第百四十九話 造化三神
ヒルコが影法師ナニカに連れ去られた。
翔達はどうする事も出来ず、ただただ呆然と立ちすくんでいた。
「はっ…………!?」
瞬き一つの間に。
翔の目の前が星空へと変わった。
「えっ……………!?」
自分が今、一体どこにいるのか?
わからなくなる。
見渡す限り、満天の星。
空中にいるのか?
浮かんでいるのか?
どうして?
いつの間に?
頭がパニックになりそうだ。
シナツヒコ、ホノイカヅチ、カグツチも、何が起こったのか理解しかねた様子で混乱している。
突然瞬間移動して、星が瞬く夜空に放り出されたような感じだ。
…しかし。
何故だろう。
不思議と守られているような、大きな力に包まれているような、そんな感じがしている。
とはいえ、それを含めて今まさにパニックに陥りそうになっていた。
しばらくするとーーー。
「わっ!?」
天空から目を開けていられないほどの真白い光が降り注いだ。
反射的に目を瞑る。
「目を開けよ」
「!?」
身体中に響き渡るような声。
身体中に沁み入るような声。
脳内に反響している。
オドオドしながらも、翔は怖々と目を開けた。
「!!!」
直感でわかった。
造化三神だ。
造化三神がそこに現れている。
威厳に満ち溢れ、この上なく崇高な波動。
気を失ってしまいそうになるくらいの重圧感を漂わせながらも、眠ってしまいそうになるくらいの安らかなオーラも併せ持っている。
造化三神。
高天原に、一番最初に現れた三柱。
男神でも女神でもなく、独神として出現し存在する。
アメノミナカヌシノカミ。
宇宙と自然界の根源。
万物の根源となる神。
タカミムスビノカミ。
カミムスビノカミ。
創造と発展、完成の神。
新しいものを生み出す力。
翔の産霊の力は、タカミムスビノカミとカミムスビノカミから賜った。
産霊は結び。
様々なものを結びつける力。
それはつまり、結びつくことによって新たな生命を生み出し、すべての生き物が喜び合い助け合って生きていく力。
「久しぶりだね。
カケル、シナツヒコ、ホノイカヅチ、カグツチ」
カミムスビノカミがニッコリと笑いながら口を開いた。
美しく整った目鼻立ち。
あでやかな長い髪。
優しい口調がとても癒される。
「こちらはアメノミナカヌシノカミ。
あちらはタカミムスビノカミ。
以後、よろしくね」
突然現れた造化三神に翔はもとより、シナツヒコ、ホノイカヅチ、カグツチも硬直状態。
どうしたら良いかわからず、なす術なしだ。
「ふふふ。そんなに緊張しないで」
カミムスビノカミがフワリと笑うと、一瞬空気がフワリと変わった。
ハッと我に返ったシナツヒコとホノイカヅチは慌てて跪く。
それを見たカグツチも跪いた。
「ご、ご無礼を……!」
「ふふふ。だからそんなに緊張しないで。
顔をあげて」
「はっ………」
カミムスビノカミはコロコロ笑う。
「カミムスビノカミよ。
何がそんなに可笑しいのだ?」
低音のイケボ。
隣にいたタカミムスビノカミが苦汁の表情をしている。
(あっ。この声…。
〈目を開けよ〉って言ってた声だ…!)
車椅子の翔は跪く事が出来ないため、深々と頭を下げていた。
チラリと上目遣いでタカミムスビノカミを見る。
目鼻立ちの整った顔。
麗しく長い髪を、うしろで一つに束ねている。
美しい召し物、完璧な所作。
その風貌はカミムスビノカミとよく似ていた。
ただ、少しだけタカミムスビノカミの方が骨格がガッシリしているような気がする。
「何だ?人間。
私に言いたい事でもあるのか?」
翔の視線に気付いたか。
ますます訝しげな表情になっている。
「あ………!」
ビクッと心臓が飛び跳ねた。
しまった。
上目遣いでジロジロ見てしまった。
めちゃめちゃ失礼だ。
しかも相手は造化三神の一柱。
「ごっ、ごめんなさい!
ぼく……。
あ、あのっ………」
「タカミムスビノカミ様!
申し訳ございません!」
「カケルくんは悪気があった訳じゃありません!」
ワタワタと焦って何も言えない翔のかわりに、ホノイカヅチとシナツヒコが全力でフォローした。
「ホノくん…!シナくん…!」
「風の神シナツヒコ。
雷の神ホノイカヅチ。
そなたらは特定の人間を庇い立てするのか?
……解せぬ。
全くもって有り得ぬ」
「まあまあ、タカミムスビ。
シナツヒコとホノイカヅチにとって、カケルは特別なんだよ」
カミムスビはそう言うと、シナツヒコとホノイカヅチをマジマジと見つめた。
「…君達はまだ…。
…まだ【執着】を手放してはいないようだね…」
特定の相手を過剰なまでに大切に想う気持ちは、愛情を通り越して【執着】に変わっていく。
以前、翔への【執着】を指摘されていた。
「【執着】はやがて【依存】へと変わる。
その前に手放していかなくてはいけないよ」
【依存】
心を奪われ、思考が停止してしまう。
最も愚かで、最も恥ずべき行為だ。
「…………恐れながら…。
カミムスビノカミ様。
失礼は承知の上で申し上げたい事がございます」
ホノイカヅチは立ち上がった。
シナツヒコも立ち上がり、まっすぐにカミムスビノカミを見た。
「おや?
