか、ビックリした邪神達は急いで姿を消している。
岩室に閉じこもっているアマテラスは、両耳を手で押さえてうずくまっていた。
この岩室はそんなに広くない。
スサノオの岩戸を叩く音がうるさすぎて、頭がガンガン痛いのだ。
それに、もう何もしたくない。
何も考えたくない。
そんな風に思っていた。
とにかくスサノオが早く諦めて、さっさと帰ってくれないかと願うばかりだ。
「姉様…。
聞こえてないのだろうか…」
溜め息をついて、スサノオは空を仰いだ。
本当に薄暗い。
今は月もいないから、夜になったらそれこそ真っ暗闇だ。
またもや邪神達が無数に涌いて出るだろう。
「高天原の現状と葦原の中つ国の現状は同じだろう。
早く何とかせねば……」
そう。
高天原の下に位置する葦原の中つ国も、今は全く同じ状況だ。
昼間は薄暗く、夜は真っ暗闇。
邪神はウジャウジャ涌いている…。
この状態が続けば、特に葦原の中つ国では人々がパニックになりかねない。
邪神が見える人間は少なくても、太陽と月がなくなっている事は誰にだって一目瞭然。
まさにとんでもない事態だ。
「姉様!!
一緒に兄様を止めましょう!!
〈異世界地獄化計画〉を阻止しましょう!!」
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!
シーン…。
天岩戸の中からは返事はない。
うんともすんともリアクションがない。
アマテラスはこのままスサノオを無視し続けるつもりなのだろうか。
どちらが先に折れるとか、根比べなんてしている時間はない。
同時進行でヒルコも暗躍している。
とにもかくにも時間が限られているのだ。
「うむむ…。
うむむ…。
仕方あるまい…。
こんな手は使いたくなかった…。
使いたくなかったのだ……、
が……。
致し方ない……」
スサノオは独り言のように、ブツブツブツブツブツブツと言い訳を呟いている。
「自分は不本意なのだが、本気で不本意なのだが、時間の関係で致し方なかったのです…」言い訳を考えているようだ。
もちろんアマテラスへの言い訳だ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」
息を深く吐いたスサノオ。
岩室の奥で、ビクッと身を強張らせるアマテラス。
異様に緊張しているスサノオの波動が、岩戸をすり抜けて気持ち悪いほど伝わってきた。
「…………な、なに?」
おそるおそる顔を上げたアマテラスは、背筋がぞくぞくして悪寒がしていた。
「………ア、ア、ア、ア、ア、
アマテラス………兄さ」
「スサノオォォォォォォォォォォォォォ!!!!!」
アマテラスがスサノオの言葉を遮るように天岩戸から出てきた。
普段の透き通るような可憐な声とはうってかわって、何とも男らしい低温ボイスだ。
ゴゴゴ…。
数秒遅れて天岩戸が開く音がする。
音速を超えたアマテラス。
さすがだ。
「アマテラスに……」
「スサノオ!!!」
即座にアマテラスは両手でスサノオの口を塞いだ。
「兄…だと!?
ス、スサノオ…、き、貴様!!
タブーを口にするとは何事だ!?」
「モゴモゴ……、モゴモゴ…!」
何か反論しているのだろうが、力強く口を塞がれているためスサノオは上手く話せない。
「良いか!!
高天原の神々も、葦原の中つ国の人間達も!!
私… アマテラスオオミカミは女神だと思っている!!
今さらそれを覆す事など許されぬ!!」
「モゴモゴ…、モゴモゴ…!」
「私は誓ったのだ!!
私の正妃、セオリツヒメが隠れた時に誓ったのだ!
私は…、
私は…、
女神として生きてゆくとな!」
「モゴモゴ…、モゴモゴ…!」
「二度と兄などと口にするな!
いくら我が弟でも許さんぞ!!」
「………っ!!」
スサノオは全力を出してアマテラスの両手を払いのける。
何ともたくましい、アマテラス男神の力。
スサノオの怪力をもってしても、なかなか手強かった。
「はぁ、はぁ、はぁっ!
ア…、アマテラス様…!
