第百四話 個性
和真のアパートにはエレベーターがないため、翔はスサノオに背負われてドアの前まで来た。
スサノオの背中は大きくて安定感がある。
筋肉がゴツゴツしているものの、優しさが滲み出ているような気がする。
いつまでもおんぶしていてもらいたくなる気持ちだ。
「着いたぞ」
「はい。ありがとうございます。
今、チャイム押しますね」
ピンポーン♪
バタン!!
勢いよくドアが開いた。
「翔!待ってたぞ!」
頬を紅潮させて、嬉しそうな誠に出迎えられた。
「あっ、誠くん。お待たせ!」
「翔!おんぶか!いいな!」
ピョンピョンと飛び跳ねている。
「まっ…、誠くん。落ち着いて……」
階下の住人に迷惑をかけてしまうのでは…と、内心ヒヤヒヤしてしまう。
以前から生活音でのトラブルがある。
配慮はお互い必要だ。
「翔…。悪い…な…………!?」
奥から出てきた和真はスサノオを目の当たりにして、これ以上ないくらいに目を見開いた。
絶句している。
無骨な見目麗しい大男。
そりゃビックリするだろう。
「あ…。和真さん!
あの、この神さ………じゃない、この人はスサ…………様」
翔は瞬間に名前を短くした。
というのも……。
和真はひそかに雑学王である。
趣味は様々なジャンルの本を読む事。
つまり教養もある。
☆☆☆
午前中の図書館。
勉強している途中、ペンを止めて和真は何気に言った。
「ふと思ったんだけど、シナツヒコって風の神の名前なんだよなぁ………」
「っ!!?」
不意打ち。
翔は驚きすぎて声が出なかった。
「そういやシナツヒコさんってどんな漢字なんだ?」
「………そ、それは…………」
アドリブは苦手だ。
ダラダラと冷や汗が出てきた。
「シナツヒコさんの名付け親、風の神のファンなのかもしれない…、
…なんてな。ははは」
「あっ……?ははははは」
「ホノイカヅチさんも何かに因んでんのかもな。
俺、あんまり詳しくないから知らんけど」
「ぼっぼっ、ぼくも……。よくわからなくて……」
☆☆☆
そうなのだ。
三貴神の一柱のスサノオだ。
和真は知っている可能性がある。
「むぅ?タケル、何を言っているのだ?
俺の名前はスサノ……」
「スサ様!ぼくはカケルです!」
「お?おお、おお!カケル!」
「スサ様って響き、カッコ良くないですか?
ぼく、スサ様って呼びたいです」
「む?カッコ……良い…か?」
「はい!」
「よし!わかった!呼ぶが良い!」
セーフ!!
「と、いうわけで。
こちらはスサ様です。
和真さん」
「……どういうわけだよ…………」
どこから突っ込んでいいのか…。
和真は考える。
「………………………」
すぐに来てくれた感謝と、とりとめのない面倒臭さが融合された結果。
「はじめまして…。横川和真です。
そっちは弟の誠です……」
全スルー。
何とも有り難い。
「はっ!はっ!はっ!苦しゅうないぞ!
しばし邪魔をする!」
コタツのある部屋に進み、翔は畳の上に座った。
スサノオもあぐらをかいて座る。
「翔!翔!お前、兄ちゃんと勉強してるんだってな?
俺も一緒に勉強したい!」
「えっ?ええっ?」
世の中のお父さんお母さんが聞いたなら、喜んで涙が出るくらいのセリフだ。
優等生かよ。
「え、えっと………?」
和真に視線を送る。
「はぁ……。誠のヤツ、俺が翔の話をしたら自分も一緒にやるってきかねーんだよ……」
「あ、そういう事なんですね」
「俺のやる事を何でもかんでも真似したがるんだよ。
それが思い通りにならねえと癇癪起こすから…。
……翔、悪いな。助かった」
「ううん。大丈夫です。
てゆーか、誠くん。お兄さんが大好きなんですよね」
「……。
…まあ、な…。
それに…、癇癪起こすと暴れるだろ?
で、暴れると下の住人から苦情がきて…。
うちが全面的に悪いんだけど…」
「そうか……。難しいですよね」
もちろん集合住宅に住んでいる以上、過度な騒音はご法度だ。
しかしながら、のっぴきならない家庭の事情がある事もある……。
が、他の住人には知ったことではないのだ。
世知辛い世の中なのだ。
「母親がさ、その事で少しノイローゼ気味になってて。
トラブルは出来るだけ避けたいんだよ。
だから誠の神経を刺激しないようにしているんだけど……」
「え?お母さん、大丈夫ですか?」
「ああ、まだそんなに重くなってない。
学校にも前よりは通えているし……」
「そう…なんですね…」
誠がノートにイラストを描いている。
「あれ、誠くん。勉強じゃないの?」
「勉強だよ!これが勉強なんだ!」
「あ、そうなんだね」
「翔も描けよ!」
「うん。
実はね。ぼくね、美術部なんだよ~」
ちょっとだけ得意気にしてみる。
消去法で選んだ部活だが、美術部の雰囲気は好きだった。
スサノオの顔を描いてみよう。
「美術部?意外だな」
和真がノートを覗き込む。
「あ…。で、でも…、ヘタクソ…なんですけど……」
残念ながら、絵は一向に上達しなかった。
即座に得意気に言った事を後悔する。
「こ、個性的な絵だな…?」
「…デスヨネ…」
「む?どれどれ?」
スサノオもノートを覗き込んだ。
「む?む?む…。
……この奇妙なモノは何だ?」
「ス…、スサ様、です…」
「!!!何と!!?俺か!?
