20「串焼き」
少しして。
「『セイクリッドキュア』!」
リカが両手を翳すと、ケミーの身体が眩い光に包まれて――
「……脱力しても、血が流れて来ない……! リカ、ありがとう!」
「それはこっちの台詞なの! 本当にありがとうなの、お姉ちゃん!」
――最上級治癒魔法により、ケミーの病も完治した(と同時に、ついでに、既に伝染しているであろうティーパにも掛けて、治しておいた)。
すると、ケミーは――
「ちょっとあんたら! 家の外で待ってな!」
「え? 何急に?」
――不意にティーパとアンを玄関の外に出すと、ドアを閉めた。
※―※―※
そして――
「って、長いわね! いつまで待たせるのよ!?」
――三十分後。
いつもながら、無表情のティーパがパンツを咀嚼している隣で、訳も分からず待たせられているアンが、苛々しながら声を荒らげると――
「待たせたね!」
――ケミーが玄関のドアを開けたため、「遅過ぎよ! 一体何して――」と、アンが噛み付こうとするが――
「!」
――ケミーの背後から現れた美少女を見て、言葉を失った。
「………………」
「えっと……どう……なの?」
――そう、それはリカだった。
だが、余りにも印象が違うため、一瞬、別人に見えてしまったのだ。
鮮やかな青色が印象的なワンピースに身を包んだ彼女は――
――湯浴みしたらしく、数年振りに、血液で汚れていない素肌を――
――整った顔と両腕、そして両脚を外気に晒しており――
――まだ完全に乾いていない、しっとりとした青髪セミロングからは、艶やかに花の香が香っている。
「……悔しいけど、可愛いわね……」
見違える程に変化したリカに、苦々しげにアンは賞賛の言葉を送った。
「えへへ。ありがとうなの。あなた、お兄ちゃんのただの取り巻きの癖に、良い事言うの!」
「誰が取り巻きよ!」
ケミーは、「そうだろ? そうだろ? あたいの妹は、超絶美少女なのさ!」と、胸を張り、妹自慢にしか思考が向いていないため、最愛の妹によるティーパの〝お兄ちゃん〟呼びという、由々しき事態に気付かない。
※―※―※
その後。
一行は、商業区域へと、歩いて行った。
実は、ケミーが、リカの病気が治った直後に湯浴みをさせて、彼女のために買っておいた青ワンピースを着せたのには、訳があった。
それは、ケミーがティーパによってパンツロープで縛られて床に転がされてからリカが戻って来るまでの時間が、ある程度長かった事から、〝リカは、商業区域まで歩いていってしまったのではないか〟と推測したからだ。
そして、それが正しかったことが、商業区域へと近付いて行くにつれて、蒼褪め、身体が強張っていくリカを見て、分かった。
つい先ほど、リカが罵声を浴びせられ、深く傷付いた場所。
無論、ケミーは現場を見ていない。
リカに湯浴みをさせ、ワンピースを着させている最中も、彼女はそんな話はしなかったし、ケミーは聞かなかった。
それでも、血だらけのリカが大勢の人がいる場所に行けば、どう反応されるかは、想像に難くない。
ましてや、ここは、異常に綺麗好きな者が集まる帝都キンティスであり、更には、常に出血し続けるという致死性の伝染病に掛かってる少女がいる事は、町中に知れ渡っていたのだから。
「大丈夫かい、リカ?」
「……だ、大丈夫なの……お姉ちゃん」
ついには、ブルブルと震え出した妹に、「ごめんよ。病気が治ったら、あんたと一緒に屋台で買い食いするのが夢だったからさ」と言いながら、ケミーは人通りの多い区域へと歩みを進める。
血塗れのリカを見た事で、人々が逃げ出して無人になっていたはずの通りには、既にいつも通りの人通りが戻って来ており、事故を起こして停まっていた馬車も、もう撤去されている。血痕も綺麗に拭われて、どこにも見当たらない。
(見られてるの……!)
(視線が……刺さるの……! 痛いの……!)
先刻植え付けられた心的外傷がフラッシュバックして、道を行き交う人々に対して怯え、顔を背けるリカ。
目当ての屋台――どうやら、串焼きの露店のようだ――へと辿り着いたケミーは、「おっちゃん、焼き豚四本、頂戴!」「あいよ!」と注文、素早く勘定を済ませて、ティーパたちに一本ずつ渡した。
「ありがとう!」
「中々美味いな」
笑顔で受け取るアンと、早速噛り付くティーパ。
「ほら、あんたも!」
ケミーが明るく手渡した豚肉の串焼きを、「……あ、ありがとうなの……」と、震える手で何とか受け取ったリカだったが――
(怖いの怖いの怖いの怖いの……!)
――落とさないように持っているだけで精一杯で、口許に運ぶ余裕すらなかった。
(……みんな、ずっと見てるの……!)
(……しかも、何か言ってるの……! 怖いの怖いの怖いの怖いの……!)
恐怖から、ずっと下ばかりを見ている、そんな妹の――
「はい! 冷めない内に食べる!」
「んぐっ!」
――口に、ケミーは、自分が持っている串の先端を突っ込んだ。
反射的に齧り付いてしまったそれは――
――口の中一杯に、こんがりと焼けた豚肉の肉汁が広がり――
――塩胡椒の風味と一緒に、甘い脂と、心地良い肉の歯応えが感じられて――
「ほら、見てご覧よ!」
――自分よりも少し背が高い姉が、少し屈み、目線を合わせて、通りを見るように促した。
突っ込まれた串を銜えたまま、リカが、恐る恐る顔を上げて、目を向けると――
「!」
――群衆の目は、先程とは全く違ったもので――
「ヤベ! 見ろよ、あの青ワンピの子! めっちゃ可愛い!」
「本当! お人形さんみたい!」
「もしかして、貴族とかかな?」
「いや、確かに美人だけど、貴族だったら、こんな所で買い食いなんてしないだろ」
――リカが、つい先程まで致死性の伝染病に罹患していた事など、誰も気付いておらず――
「可愛いだろ! 美人だろ! ああ、そうとも! あたいの妹は、世界一可愛くて美人だからね! もし妹と結婚したいって奴がいたら、まずはあたいの所に来な! あたいの眼鏡に適ったら、認めてやるさ!」
「妹さんは確かに可愛くて美人だが、結婚したら小姑が口煩そうだから、やめとくよ!」
「失礼な奴だね! その腹の贅肉を串焼きにして食べちまうよ!」
「ブヒィィ! 勘弁してくれ! 俺が悪うございました!」
「「「「「アハハハハハハハハハハ!」」」」」
驚いてリカが口を開けた瞬間に落下――しかけた串焼きを途中で救ったケミーが、今度は自分の口許に持って行ったそれに齧り付き、でっぷりと弛んだ腹の肉を痛そうに擦る男が、土下座して謝罪すると、周囲から笑い声が巻き起こった。
(まさか……こんな日が来るなんて……)
――病気の事を気にせずに――
――病気の事を誰にも気付かれずに――
――街中で買い食いして――
――それどころか――
――町民たちと笑い合う事さえ出来る日が、来るだなんて――
――感極まって、思わず、涙が溢れそうになったリカは――
「どうだい? 美味いだろ?」
――歯を見せて笑うケミーに――
――慌てて、自分が持っている串に齧り付いて――
「……うん……。すごく、美味しいの……!」
――必死に涙を堪えながら、微笑んだ。