お、おちっ、
落ち着いて下さいっっ!」
「これが落ち着いていられるか!」
「こっ…、
声が完璧男ですよっ!!」
「はっ………!!?」
アマテラスはようやく我に返った。
頭にのぼった大量の血が、徐々に冷め始めているようだ。
シン…。
天岩戸前に佇むアマテラスとスサノオ。
不気味なほどに静まりかえってしまう。
「………アマテラス様…。
少し…、話を聞いていただきたい…」
スサノオが冷静に、ゆっくりと口を開いた。
「………わかった」
アマテラスは岩戸の前に胡座をかいて座った。
スサノオも同じように座る。
アマテラスは正真正銘、男神だ。
いつの頃からか、女神だと偽っていたのである。
艶やかな長い黒髪を持ち、とても美しい顔立ちをしているアマテラス。
筋肉モリモリのスサノオとは対照的だ。
中性的な雰囲気はツクヨミと似ている。
ツクヨミも女神だと言われたら間違えてしまうかもしれない。
とにもかくにも、三貴神のアマテラス、ツクヨミ、スサノオは三兄弟だったのだ。
「アマテラス様。
…ツクヨミ兄様を一緒に止めましょう。
〈異世界地獄化計画〉などあってはならない。
……確かに、今の人間はどんどん卑怯で汚い魂になっていってる。
葦原の中つ国の国土を汚し、瑞穂豊かな国を壊そうとしている。
……確かに、万死に値するかもしれない」
「………」
「………本音を言えば…、地獄に落としてやりたい。
魂の腐った人間のせいで、苦しめられた人間、命を失った人間も大勢いる。
……地獄に叩き落として三回くらいなぶり殺してやりたいぜ……!!」
「………スサノオ…」
「…………あ。
むむ……、うむ……、ゴホン。
ほ、本音はそうなのだが、実際はそう…。
そう簡単ではない。
呪いは必ず呪い返しが来るように、
やった事は必ず自分に返ってくる。
たとえそれが…、
悪を成敗するためでも…。
理不尽すぎるがな」
「………そうだな。
今、葦原の中つ国で罪を犯している人間も、必ずその報いは受けるだろう。
……だけど問題は…、
その報いを受けるまでにタイムラグがあるという事だ。
因果応報というものが現世で返ってくる人間もいれば、来世で返ってくる人間もいる。
魂に戻ってから罰を受ける者もいれば、例外的に血縁者に返ってくる場合もある」
「そうなんです!
絶対に自分のした事は自分に返ってくるんですが、それがいつ返ってくるかわからないんです!
それをツクヨミ兄様は懸念していた。
そんな悠長な事をしていたら、葦原の中つ国の人間はいつまでたっても救われない。
権力者によって、命尽きるまで蝕まれ、食い付くされてしまう。
だから……」
「地獄を造るという事か。
国と民を脅かす存在すべてを葦原の中つ国から早急に追放し、造り上げた地獄に落とす」
「そうです。
もちろん、ツクヨミ兄様がした事は遅かれ早かれツクヨミ兄様に返ってくる。
地獄と見合ったものが必ず返ってくるでしょう。
それでも…。
ツクヨミ兄様は…。
そのカルマをたった一柱で背負ってまで…、
葦原の中つ国の人間を救いたい、と……」
「何故……?
ツクヨミは…
それほどまでに………?」
「………これは…、
あくまで俺の想像なんですが……」
「なんだ?」
「申し上げてもよろしいですか?」
「………言ってみよ」
「遠い昔の………。
セオリツヒメ様の時の……、
アマテラス様を…、
アマテラス様を…。
あの時のアマテラス様を見ていたから……、かと…」
「…………。
………あの時……、
か…」
アマテラスは怪訝な表情のまま、瞳を閉じた。
あの時、とは---。
本当に遠い…、
遠い遠い、
遠い昔の話だ。
ポツリ、ポツリ……と、
記憶が甦ってくる。
□□□
アマテラスオオミカミは高天原と葦原の中つ国を統治する男神として、セオリツヒメを正妻に迎えていた。
葦原の中つ国(日本列島)には人間が大勢暮らしていて、とても豊かで、文化も産業も栄えていた。
しかし、いつの間にか…、
今の葦原の中つ国と同じように、人々の魂や言葉が徐々に乱れてしまっていた。
政を行う大臣や官僚達は、己は神にも勝る存在だと言いふらし、おごり高ぶり、国民達を欲望のままに支配しようとしていた。
国民は困窮し、疲弊し、命が短くなっていく。
国を統治する者が傲慢になり魂も身体も醜く落ちぶれば、否応なしに国は衰退し枯れ果てていくだろう。
今の日本と同じ状態が、遠い遠い遠い昔の日本でも起こっていた。
この惨状を目の当たりしたセオリツヒメは、毎日嘆き悲しんでいた。
「何て事でしょう…。
欲にまみれた人間は…、やがて醜い化け物オロチと変化して、この葦原の中つ国の国土や民を貪り続けるでしょう…。
何て恐ろしい…
何て嘆かわしい…」
「セオリツヒメ。
愛しい我が妻よ。
どうか悲しみにくれないで。
必ず魂が腐った者達を改心させてみせるから。
私の調和の歌を葦原の中つ国すべてに送る。
歌の力で魂を蝕む悪を取り除き、正しき道を歩かせよう」
にっこりと微笑んだアマテラスは、セオリツヒメの心の傷を癒すように両手をそっと握った。
「アマテラス様……」
セオリツヒメは苦しげに首を横に振る。
「いいえ、アマテラス様。
腐った魂というものは、どんなに綺麗に洗っても腐ったままです。
見た目は磨かれても中身までは無理なのです。
腐った根はそこら中に蔓延っているものなのです。
取り除いても取り除いても…。
それらは半永久的に発生される…」
「セオリツヒメ……」
「ですが…。
アマテラス様。
ご心配はいりません。
私にお任せください。
このセオリツヒメ、祓戸大神の一柱になりましょう。
醜く乱れた葦原の中つ国を…、
一度…、全部を洗い流すのです。
もうこれしか方法がありません」
「セオリツヒメ…?
