プロローグ
「あ! ティー兄お帰り! って、またパンツ食べてる!」
家庭菜園スペースにて、引き抜いた雑草をポイポイと背後へ放る手を止めた金髪セミロングの幼い少女が勢い良く立ち上がり、元気一杯に指差した先には、「ん?」と、口をモグモグさせる、中肉中背で無表情な黒髪少年がいた。
王都へ向かう細道から歩いて帰って来た彼をよく見ると、その口からは、女性用下着――パンツの端が覗いて見える。
「ティー兄は、本当にパンツが大好きだね!」
両手についた土をパッパッと払い、頭の後ろで組むと、ワンピースタイプの粗末な布の服を着た金髪少女は満面の笑みを浮かべて、明るく指摘する。
「ああ、そうだな」
ごくん、とパンツを飲み込むと、表情の乏しい少年は答えた。
――ここは、ウェーダン王国の王都クローズの北部、森の中にある名も無き孤児院。
都から徒歩で一時間という立地にも拘らず、ここに孤児院がある事すら知らない王都の人間は多い。
「あ、にぃにだ! おかえりー!」
先程の少女よりも更に幼い、青髪をツーサイドアップにした幼女が、パァッと顔を輝かせると、手に持っていた小さな如雨露を、地面に刺した幾つもの細い棒に蔓を巻き付ける大量の野菜――豆の間に放り投げて、とてとてと駆け寄って行く。
「ただいま」
笑顔で足にギュッと抱き着く青髪幼女の泥だらけの両手によってズボンが汚れるも、特に気にする様子もなく、少年は無表情なまま、幼女の頭を撫でる。
「『ただいま』じゃないわよ。ったく」
そこに横――森の方――から現れたのは、腰に剣を差した、桃色の長髪が印象的な少女だ。
気の強そうな瞳で見詰める彼女は、先程の少女たちと比べると、少し年上に見える。
少年と同い年くらいであろうか。
見ると、そこそこ太い木の枝を担いでおり、後部には四肢を縛り付けられた猪が逆さに吊るされている。
桃色髪少女が、枝に吊るした猪を足許に置くと――
「お帰り、アン姉! ティー兄は、パンツが好きなだけだよ! ちゃんと、どっかで貰って来たパンツしか食べないから、あたしらのパンツの被害はゼロだし!」
「ただいま、サン。あのね、あたしたちのであろうが無かろうが、パンツを食べてる事自体が問題……なんだけど、今はそれよりも! 一番の問題は、いつもブラブラして、ちっとも働かない事よ! アクみたいな小さな子ですら、きちんと仕事しているのに! いい加減にしなさいよね、ティーパ!」
金髪少女――サンがティーパを庇うが、桃色髪少女――アンの怒りは治まらない。
更に――
「下着を食べるとか、本当、意味が分からないです。気持ち悪すぎて吐き気がします。この変態」
――アンの後ろからひょこっと顔を出したのは、クールな印象の赤髪ショートヘアの少女だ。
背格好からすると、アンよりは年下だが、サンよりは年上、と言った所だろうか。
弓矢を背負った彼女は、そう言い放つと、手に持っていた自分の戦果――大きめの野鳥を猪の上に置き、ティーパを睨んだ。
彼女の獲物を指差しながら、アンが再びティーパを糾弾する。
「見て、この野鳥! ファイだって、こんなに立派な獲物を獲って来たのよ! あんたもちゃんと仕事しなさい!」
赤髪少女――ファイの侮蔑を含んだ視線に刺され、アンに非難されたティーパは、明後日の方向を向き、ポリポリと頭を掻くと、「仕事ならしている」と呟き、アンを真っ直ぐに見て、無表情で仁王立ちした。
「パンツを食ってる」
「そんなん仕事に入るかああああああああああああああ!」
腰の銅剣を抜いて斬り掛かって来るアンに、素早く反応したティーパが、脱兎の如きスピードで逃げ出す。
ティーパの真似をして、「パンチュくってる!」と得意顔で仁王立ちするアクと、アンから逃げ惑うティーパを見て「あはははははははははは!」と、腹を抱えて大笑いするサン、そして、「はぁ」と、顔を顰めながら溜息をつくファイ。
――これが、この孤児院のいつもの風景だった。
ティーパ、十六歳。アン、十六歳。ファイ、十五歳。サン、十歳。アク、三歳。
誰一人として血は繋がっていないが、共に育った兄妹。
親はおらず、彼らの面倒を見ていた二人目の神父も、先日事故で死んだため、世界で自分たちだけが、唯一の家族。
そんな家族と共に、貧しくも穏やかな日常が、この先もずっと続いて行く。
そう思っていた。
――あの日までは。
※―※―※
「本当、便利よね、ファイの魔法」
「まぁ、それほどでも……あります」
「うん、本当にすごいと思うわ!」
食事の支度をするために、台所にて薪に火を点ける際。
それは、天賦の才か、誰にも教わっていないにも拘らず、少しだけ炎魔法が使えるファイが、大活躍する瞬間だった。
アンに褒められて毛先を弄りながら頬を朱に染めるファイの表情は、決してティーパには見せないものだった。
ただ、以前はそうではなかったのだ。
数年前――孤児院に来たばかりの頃は、今のサンやアクと同じように、ファイも「お兄ちゃん」と呼んで、ティーパに懐いていた。
が、〝無愛想に見えて実は優しい少年〟かと思った彼は、〝パンツを食べる、ただの無愛想な変態〟だった。
