第七話 『みんな第三希望で生きている』
「――ああ、面倒だ」
そこは、特異課本部の廊下。とある一室の扉の前でスーツにコートを羽織ってアイマスクを額につけた一人の男が壁に手をついてうなだれている。
独り身、カルビは一枚が限界、御年三十九歳であるが、まだギリギリ三十代であるという、なんともちっぽけなプライドを持つその男の名は七班の良月 愛。名前に敗北した愛らしさの欠片もない髭の剃り残しの目立つオッサンである。
「なんで俺が新人の入庁式の司会なんて……俺、人前で喋るの苦手なんだけど。二日酔いで気持ち悪いし、なんだか腹も痛い気する。朝に食べた卵かけご飯の卵が痛んでたか?」
良月は手に握っているの資料を開いた。
そこには今回特異課に配属された新人のプロフィールの書かれている。
「今回は三人か。えー何々、不動 君好くん。十五歳、小さな町工場の長男。天使襲撃により彼を残して家族全員死亡。はあ、なんとも痛ましいねえ……その後、仮面使いとして覚醒。頼むから天使への憎しみとか、熱苦しいのは勘弁してくれ……そういうやつはすぐ死ぬし、事後処理が面倒だ。ん? 配属は神無班か、なら死んでよし」
資料を指ではじく良月。さながら、敏腕営業マンの様相であるが、彼は警察以外の仕事を知らない。もっと言えば、警察官を五年。やっとの思いで憧れの刑事となったが一年で仮面の適合者となったことで特異課に移動した。特異課十年以上の古株である。
ちなみに、彼が羽織っているカーキのサープラスコートは昔見た刑事ドラマに憧れて買ったらしい。
「で、こっちは宇野 可南さん。二十歳。あー、コイツ不動君の幼馴染なの、へー……って。仮面の違法所持? 近所での神隠し騒動の容疑者として逮捕後、証拠不十分で殺処分できず、本人の希望で入庁……マズいなコイツ。配属は七班……マジか。こういう危なっかしいのは班長だけでいいんだけど……」
良月は頭を掻いて危なっかしい新人の今後の素行を気にしている。まあ、危なっかしさとは本人が心配になるというより、自分の命を心配するほうではあるのだが。
「何をしてるんですか?」
初めての婚活パーティに緊張して参加者のプロフィールを何度も見返す童貞のように、扉の前で佇んでいた良月の背中から、氷のようになんとも冷たい声がかかった。
振り返ってみれば、そこには眼鏡に黒髪ショートカットの何とも地味な女性が、声と同じ温度の視線を向けていた。七班の白羽 葉である。
「ん? ああ、ヨウちゃん、いたんだ。いやぁ、新人の試料見てたんだけど……これが鬼灯のところの……立木 季節くん。十七歳。この間、班長が取りに行くって意気込んでたけど失敗した奴か。……そんで何より不死身ねぇ。完治した損傷は四肢欠損。上半身下半身分離……死んだほうが楽なんじゃない? アイツの班はこんな奴らばっかだよな……」
首をかしげて何とも素っ頓狂なことをぬかす良月の目の前の扉は勝手に開かれた。自動ドアではなかったはずなのだが、どうやら本部内にはユニバーサルデザインを積極的に取り入れている人間がいるらしい。
「ぶつぶつ言ってないで、とっとと入って、さっさと終わらせて帰りますよ」
「ああ……はぃ」
良月の心境など露知らず、白羽は扉を抑えて入室を首を振って促す。
ため息混じりに良月は、やれやれと部屋に入っていくのだった。
「えー……」
長机と椅子の並んだよくある会議室だが、たった三人の入庁式には少々だだっ広い。そんな部屋の教卓の前で良月はマイクを持ち、新人の方に目をやった。
まっすぐな眼差しの少年に、ニッコニコ笑顔の女性、そんで眠そうな青年。
顔なんかで性格を分析しても、仮面使うと変わるからなぁ。人畜無害な優等生も中指立てて暴れまわるし、清楚な少女もセックスセックスって大声で叫び始める。まぁ、逆もしかりだが……これだから仮面使いは嫌いなんだ。そんで、こいつらも例外じゃない。
にしても、
「大学の講義じゃないんだから、前に座んなさいよ」
入庁式第一声はそんな小言だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ガチャァ……
「終わったあああ!」
カーキのコートを羽織ったオッサンと、地味な眼鏡女性が扉から出ていったのを見て、女はテスト終わりの学生のように背筋を伸ばしてそう叫んだ。
「カナ、静かに。人まだいるんだから」
「なにぃ、キミヨシ? いつから呼び捨てで呼べるようになったのお?」
「や、やめほよ。カナ……」
不動の頬を筋トレ用のゴムバンドの如く両手で引っ張る笑顔の宇野。さながら、思春期の弟をからかう姉であり、見る人が見たなら、血涙を流しながら正気ではいられないだろうという光景である。
――ガタッ!
