プロローグ
大陸歴1180年、帝国歴400年。この日は母なる大地であるアムール大陸、そして我らがエル・ファシル帝国は危機に瀕していた日であった。
帝国歴380年頃に隣国アルファス王国の僻地、ライル山に突如現れた「魔王」を名乗る存在が現れ、魔物の群れを率いて周辺の小国を制圧。アルファス王国の王都含めた領土の八割を制圧し、その魔の手は我ら帝国領まで迫ってきていた。
しかし、今我が国がこのように歴史を紡いでいることが、我らが皇帝陛下によってその魔王軍は鎮圧されたということを示しているだろう。
皇帝陛下はその魔の手に対し、帝国の宝剣であるスパーラを取り、我らが帝国兵とともに立ち向かった。
戦場での逸話は数知れず、例えば光の柱を打ち立てて3大隊ほどの魔物の群れを焼き払い、例えば剣の一振りで海を割り、魔物どもが操る船を薙ぎ払った、などという噂が立っていた。無論、噂というものは事実に基づいて作られるものだ。それらの事象が起こったのは間違いないだろう。
我ら帝国民だけでは迎え撃つことさえ困難だったであろう魔物の軍勢を、陛下は御身と宝剣で我らを守ってくださったのだ。
陛下なくして我らが帝国はなし。そのことを決して忘れてはいけない。
ウィリアム・A・ボルマン著書、『我らが闘争、帝国の栄光』より抜粋。
♢
「お前はもういらないよ、小娘。」
その言葉を聞いた時、私は呆然とした。
友人の、戦友の、父の、母の、彼らの犠牲の上にようやく打ち立てた勝利。それらを、この男はいらないと切り捨てた。
「呆然としているようだがね、貴族どころか帝都の民ですらない愚かな農民に、魔王を倒したなんていう栄誉をやるわけがないだろう?
……ああ、安心したまえ、君の功績は全て私がもらってやることになっている。迫る魔王軍を打ち倒したのは私、四天王を打ち倒したのも私、魔王を殺したのも、全て私だ。愚民の君は、何も考えずに田畑でも耕していればいいのさ。」
嘘だ。私とみんながいなければあの軍勢を押し返せていたわけがない。こいつらにあれを真似することなんてできるわけがない。あの時こいつは玉座の上で情けない悲鳴をあげて私に命令していたんだから。
「…陛下。愚民如きにそのように全て話されては困ります。あれを生かして返す理由がなくなってしまったではありませんか。」
「おお、私としたことが、うっかり話してしまったようだ。」
「…ふむ、ではこういたしましょう。あれを生かして返さなければ良いのです。」
皇帝と側近は示し合わせたように笑い、こちらを見る。
「…待って、」
「衛兵! この愚民は恐れ多くも皇帝陛下を侮辱した! 地下牢に軟禁しろ!」
「ちがっ、私は、そんなこと!」
ずっと伏せていた顔を上げて大きく叫ぶ。だがこの謁見の間にいる誰もが、私を蔑むような目で見下ろしていた。
「っぁ」
「フッ……どうした! さっさと連れて行け!」
その言葉に従い、衛兵の彼らは私を持ち上げて引きずるように運んでいく。
そんな私の背中に向けられたのは、彼らの嘲笑だけだった。
♢
「へぇ、こいつが勇者様か。随分可愛い顔してんじゃねえか。」
「っ、離して!」
「おっとなるほど、活きが良いな。通りでうちに回されるわけだぜ。」
地下牢の奥の奥。薄暗くジメジメしたここには、舌なめずりしながらこちらを見る目の前の男が待っていた。
男が顔を触ってくるので思わず顔を背けながら叫ぶと、男は嬉しそうにそう言った。
「っ…」
「陛下からのご命令だ、好きにやっていいとさ。」
「ほぉ! そいつは嬉しいご命令だ! …ま、あとは任せな、たっぷり鳴かせておいてやるさ。」
「…。」
その男の言葉に嫌そうな顔をすると、私を連れてきた衛兵はそのまま立ち去っていった。
その衛兵の態度に、男は慣れたように笑うとこちらに向き直る。
「…さてとぉ? 魔王を倒した英雄から反逆者に堕ちちまった可愛い勇者様よ。…しばらく俺のおもちゃになってもらうぜ?」
「っ…」
男はそう笑いながらいうと、私の腕を鎖につなぎ、部屋の隅にあるテーブルの方へと向かう。
…今ならあいつは隙だらけだ。この程度の鎖だったら剣がなくても強引に壊せるだろう。
無理やり壊そうと腕に力を入れて引っ張る。…だが、鎖はちぎれる様子はなく、壁にも影響はない。じゃらじゃらと鎖の音が鳴り響くだけだった。
「はは、元気が随分いいみたいだがなぁ、そいつはあんたを捕まえるためだけに用意された鎖なんだぜ?」
「……どういう意味、ですか。」
「要するに皇帝サマは最初っからお前をこうやって捕まえるつもりだったんだよ。」
男の言葉に、先ほどの皇帝の言葉をまた思い出す。
…本当に、私は用済みだったんだろう。
「まあ大人しくしてくれりゃあすぐ終わるだろうさ。俺も鬱憤を晴らしたいだけなんだよ。」
な? と言いながら男はその手を私の肩に乗せた。
その気色悪い感触に、思わず反射的にその手を振り払ってしまう。
「っ、嫌です!」
「おっ、と…。 はぁ、キズモノにはしたくなかったんだが…ま、しょうがねえか?」
そういうと男は、いうが早いが私の腹に拳を叩き込んできた。
腕を繋がれた私がそれを防ぐことなどできるはずもなく、もろにくらってしまう。
「がふっ…!?」
「ここんところむさ苦しい男ばっかでなぁ、鬱憤がたまってたんだよ。…ちょっと付き合ってくれよ?」
そのいやな笑顔が、私の視界に映っていた最後のものだった。
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