面妖な!?」
似ても似つかない…、
というより、もはや生き物なのかもわからない。
絵のようなものがそこにあった。
「あは、あははは……。
誠くんはどんな感じ?
!!!
うわあ……!!凄い………!!」
翔は思わず大きな声を出してしまった。
誠が描いたイラストは、かわいい動物たちがレストランで食事をしている光景だ。
猫、犬、猿、羊などなど………。
かわいくデフォルメされた動物たちが、オムライスやホットケーキを楽しそうに食べている。
「……てゆーか、めちゃめちゃ上手だよ!?」
もはやプロ並みといえる腕前だった。
誠はスラスラスラ~と描いて、そのあと色鉛筆で色を塗り始めた。
動物たちはますます生き生きとして、食べ物はどんどん美味しそうになっていった。
「凄い……。誠くん………」
桁外れの才能だ。
翔と同じ、中学二年生の描くイラストのレベルではない。
見とれていると。
「あ?あれ?あれ?あれ?あれ?あれ?あれ?あれ?あれ?」
唐突に、誠がパニックになっている。
「誠くん?どうしたの?」
「ない!ない!ない!ない!ない!ない!ない!」
「ないって…。色鉛筆?
何色がないの?」
「青紫!青紫!青紫!青紫!青紫!」
「あ…、青紫……?」
翔も慌てて探してみる。
赤、青、緑、黄色、紫……。
青紫は見当たらない。
和真が怪訝な顔で首を横に振った。
「家にはないんだ。
誠は家ではないどこかで使った事があるんだと思う。
それを忘れて…。
たまにこういう事があるんだ」
一度思い出してしまうと、それが手に入るまで頭から離れない。
「誠くん。
ほかの色を使ったらどうかな?ほら、青と紫があるからさ………」
「青紫だって!それじゃない!!」
誠の感情が大きく揺さぶられている。
(あっ…。誠くんの波動……!?)
第三の目に集中していない状態でも、翔は他人の波動が見えるようになっていた。
(いつの間に……)
波動は感情に直結している。
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン!!!
人間の波動は音がする。
神々はそれを聲という。
この聲は千差万別。
ひとりひとり違う聲がするのだ。
誠の波動の聲は激しく鳴り響く鐘の音に似ていた。
ガンガンガンガンガンガンと鳴り響き、耳が痛い。
誠自身も辛いはずだ。
感情のコントロールは難しい。
自閉症という特徴があるなら尚更だ。
(誠くん!まずは心を穏やかにしてあげなきゃ…!)
「和真さん、どうしたら落ち着いてくれますか?」
「一度こうなると暴れて疲れるまではおさまらない。
家で暴れるより、外に出て近くの公園に……」
癇癪を起こし暴れてしまえば、階下の住人はもちろん、隣の部屋にも影響が出てしまう。
アパートの住人とのトラブルはどうしても避けたい。
和真が誠の腕を引っ張った。
「誠!行くぞ!」
「嫌だ!青紫!青紫!」
「はっ!はっ!はっ!はっ!はっ!」
突然。
「はっ!はっ!はっ!はっ!はっ!
青紫か!!」
スサノオが立ちはだかった。
いきなりどーんと、大きな岩が目の前に降ってきたみたいだ。
「スサノ………!スサ様……?」
「むぅ……。そのほうは……、マコ……、だったか?」
「誠くんです、スサ様」
「はっ!はっ!はっ!はっ!マコトよ!
青紫とは!何とも粋な色合いよ!」
ドサッ!!!
スサノオは再びあぐらをかいてその場に腰を下ろした。
「赤と青を混ぜるのだ!
マコト、見るが良い!」
ノートの余白を赤と青の色鉛筆で塗りつぶす。
塗っていくうちに徐々に紫に変わっていく。
「青を強くするのだ。青紫となるぞ!」
青をたしていく。
「あっ!!青紫だ!!」
誠は目を輝かせた。
「わぁ…本当だ。凄い!スサ様!」
「そうか…。色を混ぜればいいのか…」
翔と和真はノートに映し出された青紫色を見つめる。
この発想は出なかった。
簡単な事なのに、目の前の問題に手一杯だった。
「はっ!はっ!はっ!はっ!はっ!
人間とは成長する生き物だ。
困った時は、一度頭を空っぽにするのだ。
空っぽになって考えるのだ。
言葉を使い、頭を使い、心を使うのだ!
