第八話 『仕事は他人に押し付けろ』
「仕事担当ルーレットォオオオ!」
『いぇーい!』
「いぇーい」
まるで全国から高校生を集めてクイズでもしそうな声量でこぶしを振り上げているのは小春である。
それに追随するのは、ダイナミックにデスクの上でメモ用紙を振り回している班長と足をデスクに上げ、肘を曲げたまま頭にも届かないほどに拳を掲げる羽黒。
そしてそれとは対照的に、牛藤は頭を抑え、
「チッ、またかよ……巨乳じゃなかったら殺してる」
聞こえるか聞こえないかというほど小さく舌打ち混じりに呟くのだった。
「なんなんですか?」
キセツが質問すると小春は自らのデスクの上のゴミを整頓、もとい押しのけ、出来たわずかながらの空間に、ポケットに全員の名前の入った玩具のルーレットを置いた。玩具とは言ったが、それ自体は作りがとても良く、欲と現金が飛び交うカジノにあったとしてもスピナーは球を迷いなく投入するだろう。
「今、鬼灯班の管轄内に天使が出没、絶賛大暴れ中なわけで、誰かが行かないといけないんだけど……」
そう言って小春が周りを見回すと、誰一人として目を合わせる者は無く、牛藤も目を背け、先ほどまでテンションの高かった班長も空っぽのティーカップを口にしている。通報した人間がこの状況を見れば、きっと税金泥棒と揶揄されるに違いない。
「てなわけで、ルーレットで決めたら公平っしょ?」
「佳さんが行ってくださいよ。アナタそれで当たったことないでしょ」
「まぁまぁ、そう言わずにさ、仕事は楽しくしようよ」
右手で握った二つの球をカチャカチャといじりながら、小春は牛藤の言葉を適当なことを言っていなした。
「まあ、いいんじゃないですか」
「え、良いの? ……はぁ、もういいです好きにしてください」
牛藤が驚くほどにすんなりと提案を飲んだキセツだが、実のところ”新人だから”とか苔や錆のついた考えで仕事任されるよりまし程度にしか考えていない。
「お、ノリいいじゃん。牛藤も見習いなぁ」
球を握り直し、小春はさっそくといわんばかりにウィールを回し始めた。
ギャラリーはルーレットを囲むようにして覗き込み、その球が投入されるのを待つ。現在進行形で天使が暴れているのに実に悠長である。
「入った二人が即出動。じゃあ、いっきまーす!」
カコーンッ! カラカラ――
耳に心地よく心臓に悪い快音を鳴らして、球はウィールの上を弾け転がりまわる。そして、皆球の行方を目で追いながら、”入るな”と念じるのだ。ルーレットは構造自体が単純明快であるが、勝敗が決まるまで、これでなかなか時間がかかる。しかしギャンブルにおいて、この何とも言えぬ時間が最も楽しかったりする。
――カコンッ……カコンッ
”は”と”た”
――担当決定。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
パトカーの中で、何やら羽黒と立木が仲良くお喋りしているようだ。なんせ、殺し合った者同士。”昨日の敵は今日の友”なんて言葉があるのだから、出会ったらハグでもするような仲になっていても、なんの不思議もない。
「なんで、あーしとお前なんだよ! 死ね!」
文句ついでにクラクションを鳴らす羽黒。
警察車両からのクラクションに、前方の初心者マークを付けた軽自動車がワイパーを動かした。煽り運転よりもよっぽど恐怖を感じたに違いない。
「うっせえな! 黙って運転しろ!」
関係はそう簡単には変わらない。昨日の敵は今日も敵だった。
「……はぁ」
羽黒は慣れた手つきで煙草に火をつけた。吐いた煙はふわりと立ちのぼり、静まり返った水溜まりにしずくを落としたように天井で花開く。たちまち、車内は煙の臭いに包まれキセツは窓を開いた。
夏特有の温い風が、車内の副流煙を含んだ空気とアスファルトの焼けた臭いのする空気を交換している頃、羽黒は煙草を口から離した。
「そう言えばお前、天使と戦ったことないんだったな」
「……そうだけど」
頭の中で対向車のナンバーに書かれた地名を見て、より遠い場所から来ている車はないか確認し、フラッシュ暗算の如く四つの数字を足し算しながら、キセツは答える。
「じゃあ、教えといてやる。天使は仮面を剥げばただの死体。そんで、バカばかりだ。人を殺すこと以外何もできん。あーし達仮面使いからしたら障害にもならない」
煙草を指ではじき、吸殻を窓の外に捨てながら羽黒は淡々と天使について語る。なんとも手慣れている様子から、ポイ捨て常習犯であることが分かる。
「なんだ? ずいぶん親切だな」
「何も知らねえ足手まといが近くに居たら邪魔なんだよ」
「そうかよ……」
わかりやすく、癪に障る回答にキセツは眉間にシワを寄せる。
「問題は仮面使いだ。お前みたいな勝手に覚醒した奴だったり、させられた奴だったり、多少ハイになるけど頭がある分厄介だ。見分け方は頭の輪の色、白なら天使、黒なら仮面使い。それだけ覚えとけば今はいい」
「……親切にどーも」
先輩からの優しい助言に対し素直に礼を言えるのは、新人社会人に求められる一つの能力であったりする。しかし、キセツのように感謝のかの字も籠っていない言い方ではかえって相手を怒らせてしまうかもしれない。
と、キセツは羽黒の話を聞いてあることに気が付いた。
「そう言えば、小春さんと七班の……ピンクのナース。あれは輪っか白だったよな。天使ってことか?」
「佳さんと錘儀さんは……別だ……」
「別?」
質問と共にキセツが羽黒の方を見ると、もう彼女の口には新しい煙草が咥えられていて、これ以上話す気はないらしい。察したように、キセツは再び対向車線を見る。
車内にあった険悪な雰囲気は沈黙に形を変えたのだった。
「着いたぞ」
路肩にパトカーを止め、二人は通報のあった飲食店の前までやって来た。
「……変だな」
羽黒がそういうのも仕方がない。歩道のそこら中に血だまりや血痕があるが、その近くには死体どころか怪我人すらいないのだ。ここが地面から血液が沸いて出てくる場所なら仕方がないが、あいにくそんな献血バスがもれなくすべて運血タンクローリーにすげ変わるような場所は存在しない。
「おい、羽黒」
キセツが指さすのは一つの店。その入り口には外から中へ向かって血液で出来た足跡が残っている。どうやら、犯人はこの店舗の中へと入っていったらしい。
羽黒は面名の書かれた看板を見上げる。
「あーし好きじゃないんだけど、カレー」
「どうでもいいわ、開けるぞ」
鼻孔をくすぐるその香辛料の香りは、辺りに立ちのぼる鉄臭い血の臭いを容易にかき消すほどで、吐き気よりも食欲がわいてしまう。
キセツは匂いの元凶のある扉のノブを握った。
――カラァン、コロォ
「いらっしゃっせぇ」
鈴の音を聞き、厨房からまるで小汚いラーメン屋の店主のような崩れた挨拶をするゾウ頭が出迎えた。