第百五話 夢
家に帰るとシナツヒコ、ホノイカヅチ、ヒルコ、カグツチが高天原から戻っていた。
「あ~っ!カケルくん!やーっと帰って来た!
カケルくんとスサノオ様ってば、今までどこに行ってたの!?」
「シナくん!
みんな戻ってたんだ!おかえりなさい」
シナツヒコは勢い良く翔に飛びついて、スリスリ頬擦りをする。
「カケルくーん!ただいま~!
どこに行ってたの?どこに行ってたの?
スサノオ様とデート?」
「ええ?デ、デート?あはは…。違うよ~。
和真さんの家に行ってたんだよ」
「カズマくん家?
……あっ!!
マコトくんに何かあったの?」
「ううん。大丈夫だったよ。
あっ、でもそのあと少し…。
だけどね、スサ様がマコトくんを穏やかにしてくれたんだ。
とっても凄かったんだよ!」
褒められたスサノオは照れ臭そうに咳払いをした。
「べっ、別に大した事はしていないぞ!」
「ふ~~~ん…?スサノオ様がねぇ………」
目を細め、胡散臭そうな表情のシナツヒコ。
「むむっ!何だ何だ?シナツヒコ!
何か言いたい事があるのか?」
「だーってだって、スサノオ様でしょお?
強引に、力まかせに、バババッて解決しちゃったんじゃないんですか~?」
「むむむっ!何と失敬な!!
シナツヒコ!そこに直れ!!」
「あわわ、ストップ!ストップ!」
翔が慌てて間に割って入った。
「シナくん誤解だよ。そんな事ないよ~。
スサ様は優しく平和的に誠くんを落ち着かせてくれたんだよ」
「……ふ~~~ん…。
そうなんだぁぁ~~~」
それでもシナツヒコは不満そうだ。
「どうしたの?シナくん?」
「だってさ、だってさ!
僕をホッポリ出してさ!カケルくん、いつの間にかスサノオ様と仲良くなってるし!
いつの間にかスサ様とか言ってるし!
めちゃめちゃショックだよ~。
涙がちょちょぎれるよ~」
再び翔に抱きついてワンワン泣いている。
「シナくん……」
(ど、どうしよう?)
なんて言えばいいのかわからない。
「カケル。気にしなくていいぞ。
嘘泣きだから」
ホノイカヅチが呆れたようにきっぱりと言い放った。
「え!?嘘泣き!?
ちょっとシナくん!?」
「嘘泣きじゃないよ!心の中では号泣なんだから!」
バッと顔をあげる。
水色の大きな瞳からは一粒の涙もこぼれていない。
人はそれを嘘泣きという。
「シナ、カケルを困らせるなよ。
ごめんな、カケル。
シナは適当にあしらっておけばいいからな。
本気にしなくていいぞ」
「ホ、ホノくん…」
「カケル、大丈夫か?
大変だっただろ。
今日の夕飯はおでんにしたからな。
……ほら、手を洗って来い」
「うん。ありがとう。
おでん大好きだよ!
しらたきが一番好き。
あと、たまごとちくわぶも!」
翔は部屋用の車椅子に乗り換える。
ホノイカヅチはそっとフォローした。
「ホノってばひっどい!
カケルくん!ホノは無視して行こう!
一緒におでん食べよ~~」
「お前がいつもいつもいつもいつも軽口たたいているからだろ!
どうでもいいけどな、おでん作ったのは俺だからな!」
「どうでもいいなら偉そうに言わないでくれる?
ねえ?カケルくん」
「ほんっきでいちいち腹立つヤツだな!!
……ほら、カケル。行くぞ」
「僕と行くの!」
「おい、シナ!
