第百七十五話 祓戸
《異世界》
シナツヒコとホノイカヅチは、静かに翔との繋がりを切った。
プチン…、と縁が切れる音がした。
座っている木の枝の下は、ドブッドブッと唸って荒れ狂ったような水の激流だ。
心なしか、水かさが増しているように見える。
「傷心に浸ってる場合じゃないねっ!
ホノ!
とにかく今は異世界から抜け出す方法を考えるよっ!」
シナツヒコが空元気気味に声を張り上げ、ホノイカヅチは息を小さく吐いて頷いた。
「……当然だ。
カケルが幸せになっていると思うだけで…。
俺は救われる」
「だよね~!
生まれた時からカケルくんを見守ってきたんだもん。
親心にも似た愛情だよね」
「本当に……、本当に可愛かったよな、小さい頃のカケル。
まあ…、
今も…だけど……」
「そうだよね~!
ふふふ!
そういえばさ~、
小さかった頃ってさ、カケルくんて僕達のコト、実はハッキリと見えてたんだよね~」
「カケルはまったく覚えてないけど、よく一緒に遊んだよな。
規則違反だけど。
でも人間の子供って、たまーに俺達が見えるんだよな」
「魂の中にまだ神が宿っているからだよね。
だから僕達が見えるんだよ」
「…なぁ、そう考えるとさ。
小さい頃のカケルの魂には、神が二柱もいたって事か?」
「あ~っ、そうなるね!
よくケンカしなかったよね?」
「……ケンカ…は、しないんじゃね?
知らんけど」
「僕さぁ~、時々考えるんだよね。
ヒルちゃんて、本当にカケルくんの魂が綺麗だったから宿ったのかな?って」
「は?
どういう意味だよ?」
「ん~~~。
実は、何か関係があるんじゃないのかなっ?……って……。
思ったり」
「関係?
どんな関係だよ?」
「わかんないけど」
「確かに………。
本質的にはこの世に偶然はないからな…」
「ん…。
けど…。
まあ……。
もう縁は切れちゃったからね…。
知る由もないね」
「……………」
再びしんみりした空気が漂い始めた時。
ザッッッッッバーーーーーン!!!!!
シナツヒコとホノイカヅチは突然打ち寄せる巨大な波を頭からひっかぶった。
「うきゃ~~~っ!?」
「ヤバイ!!
いつの間にか水がかなり増水してるぞ!!」
あわてて木の枝から飛び立つと、瞬く間に押し寄せてきた濁流に菩提樹がなぎ倒されてしまう。
「うひゃぁぁ…。
ヒルちゃん、本気でこの世界を水浸しにするつもりだね~」
「……水浸しなんて…、
そんな生易しいもんじゃないだろ……」
宙に浮かんで全体を見渡す。
全部が洗い流され、全部が滅び沈んだ。
これが葦原の中つ国だったら。
高天原だったら…。
そう思うとゾッとする。
ヒルコは葦原の中つ国と高天原をこのような状態にするつもりだ。
何もかもを葬り去る。
やり方は一つではない。
地を震わすのか。
山を爆発させるのか。
何から何までを壊し尽くし、すべてを無に帰すつもりなのだ。
「ね、ホノ。
この…異世界…だっけ?
三貴神が創ったから今まで遠慮してたけどさ。
ツクヨミ様が地獄というもののために創ったとしたのなら…。
穴を開けちゃっても…、
いいよね?」
「強制的に異世界から脱出するって事か?」
「そそ」
「別に構わないと思うが…。
その場合、この大量の水…。
どうなるんだ?」
「え?
どうなるって?」
「異世界って確か葦原の中つ国と高天原と同じ次元にあるんだろ?
高天原が上にあって、その下に葦原の中つ国。
で、異世界は葦原の中つ国の隣に位置するわけだろ。
穴を開けたら葦原の中つ国に異世界の…、この大量の水が流れ込んでくるんじゃねぇの?」
「え?
うそ?
そーゆー原理?」
「いや、仮定の話だ。
そういう事もなきにもあらずって事。
やってみなきゃ実際どうなるかわからない」
「う~ん…、そうか~~。
だけどさ、脱出にはもう実力行使しかないわけじゃん?
やるしかないよ」
「まあな。
考えてる時間もないしな。
……だったら、保険かけとくか」
「ん?」
「話は変わるんだか…。
宗像三女神って、今何してんだ?」
「宗像三女神?
ん~ん、知らない」
「シナ。
意識を送る事は出来ないか?
もしも大量の水が葦原の中つ国に流れ込んでしまった場合、大惨事を防ぐために宗像三女神の力を借りたい。
………俺は意識を飛ばすのが苦手なんだ」
「ん~。
わかった。
やってみる。
さっきはカケルくんが僕達を感じてくれたから楽に繋がったんだけどね~」
「互いが互いを想わなきゃならないって事か?」
「ん~。
神同士だったら大丈夫かとは思うけど。
ちょっと強引に意識を送ってみるよ~」
シナツヒコは瞳を閉じて脳の真ん中に力を込めた。
意識する行為を極限にまで集中させる。
そして宗像三女神の…、サヨリヒメの松果体にボールのような〈核〉を飛ばすイメージをする。
ちなみに豪速球だ。
「…シナ?」
「ん…。
今、意識を送ってみた」
「うまくいったか?」
「ん~。
どうかな?