何かな?
いいよ、ホノイカヅチ、シナツヒコ。
言ってごらん」
若干楽しそうなカミムスビノカミ。
「ありがとうございます」
ホノイカヅチが丁寧にお辞儀をすると、ゆっくりと話し出した。
「カミムスビノカミ様。
ここで決断致します。
俺達は【執着】を【依存】に変化させません。
絶対に。
俺達は…、【執着】を【渺渺たる感謝】へと変えていきます」
「………。
へぇ………。
何故そう思うの?」
「【執着】とは、何かに固執し、心がとらわれている事。
もちろん、それは【依存】へと繋がってしまう。
しかし、それを良い流れに変えていけるのではないか…と感じております。
事象には必ず陰と陽があります。
善と悪。光と闇。
【執着】の成の果てが【依存】ならば、もう一つの側面もあるかと思いました」
「ふぅん…。
それが君の言う、もう一つの側面【渺渺たる感謝】……なのかな?」
「はい。
俺達はカケルと出会って良かった。
この出会いは必然だと確信しています。
…いや、もとよりこの世には偶然はないと思っています。
しかしながら、それが【執着】になっていたのなら……。
【感謝】へと変えていきたい」
「ホノくん……」
翔の胸がジンと熱くなる。
目頭も熱くなった。
「そうなれば、きっと人間にも伝わるでしょう。
………必然に起きる事象は、心の持ちよう次第で必ず変えていけると」
この世界に偶然は存在しない。
すべて必然だ。
そうなる事が確実だとするならば、誰もがそれを大切にしたいと思うだろう。
「カミムスビノカミ様!」
シナツヒコはギュッと胸を押さえ、深く呼吸を吐いた。
「本来、物事には良いも悪いもありません。
目の前で起こっている事柄に、良し悪しや善悪をつけるのは人間です。
人間と関わっている僕達も…、いつの間にか比較をしていました。
でも…、それは当然でしょう。
悪の組織がいなければ、正義のヒーローも生まれないのですから!」
「ふふふ。面白いね。
だったら?シナツヒコはどうするのかな?」
「それなら…。良くしたいじゃないですか!
どちらかを選べってなったら、幸せな方にしたいに決まっています。
……事象には必ず二つの道がある。
大きく分けるなら、愛か不安か…です」
「……ほぅ!
驚いた。
シナツヒコ、よく気付いたね。
宇宙の真理だよ。
結局ね、事象には愛と不安の二通りしかないんだ。
様々な感情は、愛と不安から派生したものに過ぎない。
愛ならば、幸福、慈愛、平和。
不安ならば、憎悪、怨念、怒り…だね。
……ほんの一例だけど」
「何となく…、僕達は…、感じていました。
カケルくんと過ごしていく中で、色々ものを身体中で感じたんです。
僕もホノも…、カグも。
ヒルちゃんも…。
だから…」
【執着】も【感謝】に変えて、ヒルコを救いたい。
最悪な今の状況でも、最高の側面はあるはずなのだから。
「カミムスビノカミ様!
ヒルちゃんが影法師ナニカに誘拐されたんです!
助ける方法はありますか!?」
「!!」
豆鉄砲をくらった鳩のように、カミムスビノカミの瞳が見開いてまん丸になった。
「…~~~…。
…………プッ!
アッハッハ!!
そこからそこに繋がるの?
面白いなぁ!」
カミムスビノカミは腹を抱えて笑い転げた。
「…………え?
ホノ…。
僕、何か変な事言った?」
「ん……。
ちょっと脈絡はなかった、かな……」
まあ、ヒルコが緊急事態なのは間違いではない。
「カミムスビノカミ。
笑い過ぎだ…。はしたない」
タカミムスビノカミが低音のイケボで苦言を呈した。
「………はぁ…。はぁ…。はぁ…。
苦しかったぁ…。
ふふふ…、ふふ…」
「…………楽しそうだな」
「そお?」
ふと、翔は視線をアメノミナカヌシノカミの方へと向けた。
一連のやりとりを無言で聞いていた。
表情を変えず、じっと聞いていた。
派手ではないが上質な絹の着物を纒い、気品のある佇まい。
肩まである髪の毛を無造作におろしているだけなのに、どこか豊麗で雅やかだ。
「カケル」
カミムスビノカミに名前を呼ばれ、再びドキッと心臓が跳ねた。
「はっ、はっ、はい!!」
「ふふふ。
だからそんなに緊張しないで?」
「はっ、はいっ……」
「私達が君達の前に現れた理由を話すよ。
ヒルコを助ける方法についても伝えようと思っている」
「えっ!?」
「ついでに魂の本質も教えよう。
…………イザナギ、イザナミの失敗も」
カミムスビノカミの瞳が陽炎のように揺らめいた。
魂の本質。
イザナギ、イザナミの失敗。
ヒルコの救出方法。
どれも重要すぎてヤバすぎる。
翔はゴクリと生唾を呑み込んだ。