思春期を迎えた事もあり、最近では、ファイは明確な敵意と侮蔑をティーパにぶつけるようになっており、彼の事を〝兄〟と呼ばなくなって久しい。
※―※―※
「やちょースープ、おいしー!」
「ほら、口の周りがベトベトですよ」
食堂にて、ニコニコしながら木製のスプーンを手に持つアクと、その隣で、彼女の口許を布で拭いてやるファイ。
無邪気なアクの面倒を見つつ、穏やかな微笑みを浮かべていたファイだったが――
「……何ですか? 何か言いたい事でもあるんですか?」
「……別に」
――偶然ティーパと目が合った瞬間に、疾風の如きスピードで険悪な目付きに変わった。
「何も用が無いなら、こっちを見ないで下さい。汚れるので」
「コラッ! 流石にそれは言い過ぎよ、ファイ」
まるで蛆虫を見るかのような生理的嫌悪感丸出しの妹に、見るに見兼ねて、アンが横から口を挟む。
「ふんっ」
顔を逸らすファイに、苦笑するアン。
「アン姉、さっきの続き!」
「あ、ごめんごめん。えっと、〝夢〟の話だったわよね」
話の腰を折られて口を尖らすサンに、アンが謝る。
「そう! 聞いて!」
「分かったわ。コホン。では、貴方の夢は何かしら?」
「えっとね! あたしの夢は、めっちゃたくさんのお菓子を、毎日食べること!」
「あら、素敵じゃない!」
夢が叶った瞬間を、涎を垂らしながら想像するサン。
「ねぇね! アクにも!」
「良いわよ。コホン。アクは、将来なりたいものはある? やりたい事でも良いわよ」
「えっとね、えっとね! パンチュ!」
「え……? パンツになりたいの?」
「パンチュたべるの!」
「食べ……! ……そう……なのね……」
自分の夢に誇りを持っているのか、「えっへん!」と、アクは薄い胸を張って得意気にする。
「誰かしらね、幼気な子どもに、酷い悪影響を与えたのは」と、半眼で見やるアンに、しかしティーパは、素知らぬ顔でスープを飲み干した。
「えっと……そ、そうだわ、ファイはどうかしら? 何か夢はある?」
「私ですか? 私は……本を、たくさん読みたいです」
「たくさんの本! 良いじゃない!」
孤児であるにも拘らず、彼女たちは、程度の差はあれ、読み書きが出来た。
(素敵な夢……だけど……)
目を伏せると、アンは心の中で呟く。
(このままここで暮らしていたら……みんなの夢は、何一つ叶えてあげられないんじゃ……)
(毎日、必死に狩猟して、野菜を作って。自分たちだけで、何とか生きていけるようにはなったわ。ここには、井戸もあるし)
(でも、それだけ。生きるのに精一杯で、この子たちの夢を叶えてあげられるような、経済的な余裕なんて、どこにもないわ……)
暗い表情を浮かべるアンに――
「アン姉の夢は?」
「へ? あたし?」
サンが、元気良く質問する。
「えっと……あたしは、特に何も、無い……かな~……」
どこか歯切れの悪いアンの言葉に――
「およめさん!」
「え!?」
――アクが満面の笑みで、代わりに答えた。
そこに、サンも追い打ちを掛ける。
「あたしも知ってるよ! アン姉がお嫁さんになりたい相手は、誰かって言うと――」
「わーわーわー! ちょっと! ストップ!」
勢い良く立ち上がり両手をバタバタとさせながら大声で無理矢理話を遮ると、「全く。何勝手に話を作ってるのよ!」と、顔を真っ赤にしながら、アンはブツブツと文句を垂れた。
「あたしの事よりも……そうね、ティーパ。あんたの夢は何か、教えなさいよ」
自分から矛先を逸らすために、アンはティーパに話を振る。
すると、ティーパは、いつも通り感情の読めない顔で、即答した。
「〝究極のハーレム〟を作る事だ。そのために、俺は、〝何でも願いを叶える〟という〝聖魔石〟を手に入れる」
これ以上ない程に己の欲望に正直な夢を語る彼に、アンは、げんなりとした表情を浮かべた。
「そういや、あんた、それ前にも言ってたわね……」
「悍ましくて鳥肌が立ちます……」
「〝究極のハーレム〟!」
「〝きゅーきょーのハーレム〟!」
小刻みに震えながら自身の両腕を掻き抱くファイに、明るく復唱するサンとアク。
「って、〝ハーレム〟言ってる傍からパンツ食うな! 食後のデザートかよっ! っていうか、〝パンツ食べながらハーレム〟って、どんだけ業が深いのよ!?」
「ん?」
食事を終えて、そのまま流れるように胸元から取り出したパンツをモグモグと食べ始めるティーパに、思わずアンが突っ込んだ。
※―※―※
ちなみに、何故、彼女たちは読み書きが出来るのか。
それは、この孤児院を創設した人物――リットス神父のお陰だ。
彼は、数十年前に、私財を投げ打ってこの孤児院を造り、身寄りのない子供たちを受け入れて、育て、一人前にして、自分の力で生きて行く事が出来るようにして、退所させて来た、根っからの善人だった。
ティーパたちが入所した時には既に高齢であったリットス神父の事を、子どもたちは「お爺ちゃん」と呼び、慕っていた。
が、一年ほど前に、病死してしまった。
入れ替わるようにして現れたのが、ザーファ神父だった。
