第百四十七話 心の痛み
~~~翔の家のリビング~~~
高天原と葦原の中つ国の異変の原因の一つ。
まずこれを解決する。
①影法師ナニカの浄化
(ヒルコの安全最優先!)
②恵比寿に話を聞く
③行方不明のイザナギを捜す
(イザナギはヒルコの父。
母のイザナミは、黄泉の国=死者の国にいるらしい…)
テーブルの上には、緑茶と山積みになった串団子が置かれている。
みたらし団子
小倉団子
よもぎ団子
三色団子
醤油団子…
翔、シナツヒコ、ホノイカヅチ、カグツチは串団子を頬張っていた。
ヒルコはまだお昼寝中である。
「ふぅ~~~。
ねっ?ボクの言った通りでしょ?」
薄緑色の緑茶を飲んで一息つくと、カグツチは得意気に胸を張った。
「ん?何の事だ?」
ホノイカヅチが質問すると、立ち上がってますますふんぞり返る。
「えっへん!
ボク、カケ兄に言ったんだぁー!
イザナギを捜した方がいいって!」
「へぇ。
カグ、何でそう思ったんだ?」
「だってヒル兄が分裂した原因でしょー?
あったり前じゃんね!」
「へぇ。
察しがいいな。
…だけど、イザナギ様が行方不明だとは思わなかったよな」
「………!」
カグツチの表情が一瞬だけ凍りついた。
みたらし団子をモグモグ食べていた翔は、少しだけ背筋がゾクッとする。
赤く透き通った瞳が、僅かに殺気が混じって震えたように見えたからだ。
「…カ、カグくん?どうしたの?」
「……………」
「カグくん?」
「………え?…………カケ兄?
なあに?」
「う…ううん。何でもない………」
(カグくん…。どうしたんだろ…?)
時折感じる、カグツチの違和感。
いささか気になる。
「カケルく~ん?どしたの~?」
急にシナツヒコに名前を呼ばれ、心臓がドキッと跳ねた。
「あっ、う、うん。だ、大丈夫!
ちょっとボーッとしちゃった」
「色々あったもんね~。
カケルくん、疲れちゃったんじゃない?」
「ううん、全然平気だよ!」
「そお?
それならいいけど……」
翔は空笑いをごまかすように、一気にお茶を飲み干した。
「あ、あのさ…。
少し気になる事があるんだけど…」
「ん~?カケルくん、なあに~?」
「その…、イザナミ様が黄泉の国にいるって事…、ヒルちゃんは知っているのかな?」
「えっ?
う~ん…。知らないと思うなぁ~」
「じゃあさ、教えてあげた方がいいよね…?」
「う~ん……。でもでも、確かヒルちゃんの今の記憶ってさ。
カケルくんの中にいた時からの記憶なんだよね。
だから、それ以前の記憶は忘れちゃってるんだよね。
もしかしたら……、今のヒルちゃんはイザナギ様の事もイザナミ様の事も覚えていないかもしれないよ」
「あっ……。そ、そっか………」
ヒルコの力が弱くなったためか、ヒルコの過去の記憶が少しずつ削られている。
「でもね~、僕とホノの事は覚えていてくれてるんだよね。
僕達はカケルくんの中に宿る前に出会ったんだけどさ~。
ちょっと嬉しいよね~」
「あ…。何かそれ、ぼくもわかるなぁ…。
嫌な過去って忘れられるなら早く忘れたいもんね。
逆に、楽しかった過去はずっと忘れたくないし。
………きっとヒルちゃんにとってシナくんとホノくんとの思い出は、絶対に忘れたくない幸せな記憶なんだと思うな」
もしも頭の中が色々な記憶でキャパオーバーになって、捨てるものを自分で選べるとしたら。
真っ先に捨てるのは黒歴史だろう。
いや、たとえそれが無意識だったとしても、素敵な思い出を捨てるはずがない。
「ふーん…。
でもさー、気をつけた方がいいよーぉ」
三色団子と小豆団子を頬張りながら、カグツチは横から口を挟む。
「記憶を完全消去するのって、結構大変だよ?
神も人間も。
それ相応の時間が必要になるんじゃないかなぁ?」
「ええ~?大袈裟だな~。
カグってば何を言ってるの~?」
シナツヒコが若干呆れ顔で突っ込むと、カグツチは少しムスッとして反論した。
「シナ兄は能天気だからねー!
明るくて綺麗な場所しか知らないシナ兄には、永久に!永遠に!絶対絶対わからないかもしれないけどー!」
「おやおや~?
カグってば僕をディスってる?」
「記憶ってね、そう簡単に消せるものじゃないんだよ。
人間の記憶って、あやふやになって最後は忘れちゃうって話があるけど、あれは大脳皮質の奥の奥の奥に隠れるだけで、消えたってわけじゃないんだからね。何かがキッカケで思い出したりするんだから!
神だって例外じゃないよ?
人間と神の身体の構造は似てるんだから」
「そうなの~??
カグってば物知りなんだね~」
「………むー!シナ兄、茶化してる?
本当なんだからね!
だからトラウマってあるんだから。
過去の記憶にとらわれて、抜け出せずに苦しんでる人間はたくさんいるでしょ?」
「うんうん、茶化してないよ~~。
うんうん、そうだよね~」
「むー!!やっぱり茶化してる!
だからね、神だって過去に縛られてる場合もあるって事!
