第百六十八話 夢幻
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ~~~~~~!!!!!
ギャア!ギャア!ギャア!ギャア!ギャア!!!!
「うううっ!
鼓膜が破けそう………!」
翔は咄嗟に耳を塞いだ。
しかし何の意味もなかった。
脳髄をトンカチで連打されているような感覚。
ガンガンと身体中が痛い。
「カケル。
目を閉じろ」
ツクヨミはそう言ったと同時に、右の手のひらから強い輝きを放った球体を出した。
「わっ!?」
真っ白の光の球体は、ぐんぐんと巨大化していく。
目を開けていられないほどの眩しい光だ。
耳を塞ぎながら、翔は目を閉じた。
目を閉じていても真っ白な光が見える。
ツクヨミは巨大な光の球体を上空に向かって投げた。
軽く放り投げたその球体は、ツクヨミから離れた瞬間に物凄いスピードで上昇する。
そしてある地点に到達すると、光の球体は瞬く間に破裂した。
「あ……っ!?」
翔が目を開けて見た景色は、強烈な閃光だった。
「綺麗………」
思わず口をついてしまう。
月の光が降り注ぐ…という表現がふさわしい。
月や太陽、海に人は無意識に畏敬の念を抱く。
その所以はきっと、ふとした時、この世のものとは思えないくらいの美しい自然現象を目の当たりにするからだろう。
夜明け頃、東の空にさしてくる太陽の光。
寄せては返す、波打ち際で感じる、どこか懐かしい潮の香り。
日常生活の中、見上げた夜空に浮かんでいる神秘的な月から何となくメッセージを感じたりする。
いつも身近にありながら、尊く愛おしい大切な存在の太陽と月、そして海。
「あ…、ああ……。
そうか………」
月の光のシャワーを見つめながら、翔の中で一つの解釈が生まれた。
三貴神とは、とてもとても高貴な存在。
崇め、敬うべき大切な神々。
そしてそれと等しく、とてもとても身近な存在でもある。
「………わ……、わかった……かも…。
なんで三貴神が…、三貴神だけが【陰】の力が強いのか……」
涙が込み上げてきた。
鼻の奥がツンとする。
「人間に……寄り添ってるからだ…。
人間と…、一番密接に関わっている神様……だから…だ。
人間が【陰】の存在だから…。
だから……、三貴神も【陰】を強く、…強く内包しているんだ…」
胸の奥が熱くなる。
なんて素晴らしいんだろう。
尊いんだろう。
「三貴神…。
ツクヨミ様が…、スサノオ様が…、アマテラス様が…。
こんなにも崇高な神様が……。
いつもいつも僕達のそばにいてくれていたんだ……。
凄く…、凄く心強い……」
ウギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
「えっ!?」
先ほどまでの耳を切り裂くような不快な奇声が、苦痛を帯びた騒がしい絶叫へと急激に変わった。
「この光、邪悪な者には拷問のように感じるはずだ。
痛みと熱さで消え失せろ」
ツクヨミが吐き捨てた。
うめき声や金切り声が、パラレルワールド中により一層響き渡った。
ジュッ!
ジュッ!
ジュッ!
その後、空一面に浮き出ていた般若の形相をかたどったもの達は、次から次へと瞬時に焼き払われていく。
「す、凄い!
ツクヨミ様………!」
あっという間に結界は解除された。
「カケル。
早く葦原の中つ国へ」
ツクヨミが手を差し伸べた。
「はっ、はいっ!」
手を伸ばした、次の瞬間。
「うわっっっ!!!!?」
翔の両足首を、黒い何かが掴んでいた。
「えっ………?」
あっという間に物凄い力で引っ張られた。
下には凄まじい勢いでうねる大洪水。
「うわああああああああ!!!」
ドボンッッッッッッッ!!!!!
勢いよく大洪水の中に叩き落とされた。
「カケル!!!!!」
ツクヨミが追いかけようとした、
その時---。
背後に気配を感じた。
ゾクッとする悪寒。
振り返る。
そこにいたのは---。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
(ウププププ…………!!!)