冴えない印象の中年男性である彼は、「まだこの仕事に慣れていない」という言葉通り、リットス神父と違い、孤児院の運営も、子供たちとのコミュニケーションも、全てが手探りだった。
ティーパたちも皆、どう接すれば良いのか戸惑っていたが、一年近く経った頃には、かなり心の距離も近付き、子どもたちから「パパ」と呼ばれるようになっていた。
だが、そんな彼も、先日、事故で死んでしまった。
森の奥にある崖からの転落死だったのだが、自分よりも狩猟が上手い子供たちに対して、良いところを見せたかったのか、はたまた食べられそうな野草や果物を探していたのであろうか。
ザーファ神父が死んでからというもの、ティーパたちは、子供たちだけで生き抜いて来た。
その結果、まだそれ程日数は経ってはいないが、〝自分たちだけでも生きていける〟という自信がつき始めていた。
――しかし。
(もっと、お爺ちゃんから色々学んでおけば良かったわ……)
(そして、人脈を紹介して貰っておくんだった……)
アンが後悔しているのは、リットス神父の最も偉大であった点――孤児たちに教えていた、〝ギリギリのこの暮らしから脱する術〟を引き継げなかった事だ。
(それさえ分かれば、あの子たちに、もっと明るい未来を提供してあげられるのに……)
歯痒さにアンは唇を噛む。
アンとティーパがほぼ同時期にこの孤児院に引き取られた時には、それまでここにいた孤児たちは、全員卒業――退所してしまっていた。
よって、リットス神父がどのような人脈を使って仕事を斡旋したのかが分からないだけでなく、元孤児たちが今どこで働いているのかすら掴めない。
無論、まずは自分自身が王都に行って、良い職を見付けて、必死に働いて信頼を勝ち取り、その職場に頼んで妹たちも雇ってもらう――等、他の策も考えはした。
――が、〝妹たちと孤児院を守る〟事を自身に課しているアンにとって、孤児院を離れて王都で仕事をする事には大きな抵抗があり、更に言えば、身元も不確か且つ孤児の自分に、王都でまともな職が見付けられるとは思えなかった。
強いて言えば、毎日剣を振ってトレーニングをして、獣相手に戦って実戦経験を積んでいる事から、〝冒険者〟にはなれるかもしれない(尚、モンスターは、基本的にダンジョンの中にしかいない)。
だが、冒険者では、弓矢の扱いに長けるファイはともかく、サンとアクには適性が無いように思えるし、適性云々以前に、妹たちに冒険者のような命懸けの仕事をさせたくはなかった。
(お金は……少しずつ貯めてはいるけど……)
服を繕う布を買うにも、靴を買うにも、老朽化が激しい孤児院を修繕するにも、金は要る。
そこで、アンたちは、狩猟した獣を、近くの村〝ジローグ〟(王都の北東、徒歩一時間の位置にある)に住む業者に売る事で、僅かばかりの銅貨を得て、集めていた。
その業者は、買い取った獲物を王都にいる別の業者に売る事で、アンたちよりも大きな利益を得ている。
本当ならば、アンたちが王都の業者と直接繋がりを持っていれば、より高値で買い取って貰えるのだが、孤児院に住む彼女らでは、王都の業者と取り引きをするための信用が無く、村の業者を頼るのが精一杯だった。
その結果、貯金してはいるものの、雀の涙で、妹たちに楽な生活をさせてあげられるような額には程遠く、明るい未来など望むべくもない。
(あの子たちの将来のために……何か、してあげられる事があれば良いんだけど……)
アンは、妹たちの将来を案じていた。
※―※―※
そんな、ある日の昼下がり。
いつものように、ティーパはブラブラして孤児院にはおらず、サンとアクが家庭菜園に勤しみ、兎と野鳥をそれぞれ一羽ずつ捕らえたアンとファイが戻って来ると――
「こんにちは、お嬢さん方」
王都へと続く細道から、三人の男たちが現れた。
先導し、声を掛けて来たのは、眼鏡を着用した痩躯の中年男性だ。
その左後方には、筋骨隆々且つスキンヘッドの剣士。
その右後方には、中肉中背でモヒカン刈りの男がいる。
少女たち全員が反応し、「こんにちは」「レスドおじさん、こんにちは!」「レシュドおじちゃん、こんにちは!」と、彼らに近付いて行く中、獲物を地面に置いたアンが、代表して、用件を聞いた。
「こんにちは、レスドさん。何か御用ですか?」
レスドとは、何度か会った事があった。
ザーファ神父の知り合いで、彼の存命中に、何度か訪ねて来た事があったのだ。
何かしらの商売をしているという話だったが、どのような仕事なのかは、詳しく聞いた事は無い。
また、引き連れている二人の男は、以前はいなかった。
アンの問いに、レスドが、クイッと眼鏡の位置を直しながら、にこやかに答える。
「本日は、貴方方に、御提案があって来ました。王都で、〝住み込みのメイド〟として働いてみませんか?」
「!」
思ってもみなかった言葉に、思わずアンは瞠目する。
それは、最近、常々彼女が悩んでいた事だった。
(王都の仕事! 住み込みのメイドさん!)
(ちゃんとした仕事だわ! それなら、明るい未来を描ける!)
高揚感で身体が熱くなるが――
(いけない、まずは、確認しないと!)