な、何を言っているのだ?
全部を…?
洗い流す…?
つ、つまり…、
それは……」
「破壊します。
すべてを破壊して、水泡に帰しましょう」
「なっ!?
そ、そんな事は許されない!!
良いか?セオリツヒメ。
すべてを破壊するとなれば…、
罪のない人間までも巻き込まれてしまうかもしれないのだぞ!?」
「……それは大丈夫です。
必ずや選別致しましょう。
命を懸けて、罪なき人間を罰する事はしませんわ」
「だ……、だが……!!
しかし……!!
そっ、それでも……!!
…ゆ、許されぬ……!!」
「アマテラス様。
これは私のわがままです。
もうこれ以上、国土を汚して、民が苦しめられるというものを…。
もう…、
……見ていられません。
見たくないのです。
それに…、
幾度となく…、
幾度となく、アマテラス様は腐った大臣、官僚達に改心するよう歌を送られました。
ですが、ことごとく裏切られてきました。
そうでしょう?
だから…、
もう…、
私は…、
限界です」
「セオリツヒメ……!!」
「私は祓戸大神の一柱となり、人々の罪や穢れを洗い流し、祓い清めましょう。
……その時。
私に降り注ぐ報いでさえ、喜んで享受させて頂きますわ」
「セオリツヒメ…!
やめてくれ!!
やめてくれ!!
ほかに…!
必ず他に方法があるはずだ……!!」
青ざめて懇願するアマテラスの頬を、セオリツヒメの白く細い手が優しく包み込む。
「いいえ。
もう破壊するしかありません。
……ああ、アマテラス様。
そのようなお顔をなさってはいけません。
アマテラス様は太陽の化身。
そのお顔が曇れば、葦原の中つ国も高天原も日が陰り曇ってしまいます」
「セオリツヒメ……!!」
「アマテラス様。
私セオリツヒメは…。
アマテラス様の…、
太陽の光の下を歩けぬ人間を…、
洗い流し、祓い清めに行ってまいまります」
その後、セオリツヒメは祓戸大神の一柱となった。
間もなくして、葦原の中つ国…日本列島は大洪水に見舞われた。
家も、建物も、田んぼも、道も。
一気にすべてが流された。
そして、腐った魂を持った人間達も---。
跡形もなく、全部破壊されたのだ。
残ったのは魂が綺麗な人間達だった。
だが、何もかもなくなってしまった荒れ果てたこの土地で、これからどうやって生きていくのか。
全国各地でこのような状態になってしまっている。
想像を絶する、とてつもない困難や苦労が待ち受けているだろう。
しかし、生き延びた人間達は魂が綺麗な者だけだ。
卑しい者、邪悪な者、魂が腐った者達はもうどこにもいない。
手と手を取り合って、心から協力し合えば、あっという間に復興するだろう。
ここには優しくて素晴らしい人間しかいないのだから。
---案の定、
日本列島に生き残った人々は、超越的な力を発揮して瞬く間に復興させた。
また再び瑞穂豊かな国として栄え始めたのだ。
アマテラスオオミカミは--、
その時から女神だと偽った。
祓戸大神として、自ら身を捧げたセオリツヒメ。
そんなセオリツヒメと離れ離れになってしまった事を、アマテラスは幾日も幾日も幾日も深く嘆いてむせび泣き、悲しみにうちひしがれていた。
そして---……。
「いつまでも愛しいセオリツヒメとともにいたい」という想いが頂点にまで達してしまい、遂には今日まで、
アマテラスオオミカミは女神として高天原と葦原の中つ国で語り継がれていく事になったのだった。




