第百六十一話 排他的
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!!!
パラレルワールドの空から湧き出てきた八百万の邪神が一斉に吠えた。
黒板に爪をたて、キィィと鳴らした時のような不快な音。
鼓膜が破れそうなほどの、けたたましい声がパラレルワールドに響き渡る。
「うぅ…!!」
翔は力の限りに耳を塞いだ…が、まったくもって意味がなく、トンカチで殴られたように頭がクワンクワンとなっていた。
「カ……カケル……。
大丈夫か……?」
「う……う、うん……。
頭がクラクラするけど……、何とか…。
ホノくんは…?……大丈夫?」
「あ…ああ…、大丈夫だ…」
とはいえ、ホノイカヅチは眉間にシワを寄せて怪訝な表情を浮かべている。
シナツヒコも気持ち悪そうにこめかみを押さえていた。
天津神でさえも、邪神の撒き散らす不快な音は苦手らしい。
人間なら尚更だ。
身体が弱っている人間や、精神的に脆い人間であれば、邪神の声を聞いただけで生命の危機に晒されるだろう。
それほどまでに邪神の波動は邪悪なのだ。
「うう…。じゃ、邪神がこっちを見てる……」
上空にウヨウヨ浮いている八百万の邪神は、ねっとりとした視線でこちらを見つめている。
どうやら、翔達はめでたく邪神のターゲットにされたようだ。
「……今は…。
邪神を消滅させなきゃだね……」
空を見上げて、シナツヒコはため息混じりに言った。
やりたくないオーラ全開だ。
無理もない。
邪神の数が多すぎる。
「………ねぇ…、ホノ。
ヒルちゃん……は…。
どこにいる………、のかな……?」
「…………。
……わからない…」
豹変したヒルコは身体を肥大化させて、パラレルワールドの空に溶け込んでいったように見えた。
ホノイカヅチに意味深な言葉を残して。
「……………。
だけど……。
パラレルワールドのどこかには必ずいるはずだ。
姿が見えないだけで」
「……根拠は?」
「…………………。
俺の勘」
「え~~??ホノの勘~~?
…それ、当てになるの~?」
「…………。
シナよりはな」
「ちょっと~?
何それ~?」
「………事実だろ」
「何で決めつけられるわけ~~?
エビデンスは~~~?」
「まあまあまあまあ!
ストップストップ!!」
押し問答になりそうな直前で、翔はあわてて間に割って入った。
「も~!
シナくんもホノくんも!
言い争ってる場合じゃないよっ!」
そう言いつつも、翔は何だか嬉しかった。
シナツヒコとホノイカヅチの痴話喧嘩を聞くのは久しぶりだ。
今の状況は最悪だ。
ヒルコが豹変し、高天原と葦原の中つ国の滅亡を企んでいる。
それに加えて無数の邪神から狙われる始末。
そんな中でも、いつもと変わらないシナツヒコとホノイカヅチの存在が嬉しかった。
「……あ…。
カケルくん……。そ、そうだね…。
あはは。
ご、ごめんね…」
「わ…、悪かった…」
「……ふふ…。
うん………」
そう。
ヒルコの事はもちろん気掛かりではあるが、とにかく今はあの無数に湧き出る邪神を何とかしなくては。
「ホノ兄ー!
シナ兄ー!
カケ兄ー!」
不意にカグツチの声が聞こえた。
「カグ!?」
ホノイカヅチが声のする方向に振り向くや否や、物凄い速さで飛んできたカグツチにみぞおちをタックルされる。
「ぐぇっ!!」
「みんなボクを忘れないでよー!
ずっと自動販売機のうしろに隠れてたんだよー!
寂しかったんだよー!」
「…………ぅぅっ」
腹を抱えてうずくまってプルプルしているホノイカヅチに代わって、シナツヒコが穏やかに答えた。
「ごめんごめん~。
ごめんね~、カグ。
大変だったんだよ~。
でもさ、カグも見てたでしょ?
………ヒルちゃんの事」
「うん、見てた」
「ヒルちゃんさ、何かに取り憑かれちゃったのかなってくらい変わっちゃったからさ……。
ぼく達もビックリしたんだよ」
「……ふーん」
「カグもビックリしたでしょ?」
「……別に?」
「え?」
「別に普通じゃん」
「え?
そうなの?
どうしてそう思うの?」
「だってヒル兄は捨てられたんでしょ?
理不尽にさ。
だったらさ、相手を恨んでいても当たり前じゃん?」
「え~………」
「シナ兄にはわかんないかもね。
シナ兄は紛れもない、まっとうで立派な風の神だもん」
「え~………?
そんなの……、カグだってそうでしょ?
