第百五十八話 心の洗濯
パラレルワールドに移行した。
音も物質も色さえも〈無〉である空間。
もしこの世界に何かを創りたいのなら、人間が具体的にイメージを思い浮かべればいい。
感触、匂い、聞こえる音、見えるもの--。
リアルであればあるほど、そのイメージはより鮮明に具現化されていく。
「なんかさ~…。
殺風景でつまらないよね?
カケルくん、何かイメージしてみてよ~」
「えっ?どんな?」
「う~~ん、そうだなぁ~~~。
なんか楽しくなりそうな雰囲気が欲しいなぁ~」
「楽しくなりそうな…?
ええー…、どんなのだろう?」
「あっ、そうだ!
こんなのどお?
楽しくなりそうな感じなんだけど、それと同時に気合いも入りそうなヤツ!」
「えええー……。
ますます難しいよ…」
シナツヒコにせがまれて、翔は困りながらも考える。
楽しそう且つ、気合いも入る…。
どんなイメージをしたら良いのだろう。
「シナ。
こんな時に変な事言ってカケルを困らせるなよ」
ホノイカヅチがすかさずフォローを入れてくれた。
「だ~ってさぁ。
何にもないんだもん。
これじゃあさ、目印とか必要になった時とか不便じゃない~?」
「確かに…。
そうだけど…」
なるほど。
影法師ナニカが簡単に浄化され、簡単に輪廻に帰すとは限らない。
何らかのアクシデントに備えて、建物などを創った方が良いのかもしれない。
「ぼく…、今からイメージしてみるよ。
ちょっと…、待っててね…」
翔は目を閉じた。
頭の中でごちゃごちゃ考えていても、なかなか良いアイディアが浮かばない。
それならいっそ、〈楽しくて気合いが入る空間〉をイメージしてみよう。
具体的な物質ではないが、楽しい感情と気合いの感情をリアルに脳と心で感じ取れば良いのだ。
(楽しくて気合いの入る場所!!)
頭の中で叫んで、その感情を肌で感じてみた。
〈楽しそう〉な感情で胸がワクワクして、〈気合いが入る〉の感情で鳥肌が出た。
次の瞬間---。
ポップコーンが弾けるような音がした。
ポンッ!
ポンッ!
ポンッ!
ポンッ!
ポンッ!
そして次から次へと建造物が現れた。
翔はそっと目を開けて周囲を見回し、思わず声を漏らしてしまった。
「わ…ぁ………」
目の前に広がる空間に出来上がったものは…。
「遊園地…だぁ…」
ジェットコースター、観覧車、メリーゴーランド、コーヒーカップ、お化け屋敷、バイキング……。
小さい頃、ずっとずっと憧れていた遊園地だった。
「これが…。
カケルの〈楽しくて気合いの入る〉場所のイメージなのか?」
「あ……ははは…。
うん…。そうみたい…。
ホノくん、この行楽地…知ってる?」
「遊園地…ってヤツだろ」
「うん。そう。遊園地。
ぼく、車椅子だからさ。
遊園地に行くって…、やっぱりハードル高くて…。
小さい頃からお父さんに行きたいって言えなかったんだよね…」
「…………そうだったのか…」
「観覧車とかメリーゴーランドって楽しそうだし、ジェットコースターはちょっと怖そうだけど乗ってみたいなって気合いが入るよね。
お化け屋敷もそう!
だから……、イメージが具現化したのかなぁ」
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遊園地から陽気な音楽が聞こえてくる。
パレードが始まったのかもしれない。
意識とは不思議なものだ。
一度も行った事がない翔が、こんなにもリアルに遊園地のイメージを再現出来た。
小さい頃から遊園地に行きたくて憧れて、雑誌やテレビなど様々な媒体で脳に映像をインプットさせてきたのだろう。
それが無意識に記憶として鮮明に刻み込まれていたのだ。
「カケルく~~ん!
だったらさ~、ちょっとだけ遊んで行かない?
遊園地で!」
「え!?
で、でもシナくん…。
今から影法師ナニカを呼び寄せて、ヒルちゃんを助けなきゃ……」
「わかってるよ~。
だけどその前に、ちょっとだけだよ。
ちょっとだけ遊んだって全然いいでしょ~」
「で、でも……」
「カケルくん、一度も行った事ないんでしょ?
せっかくなんだし」
「で、でも……、ぼく……、車椅子で……」
「大丈夫だよ~?
忘れたの?カケルくん。
ここはパラレルワールドだよ?」
「えっ……?
…………あっ、そっか………!」
パラレルワールドは思考した事が具現化する世界。
翔が願うなら、立って歩く事も可能になる世界。
「で、でもでも……。
いい……のかな……?」
「あったり前じゃない!
ホノもいいよね?」
「もちろん。
……それに…。
カグがソワソワウズウズしてる。
限界みたいだぞ」
「めっちゃ!
めっちゃ面白そう!!