ヒル兄だって記憶が消えたわけじゃないよ。
封印されてるだけなんだから!」
「わかった!わかったよ~、カグ~!
それにしても、カグは本当に物知りだよね~。
何でそんな事知ってるの~?」
「…………………」
「カグ~?」
「ボクは見た目は幼いけど…。
ホノ兄より先に生まれているんだ」
「え??そうなの?」
「…………ボクは…。
…実は…。ホノ兄の中に隠れていただけなんだ。
だから…、ホノ兄の中にいてもずっと、ずっと意識はあったんだ」
「カグ……!?」
ガチャン!!
驚きのあまり、ホノイカヅチは湯呑みをテーブルの上に落としてしまった。
ポタポタポタポタ…。
テーブルの端から、こぼれたお茶が滴り落ちる。
「…カ、カグ…、お前…、俺の中にいた間の記憶…。お…、覚えているのか?」
「………うん。ずっと覚えてた」
「だったら…。
だったら何で今まで黙ってたんだ?」
「………まだ言えなかった。
…言いたくなかった…。
今もそれは変わらないよ」
「カグ!何で言えないんだよ?
理由を言え!」
「………言えない!まだ言えない!
でも、でも約束する!
約束するよ。
時が来たら…、必ず、必ず話すから!
今はまだ…、まだ何も聞かないでほしいんだ。
お願い!!」
カグツチは頭を下げて懇願した。
とても強い意志を感じる。
それがどこに向かう意志なのかは全くわからないけど…。
強い強い意志を放っていた。
「カ……、カグ………」
「ホノ兄、ごめんね!
今まで何も言わないで…、忘れたふりしてて…。
ごめんね!
シナ兄も…、カケ兄も…、ごめんね!」
必死に謝るカグツチの赤い瞳に、大粒の涙が浮かんでいた。
「ボクも過去に縛られてるんだ…。
ずっと、ずっと、ずっと…!
生まれた時から…!
それを断ち切るためには……。
………まだ言えないんだ…」
ぐぐっと涙を拭う。
赤く揺るぎなく輝やいた瞳が、真っ直ぐに翔とホノイカヅチとシナツヒコの心を貫いた。
「みんなには迷惑かけないよ!
ボクの過去と決別するだけだから…。
だから………」
「………………。
………わかった。
もういいよ」
ホノイカヅチはクシャクシャッとカグツチの頭を優しくかきむしった。
「わかったから。
俺達はカグから話してくれるまで何も聞かない。
だから…、もう気にするな」
「うっ、うっ、うっ……!
うわぁーーーーーーーーん!!!」
カグツチはホノイカヅチに抱き付くと、声を張り上げて泣き出した。
心の奥底に秘めていた重たいものを微々たる量でも吐き出せて、張りつめた緊張が途切れたのだろう。
気が緩んだカグツチは、まるで小さな子供のように大声で泣いていた。
カグツチも過去に束縛されて、ずっと苦しんでいたのだろうか。
とても、とても辛くて切ない想いに駆られた。
カグツチが自分で自分にかけた、呪いのような過去に包まれているようだと思ってしまった。
一体どんな過去なのだろう。
まだ知る由もないが、早く解放されて自由に軽やかになってほしい。
翔はそう願わずにはいられなかった。
◎◎◎
しばらくして…。
ようやく泣き止んだカグツチは、しゃっくりをあげながらも、翔の淹れた緑茶をフーフーしながら飲んでいる。
「カグくん、落ち着いた?」
「うん。ありがとう、カケ兄」
「どういたしまして」
カグツチは何かを考えているように下を向いて黙り込んだあと、不意に顔を上げた。
「……ヒル兄はさ、
……分裂して力が弱くなっちゃったから、カケ兄の魂の中に逃げたんだ。
だからちょっと回復したんだよね」
「…うん。
ぼくは気付かなかったんだけど…」
「一度魂の中に宿ったら、多分誰でも気付かないよ。
………ほら。ホノ兄も気付かなかったもん」
目を向けると、ホノイカヅチはバツが悪そうに顔を背けた。
「……悪かったな」
ボソッと呟く。
「ヒル兄、もしイザナギ……に会ったら、それがキッカケで思い出すかもしれないよね。
捨てられた過去の記憶…。
もともとさ、ナニカの思念はヒル兄の思念でしょ?」
「うん………」
そうなのだ。
憎悪や怨みの思念はヒルコのもの。
それが詰まった思念がヒルコから分裂したのだ。
「過去の記憶は何かのキッカケでフラッシュバックして、現実の時間軸で爆発しちゃうから…。
爆発しちゃったら…。
もしかしたら何もかも壊れちゃうかもしれないから……」
「うん……」
過去の記憶は消せない。
消せないならば、変えていくしかない。
例えば、今この時だけを見て、前向きに楽しく幸せに過ごす。
そうすれば、自と過去が塗り変わっていく。
でも…中途半端に塗りたくっても、ほんの小さなトリガーでメッキが剥がれていってしまう。
些細な出来事でペンキが剥がれないようにするためには、何度も何度も油性のペンキで塗り潰すしかないのだろうか?
油性のペンキは有機溶剤が含まれていて、体調を崩す恐れがある。
頭痛や吐き気、めまいを引き起こしてしまう。
それなのに、油性のペンキで消したい過去を塗り続けなければならないのだろうか…。
「難しい……、よね」
翔はカグツチの左手をギュッと握りしめた。