カケルから離れろよ!」
☆☆☆
手を洗いに行くカケルのうしろを歩きながら、シナツヒコとホノイカヅチはいつもの痴話喧嘩を繰り広げていた。
その様子を見て、スサノオが呆然と立ち尽くしている。
「う、うむ…。うむむぅ。何とも何とも……。
いやはや驚いた」
カグツチがピョコッと顔を覗かせた。
「いつもの事だよ?スサ兄。
シナ兄もホノ兄も、カケ兄が好きで好きでたまらいみたいだよ」
「………何と。そうか。
はっ、はっ、はっ。
そのようだな」
「普通ならさ、神々ってさ、葦原の中つ国へ来た時は神社にお泊まりするじゃない?
それなのに、ホノ兄とシナ兄ってば、カケ兄の家に居候してたんだもん。
ビックリしちゃった」
「はっはっはっ。カグツチよ。
お前もカケルの家にいるではないか」
「だってカケ兄の家、居心地いいんだもん」
「はっ、はっ、はっ。
確かにそうであるな」
「スサ兄もカケ兄が好き?」
「そうだなあ。
俺は人間が好きだ。
もちろん、カケルも好きだぞ」
「へぇ、そうなんだ」
「されど、シナツヒコとホノイカヅチはなぁ。
度を越えてるように見えるがなぁ。
骨抜きにされているではないか」
「骨抜き…?
あっ、夢中になってるってこと?」
「はっはっはっ。そういう事だ。
まあ、別に悪い事ではないのだがな」
ヒルコも顔をピョコッと覗かせた。
『カケルくん、ぼく、大好き!』
ピョ~~ンと大きくジャンプをして、スサノオの頭の上でピョンピョン飛び跳ねている。
「わわわっ!ヒル兄、ダメだよ!
降りて降りて!」
さすがにこれはマズイ。
相手は三貴神の一柱のスサノオだ。
カグツチはヒルコを捕まえようとする。
「ヒル兄、降りて~!」
いくら背伸びをしても、壁のように分厚く背の高いスサノオの頭の上にいるヒルコに、カグツチの手が届くわけがない。
「はっ!はっ!はっ!
カグツチよ。このままで良い良い。
構わぬぞ」
「えっ?あ…、う、うん」
「俺達もおでんとやらを食べに行くとしよう!!」
ヒョイッとカグツチを片手で抱き上げた。
「スサ…、スサ兄!?」
「はっ!はっ!はっ!
カグツチは軽いなぁ」
「…………………。
…………うん」
ゴツゴツした筋肉のついた腕の座り心地は…。
正直あまり良くない。
だけど何だろう。
この安心感は。
「……………スサ兄」
ぎゅうと腕にしがみついた。
「どうしたのだ?カグツチ」
「…………ううん。
スサ兄………」
カグツチには初めての感覚だった。
言葉に出来ない。
経験した事がなかった。
ぬくもりと安らぎ。
『おでん~♪︎
おでん~♪︎
おでん~♪︎♪︎♪︎』
ヒルコの楽しそうな歌声がとても軽やかに響いている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
○○○真夜中○○○
翔は深い眠りについていた。
(あ…。ぼく…。夢を見ている)
夢の中にいる夢を見ていた。
これが夢だとハッキリわかる。
何故かわからないが、ハッキリわかる。
混沌とした世界にいた。
ぼんやりと蒼白い世界。
翔の体は浮いているようだった。
車椅子は乗っていない。
ただ浮いている。
真下は海かもしれない。
海かもしれないが、油のようなモノがクラゲのようにフヨフヨしていた。
何だ?あれは。
不可思議だ。
声が出ない。
ここはどこだ?
(わあっ!!!?)
突如、翔は海の中に引きずり込まれた。
ビックリしたものの、これは夢だとわかっている。
すぐに冷静になった。
息も出来る。
どんどんどんどんどんどんどんどん海底へと沈んでゆく。
あたりが真っ暗になった。
(どこまで行くんだろう…)
引っ張られるまま、どんどんどんどんどんどんどんどん海底へと沈んでゆく。
(あ…………)
小さな明かりが見えた。
(何だろう…………)
小さな明かりの中に誰かがいるようだった。
(誰だろう………)
声をかけたくても、声が出ない。
女性だろうか。
華奢な体でうずくまり、長い髪の毛で顔が隠れていた。
少しだけ肩を震わせている。
翔はなす術がない。
ただ見ている事しか出来なかった。
不意に。
女性は顔をあげた。
翔に気付く。
目が合った。
(っ!!!)
