第百二十三話 ぼくがぼくであるために
~~~オープンカフェ~~~
「お待たせ致しました」
テラス席のテーブルにミラクルチョコバナナパフェと、アイスティーが置かれた。
「キャー♡♡♡
ミラクルチョコバナナパフェ~~♡♡♡」
サヨリヒメは目をキラキラさせてテンションマックスだ。
「いったっだっきまーす♡♡♡」
チョコソースがかかった冷たいバニラアイスをひとくち。
「ん~~~♡♡♡おいし~~~♡♡♡」
うっとりとした表情で美味しさを満喫している。
その一方で---。
翔と伊織のまわりには、どんよりとした空気が漂っていた。
突然の再会のあと、急いで帰ろうとした伊織を慌てて引き留めてテラス席へと誘ったのだが……。
何から話を切り出して良いのかわからず、翔は冷や汗が止まらなくなっていた。
当然、伊織もずっとうつむいて無言のままだ。
こんな陰気な空間のとなりで、キャピキャピとパフェを頬張るサヨリヒメが唯一の救いとなっている。
「い………、伊織さん…。アイスティーがきたよ。
冷たいうちに………」
気まずい雰囲気を断ち切るため、翔はできるだけ明るく伝えた。
「う……うん。あ…りがと………」
か細い声で返事をした。
「ぼくはクリームソーダ。
この日差しでアイスが溶けちゃったよ」
「………ふふ…。本当だ…。
氷も溶けちゃいそうだよ。……翔くんこそ、早く飲まなくちゃ」
「あははっ。そうだよね。
ぬるいクリームソーダはちょっと嫌だなぁ」
「ふ……ふふふ……」
小さく笑う伊織に、翔はホッと胸を撫で下ろす。
以前の伊織は明るく優しくて、学級委員という事もあり、クラスの中心的存在だった。
(今の伊織さんの波動………)
翔の目に映る伊織の波動は、とても低く弱い。
そんな波動の影響が外見にも表れているのだろう。
今の伊織は暗くて物哀しい佇まいをしている。
「この前……さ。卓巳に会ったよ。
……ちゃんと……。話が出来たんだ」
ナオビノカミのおかげで、卓巳と夢の中で話をする事が出来た。
あれは明晰夢。
自覚のある夢は限りなく現実になりえるだろう。
「………!!
阿部くんと…、話をしたの?」
「うん……。
その……、色々聞いた…。
だから…、色々……わかったんだ」
「………わかった…?」
「……うん。……ぼくなりに…。わかったんだ」
「そ………、そうなの……」
伊織は再びうつむいた。
ふるふると肩が震えている。
「伊織……さん?」
「……………………な……さ……い」
「え?」
「…………ごめ…ん………なさ……い……。
翔くん…………」
消え入りそうな声をふりしぼって、涙をポロポロ流していた。
「い、伊織さん………」
「…ごめんなさい…。ごめんなさい………」
「……どうして伊織さんが謝るの?
伊織さんは……、何も悪くないよ?」
伊織は首を横に振った。
大粒の涙が止まる気配はない。
「そんな事ない…。翔くんが無視されていた時……、私は見て見ぬフリをした。何もしなかった。
それは…、絶対にしてはいけない事なの………」
【いじめ】をした人間。
それを知っていて何もしなかった人間。
どちらも同じ罪になる。
「それに……、私は本当の事を言わなかったの……。礼子に頼まれて………。
私………、最低な事をしたの………」
「………それって……。
机の…、落書きの事?」
涙を拭きながら、伊織はコクリと頷いた。
教室の翔の机に、油性マジックを消したあとがついていた事があった。
それを最初に見つけた伊織は、一人で落書きを消してくれた。
その事を伊織が担任の先生に報告しようとした時、佐々木礼子が必死にそれを阻止した。
伊織と礼子の間で何かがあり、結局落書きの内容はわからなかった。
それから間もなくして、伊織も翔を避けるようになり、クラスメイト全員からのシカトが始まったのだ。
「………伊織さん。もう気にしないで。
もういいんだ。もう……、いいんだ。
ぼくは……、大丈夫だから」
【いじめ】という行為は許せない。
今も【いじめ】を受けて、苦しくて辛くてしんどくて、悲しい思いをしている人達が沢山いるだろう。
この世から【いじめ】がなくればいい、と心底思っている。
「……翔くん……。
もういい……って、どうして?
良くないよ!全然良くない!