「とてもありがたいお申し出ですが、対象者は、私ですか? ファイですか? それとも、両方ですか?」
(それがあたし個人に対する話だとしても、ファイに対する申し出だとしても、ここでしっかり働いて、相手方の信頼を得ることが出来れば、下の妹たちの将来に繋がるわ!)
(それもこれも、パパのおかげ! パパ、ありがとう!)
心の中で、故ザーファ神父に感謝を述べるアン。
冷静になろうとしても、感情の高ぶりが隠せていない少女に対して、レスドは、口角を上げて――
「対象者は、サンさんとアクさんです」
「………………え?」
――十歳と三歳の妹たちの名を告げた。
「いや、でも……サンはともかく、アクは、まだ三歳ですし……」
戸惑いを隠せないアンに、微笑を浮かべたレスドは、眼鏡の位置を直しつつ語り掛ける。
「素晴らしいメイドになれるように、小さい内から働いて貰いたいというのが、依頼主の御要望でして。気品溢れる立派な貴族の方ですし、温かい御人柄ですから、その点は心配御無用です。仕事内容並びに礼儀作法なども、先輩のメイドにより、懇切丁寧に、一から教えて貰えます。ですから、アクさんも、安心して働けますよ。だって、既にここでは、一人前に働いているのでしょう?」
「………………」
レスドの言葉に、押し黙って俯くアン。
(正直、あの子が見ず知らずの人の所で、住み込みで働くのは、早過ぎると思うし、心配……)
(……だけど、このままここで五年、十年と過ごした先に、あの子に明るい未来がやって来るかって言われたら……多分、無い気がする……)
(それなら、私が心配に思う気持ちとかよりも、あの子たちの将来の事を考えた方が良いわ……)
暫く思考した後――
アンは、顔を上げると――
「分かりました。それで、あの子たちの将来が約束されるなら……」
――苦悩に彩られた表情で、そう答えた。
「交渉成立ですね」
目を細めたレスドが、モヒカン男に目をやる。
「ヒュマブ、お二人をエスコートしなさい」
「はっ! 了解です、レスドの兄貴! 俺っちにお任せを!」
ヒュマブが、ビシッと敬礼した。
「え? 今すぐに、ですか?」
目を見開くアンに、当然と言わんばかりに、レスドが頷く。
「勿論です。早いに越したことはありませんから。先方も、素晴らしい未来のメイドさんの到着を、今か今かと待ち望んでおられるのです」
ヒュマブは、サンとアクに近付いて行くと、怯えた表情の二人の手を取った。
「おら、嬢ちゃんたち。俺っちと一緒に行くぞ」
が、二人は、何とか手を振り解こうとする。
「ヤダ! 行きたくない!」
「ねぇね! ねぇね!」
その様子に、胸が引き裂かれるような痛みを感じながらも、アンは――
「二人とも、ごめんね。でも、ここで暮らしていても、明るい未来はやって来ないわ。ここだと、二人は幸せになれないの。貴族の方の御屋敷でメイドとして働ければ、今よりもずっと良い暮らしが出来るし、将来だって安泰だから、ね」
――二人のためだと、告げた。
だが、サンとアクは、尚もヒュマブから逃れようと、藻掻いて――
「アン姉! 何で? あたし、今、幸せだよ! アン姉と、ティー兄と、ファイ姉と、アクと一緒に暮らせて! みんなと一緒に働いて、一緒にご飯食べて、一緒に遊んで、一緒に寝て! たくさん、たくさん幸せだよ! あたし、これ以上何も望んでないよ!」
「ねぇね! たすけて! アク、ねぇねとはなれるの、イヤ! たすけて! ねぇね!」
「!!!」
涙を浮かべる二人を見たアンは――
「………………」
――俯き、唇を噛むと、顔を上げて――
「すいません、レスドさん。やっぱり、今回の話は無かった事にして下さい」
――レスドを真っ直ぐ見据えると――
「あたしが間違っていました。あんなに悲しい顔をさせた先に、明るい未来なんてやって来る訳なんてないのに」
――そう告げた。
レスドは――
「ふぅ」
――俯き、息を一つして、頭を振り、眼鏡の位置を直すと――
「調子に乗るんじゃありませんよ、クソガキさん」
「!?」
――顔を歪ませ、冷酷な瞳でアンを見下ろした。
「穏便に済ませようと、折角優しくしてあげたのに。付け上がるんじゃありませんよ」
豹変したレスドに、一同が言葉を失くす。
「良いでしょう。全て教えてあげます」
レスドが、口の端を吊り上げる。
「依頼主は、貴族は貴族ですが、小児性愛――つまり、幼女趣味なのです」
「!」
「あの方は年齢に厳しくてですね。今回、おチビさんたちが選ばれたのは、あの方が、〝十歳以下の幼女〟という条件を出したからです」
それが何を意味するかを理解したアンは、言葉が出て来ず、ファイは、険しい表情を浮かべた。
「平たく言えば、おチビさんたちは、これからあの方の性奴隷になるという事です」
「!」
「朝から晩まで、脂ぎった中年男を悦ばせるために、身体を使って御奉仕するんですよ」
語られる内容の余りの悍ましさに、全身の肌が粟立つ。
「じゃあ、全部嘘だったんですね!」
「はい? 全部って、どの事ですか? メイドの仕事の話ですか? それとも、〝あのインチキ神父――ザーファが事故死した事〟ですか?」
