第十話 神と人
「おいしかった~♡ごちそうさま!」
シナツヒコはコーヒーのカップを置いた。
翔はコーヒーをチビチビしている。
「カケルは猫舌なんだな」
ホノイカヅチはベッド脇にあるテーブルに頬杖をついている。
「…………神様って…、食べるんですね…」
ジトーっとした目で翔は交互に見る。
「その目はなんだよ」
そう言いながら、クッキーを食べているホノイカヅチの隣でシナツヒコはフフフと笑う。
「神様も食べるよ~。人間も、お供えしてくれるじゃない」
「あっ、ああ…。そういえば…。でも、実際は食べないですよね?」
「今、僕達は人間にも見えるようにしているから。普段は見えないよ。…ほら」
「あ!」
シナツヒコの姿が見えなくなった。
気配…のようなものは感じるが、まったく見えない。
翔は目をこする。
「や…やっぱり神様なんですね…」
改めて納得してしまう。
すうっとシナツヒコの姿が現れる。
「色々驚かせてごめんね。でも…、とりあえず、わかってくれた…かな?」
「あ…、う…、は、はい…。で、でも、ヒルコ…様?の事はわかりません…」
翔の中にヒルコがいると言われても、今まで生きてきて何も起きなかったし、感じなかった。
何かの能力があるわけでもない。
ましてや翔は歩けないわけで…。
「神様がぼくの中にいるなら、この足も治してほしいですよ…」
足をさすりながらボソリと呟く翔に、シナツヒコとホノイカヅチは気まずそうに俯いた。
「そ、それは…。ごめん…」
ホノイカヅチの消え入りそうな声に、翔はハッとして頭を上げる。
「い、いえ!すみません!変な事言って…」
「ううん…。僕達も…、ごめんね。何にも出来なくて」
シナツヒコの悲しそうな笑顔に、翔はもう一度謝った。
「…ごめんなさい…」
★★
コンコン。
シン…とした部屋の重い空気をたちきったのは、また父だった。
「コーヒーのおかわりはいるかい?」
空気を読めない父が、今はとても有り難い…。
★★
再びコーヒーのいい香りが部屋中に広がった。
「とにかく、カケルの中にヒルコがいるのは事実なんだ。高天原の異常気象も…、何らかの関係があるに違いないと思う。葦原の中つ国の異常気象とは、関係ない気がしているんだ」
話を切り出したホノイカヅチに、翔はコーヒーをフーフーしながら聞く。
「高天原って、神様がいる場所ですよね?」
「ああ」
「葦原の中つ国っていうのが、僕たちのいる日本ですよね…?」
「ああ」
「今は地球全体で異常気象です。やっぱり高天原の異常気象も、その影響じゃないですか?」
「ヒルコは関係ないって事か?」
うーんと、思案顔でコーヒーを飲むホノイカヅチ。
「その、神様の力で何とか出来ないのでしょうか…?」
翔はおそるおそる聞いてみた。
少し図々しいとは思ったが、自分なりの考えもあった。
「とりあえず、地球の異常気象を…何というか、神様の凄い力で、こうスパパパっと解消して頂ければ何か変わるのではと…」
…と、言い終える前にチラッとシナツヒコとホノイカヅチを見ると、何とも言えない複雑な顔をしている。
「うーん…。カケルくんは何か勘違いしているかも」
「勘違い?」
「今の地球の異常気象は、明らかに人間が造り出したものでしょ?豊かになるため、発展するために海を汚し、森を壊した」
シナツヒコは天井を見上げて電気を指差す。
「夜でも明るい。夏はクーラーで涼しくて、冬は暖房で暖かい。人類は素晴らしいものを自然界を破壊する事によって手に入れたんだ」
破壊…と言われ、少し怖くなった翔に気付いたホノイカヅチが続けた。
「別に悪い事はではない。それで歴史が続いてきたんだ。人間を責めてない。今まではそれで良かったんだ。…シナは時々寒気がするほど冷たくなるから気を付けろよ、カケル」
ジロッとシナツヒコを睨み付ける。
「ホノに言われたくないけどね。カケルくん、ごめんね?キツかった?」