カケ兄!ボクも遊んでみたいよー!」
カグツチが翔の左手をグイッと引っ張った。
「わっ!」
勢いそのままに、自然と右足が出て、すぐに左足も出た。
当たり前に足が自動的に動いている。
遊園地のゲートに向かって軽やかに走って行ける。
(やっぱりパラレルワールドって凄いっ!)
知らず知らずニヤニヤ笑ってしまう翔。
生まれてはじめての遊園地に行く事も楽しみだけど、それよりもはるかに自分の足で立って歩く方が
嬉しくて幸せだ。
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束の間、遊園地を堪能した。
ジェットコースターに乗って絶叫し、お化け屋敷に入って再び絶叫する。
コーヒーカップで目を回し、バイキングに乗ってお尻が浮く感覚を覚える。
メリーゴーランドで写真を撮って、休憩をかねてベンチでソフトクリームを食べた。
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最後に観覧車に乗る事にした。
ホノイカヅチとカグツチがゴンドラに乗り込んだあと、次に来たゴンドラに翔とシナツヒコが乗った。
ゆっくりと上空へのぼっていく。
「ねぇ、ねぇ、カケルくん!
見て見て!」
シナツヒコが目を見開いて、窓ガラスにへばりついて景色を見ている。
「?
どうしたの??シナくん」
不思議がりつつ、窓の外へ視線を向けた。
「わあ!!」
イルミネーションがキラキラしたアトラクションのまわりには、赤や黄色に色付いた木々達が立ち並んでいた。
上から見ると、遊園地は森に囲まれていて見渡す限り溜め息が出るような紅葉が広がっていたのだ。
「これもカケルくんのイメージなんだろうね~」
「そ…そうなのかなぁ。意図的に考えたわけじゃないんだけどね」
「じゃあ深層心理ってヤツだね~」
「うーん…深層心理かぁ…」
「でもさ~、遊園地のアトラクションとかソフトクリームの味とか。
完璧だったよ~。
本当にリアルにイメージしたんだね」
「あ、あはは…。
遊園地は小さい頃にたくさん調べたんだ。
ガイドブックとか買ってもらって。
だから行った事ないけどイメージ出来たのかも」
「へ~。そ~なんだ~。
じゃあさ、ソフトクリームは?」
「ソフトクリームは他の場所で食べた事あるんだけどさ。
でもさ、さっきのソフトクリームって格別に美味しかったと思うんだ。
シナくんも思った?」
「思った思った!
なんかめちゃめちゃ美味しかった~!」
「だよね?
ぼく、ずっと思ってたんだ。
遊園地で食べるソフトクリームって最高なんだろうな~って」
「なるほどね~。
カケルくんの夢の味も含まれていたから、あんなに美味しかったんだね」
一周、約十五分。
ゴンドラは徐々に地上へと降りていく。
「ぼく、ヒルちゃんが連れ去られてしまった時…。どうしようって焦って悲しかったけど…。
内心では少し良かったなって思ってる部分もあるんだ」
「えっ………??
カケルくん、どうして?」
「もちろん、影法師ナニカにヒルちゃんの身体を乗っ取られてしまう怖さは消えなかったけど…。
ヒルちゃんならさ、完全にすべてを影法師ナニカに取り込まれてしまうなんて有り得ないって思ったし…。
何よりさ、ヒルちゃんの一部分が見つかって良かったなって思ったんだ」
「一部分………?」
「うん。
だってヒルちゃんが分裂して影法師ナニカが生まれたんでしょ?
つまり、ヒルちゃんの思念なんだよね。
ヒルちゃんが空っぽだったのは、心がいなくなってしまったからだもん」
「あ……。うん…。そう…。
そう…だよね…。
失念してた…かも…」
「だからさ、シナくんとホノくんで心を綺麗に洗ってヒルちゃんに返してあげて。
ぼくも頑張るよ。
洗った時に出てきたものを更に綺麗に洗うからね」
「カケルくん…」
「遊園地で遊べたのもさ、巡りめぐればヒルちゃんのおかげだよね。
言霊を知ってから…ぼく、わかったんだ。
今の自分がいるのは全部感謝しかないんだって」
「へぇ~~~。
それ、詳しく聞きたいなぁ~~」
「あはは…。
また今度…。
ゆっくりね」
「ふふふ。
約束だよ~」
観覧車から降りると、出口でホノイカヅチとカグツチが待っていた。
それから遊園地のエントランスまで戻った。
ベンチや噴水があり、広々として見通しが良い。
この場所に、火の玉に入っている大量の〈負の感情〉を放出する。
シナツヒコとホノイカヅチ、カグツチは手のひらを翳して火の玉を出した。
見た目は小さな火の玉だが、この中には膨大な数の人間のネガティブな感情が入っている。
「呼吸を合わせていくぞ…。
いいな?」
「了解~」
「ボクも」
同時に、火の玉を空高く投げた。
そして封を切る。
グオオォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!
