第六話 『快活な嫌がらせ』
「くっさ……」
「――オエェっ! やべ、さっき食べたハンバーガー出たかも、これレタスか?」
「気持ち悪……口に出すのやめてください牛藤さん」
羽黒と牛藤とキセツが地面に手をついて吐き気を催している。
しかし、無理もない。今しがたカエルの胃袋から外に出たのだ。両生類というか川の生き物独特のあの何とも言えない生臭さが全身にこびりついている。もれなくゲロの中で泳いでいるようなものだ。
「キ、キキ。情けねえな……で? 何しに来たんだ。七 一三五」
これをしでかした当の本人なだけあって、小春は余裕そうな笑みを浮かべている。そんな様子を見せ、疑問を七に投げかける小春であったが、七の目的はこれ以上にないというほどに見当がつき過ぎていた。それはもう、右足を出して左足を出せば歩くことができるように当然のことだ。
「何しにって、そのガキ、オレによこせ!」
七は蜻蛉を捕まえるときのように指をぴんと伸ばし、キセツの身柄を要求してきた。
「だよな。アンタならそう言い出すと思ったよ」
頭を掻きむしる小春。長い髪が一つの生物のように上下するその様子に非常に面倒なことが今起こっていることを物語っている。こういう時に鼻ですら笑えないおやじギャグやセクハラまがいの発言をする奴は全く持ってモテない。
「オォレェなら! その体。うまく使ってやれるんだよおおお! 分かってくれるだろおケイ! なあなあ、それくれよおおお!!」
途端、それはまるでほしい玩具をせがむ子供のように、可動できるすべての部位をバタバタと動かしながら見苦しい姿をさらす。
成人はとうに迎えているであろう人間から繰り出されたその腕の挙動の嫌悪感は夜中に部屋に現れたゴキブリに匹敵する。
「……あれなに?」
苦笑いもぎこちなくなるほどの光景に、キセツは声を漏らした。
「あれが七班班長、七 一三五。これで班長から連絡が来るまで、キセツ君を本格的にここから出せなくなりました」
胃袋にあったはずのエルサイズのハンバーガーセットがエスサイズほどにまでに減少した牛藤が眼鏡を治しながらゆっくりと立ち上がる。
「もう見つかったんだし、ここから出て逃げた方が」
「ダメです。じゃないとわざわざ本部に来た意味がなくなります」
そう言いながら牛藤は懐から、仮面を取り出した。
白地に黒の模様。というのは間違えで、黒地に白の模様のホルスタインの仮面である。つくりは単純で、某ペンギンのイメージキャラクターに加え、店名の区切りが良く分からないディスカントストアのレベルである。
そして、そんな仮面を片手に牛藤は話を続ける。
「班長や一部の人間は、その凶悪極まりない能力の影響で本部内での仮面の使用を禁止されています。が、それは裏を返せばこの施設から外に出た瞬間、それが使えるという意味です。同格程度ならば露知らず、班長レベルともなるとキセツ君どころか自分の身を守れるかどうか……」
牛藤の酷く真剣な表情に、キセツはゴクリと息をのんだ。
そしてそんなキセツを横目に牛藤は仮面を被って、まだ続けるのだった。
「――つまり、この中なら俺が最強ってことだ! っびゃびゃびゃ!」
仮面を被った途端、牛藤はまるで人が変わったように、頭の上で黒い輪を光らせながら下劣に笑っている。
その様子に貧乏ゆすりの止まらない人間が一人、
「ああ、ああ! もう面倒くさいよオオオ! 黙って渡せばいいのによお! 二人もいんのかよ。なんでこんなにオレの思い通りにならないんだよ!! クソが! ゴミが! 錘儀! 死んでも外に引きずれ出せ」
「……」
七による小学生レベルの語彙の命令に全身包帯まみれのピンクのナース錘儀は、コクリと頭を縦に振ってして応じ、白い輪っかを光らせて臨戦態勢に入る。
そして、
――ギィイン!
