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中編

「おい、出かけると言っておいたのにまだ準備出来てないのか!」


 そう言って誰よりも遅く起きてきたのは転生前の私の夫。

 亭主関白の意味を自分の都合のいいように捉えている人。


「全く……これだから愚図は嫌なんだよ」


 そう言いながら私の用意した朝食を食べる。


「おい、コーヒーがないぞ。全く、気が利かない」


 コーヒーは最低でもドリップした物じゃないと飲めたもんじゃないと言ったのは夫本人で。ちょうど今いれているところだ。

 出したコーヒーは無言で受け取られた。

 休みの日くらいはやめてと言ったのに、ご飯を食べながら新聞を読んでいる。


 私は気付かれないように小さくため息をつき、夫が希望したお出かけの準備を再開した。



「やっと出発できる。どんだけ準備に時間かかってるんだか」


 朝食後、しっかりトイレに30分は篭もり、シャワーも済ませて自分の準備だけを終わらせた夫が運転席に座る。

 私はやっぱりぬいぐるみを持っていきたかったとべそをかく下の子と、車内では酔うからと言ったのにゲームをやめない上の子を車に乗せる。

 そして最後に私が助手席に乗り込んだ。


 出かけた先は夫が行きたいと言っていたショッピングモール。

 夫は趣味のゴルフ用品を新調したいようだ。

 そしてそのすぐ側にある倉庫型の販売店は、うちだけでは消費できない量の食材ばかり売っている。


 夫と子どもたちはなんだかんだ買い物を楽しんだ。

 私は夫が率先して買い込んだたくさんの食材の保存方法や調理法に頭を悩ませる。

 私のものは何も買わなかった。


 帰りの車内、子どもたちははしゃぎ疲れたのか二人とも寝ている。

 準備疲れと買い物疲れ、そして食材の処理方法と夕飯の献立で頭がいっぱいだった私は、夫が話しかけていたにも関わらず返事を忘れてしまっていた。


「ごめんなさい、今なんて?」


 すぐに聞き返したが遅かった。夫の顔を見ると鬼の形相で、湯気が出るのではないかというくらい真っ赤になっていた。


「俺はこうやって休日は家族のために尽くしているのに!!! 家族のために、お前のためにこんなところまで来てやってるというのに!!! なぜしっかり俺の話を聞いていない!!」


 そう言うとすぐに車を路肩に寄せる。車を停め、私に言い放った。


「降りろ。折角連れてきてやったのに、恩を仇で返された気分だ」

「待って、こんなところで降ろされたら私帰れないよ!」


 どうにか考え直してもらえないだろうか。

 私は必死に謝った。しかし、夫の気持ちは変わることなく。


「いいから降りろっつってんだろ!!!」


 半ば強引に降ろされてしまった。

 この怒声の中起きない子どもたちのなんと図太いことか。いや、もしかしたら起きていても夫の剣幕に恐れをなして寝ている振りをしているのかもしれない。


 私を捨て置いたまま車は走り去っていった。

 幸運なことに携帯電話と財布は持っていたから、バスなどを乗り継いで帰ることができた。

 それは置き去りにされてから三時間後のことだった。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「あの、ピオニー夫人? 私そろそろお暇させていただきたいのですが……。その、これ以上遅くなると更に旦那様が……」

「えっ、ああ……そうね。もうそんな時間なのね」


 思い出している間に紅茶はすっかり冷めてしまっていた。


「ねぇ、エネメール様。もし今日泊まっていってと言ったら、男爵はお怒りになるかしら」

「えっ、お泊まり……ですか? その、きっと……ピオニー夫人の前では何も仰らないと思いますけど……。その、私が帰宅したあとはなんとも……」


 男爵夫人の返答は歯切れが悪い。

 聞いた限りでは男爵は権力には弱いタイプだ。自分よりも立場が上の者の前では、男爵夫人に酷い扱いをしないだろう。


「エネメール様、もう少しだけお話にお付き合いいただける? モランタル男爵家には私からもう一通お手紙を書きましょう」


 ね? と念押しすると男爵夫人は押し負けたようで、もう少しだけ滞在してくれることとなった。


 「それで、エネメール様。あなたはご主人を愛していらして?」


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 「いやはや、前公爵夫人におきましてはご機嫌麗しゅう……」

 「突然押し掛けてしまってごめんなさいね。エネメール様と街で出会いまして。少し借りて私のお話を聞いていただいていたの」


 日も沈み切る頃に私は男爵夫人を直接お送りした。


 「お話が盛り上がってしまって、こんなに遅くなっているとは思いませんでしたわ」

 「はは……、うちの家内を気に入っていただけたようで」


 男爵は揉み手をしながら答える。

 その表情はあわよくば公爵家と繋がりを持ちたいという欲深さが滲んでいた。


 「も、もしよろしければ我が男爵家で晩餐はいかがですかな? その、公爵家の方のお口に合うかは分かりませんが……」

 「あら、いいわね。私も一度ゆっくり男爵とお話したいと思ってましたの」


 こうして、晩餐会が開かれることとなった。



 「あら、このポワソン美味しいわね」

 「気に入ってもらえて何よりです。我が家のシェフも前公爵夫人に認めていただけて光栄でしょう」


 男爵は晩餐と共にお酒を飲み、顔が赤く染まってきた。

 そろそろ頃合いだろう。


 「モランタル男爵、少しよろしいかしら?」

 「ん? なんですか?」


 男爵の少しだけ微睡んだ瞳がこちらを向く。


 「私、エネメール様のことが欲しくなってしまいましたの」

 「へ? それはどういう……?」

 「今日ね、街で出会ったと言ったでしょう? そのときのエネメール様のご様子なんですけれど」

 「あ、ああ。家内が癇癪を起こしましてね。勝手に馬車を降りていったのですよ。歩いて帰れるわけがないと止めたのですが、聞く耳を持たず……」


 言い訳はするすると出てくるようだ。


 「そうだったんですの? エネメール様は案外大胆な方ですわね。そうでしたら、ドレスが破れてしまっていたことも納得ですわ。さすがに破れたままというのも……ねぇ? 私のお古ですけれど、他のドレスに着替えていただきましたの」


 男爵夫人が元々着ていたドレスの繕いは間に合ったけれど、わざと着替えさせずに私のお下がりのドレスのまま帰宅させた。


 「え? ああ、本当だ。そこまでご迷惑をおかけするなんて……」


 だって、ほら。男爵は彼女のドレスが首の詰まったネイビーから、胸元の開いた深い赤に変わっていても気付かないのだから。


 男爵夫人は言っていた。あのネイビーのドレスは、結婚してすぐの頃に旦那様が手ずからに選んでくださった、と。



 とてもよく似合うと仰ってくださった、と。



 男爵の言葉を聞いた彼女は両手で顔を覆い、俯いた。

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