火の神なんだから。
ホノだって……」
「ん~~。
ニュアンスが違うんだよね。
シナ兄が見てる世界と、ボク達の見てる世界。
きっとそれは随分とかけ離れているはずだよ」
「カ、カグ………?」
カグツチの瞳が赤く揺れた。
憂いを帯びた真っ赤な炎のようだ。
「ボク、思うんだ。
ヒル兄はね、ずっとずっとずーっと前からイザナギとイザナミを憎んでいたんだろうなって。
それが長い時間が経って、いつの間にかどこかに忘れていただけなんだ。
ただ忘れてただけで、絶対消えてはないはずだよ。
胸の奥に閉じ込めていただけなんだ」
「カグ………」
「ヒル兄の身体が分裂した時、その思考が憎悪や怨念に支配されていたんだとしても、誰もヒル兄を責める事は出来ないよ。
だってそれ相応の仕打ちをされたんだから」
カグツチの言っている事は、この場にいた全員が理解出来た。
ある意味、正しいのかもしれない。
生まれたばかりの子を、不具があるからの理由であっさりと捨てた。
愛情を与えず、抱きしめる事すらただの一度もしないままに海へと流した。
それらの仕打ちが、憎悪や怨念といった感情を引き起こすのも無理はない。
いや、当たり前なのだ。
「………でも……。
ぼくは…………」
翔はボソリと呟いた。
両手をギュッと握り締め、まっすぐにカグツチを見る。
「カグくん……。
大前提として、ヒルちゃんは被害者だよ。
イ、イザナギ様…と、イザナミ様がヒルちゃんを捨てた事…。
ぼくも許せないって思う。
どうしてそんなひどい事をしたのだろうって思ってる……。
捨てた行為自体は…、絶対にやってはいけない事だって強く思ってるよ」
「うん?
だよね?
だからどうしたの?
その結果がコレでしょ?」
「う……ん…。うん…。
そう…、なんだけど…。
でもね、でも…。
イザナギ様とイザナミ様は…、その時どんな気持ちだったのかなって思うんだ。
……確かに…、どんな理由があっても捨てる事は絶対…、絶対ダメなんだけど…。
イザナギ様とイザナミ様の気持ちを知りたいんだ」
「………は?
……なに?それ?
…………。
それってつまり…、カケ兄は加害者を擁護するって意味?」
「……違うよ。そうじゃない。
………葦原の中つ国…この日本全土や、シナくん達みたいな神様を創ったイザナギ様とイザナミ様が…。
一番最初の子のヒルちゃんを捨ててしまうなんて…。
やっぱり何か理由があるとしか思えないんだ。
大きな理由があるはずだと思ったんだ」
「…………。
……………。
………カケ兄はまるでわかってない……」
「…え?」
「そんな大それた理由なんかあるわけないだろ!?
何言ってんの!?
自分の事しか考えていない、他責思考の無責任に決まってるんだ!!」
「カ、カグくん…?」
逆鱗に触れてしまったのか、カグツチの波動から炎が吹き出し、そのままメラメラと燃え盛る。
「カケ兄は甘い!
甘い甘い甘い甘い!!
カケ兄には経験がないからだ!
理不尽に切り捨てられた経験がないからそんなに甘いんだ!!」
「カグ!
落ち着け!
どうしたんだ?」
ホノイカヅチがカグツチの肩を掴んだ。
ハァハァと息遣いは荒く、とても興奮している。
「……カグ。
いいから落ち着け。
口から息を吐いて」
「……………。
…………はぁ………」
「………落ち着いたか?
一体どうしたんだ?」
「…………」
ふくれっ面をしているカグツチに対して、翔はペコリと頭を下げて謝った。
「ご、ごめんね…、カグくん。
ぼく、気に触る事を言っちゃったかな……?」
「………ううん。
ボクも大声出して………ごめん」
目を合わせずにカグツチは短く答えた。
「カグくん………」
〈切り捨てられた経験〉
翔はこの言葉が心に残っていた。
ヒルコは生まれたすぐに捨てられた。
カグツチにも何か切り捨てられてしまった過去があるのだろうか。
以前、カグツチは過去に囚われていると言っていた。
恐らく〈切り捨てられた経験〉は、その事に直結しているのだろう。
「ちょっとみんなぁ~~~…。
聞いてくれる?」
シナツヒコがぎこちない、ひきつった笑顔で振りかえった。
「シナくん?」
「シナ?」
「シナ兄?」
「なんだかんだしている間にね~…。
邪神の皆さん、スタンバイオーケーみたいだよ~……」
「えっ!!?」
上空を埋め尽くした無数の邪神は、臨戦態勢で地上を見下ろしていた。
獲物を狙った肉食動物のように、目を細めて頃合いを探っている。
「一気に襲ってくるから応戦するよ~。
カケルくんは僕達のうしろにいてね」
シナツヒコとホノイカヅチとカグツチは空を見上げたまま、すり足で翔の前に立った。
「う……うん……!」