途端に耳をつんざくような、地鳴りのような喚き叫ぶ声が広場に響き渡った。
「うっ………!」
鼓膜が破れそうだ。
すぐに翔は耳を塞いだ。
青く澄みきった爽やかな空は、突如現れた暗雲に埋め尽くされる。
急に湿度が高くなり、ジメジメと肌にまとわりつく湿り気がとても不快だ。
しかし気温そのものは低下し、吐く息は白くなった。
奇妙な空気が充満している。
二手に分かれて、影法師ナニカが現れるまで待機する事にした。
シナツヒコとカグツチは、アイスクリームの自動販売機の後ろ。
翔とホノイカヅチは噴水を隠れみのにした。
見上げると〈負の感情〉はまるで悪霊の化身のように、黒い影の塊が一箇所で渦を巻いている。
どのくらいの大きさだろう。
巨大な湖くらいだろうか。
「ホノくん…。
〈負の感情〉が集まると……、。
何か…、気持ち悪いし、頭も痛くなるね…」
「アレが撒き散らしてる波動は低すぎるからな…。
正面から受けないようにしないと、カケルの波動にも多大な影響を及ぼすぞ。
受け流す事は出来るか?」
「受け流すって…。どうすればいいの?」
「ガン無視すればいいんだ」
「ガ…、ガン無視?
わかった、やってみる…。
ガン無視…、ガン無視…、ガン無視……………って…。
ダメだぁ、ついつい考えちゃうし、見ちゃうよ。
ううっ、吐きそう…」
吐き気まで催してきた。
胃液が喉まで上がってくる。
「カケル、大丈夫か?
今から雷の電波を結界として、カケルの身体に張り巡らせる」
「えっ?」
ポシュッポシュッと、炭酸が弾ける音に囲まれた。
柔らかな稲光が翔の身体のまわりで光っている。
「どうだ?
少しはマシになったか?」
「うん。ありがとう。
凄く楽になった」
「なら良かった」
しばらく時が経った。
でありながら、影法師ナニカは一向に現れない。
不謹慎だが、待ちくたびれて眠気が襲ってきてしまいそうだ。
「なかなか来ないね…。
影法師ナニカ…」
「……そうだな」
「あっ、そういえばさ、ホノくん。
気になってる事があるんだ、ぼく」
「なんだ?」
「影法師ナニカの件、さ。
ほかの神様は手伝ってくれないのかなって…。
思ったんだ」
「ほかの?」
「神様がたくさんいてくれた方が心強いし…。
何より確実じゃない?
影法師ナニカの浄化も」
「ああ…、そういう事か。
それはそうなんだけどな。
ヒルコの存在がまだしっかりと認知されてはいないんだ。
だから事情を知ってる神々にとって、目立つ動き方には消極的なんだよ」
「あっ…、そうなんだ…」
「それに…。
実は今、高天原と葦原の中つ国に災難が降りかかるっていう占いが出たらしいんだ。
ぶっちゃけ、他の神々はそっちに気を取られている」
「えっ!?
さ、災難が降りかかるって!?
どういう事!?」
思わず大声を出してしまい、慌てて口を両手で塞いだ。
「フトダマ様っていう占いの神がいるんだ。
その神がそう言っている」
「フト……?ダマ………?…様…?」
「カケル。
お前もしかして今、フトダマ様って太ってる神なんじゃないかって想像しただろ?」
「ええっっ…?い、いや、ま、まさか…。
そんな事ないよっ……」
「容姿は少し太ってる」
「えええっっ……」
「優しくておおらかな神だよ。
カケルも会えるといいな」
「う……、うん…。
で、でも……、災難が降りかかるなんて…。
どういう意味だろう?
影法師ナニカとか、マガツヒノカミの事じゃないのかな?」
「そうらしいな。
もっとほかの……。
例えば…」
「例えば?」
「例えば……。
人間が引き起こす災難、とかだろうな」
「に、人間……?」
「フトダマ様はこう言っているそうだ。
【人間が神の領域に踏み込んだ時、歪みが出来て災難が降りかかる】ってな」
「神の領域……?
え、な、何だろう?」
「さあな。
これ以上わからない。
だから神々が騒いでいるんだ」
「うーん…。
でもさ…。
人間が原因だったらさ?
どうして高天原にも影響があるのかな?」
「それが謎だよな。
だけど、フトダマ様は高天原と葦原の中つ国に災難があるって言ってんだよ」
「………そうなんだ…。
うーん…、何でだろうね……。
………あっ。
ねぇ、ホノくん。
ぼく、一つ思い当たる事が…………」
そう言いかけて--。
ゾワリと身体中に戦慄が走る。
--来た--
背筋が一瞬で凍りついた。
ホノイカヅチは目で合図を送り、翔も無言で頷いた。
〔まだ隠れて様子を見る〕
パラレルワールドに影法師ナニカが現れた。
影法師ナニカは呻き声と黒い影が渦を巻いている【負の感情】の塊を、微動だにせずにジッと見つめている。
どう動くか--。
翔は息を潜め、固唾を呑み込んだ。