「!?」
「あの男、折角、孤児を人身売買するためにこの孤児院に神父として送り込んだというのに。土壇場で怖気付いて、『手を引く』とか言い出したのです。だから、事故に見せ掛けて殺したんですよ」
「まさか、そんな事を……! ひどい!」
アンが睨み付けるが、レスドは意にも介さない。
不器用だが、優しかったザーファ神父。
きっと、良心の呵責に耐え切れなかったのだろう。
「まぁ、そんな事はどうでも良いとして。メイドの仕事が嘘だったのかですって? それはそうでしょう。こんな小汚い孤児院のクソガキさんたちに、貴族のメイドなどという上等な仕事が回って来る訳ないでしょうが。頭が腐っているのでしょうか、貴方は」
「!」
「ギャハハハ! 違いねぇっすね! 兄貴!」
レスドの罵りに、ヒュマブが下品な笑い声を上げる。
騙され、侮辱されたアンは、歯を食い縛り――
「今すぐ、私の妹たちから手を離して」
――腰の銅剣を抜き、構えた。
「さもないと――」
その声に、ヒュマブが反応する。
「あ? さもないと、何だってんだ、お嬢ちゃん? 俺っちたちを叩き斬るとでも言うのか? いやぁ、お嬢ちゃんってば、本当、怖~い、怖~い、怖――」
嘲るモヒカン刈り男に対して、だが、アンは、鋭い視線を突き刺し――
「――――ヒッ!」
――底冷えのする殺気を感じたヒュマブが、思わず悲鳴を漏らす。
「あたしは、本気よ!」
柄を握る手に力を込めるアンに、それまで沈黙を保っていた筋骨隆々スキンヘッド剣士が、語り掛けた。
「おいらには分かる。てめぇは本気だ。そして、強い」
「分かってるなら、早く妹たちを――」
「――が、所詮、〝そこそこの強さ〟だ」
「?」
「その剣でどうしようってんだ?」
「何を言って――」
――見ると、いつの間にか、男は腰の剣を抜いており――
「なっ!?」
――それにより、アンの銅剣は、丁度半分辺りで叩き折られていた。
少し離れた地面に刀身の上半分が突き刺さっている。
(いつの間に!? 速過ぎる!)
愕然とする中――
「――赤髪のガキ。弓矢を下ろせ。その矢がおいらに届く前に、てめぇの姉貴の首が飛ぶぞ」
アンは、首元に剣を突き付けられ――
「……分かりました……」
――男に狙いを付けていたファイが、弓矢を下ろした。
「そうそう、御利口ですね。私が雇ったビグズさんは、元凄腕の冒険者ですからね。歯向かわない方が賢明ですよ」
レスドが、冷徹な双眸はそのままに、笑みを浮かべる。
「弓矢はそのまま、地面に捨てなさい」
レスドの指示に、ファイは素直に従った。
――しかし。
(私には、炎魔法があります!)
(アイツを――レスドを倒せば、後は何とでもなるはずです!)
心の中でそう呟くと、ファイは、手を翳して――
「『炎』!」
――魔法を発動した。
拳程度の大きさの炎が、レスドに向かって飛んで行く。
――が。
「『氷』」
「!」
涼し気な顔でレスドがそう呟きながら左手を翳すと――
――炎は、手に触れる直前に消えた。
「そんな!?」
レスドは、ファイを見下ろすと――
「まさかとは思いますが、今のは、〝魔法攻撃〟のつもりだったのですか?」
――嘲笑し――
「言っておきますが、今のは、ただ、手の平を氷で覆っただけですからね」
――ファイに対して――
「〝本物の魔法攻撃〟というのは――こういうものを言うのです」
――無造作に、手を翳すと――
「『氷柱』」
――身体を貫くに十分な大きさの氷柱を出現させて、飛ばした。
――猛スピードで迫り来る氷柱は――
「『炎』!」
――迎撃せんと、ファイが必死に放った炎を――
「そんな!?」
――一瞬で貫通、掻き消して何事も無かったかのように、飛行し続け――
「十五歳じゃ売れないですし、そのまま死んで下さい! アハハハハハ!」
「ファイ!」
――レスドが高笑いし、アンが悲鳴を上げる中、回避行動も取れぬまま、ただ迫り来る死に怯えるファイの――
(……もう……ダメ……)
――頭部に、氷柱が突き刺さる――
――寸前に――
――〝何か〟が、目の前に現れ、防いだ。
それは――
「!」
――森の中を通り、家庭菜園スペースの緑の中に身を隠しつつ出来るだけ接近、一気に飛び出して来た、革袋を翳したティーパで――
「『千枚パンツ』」
「!?」
――有り得ない程に圧縮されて革袋の中に密封されていた千枚のパンツにより、防がれた氷柱は――
――パンパンに膨れ上がっていた革袋に突き刺さった事で――
「!」
パーン。
――大きな破裂音と共に、中身が周囲に弾け飛び――
――まるで、大きな花弁のように、無数に舞い散るパンツの中――
――氷柱が地面に落ちた。
「これは……パンツ!?」
先程、『これが〝本物の魔法攻撃〟だ』とばかりに飛ばした氷柱が、まさかパンツで防がれるとは、レスドは夢にも思っておらず――
「くっ! 商品になる事さえ出来ない〝男〟が! ふざけた真似をしてくれましたね!」
苛立つレスドとは対照的に、落ち着いた様子のティーパの背中は、どこまでも頼もしく見えて――
(すごいです……!)