「ねえ、あーしもいんだけど」
羽黒のゴルフクラブのヘッドが、真紅のピンヒールの一歩目を踏み出した錘儀の首に直撃する。
おかしな点といえば、衝突音がまるで鉄同士がぶつかった時のような高音であったことと、ゴルフクラブで殴られたのにもかかわらず、ビクともしなかったところだろうか。
「錘儀さん。かってぇ……」
「……コ、コウちゃん、イタイ。ヨ」
あ、この人喋るんだ。
キセツがそんな感想を抱いている頃。途切れ途切れで硬質な声でツッコミでも待っているのかというほどに嘘くさい事を口に出す錘儀。
と、そんな会話もそこそこに、錘儀はその固さにそぐわずぬるりと動きだす。狙いはもちろんキセツである。
「ああ、昨日から襲われてばっかだ!」
キセツは仮面を被り肩から一本赤腕を生やす。使い方は自然とわかった。動物の本能というべきか、それに似た何かが仮面使いには備わっているのかもしれない。
そんなこんなで生えた腕を前に伸ばし、全力で腕を振り走る錘儀の頭をドッジボールのように掴むと、そのまま投げ――、
「クッソ重!」
「……ジ、ジョセイニ、シツレイ」
密度は鉄以上か、そんな凶悪な金属が身長百七十センチほどの女性の形をして全力疾走をしている。キセツの能力では押し返すは疎か、ブレーキにもならない。
ゴギィイイン! ガッガガガガガ――
再び高音が鳴り響く。しかし今度は衝突というよりも、何か金属をひこずるような寒気を感じる音であった。
そしてキセツの前には二メートルはあろうかという牛頭の大男の背中が、音に合わせてじりじりと迫ってきていたのだ。
「イってぇ! 骨イッた! いったってコレェエエエ! あー、でもキセツ君は動くなよ危ないからあ!」
錘儀と取っ組み合いになっている牛藤のスーツはボタンが飛び、生地はビリビリと破けている。巨乳女性の胸元ボタンが飛ぶのならばまだしも、筋骨隆々な男の服がなっても嬉しくはない。真に。
と、ロッカーの中に大量にあったスーツの理由を察したキセツの視界に別のものが映った。
「コウちゃん、肌綺麗~。いいなあ、若くて」
「ケイさんもまだ若いっしょ」
「はあ? 何やってんだ。オマエら」
キセツの見ている先では生き残ったパイプ椅子に腰かけて、まるで売れてないバンドのオープニングアクトを見ているかの様子の小春と羽黒がいた。
「えー? だってできることないし、班長が帰ってくるまで牛藤ちゃんが守ってくれるよ。先輩を信じな~」
「……羽黒もさっきやる風だったろ」
「錘儀さん思ったよりも硬かったわ。だからムリ、あと”さん”をつけろ。あーしはお前より年上だぞ」
班員の一人が骨を折っているというのに、この二人にとって、この状況は放課後の教室に虫が入ってきた程度に取るに足らない出来事なのだろう。そのふてぶてしさに怒りすら湧いてこない。
――こいつらダメだ。
そう思ったのもつかの間、不意にキセツは牛藤の脇からその取っ組み合いを追い越し、扉の方へと駆け出した。
「どいつもこいつもつっかえねえ。けどよお、お前、今仮面使えないんだってえなあ! じゃあ、ここでお前が一番弱えんだよな!! とったぜ頭!」
何も難しいことじゃない。いかに家来が優秀でも王将を取った方が勝つものだ。
キセツはその勝利をつかむため、ペストマスクの顎めがけ、赤い腕を伸ばした。
「バカか」
「バカだ」
ギャラリーは口をそろえてそう言った。
ジュビャアアアァァァ!!
キセツの描いた勝利像それは、タテ一尺二寸、ヨコ一尺一寸の中での話である。優秀過ぎる家来は九カケ九のマスの中を自在に移動し、相手の手番を待たずして王を取るのだ。
キセツの身体は上半身と下半身に分断され、臓物はピニャータの様に飛び散った。
「イッテェェエエエアアア!」
絶賛テケテケ状態のキセツは七の前に投げ出され、音割れスピーカーのような声で叫ぶ。
猟奇的なその現場を作り出した凶器、それは錘儀の腕である。というのも、人らしい五本指の腕ではない。ギザギザと鋭利であり、ゴツゴツと凹凸のある。それでいて光沢の少ない腕の先に二本のカギ爪のついた代物だ。そんな、人の理から大きく離れた腕は錘儀の腕とは別に脇腹から生えている。
先に断っておくと、腕というより脚の方が正しいかもしれない。
「……」
上半身だけでのたうち回るびっくり人間キセツを目の前に、七はじっとその様子を覗いて何かを待っているようだ。
そして――、
「――うっはー! 本当だ不死身だ、不死身! もう治り始めてやがるよコイツ!! ゲッきゃきゃきゃ! オカシナ奴だ! いいなア、いいなア、お前なア!」
「うぎイッ!!」
キセツの筒状に開いた腹の中にわざわざ手を突っ込み、その腸を握ると、そのまま反対の手で車いすをこぎ始め、そのまま廊下へ出ていった。
キセツは生きたまま腸を握られた経験は生まれてこの方これが初めてである。ゆえに、握られた瞬間感じたことのない痛みと感覚に声を漏らした。相手は初めてなのだから、七はもう少し丁寧に扱うべきだ。
と、
「――ん?」
『なーにしてるん?』
いつもの丸みがかった文字の書かれた紙が、どこぞのコウモン様の紋所の如くぬるりと七の顔の前に突き出された。
「班長、遅いっすよ」
「できましたか班長?」
部屋と廊下の間にある扉から、タテ並びに顔だけを出した四人がその光景を眺めている。
先ほどまで、笑えないレベルの喧嘩をしていたとは思えないほどひょうひょうとしているようだ。
そして鬼灯は、皆に応えるように紙をひっくり返した。
『終わったよん』
「う……うわあああ! 早い、早いよ鬼灯イ! 空気読めよオ! 俺のオモチャがああ!」
キセツの腸を無造作に投げ捨て、七はアームレストを殴りつける。
「ああ、なんだよ……これ」
地面に横たわったキセツは天井のシミを数えながらそう呟いた。