まだ返事が来な………」
「ちょっとーーー!!
何すんのよーーー!!」
シナツヒコの声を遮り、サヨリヒメの怒りに満ち満ちた絶叫が異世界に響き渡った。
「あ…。
届いたみたい…」
「急に何なのよ!?
いきなり頭の中にアンタの意識が発現したかと思ったら!
ドでかい声でギャンギャンギャンギャン喋りだして!
うるさいったらないわよ!!」
先ほどの翔とのやり取りとは違い、カラオケボックスにいるような感覚に近く、サヨリヒメの声が異世界中にマイクを通したみたいに大音量で聞こえている。
繋がったのはいいが、なにやらガチギレしているご様子だ。
「あはは~。
ごめんごめん!
サヨリと連絡とりたくってさ~」
「相変わらず本っっっ当に軽いわね!
てゆーか、アンタ今どこにいるの?
めちゃめちゃ雑音がうるさいんだけど?」
「ん~~とね、異世界、かな?」
「は!?
異世界!?」
「サヨリ!」
ホノイカヅチは先に進みそうにない二柱の会話に割って入った。
「え?
ホノイカヅチもいるの?」
「理由はあとから説明する。
時間がないんだ。
サヨリは今どこにいるんだ?」
「わ、私?
私は葦原の中つ国にいるけど?」
「葦原の中つ国のどこにいる?」
「どこって……。
海の近くよ。
そんな事よりね、アンタ達知ってるの?
アマテラス様が岩戸に……」
「ああ、知ってる。
太陽が隠れてしまったんだろ。
……人間達は混乱していないか?」
「今のところはね。
ただの曇りの日だと思ってるんじゃない?
でもそれも時間の問題よ。
何日も太陽が昇らなかったらパニックになってしまうわよ」
「………そうか。
ちなみにスサノオ様はおられるか?」
「ここにはいないわ。
どこに行ったのかしら」
「………そうか。
とにかく早急にサヨリに…。
宗像三女神に頼みがある」
「頼み?」
「落ち着いて聞いてくれ。
今から大量の水が海に流れてくるかもしれない。
それも生半可な量じゃない。
地球規模の大量の水だ。
それが海に入ったら…、海は怒って即座に巨大津波を起こすはずだ。
ものすごい速さで街に押し寄せるだろう」
「は……?は!?
は!?
な、なんですって!?」
「だから…、
そうなった時には宗像三女神の力で海を鎮めてほしいんだ。
被害が出ないようにしてほしい」
「ちょ…っ!
ちょっと待ってよ!
意味がわからないわよ!?」
「今はそれで納得してくれ!
頼む!
時間がないんだ!」
「そ……、そんな事…。
急に言われても……!」
「日本海に水を放出する。
この水には人間の罪や穢れも含んでいるんだ。
それを鎮められるのは、海の女神である宗像三女神にしか出来ない。
鎮めて、
………祓ってほしいんだ」
「うっ!?
うぅ………!
わ…、わかったわよ…。
よくわかんないけどわかったわよ!
これは貸しだからね!
今度パフェをおごりなさいよ!
カケルくんと一緒に!」
「………………。
……….。
……わかった。
じゃ……、よろしく頼む」
サヨリヒメとの意識交信は途絶えた。
「………ホ~ノ?」
「………。
シナ。
お前の風の力で異世界に穴をあけてくれ。
その風圧で水が一気に穴に向かって流れていくだろう。
その時に俺が水に電流を流して日本海へと軌道修正をする」
「……………うん。
オーケー牧場」
シナツヒコは両手の中心に風の力を集中させる。
ゴオ!
ゴオ!
ゴオ!
ゴオ!
ゴオ!
風が途轍もない速さで回転し、上昇気流が重なって竜巻が生じた。
ギュン!
ギュン!
ギュン!
ギュン!
ギュン!
回転の勢いはさらに増し、絶大な竜巻に変化する。
「ホノ!
いくよ!!」
「了解!!」
シナツヒコは超・巨大な竜巻を上空に思い切り放った。
バリーーーーーーーーーーーン!!!!!
爆発でガラスが割れたような音がした。
その次の瞬間、ホノイカヅチの予想通りに大量の水が穴のあいた場所目掛けて激しく流れ込んでくる。
ガガガガガガガ!!!
水に放電させて流れを支配したホノイカヅチは、大量の水を日本海へと誘導した。
【葦原の中つ国・日本海】
パリン!!
空が割れた。
「来たわ!!」
サヨリヒメが身構えた瞬間、割れた空の切れ目から水が滝のように真っ直ぐ海へと落下していく。
ドッ!!!
ドッ!!!
ドッ!!!
「お姉様!
タギツ!
やるわよ!」
サヨリヒメが振り向くと、オキツシマヒメ、タギツヒメは祓えの祝詞をあげた。
サヨリヒメは祈りの舞を、舞い踊る。