ファイが、ここから反撃の狼煙を上げるのだと、そう思っていると――
「ここから反撃だ」
「!」
――振り向いたティーパが、そう告げて――
「うん!」
――胸が高鳴り――
――そう――
――明るく――
――頷いた――
――ファイの――
「きゃああああああああああああああああ!」
――スカートの中に、ティーパは頭を突っ込んだ。
「「「「「………………………………」」」」」
意味不明な行動に、仲間のみならず、レスドたちもただただ唖然とする。
「いやあああああああああ! やめて!! 助けて!!!」
「ああ、今すぐ俺が助けてやる」
「あなた〝から〟助けて欲しいんです! この変態!!」
そのまま、暫くすると――
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「………………」
――肩で息をしながら、頬を朱に染めてスカートを押さえるファイの眼前で、何度も殴られたために顔中に打撲傷が出来たティーパが、戦利品――ファイのパンツを、素早く咀嚼して、飲み込んだ。
「さて、と」
「!」
真剣な表情で真っ直ぐに見据えて来るティーパに、先刻まで戸惑っていたレスドも、頬を強張らせ――
――触れれば切れそうな空気の中。
ティーパが、小さく、しかしはっきりと告げた。
「〝パンツを奪う〟のはいい。だが、〝命を奪う〟のは無しだ」
「いや、パンツも奪っちゃダメでしょ!」
思わず、アンが勢い良く突っ込む。
すると――
「いつの間に!?」
――剣を突き付けられていたはずの彼女が、先程の茶番の間に、密かにファイの傍に移動していた事に、漸くビグズが気付いた。
アンが危機を脱した事を確認したティーパが、ヒュマブに捕まっているサンとアクを見て――
「サン。弱点」
「!」
――そう呼び掛けると、サンは――
「えいっ!」
「はうっ!」
――空いている手で、ヒュマブの股間を思い切り殴り――
「う……ぐぅ……」
――蹲ったヒュマブが、股間を押さえながら、地獄の苦しみに泡を吹く中――
「アク!」
「うん!」
――サンがアクの手を取り、走ってティーパの背後――ファイの隣に、逃げて来た。
それは、普段ティーパが、「もし、悪い男に捕まったら、弱点を思い切り殴れ。男の弱点。それは、股間だ」と教えていた事を、忠実にサンが守った事による脱出劇だった。
まんまと商品――のみならず、アンまでも取り逃がした部下と元凄腕冒険者に、しかしレスドは、余裕の笑みを浮かべる。
「丁度一まとめになってくれましたね。好都合です。一緒に殺してあげましょう」
「!」
レスドが、両手を天に向かって掲げると――
「今回とはまた別の依頼主で、〝少女の死体〟を弄ぶ事に至極の興奮を覚える男がいまして」
――頭上に、先程よりも大きな、一メートル程の氷柱が次々と出現し――
「彼は優しいですからね。少女であれば、年齢には拘りません。皆さん、仲良く出荷してあげますよ」
――計十本のそれらが――
「貴方たち四人の死体を売れば、今回の依頼よりも大きな売り上げになりますからね! それもこれも、下手な抵抗などする貴方たちが悪いのです! さぁ、後悔しながら死になさい! 『氷柱』!」
――レスドが振り下ろした両手に呼応して、ティーパたちに向かって飛ばされた。
妹たちの眼前に立つティーパは、両腕を開いて――
(あたしたち全員を庇う気!?)
(普段あれだけ変態な癖に! こんな時だけ一人で格好つけて!)
(そんなの、許さない!)
「あたしも――」
アンが、ファイの前に踏み出し、ティーパの横へと駆け寄ろうとするが――
「!」
――背後を一瞥したティーパと目が合い――
――その瞳は――
(〝お前はそこにいろ〟って……そんな……そんなの……)
――そう告げており――
――有無を言わせぬティーパの表情に――
――アンは立ち止まり、動く事が出来ず――
――ファイが――
(みんなが、死んじゃいます! でも、私の炎魔法じゃ、アイツの攻撃は止められません……)
――無力感と焦燥感に苛まれていると――
――前を向いたティーパが――
「飲み込めるようになるまで、十六年掛かったが、これで発動条件は満たした」
「?」
――そう呟くと――
「ファイ。俺がパンツを食ったんだ。今のお前なら、アイツに勝てる」
「!」
――希望的観測でも、励ましでもない、確信を以って発せられたその言葉と――
「さぁ、死になさい! くたばりなさい! アハハハハハハハハハハハハハ!」
――眼前に迫った氷柱群にも、一切動じないティーパの背中に――
「お兄ちゃん!! ダメえええええええええええええええええええええええええ!!!」
――ファイが、無我夢中で両手を空に掲げると、巨大な炎が頭上に出現――
――それは、一瞬でティーパの前へと飛翔すると――
「なっ!?」
――全ての氷柱を瞬時に蒸発させて――
――地面を焦がしつつ低空飛行する炎は、勢いそのままに、レスドに襲い掛かり――
「くっ! 『氷柱』!」
――咄嗟に両手を翳して、二十本の氷柱を生み出して迎撃を試みるも――
「馬鹿な!?」
――その全てを気化させ――
「ぎゃあああああああああああああああああああ!」