そんな二人に何かを感じたのか、机に突っ伏していたキセツの体はジャーキングして起き上がる。
「あ、お兄さん。えーっと、立木くんだっけ? 私、宇野 可南。歳は離れてるけど、社会では同期の範疇ってことでよろしくね! こっちは不動 君好。ほら、挨拶は?」
「……よ、よろしく」
「え? ……はあ」
これといって状況を飲み込めていないキセツは空返事で答える。
なんだコイツら……班長が寝ててもいいから、型式上出席するようにって言ってたけど……同期? ああ、そう言えば言ってたな。俺のほかに二人いるって。
「ねえ、なんで特異課に入ったの?」
「え? ……入る理由、はない」
「へー、ちなみにキミヨシはね、家族の仇を取るためなんだって! かっこいいよなあ。中坊のくせに!」
「中坊は余計だろカナ」
「えー?」
キセツは母親の形見である仮面を守るためなし崩しで入ったにすぎず、特異課に入るまっとうな理由、夢、目標。そんなものを持ち合わせない。古典が出来ないから理系を選んだ高校生みたいなある種純粋な動機である。
日頃、他人なんぞに興味などない人間であるが、自分にないものを持っているその二人にはなんだか興味がわいた。
「じゃあ、アンタは?」
「私? 私はねえ……」
宇野はスーツの内側から鳩の被り物を取り出してこう言った。
「こんなに面白い玩具、他にないじゃん? 取り上げられるなんてありえないでしょ。それに、ここには他の仮面使いがいるし、天使とも殺し合える。こんなに飽きない場所他にないよね……」
八重歯丸出しで不敵に笑う宇野。犯罪者の方が似合う気もするが、目的という面では明確さがある。今はそこが重要であり、警察なのになどという、一種の職業差別的発言は控えよう。警官でも万引きはする……それは言い過ぎた。
「ふーん」
キセツは飲み会で興味のない男性社員の愚痴を聞く女性社員のように言葉を発するが、これでなかなか興味を持っている。
「お疲れ、キセツ君」
そう言って扉から現れたのは牛藤である。相変わらずもじゃもじゃ頭に眼鏡をかけている。
「どうしたんですか?」
「言ったでしょ? 終わったら班室案内するって」
「あー、そう言えば」
二人に別れを告げ、キセツと牛藤は会議室を後にする。
歩いていて気が付いたが特異課本部は異様に巨大で迷路のようであった。この組織の大きさに比例しているのか、それともよく色々壊す奴がいるから事前に大きく作ったのか。知っているのは発注した人間だけだ。
と、
「そう言えば、牛藤さんはなんで特異課に?」
エレベーターの無言に耐えかねてか、ふと、キセツはさっきの話題を口にしてみた。
「俺は……チーズバーガーのためかな」
「そうですか」
真顔でそんなことを言うものだから、キセツは何の疑問も持たずに真顔でそういった。
”いや、そこは突っ込んでよ”っという一言が欲しい所だが、無いという事は牛藤は本気なんだろう。仮面使いには変な人間が多いらしい。
「着いたよ」
言葉と同時に、班室は開かれる。
瞬間、タバコと香水とジャンクフードの混ざった匂いが、下水用マンホールの上を通った時のようにふわりと生暖かい風となって顔に直撃する。
「うっ……」
汚い、その部屋はそんな一言にすべて詰まっている。大きさでも五十音でもなくバラバラに並べられた戸棚。ゲーム機やメイク道具などの私物で覆われたデスク。ゴミの散乱した地面。潔癖症にはいい拷問部屋であろうか。
『シゴトのジカンで~す!!』
まるで悪びれることもなく、上長席の班長はそう書いた紙きれを旗のように振っているのだった。
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