そして、それでも…、それでもうまくいかないのであれば、思う存分嘆くがよい。
嘆いて嘆いて嘆き終わったら忘れるのだ。
忘れて次へと進んでいけ。良いな?」
「は……、はい…」
力強い言葉の中に、これからを生きていく道しるべがあった。
頑張っても頑張っても、うまくいかない時は必ずある。
引きずっていても仕方がないのかもしれない。
こだわっていても仕方がないのかもしれない。
うまくいかなかった事を忘れて、色んな方法でチャレンジしていけば…。
いつかきっと、一筋の光を見出だせるのだろう。
「はっ!はっ!はっ!はっ!はっ!」
(あ………!誠くんの聲が静かになってる……)
誠は夢中になってノートにいろいろな色を混ぜ合わせて塗っていた。
(木琴かな……?)
ポーンポーンポーンポーン……。
優しく鳴っていた。
(あれ?和真さんの波動の聲も聴こえる……)
隣にいる和真は、ホッとした表情で誠を見つめている。
(これは鉄琴かな?
誠くんの波動の聲に合わせて、綺麗なハーモニーを奏でている……)
優しい音色だった。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
帰り道。
スサノオが翔の車椅子を押している。
空間移動ではなく、ゆっくり歩いて帰る事にした。
和真はスサノオに何度も礼を言っていた。
「スサノオ様…。ありがとうございます…」
翔もお礼を言いたかった。
「む?何のことだ?」
「たくさんです。いっぱいです。
本当にありがとうございます」
「はっ、はっ、はっ。
そうか、そうか」
公園の時計が見えてきた。
家までもうすぐだ。
「カケルよ。第三の目が開いてきたようだな」
「はい。そうなんです。意識を集中しなくても、ほかの人の波動が見えるようになりました。
あ…、でも、まだ自分の波動は見えないので…。
瞑想トレーニングは続けます」
第三の目が完全に開いた条件は、自分の波動が見えるようになること。
「はっ、はっ、はっ、はっ。
なあに、そんなに時間はかからないだろうよ」
「えっ。そうですかねー?
あっ、そうだ。
ねぇ、スサノオ様。お腹空きませんか?
帰ったらバウムクーヘン食べましょう」
「むむ?まだあるのか?」
「そうなんですよ。おばさん、いつも大量に送ってくれるから、賞味期限問題があるんですよ…」
「はっ!はっ!はっ!
バウムクウヘンはうまいから良いではないか!
………それはそうとカケルよ。スサ様と呼ぶのではなかったのか?」
「えっ!?
あ……、そ、それは……。あの、ごめんなさい。
失礼でしたよね……」
「そんな事はないぞ!
スサ様と呼ぶが良い!」
「え……。で、でも……」
「俺が気に入ったのだ。呼ぶが良い!」
「は…はい。ありがとうございます………」
太陽が西へと傾いている。
南の空に月が浮かんでいた。
「カケル。
マコトは何かの病気なのか?」
「え?」
ピタリ。
車椅子を押す手が止まる。
振り返って見上げるが、スサノオの顔が影になってしまってあまりよく見えない。
「スサ…様?」
「病気なのだろうか?」
「あ…、いえ、病気…というか、自閉症というものです。
人それぞれに特性があって……」
「自閉症………というのか」
「ぼくは個性だと思っています。
今日はマコトくんの才能も見つけられました」
「個性……か」
「スサ様?どうかしましたか?」
スサノオが息を吐いた。
ひとりごとのように呟く。
「俺も昔はひどい癇癪持ちであった。
頭のどこかで駄目だと思っていても、体が勝手に暴れるのだ。
暴れて暴れて暴れまくってしまうのだ。
それで…。
姉様の逆鱗に触れてしまったのだ」
「スサ様………?」
「兄様が間に入ってくれてな、一応和解はしたのだが…。
きっとまだ許されてはいないだろう」
スサノオがもう一度息を吐いた。
「俺は暴れ出したら何かをしでかすまで止まれぬのだ。
それに加え、一つの事を続けていくという忍耐力が足りぬ。
………これでも…、まだ個性であると言えるのか?」
「はい。個性です。
それに、その個性を上回る才能をスサ様も持っているじゃないですか」
「才能…だと?」
「そうですよ。
剣を使って勇敢に戦ってくれます。しかも強い!
それから、豪快で優しいです。
大きくて広い心を持って、ぼくたちを導いてくれる……」
「カケル……」
「大好きで…、尊敬する神様です!」
「カケル……。そ、そうか?そうなのか?」
「はい!」
「そ………、そうか!そうか!」
「はいっ!」
「よし!帰るぞ。カケル!
バウムクウヘンをいただくとしよう!」
「はい!
……ああ、でも、もうすぐ夕ご飯ですから、少しだけにしましょう」
「はっ!はっ!はっ!はっ!はっ!」
(あれ?そういえば………?)
気が付けば、翔の名前を間違える事なく呼んでいた。
(あ…。ふふふ…)
「はっ!はっ!はっ!はっ!はっ!」