――火炎がレスドを飲み込んだ。
炎に包まれて地面を転がるレスドの右横で――
「ぎゃあああああああああああああああああああ!」
――股間を殴られて悶絶していたヒュマブも、ついでに炎に包まれて、先程とは別の理由で苦悶の表情を浮かべ、地面を転がる。
紅蓮の炎は、全ての獲物を狙う追尾式なのか、今度は左側へと進路を変更して、ビグズへと向かう。
――しかし――
「どんだけ強力な魔法だろうが、到達する前に術者を殺せば関係ねぇ!」
――こちらに向かって、ビグズが走り始める。
「このままじゃ……!」
ファイを庇うように、その前に出たアンの頬を、汗が伝う。
――と、その時――
「『空飛ぶパンツ』」
「っと!」
――ティーパが固く握り締めて全力で投げた何かを、ビグズは左へと進路変更する事で躱した――
――が――
「『空飛ぶパンツ・マークII』」
「!」
――まるでその動きを予測していたかのように、既に第二弾が投げられた後で、顔面目掛けて猛スピードで飛翔、固く握り締められた事で小さなボールのようになっていたそれ――パンツが、ビグズの顔の前で解れ、花開き――
「くっ! だが、甘い!」
――第一弾の狙いが正中よりも僅かに右側にずれていた事で、左側への回避を誘導されていた事に気付き脱帽しつつ、ビグズは身体を後ろに反らせて、凄まじい反射神経で剣を一閃、見事にパンツを一刀両断してみせた彼は――
「惜しかったな。あともう少しだった。だが、戦場では、その僅かな差が命運を分けるんだぜ」
――足を止めて、ティーパに講釈を垂れて――
「あ」
――その隙に背後に迫った猛火を避けられず――
「ぎゃあああああああああああああああああああ!」
――全身を包まれ、地面を転がった。
暫くして、ビグズが動きを止めると、炎は消えた。
地面に倒れているレスド、ビグズ、そしてヒュマブは、各々、こんがりと焼き上がり、白目を剥き、ピクピクと痙攣し、呼吸はしている。
辛うじて生きてはいるようだ。
「勝った……のよね……?」
アンは、掠れた声でそうつぶやくと――
「ファイ! サン! アク!」
「姉さん……!」
「アン姉えええええええ!」
「ねぇねええええええ! うわあああああああああん!」
――屈んで、妹たちを、強く、強く抱き締めた。
「サン、アク。悲しい思いをさせて、本当にごめんね……」
涙を流す妹たちに、アンもまた、瞳を潤ませる。
――だが、ティーパは一人、ボリボリと頭を掻くと、いつも通り、無表情なまま呟いた。
「ファイ。さっき俺の事を、〝お兄ちゃん〟って呼――」
「『炎』!」
「ぐああああああああああああああああああああ」
「きゃああああああああ! ファイ、何やってるの!? 早く消して!」
「ふんっ」
――先程の記憶を抹消すると共に、パンツを脱がされ食べられた恨みを晴らさんとばかりに、ファイは無造作に手を翳して、巨大な炎でティーパを焼いた。
その後。
アンが何度も催促した事で、ファイは炎を消したため、ティーパは全身を軽く火傷する程度で済んだ。
※―※―※
起き上がり、動けることを確認したティーパは、「三人を後ろ手に縛っておいてくれ」とアンたちに頼むと、直ぐに王都へと向かった。
王都に着いたティーパは、城門にいる二人の衛兵に事情を説明した。
一人は相手にしようとしなかったが、もう一人が、「おい、それ、最近噂になってる奴らじゃないか!」と、仲間を呼びに行ってくれた。
その後、衛兵たちを引き連れたティーパが孤児院へと戻って来ると、衛兵たちは、身体を拘束されたレスドたち三人の顔と手配書を見比べて、確認した。
実は、最近、王都周辺の村や王都内の貧乏な家庭を訪れ、良い仕事を斡旋すると言って言葉巧みに騙し、幼女たちを人身売買している輩がいるとの事で、警戒していたらしく、それがレスドたちだったのだ。
彼らを引き渡すと、衛兵たちは、報奨金として、銀貨一枚をくれた(ティーパたちにとっては大金であるため、皆で話し合い、将来のために貯金しておき、大切に使おう、という話になった)。
※―※―※
その日の晩。
食堂で、家族全員揃って夕食を食べている最中に――
「明日、俺は旅立つ。〝聖魔石〟を手に入れるために」
「「「!」」」
唐突に、ティーパが宣言した。
「また突然ね……」
「そっかぁ。ティー兄がいなくなると、寂しくなるね! 元気でね!」
「……変態がいなくなって、せいせいします……」
アン、サン、そしてファイの反応を、キョロキョロと見ていたアクが、ティーパの言わんとする事を、漸く理解して――
「にぃに、とおくにいっちゃうの?」
「ああ。大事な旅だ。分かってくれるか?」
「………………うん」
涙を必死に堪えるアク。
椅子から下りて、とてとてと歩いて来たアクが、ティーパの眼前で、両手を上げる。
屈んでアクを抱き上げたティーパが、自分の膝の上に乗せると、アクはギュッと抱き着いて来た。
「にぃに、またかえってくる?」
「ああ。必ずまた、ここに帰って来る」
「ほんと?」
「ああ、本当だ。約束する」
「うん……。じゃあ、やくそく……」
アクは、ティーパにしがみ付いたまま、暫く離れなかった。
※―※―※
翌朝。
「じゃあ、行って来る」