再び水の中へ突き落とされた翔は、必死に腕を動かしてもがいていた。
(ううう…!
く、く、く、苦しい…………!!)
息を止めて水面へと行こうとするが、足首を掴んでいる何かにどんどん引っ張られていく。
なんて力だ。
到底敵わない。
(ううう……!
い、息が………!)
限界がきて、翔は口を開けてしまう。
(ぶはぁっ………!!)
虚ろになりつつある視界に、無数の泡が広がっていた。
(……こ、今度こそ、ダメ………かも……)
幻なのか。
差し伸べられた手が見える。
誰の手か?
ツクヨミか?
力を振り絞り、翔は左手を伸ばす。
しかし。
その手をとる事が出来ないまま、水底へと沈んでいった………………。
◇◇◇
シャッッッ!
カーテンを開ける音が聞こえた。
目を瞑っていてもわかる、明るい日差し。
「翔!
翔!
起きなさい!!」
「えっ!!?」
反射的に身体を起こした。
「え……?
こ、ここは……?」
「翔!
起きた?
早く支度しないと学校遅刻するよ?
まったく…。
翔は本当に朝が弱いんだから」
「………え?
え?え?」
何故かベッドの上にいた。
「ぼ、ぼく……の、へ、部屋………?」
まわりをグルリと見回す。
自分の勉強机がある。
プテラノドンのぬいぐるみのプテちゃんがいる。
「あ、あれ…?
あれ?
や、やっぱり…、ぼ、ぼくの部屋?」
間違いない。
翔の部屋だ。
「え?え?え?え?え?
な、な、な、何で……?
だ、だってぼ、ぼ、ぼくは……」
水の中にいたはずだ。
なのに……。
頭が混乱する。
確かに何かに引っ張られて水の中に落ちたのだ。
ツクヨミの手をとれずに。
「え?え?え?え?え?
な、な、な、何で…??
何で……!?」
「水の中?
なあに、それ。
夢でも見てたの?」
「あ……」
さっきから自分に話しかけてくる、この声。
懐かしい。
泣きたくるほど懐かしい、この声は…。
「お………、
お…、お………、
お、お、…お…母さ、ん………?」
「もう…。
翔ってば…。
まだ寝ぼけてるの?」
呆れたように、けれども優しく微笑む母の姿があった。
居間に飾ってある写真の母の姿、そのままだ。
少し明るい茶色の長い髪の毛を、低い位置でポニーテールにしている。
「は?え?
あ……。な、な、何で……?」
頭がこれ以上ないほどに混迷していた。
これは夢か?
いや、天国…。
あの世か?
そうとしか考えられない。
そうに決まっている。
そうだ。
翔は冥土に旅立ったのだ。
「ぼく…、し、し、し、死んじゃったんだ……。
だ、だからお母さんが迎えに…」
「え?
何言ってるの。
やっぱりまだ寝ぼけてるのね?」
「だっ、だって…。
そうじゃなきゃ…、説明つかないよ…。
そ、そうなんだよ…。
ぼく…。
ぼく…。
やっぱり……、
やっぱり溺れて………」
「翔!」
ギュッ……。
「!?」
花柄のエプロン姿の母は、翔をふんわりと抱き締めた。
「怖い夢でも見たの?
中学生になっても翔は怖がりなんだから」
「………!!」
母のにおいだ。
本物の母のにおいだ。
柔らかくてあたたかい。
生きている人間のぬくもり。
「お……お…………おか…、おか…、
お…母…さ…ん………?」
「翔。
おはよう。
もう怖くないからね」
「うぅっ………!!」
ギュウッと力強く母を抱き締めた。
力一杯抱き締めた。
涙が溢れてきた。
涙が止まらない。
母は妹の桜を産んだあと、すぐに亡くなってしまったはずだ。
こっちの方が夢なのか?
どちらが現実なのだろうか?