「え?い、いえ…、大丈夫です…」
「何が言いたいかってね、今は地球を守ろうって人間が頑張ってるでしょ?だから、葦原の中つ国は人間が変えていくんだよ。
それとね、自然が起こす災害は、人間と神の周波数が合わなくなって起きてしまうから…、僕達には何にも出来ないんだ」
「周波数…?」
翔の目がクエスチョンになっていると、シナツヒコはクスクス笑って続ける。
「共鳴っていうのかな。人間と神は住む場所は違っても、同じ次元にはいるから。人間のオーラが下がってしまうと神のオーラと共鳴しなくなるから、それで災害が起きてしまうんだ」
「う、うーん…。めちゃめちゃ難しい話をしていますね…」
翔は腕組みしながら考える。
「えっと、つまり、異常気象は人間が何とかして地球を守っていかなくちゃいけなくて、自然災害は人間のオーラが下がると起こってしまう…って事?」
「そうそう!カケルくん、大正解!」
パチパチと小さく拍手するシナツヒコ。
だけど、まだ翔は腑に落ちない。
「でも…、人間のオーラが下がるって…、どういう事ですか?」
ホノイカヅチはため息をついた。
「人間の波動が下がるって事だよ」
「波動…?」
また難しいぞ…と翔の眉間にシワがよる。
「人が人を妬み、恨み、嫉み…、そして傷付け殺す。波動が下がるとはこういう感じだ」
「な、なるほど…」
「あと、自分自身にもそうだからな」
「自分自身にも?」
「自分も“人”だろ」
「な、なるほど…」
百パーセント理解できた…とまではいかないにしても、ある程度の知識は得た翔は、そもそもな疑問を思い出した。
「じゃあ、高天原の異常気象とヒルコ…様が関係している根拠ってあるんですか?」
高天原の異常気象はヒルコが関係していると思っているのは今のところ、シナツヒコとホノイカヅチだけだった。
少なくとも、他の神様は高天原の異変は、葦原の中つ国の異常気象に起因していると考えている。
「それは…、何ていうか…。俺達の勘…っていうか…。…根拠はない」
「根拠、なかったんですか?」
「わ、悪いか!」
ホノイカヅチはコーヒーを一気に飲み干した。
「シ、シナツヒコ…様も?」
「何かね、ピーンときたんだ。ピーンと」
シナツヒコはニコニコ笑ってごまかしている。
「何か…、他に理由があるんですか…?」
翔が意外と鋭いと思ったか、シナツヒコとホノイカヅチはギクッとした。
「やっぱり…。何ですか?言って下さい」
翔が意外とグイグイくるタイプと思ったか、シナツヒコとホノイカヅチはたじろいでいる。
シナツヒコは翔の肩をぎゅっと掴んだ。
「ヒルちゃんが関係あるかもって思ったのは本当だよ!」
「ヒルちゃん…」
「でも、本当の本当は…。本当は、ヒルちゃんにもう一度会いたいんだ」
水色の瞳に、うっすら涙が浮かんでいる。
「俺もヒルコに会って、謝りたいんだ」
ホノイカヅチからも、悲しい気持ちが伝わってきた。
「もう一度…」
翔はそっとシナツヒコの手に触れた。
「そうなんだ…。でも、本当にごめんなさい…。ヒルコ様の存在とか、全然わからなくて…。ぼくの中にいるのがわからないんだ」
二柱のヒルコを想う気持ちがひしひしと伝わり、翔も胸が痛んだ。
何とかしてあげたいが、何もわからない。
「ありがとう。カケルくん…。でも、気にしないで」
シナツヒコは翔の手を握り返し、満面の笑みを浮かべる。
「僕達、しばらくカケルくんのそばにいるつもりだから」
「え!!?」
「葦原の中つ国の視察も命じられてるし。カケルくんの近くにいたら、ヒルちゃんの事もわかるかもしれないし」
「え、いや、でも、え、いや、そばって…」
ホノイカヅチが、焦る翔の頭を軽くポンポンとしてなだめた。
「別に一緒に住むとかじゃなく、そのへんにいるって感じだから」
「え、いや、意味がわかりませんが…」
シナツヒコは握った手にぎゅぎゅっと力を込める。
「僕達、もう友達だよね!」