第百四十六話 雲隠れ
~~~高天原~~~
シナツヒコとホノイカヅチは、ツクヨミにアマテラスオオミカミへの面会をお願いした。
アマテラスの社は、どこまでも広く隅々まで掃除が行き届いていて、心が洗われるほど美しく整えられている。
大きな柱には立派なしめ縄がまかれており、厳かな雰囲気をより一層醸し出していた。
アマテラスが現れると、シナツヒコとホノイカヅチは深々と跪く。
ツクヨミは側に控えている。
「シナツヒコ、ホノイカヅチ。
面をあげよ。
何かあったのですか?」
荘厳で、よく通る綺麗な声が神殿内に反響した。
「はい。この度は拝謁を賜り感謝致します。
……本日はアマテラス様にご報告があり、こちらに参りました」
ホノイカヅチが静かに切り出した。
「話なさい」
「ナニカについて、新たに判明した事があります」
「ほう…」
「…一部、俺達の推測も入っておりますが…。
よろしいでしょうか?」
「良い。続けなさい」
「はい…。
まず最初に、報われなかった人間の子供や親の悲痛な想いが凝り固まって出来た思念…、その感情の集合体がナニカです」
「それは存じています」
「結論から申し上げます。
ナニカはヒルコの一部です」
「!?
……どういう意味でしょう?」
「ヒルコは三つに分裂しました。
時期については、俺やシナと離れた後だと思っています。
本体のヒルコ、ヒルコの思念、あと…、恵比寿という神に分裂しました」
「…ほぅ……。
その…恵比寿、と名乗る神は…、ヒルコから生まれた神になるのでしょうか?」
「原理はわかりませんが…。
……おそらく。
恵比寿についてはツクヨミ様がご存知です」
アマテラスが視線を向けると、ツクヨミは一礼した。
「恐れながら申し上げます。
以前、恵比寿はナニカの名前を【エビス】だと言っておりました。
そして、この【エビス】は自身とは無関係である…と。
しかしながら、その時の恵比寿の波長と周波数から鑑みて、嘘偽りだと判断致しました」
「そうなのか……。
では、ツクヨミは何故恵比寿がヒルコから生まれたのだと思うのですか?」
「……申し訳ございません。
確たる証拠はありませんが…、僕にはわかりました。
既に己から自白しているのだと」
「既に自白とは?」
「【ナニカ】を【エビス】と言った時点で。
恵比寿は完膚なきまでに認めているという事です。
……闇の中で僕に見えないものはない。
それだけでございます」
「……なるほど。
理解しました」
ツクヨミは月と夜の世界を統べる神。
心の闇にうずくまったものをすべて見通す力を持っている。
「……では、これからの対処法を考えなければならないでしょう。
各々、意見があるなら申してみよ」
高天原と葦原の中つ国で起こっている異変。
その原因の一つが、ナニカによるものだと判明した。
まだ他にも原因はあるのだが、一つでも明らかになったのは進歩である。
「アマテラス様!
僕に提案があります!」
「シナツヒコ、そなたが考える提案とは?」
「はい!
今のヒルちゃんは、中身がほとんどない…、空っぽな状態なんです。
だからナニカはヒルちゃんを狙ってる。
器にしたいからです。
必ずヒルちゃんを奪おうとしてくるはずです。
思念の根源、影法師ナニカが…」
「……それで、どうするのですか?」
「影法師ナニカが現れたら、パラレルワールドに移行して浄化します!
葦原の中つ国に危害が及ばないように…。
浄化したあと、ヒルちゃんの中に戻します!
いかかでしょう!?」
「そうか…。
簡単にはいかぬかもしれないが…、シナツヒコの提案に賛同します」
「ありがとうございます!」
「あとは恵比寿という神です。
ヒルコから生まれたというが…、この神は問題ないのでしょうか?」
ツクヨミは再び一礼した後、口を開いた。
「恵比寿は七福神の一柱だそうです。
とても格式高い神である事には相違ないでしょう。
しかし、ヒルコから生まれた経緯が謎である以上、話を聞く必要はあります。
それと同時に、影法師ナニカについても知っている情報があるならば問いただすべきでしょう」
「わかりました。
恵比寿についてはツクヨミに一任します。
……他に、何かありますか?」
アマテラスは全体をぐるりと見回す。
「アマテラス様。
……僭越ながら……、伺いたい事があります」
ホノイカヅチが真剣な面持ちで発言した。
「何でしょう?」
「イザナギ様とイザナミ様がいらっしゃる場所を教えて頂けないでしょうか?」
「………え。
えっ?」
「ヒルコにとって、イザナギ様とイザナミ様は特別な存在です。
直接会う事は憚れても……、ヒルコを救う手立てには繋がりましょう。
………失礼を承知で申し上げます。
ヒルコが分裂したのは、……イザナギ様とイザナミ様にも関わりがあるのですから」
シーン…。
広い神殿に重たい沈黙が流れる。
無礼な物言いだったのかもしれない。
だけど、間違ってはいない。
ヒルコを捨てた事は紛れもない事実なのだから。
「……………………ホノイカヅチ…」
アマテラスが言葉を詰まらせる。
「イザナミ様は…、もう高天原にはいないのです。
聞いた話では、黄泉の国にいると………」
「黄泉の国………?」
ホノイカヅチは目を見開いた。
黄泉の国は死者の国。
高天原と葦原の中つ国とは別次元にある異界だ。
つまり、イザナミはもう死んでいる…という事だ。
「僕も知らなかった……」
シナツヒコも驚きを隠せずにボソッと呟いた。
「そして……、我が父、イザナギ様であるが……」
アマテラスは更にまた言葉を詰まらせる。
「………それが…。
私達にもわからないのです」
「わからない……と、言いますと?」
「………………どこにいるのかわからない……のです…」
「え!?」
「え!?」
シナツヒコとホノイカヅチは、計らずも声を揃えて叫んでしまった。
補足するように、ツクヨミが続ける。
「以前は淡路にある神社におられたのだが……、いつの間にやら消息がつかめない。
僕達にも皆目見当がつかない」
アマテラスとツクヨミは身内の恥と言わんばかりの表情で溜め息をついた。
「いなくなった理由もわからないんですか?」
「解りかねる」
シナツヒコの質問にツクヨミはピシャリと言い放つ。
若干イライラしてるような気がした。
「イザナギ様についてだが、私達も引き続き鋭意捜索します。
手がかりが掴めたら伝えましょう」
そう言い残し、アマテラスは颯爽と立ち去って行った。
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「はぁ~~。いい天気だね~~」
シナツヒコは社の近くにある、大きな桃の木に寄りかかって空を見上げた。
栗色のふわふわした髪の毛は、そよそよ風になびいている。
「まさか…、イザナミ様が黄泉の国にいるなんてね~。
ビックリだよね~」
「……………」
「ホノ?
どしたの?ボーッとして」
「あ……。いや、何でもない」
ホノイカヅチは胸を押さえた。
もどかしいくらいに胸の奥がズキズキとする。
この落ち着かない気持ちは何なんだろう?
「ホノ?
やっぱり変だよ?大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫だ…。心配ない。
……それより、
……イザナギ様の行方が気になるな」
「ね~。
本当、どこに行っちゃったんだろう?」
「だけど…、とりあえず今後の方針が決まったな」
「だね~。
とにもかくにも、一番はヒルちゃんを守って影法師ナニカを浄化する!…だね!」
「そうだな…」
青い空には薄い雲が浮かんでいる。
ゆっくりと風に吹かれて流れていき、ホノイカヅチの胸の痛みも緩やかに鎮まっていった。