投げやりにならないで!」
「投げやりになってないよ。大丈夫。
そんなんじゃないんだ。
……なんて言うか……。言葉にするのが難しいんだけどね……。
ぼくの中では…。もう過去になったんだ」
「過去…?」
「もちろん、【いじめ】が起きたら相応の対処をするべきだと思う。絶対に。
被害を受けた人が泣き寝入りとか…、絶対にしちゃダメだ。そう思ってるよ」
「だったら翔くんもっ……!」
「ぼくの場合はね、それ以上に大切なモノを見つけたから……。
ぼくがぼくであるために必要なモノ。
見つけられたんだ。
心が救われたんだ」
(シナくんとホノくんがそばにいてくれたから)
「それがね。とてつもなくね。嬉しくて…。
だから…ぼくはもう大丈夫になっちゃったんだ」
シナツヒコとホノイカヅチがくれたモノ。
(なんて言ったらいいのかわからない……。
だけど、とってもとっても大切なモノだ)
「だったら……!
翔くん!どうして学校に来ないの?」
「あ…、そ、それは…。う……。うん…。
それは…まあ…、気まずいと言うか…、何と言うか…。
気持ちの整理が必要だったと言うか………」
「あっ……………。
……そう………よね。…ごめんね。私、無神経だったみたい……」
「ううん!そんな事……。
ありがとう、伊織さん」
「!!
………お礼なんて言わないでよ。
本当…、翔くんはお人好しなんだから…」
伊織は少し肩の荷が下りたのか、穏やかな表情になる。
アイスティーを飲んで深呼吸をした。
「………伊織さん。
一つ気になってる事があるんだけど…。聞いていいかな?」
「いいけど……?」
「佐々木さん……の事なんだけど……」
「……っ!」
「あの机の落書き、佐々木さんは自分がやったって言ってたけど…。違うよね?
ぼくは佐々木さんがやったとは思えない」
「…………………」
「何か…、事情があったのかなって………」
伊織はしばらく黙っていた。
そして覚悟が決まったかのような瞳になった。
「実は……。礼子も夏休み明けからずっと学校を休んでいるの」
「えっ!そうだったの?」
「うん……。
阿部くんも数週間前から休んでたし。
それに、他の生徒も体調不良で休む回数が増えているわ。
毎日…クラスの半分くらいが欠席してるの」
「そうだったんだ………」
「クラスの雰囲気も最悪よ。
元気が取り柄の担任の宮本先生でさえ、顔がやつれていつも疲れてるって感じ…。
親からの苦情もきてるみたいだし…」
「え?苦情?」
「うちのクラスだけに体調不良の生徒が増えて、みんな休みがちになってるから…。
担任の責任なんじゃないかって……」
「そ、それは…。宮本先生のせいじゃないのでは…」
「…………うん。まあ、そうなんだけど…。
……あっ、それで、礼子なんだけどね。
最近になって私も連絡がとれなくなっちゃって…。
心配してるの」
「連絡がとれない…?」
「うん…。数日前まではラインでやり取り出来ていたんだけど……。
今は送っても既読がつかなくて……」
「そ…それは心配だね……」
「うん……」
「……佐々木さん……。
やっぱり……、何かあった……?」
シン…。
束の間、沈黙になった。
「…………。
翔くん…」
息を吐いて、伊織は不快感をあわらにした。
「誰にも言わないって……、約束してくれる?」
「う、うん……」
「……礼子ね、畠山くんの事…、好きだったみたい…なのね…」
「………え。えぇぇ……。……う、うん。そうなんだ…ね」
リアクションに困りながらも、翔は何とか平静を装って答えた。
畠山といえば、堀田の取り巻きの一人だ。
堀田といえば、クラス全員で翔を総スカンにした元凶。
社長の息子である堀田は、クラスメイトにブランド品やゲームを配って自分に逆らえないようにしていた。
金持ちの堀田の言いなりになれば、幾分か甘い汁は吸えるだろう。
畠山を好きになる佐々木礼子も、なかなかの趣味の持ち主だと言わざるを得ない。
「畠山くんにね、頼まれたんだって…。
メールで送ってくれって……」
「え?何を?」
「………した………」
「した?」
「下着…姿の…写真………」
「え?え?えええ!?」
「それで……。
送っちゃった……みたい、なの」
「ええええええ!?」
思わず顔が赤くなって爆発してしまった。
想像はしていない。決して。
想像はしていないのだが……。
ウブな翔には刺激が強い内容だった。