特に別れを惜しむでもなく、あっさりとそう告げたティーパは、革袋一つのみを手に、背を向け、王都へと続く細道に向かって歩き出した。
その姿を見送るアンは、胸元を押さえ、苦しそうな表情を浮かべる。
(これで、良かったんだわ……)
(だって、あたしには、妹たちがいるもの……)
(この子たちを置いていくなんて事、あたしには……あたし……には……)
割り切ったはずだった気持ちが――
――相反する感情が彼女の中に渦巻き、葛藤に苛まれる。
と、その時――
「「「えいっ!」」」
「きゃあっ!」
――突如、背(と足)を押されたアンは、バランスを崩して、踏鞴を踏み――
「むぎゅっ!」
「ん?」
――前を歩いていたティーパの背にぶつかった。
「ち、違うの! 今のは、急に背中を押されたから」
振り返ったティーパに対して、意図的ではないと否定して頬を朱に染めるアン。
「って、何してんのよ、あんたたち! 危ないで――」
妹たちの方へ向き直ったアンに向けて――
「!?」
――革袋が飛んで来て、慌ててキャッチする。
「って、これ……あたしの……?」
中を見ると、それは、アンの荷物を纏めたもので――
「あんたたち、どういうつもりで――」
顔を上げたアンの瞳に映ったのは――
「!」
――天に向かって勢い良く立ち昇る、炎柱、雷柱、水柱だった。
両手を天に翳したファイ、サン、アクからそれぞれ放たれる巨大な魔力の奔流は、美しさを感じる程で――
「な……」
呆然とするアンに対して、妹たちが、思いの丈をぶつける。
「アン姉も、一緒に行って来なよ! 一緒に行きたいんでしょ? 分かってるよ! あたしたちは、この通り、もう大丈夫! 悪者が来たって、返り討ちにしちゃうんだから!」
――真ん中にて、いつも通り元気一杯のサンが、しかし、その目に涙を滲ませながら――
「その変態を一人で野放しにしておいたら、その内大罪を犯すに決まっています。姉さんがついていって、未然に防いで下さい」
――右端で、クールなファイが、生まれて初めて声を震わせて――
「ねぇね! にぃにといっしょに、がんばって! アクも、なかずにがんばるから!」
――姉二人から〝笑顔で見送ろう〟と、事前に言われていたのであろうか、零れそうな涙を必死に堪えるアクが、プルプルと震えながら叫ぶ。
「だから、アン姉!」
「「「いってらっしゃい!」」」
「!」
まさか、妹たちが、そんな事を考えていたとは思わず――
「みんな……」
彼女たちの言葉に、思わずアンは涙ぐむ。
(あたしが、みんなの事を考えているつもりだった)
(でも、みんなの方がずっと、あたしの事を考えてくれていたのね……)
「ありがとう……」
アンがそう呟くと、その隣に立ったティーパが、相変わらず表情の読めない顔で、妹たちに語り掛けた。
「俺はこれから、〝究極のハーレム〟を叶えるために、〝聖魔石〟を手に入れる。そのついでに、冒険者稼業をやって大金を稼いで、帰って来る。もう、お前たちが一生働かなくても良いくらいにな」
「「「!」」」
珍しく、自分以外の者のために何かを行うと明言したティーパに――
「楽しみにしてるよ、ティー兄!」
「ふんっ」
「にぃに、アク、まってる!」
――妹たちが明るい声を上げる。
「ふ~ん。〝ついで〟、ねぇ」と、半眼で見やるアンに、「それがどうした?」とティーパが聞くと、アンは、「べっつに~」と、微笑んだ。
「ファイ、サン、アク! みんな、本当にありがとう! じゃあ、行ってきます!」
「行って来る」
「「「いってらっしゃい!」」」
アンが手を振り、ティーパと共に背を向け、歩き出すと、三人はいつまでも見送っていた。
※―※―※
王都へと続く細道を、ティーパたちは並んで歩いて行く。
アンが腰に差しているのは、折れた銅剣の代わりにビグズから奪った、鉄剣だ。
「それにしても、ファイだけじゃなくて、サンとアクまで、あんなことが出来るようになっただなんて! ビックリ!」
三人に荷造りして貰った革袋を、アンは大切そうに抱き締めながら歩く。
「やっぱり、あれ、あんたがやったの?」
革袋の紐を指先に引っ掛け、荷物を背負いながら隣を歩くティーパにそう問い掛けると、彼は、早速胸元からパンツを取り出して、食べながら答えた。
「そうだ。脱ぎたてのパンツを俺が食えば、食われた女は、〝才能〟が開花する。しかも、その威力は、〝その女が今後何年・何十年も研鑽を積んだ結果得られるであろう、最大値〟だ」
「いつもながら物凄く気持ち悪いけど……でも、すごいわね、それ!」
アンは、「それが、あんたが異世界転生する時に、女神さまから貰った〝才能〟ってやつなのね」と、どうやらティーパの出自を知っているらしく、そう呟いた後――
「って、あの子たちのパンツも食べたって事じゃない! 三歳の女の子の脱ぎたてパンツ食べるとか、何考えてるのよ、この変態!」
「ぶべはっ」
――力一杯ティーパを殴り、吹っ飛ばした。
こうして、女神から〝下着喰らい〟の〝才能〟を貰ったティーパとアンの、聖魔石を探す旅が始まった。
【お願い】
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