だけど今、実際に母のにおいや温かさ、柔らかさを感じている。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚…。
五感でリアルに感じている。
夢なわけがない。
こっちが現実に決まっている。
「翔。
もう泣かないの。
早く学校の支度をしなさい。
桜に見られたら、また茶化されるわよ?
お兄ちゃんが怖い夢を見て泣いてる~って」
「え…?
さ、さ、桜…?」
「泣いていた事は翔とお母さんの内緒ね?
ほら、顔を洗ってきなさい」
「あ……。
う、う、うん…」
母に急かされ、ズビズビと鼻をすすりながらベッドサイドをキョロキョロと見た。
「あ、あれ?
ぼくの車椅子は………?」
「車椅子?
何の事?」
「え?
だ、だって…ぼくは…」
脳性麻痺のために下半身が動かない…、と言おうとして母の顔を見上げた、
次の瞬間。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!!!
ブォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!
頭の中に沢山のフラッシュがたかれたような、クラクションを鳴らされたような、
そんな衝撃が走った。
「あ……っ!!!」
頭痛がする。
クワンクワンと耳鳴りもした。
「翔?
どうしたの?
大丈夫?」
心配そうに覗き込む母。
頭の中に怒涛のごとく、忘れていた…、しかし身に覚えのない過去の記憶が一気に押し寄せてきたのだった。
「う、ううん。
だ、大丈夫…。
ぼく…、顔、洗ってくる…」
ベッドから立ち上がり、洗面所へと向かった。
△△△
バシャッ!バシャッ!
水で顔を洗い、フゥと呼吸を整える。
「ど……、どういう事なんだろう……」
頭の中に甦ってきたのは全く知らない過去の記憶だ。
浅野翔は中学生。
父と母と妹がいる。
優しくて少し気弱な父は、コンピューター関連の仕事をしている。
明るくて元気な母はパートで喫茶店に勤めている。
妹は小学校三年生。
かなり生意気で、大人顔負けに広く浅い知識を持っている。
口喧嘩では、いつも翔をケチョンケチョンに言い負かしていた。
「な、何なんだ…?
この記憶は……」
親友は阿部卓巳。
卓巳の好きな人は、学校一の美少女・坂本伊織。
クラスのリーダー的存在は堀田智之。
ジャイアン気質だが仲間思いの一面があるため、翔とは良い関係性を保っていた。
「こんな記憶、知らない…。
知らない……。
知らないはずなのに……。
なんでこんなに…、現実的なんだ……?」
今までの過去の記憶も残っている。
母は妹の桜を産んで、すぐに亡くなった。
桜は重度の脳性麻痺により、痙攣を伴うてんかん発作や呼吸障害を合併している。
人工呼吸器を手放せない。
会話は出来ず、食事は口から摂取出来ないため胃ろうで注入している。
翔自身は軽度の脳性麻痺ではあるものの、下半身不随。
車椅子生活を余儀なくされた。
今、翔の頭の中は従来の過去の記憶と、新たに加わった過去の記憶が混在していた。
どちらもリアルで、どちらも臨場感があった。
「ど、どうなっているんだ……?」
洗面所の鏡にうつる自分を見つめた。
紛れもなく、〈自分〉だ。
認識している、直近の過去の記憶。
翔はパラレルワールドにいた。
シナツヒコ、ホノイカヅチ、カグツチ、ツクヨミもいた。
パラレルワールドで本来のヒルコを取り戻そうとした。
だが、ヒルコは影法師ナニカと一体化してしまう。
一体化したヒルコは、葦原の中つ国と高天原の立て替えと立て直しを企てていた。
立て替えとは、すべてを一掃する事。
すべてを破壊する事だ。
パラレルワールドを大洪水にして結界を張った後、ヒルコは姿を消した。
シナツヒコ、ホノイカヅチ、カグツチとはぐれてしまったが、翔とツクヨミは葦原の中つ国(現代社会)へ向かおうとした。
立て替えを阻止するために。
ところがその一瞬の後、翔は何かに足を引っ張られて大洪水の中に落ちてしまったのだ。
「それで…、ぼくは…、今、ここに……」
夢か?
幻か?
それとも………。