翔は息を呑んだ。
大人と子供の間をさまよっているかのような美少女…。
神秘的なオーラを持った少女だった。
『誰……………?』
少女の透明な声が翔の脳内に響く。
ヒルコと話す時と同じだ。
テレパシーみたいに脳内で会話をする。
(あ、あの………ぼくは………)
翔も脳内で言葉を発した。
(ぼくは………、翔です……。
あの………、あなたは…………?)
『……………』
少女は何も答えず、もう一度顔を隠してうずくまってしまった。
(あ…………)
気を悪くさせてしまったのか。
どうしよう。
夢であるはずなのに、妙に現実的な汗が吹き出してくる。
その時。
パアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!
(わあっ!!?)
急に少女の体が光輝いた。
あまりの眩しさに、咄嗟に目をつむる。
『カケル……。あなたの魂は今、この光のように輝いている。
神聖で美しい。それゆえ目障りでもある』
(!?)
脳内に少女の声が流れてきた。
人の声とは思えないほど、繊細で……痛い。
頭がジンジンと痛くなる。
『あなたの魂の輝きにより、善悪が入り乱れて、陽の波動と陰の波動が様々な形となって引き寄せられてくるでしょう。
これはあなたの試練なのです』
(し……、試練………?)
頭痛がどんどん激しくなってくる。
まるでナニカの穢れに触れた時のようだ。
(痛い……!!)
『試練を乗り越えた時、あなたの波動は魂の輝きに見合うほどに強く高くなるでしょう。
わらわはそれを待っています』
(な……、何を言っているんだろうか…!?
………っうっ!)
吐き気が込み上げてきた。
やはりこれは穢れか?
(痛い…!
気持ち悪い…!)
『カケル』
(!!!)
音もなく。
目の前に少女がいた。
フワッと翔の頬を両手で包み込む。
氷のように冷たい手だった。
『試練を乗り越えてね。
あなたなら出来るわ』
冷たい手が頬に食い込んでいく。
(い、痛い……!)
痛みの感覚がリアルだ。
夢だと知っているのに、何故こんなにも激痛が走るのか。
『約束よ。試練を乗り越えたらわらわを助けに来てね。
そして、必ず………』
頬に食い込んだ少女の指から、翔の血がポタリポタリと滴り落ちる。
(痛い!痛い!痛い!)
『必ず…必ず…。
愛しいあの方を連れてきて………』
グシャッ……………………………………………………………。
(!!!!??)
顔を潰されたような音で目を覚ました。
「はっ…………………………!!!?」
瞬間、顔を触って確認する。
(ある?ある?あるよね?あるよね?ぼくの顔…………!!!)
ドッドッドッドッドッ…!!!
けたたましい心臓。
こんな猛烈に心臓が波打つなんて、今まで経験した事がない。
びっしょりと汗をかいていた。
頭痛と吐き気はおさまっている。
現実だったのか?
いや、そんなはずは………。
ベッドに寝そべったまま、体を動かせない。
金縛りにあったように、一ミリも身動きがとれない。
翔は胸を押さえた。
(落ち着こう…。落ち着け、落ち着け……)
瞑想の要領で、息を吐いたり吸ったりする。
(ふう……………)
ようやく落ち着いてきた。
最後の…、少女の顔を思い出してみる。
泣いているような、悲しんでいるような、絶望しているような、怒っているような……、
そして、それらすべてを諦めているような顔をしていた。
(………………)
あれは夢だったのだろうか?
幻だったのだろうか?
試練とは一体何なんだろう。
しばらくの間、翔はボウッと天井を見つめていた。