第四話 『剥権』
――う……あ? なんだ。なんなんだ? 視界がぼやけて……人の声?
浅く短い睡眠をとったかのように霞んだ視界。水の中でゴボゴボと気泡を漏らしながら話をしようとするように、聞こえたり聞こえなかったりする音。
キセツは煮え切らない気持ち悪い感覚に襲われる。
「――羽黒やり過ぎ」
なんだ、誰だ?
そんな中キセツはわずかばかりに残された感覚を駆使し、自らの置かれている状況を理解しようとした。
「いや、だってコイツ殴って来たんすよ! それに何回切ってもすぐ生え変わるし、ガチきしょい」
「え? マジで? 面白いじゃん。起きたら見せてもらおー」
――俺、何やってたんだっけ……。女に腹殴られて、お面があって……。てか、イテェ。腕というか、肩。あと、膝当たりがクソ熱い……なんだこれ。
「だからって、手足全部落とすのはやり過ぎでしょ……班長からもなんとか言ってくださ」
「ねぇ、班長あーし悪くないよね!? むしろ、褒めるべきだと思うんですけど?」
――そうだ、女を殺そうと。
「こ、ここど……どこ?」
「げ、起きた」
視界は途端に広がり、瞬間状況を理解する。
そこはパトカーの車内。後部座席の中央で両サイドを黒スーツの男女に挟まれて座らされ、さながら連行中の犯罪者である。
そして、キセツの両腕は肩のところから、両足は膝のところから綺麗に切断されており、座席シートを真っ赤に染めるその様子を見るに、パトカーよりもまず救急車を要する状態でいた。
「あー、聞こえる?」
キセツの右から、もじゃもじゃパーマに眼鏡をかけた男が話しかける。
「……」
しかしキセツは状況が理解できても、その情報量の多さに目を丸くしてどもっている。
「お前の耳は餃子かなんかか? いらねえなら、あーしが切り落としてやるよ」
そう言うのは”あの女”である。
助手席でシートベルトもせず、足をダッシュボードの上に置いている。随分と品格が下に傾きすぎだ。
「……お前は!」
「なんだよ。聞こえてんじゃねえか。次無視したら頭飛ばすぞ」
「はぁ……その辺にしてくれ二人とも……僕は牛藤。牛頭馬頭の牛に人事葛藤の藤で牛藤。よろしく。で、いきなりで悪いんだけど、あの仮面はどこで手に入れたの?」
マニアックな四字熟語を用いて、なんとも伝える気のない自己紹介の後、眼鏡をクイっと上げながら牛藤はそういった。
「仮面?」
「そうそう、あのおかめの話、お姉さんたちにしてくれる?」
そう言って牛藤の反対側に座る女がキセツの肩を抱く。
はだけた胸元、うねりのある栗色の長い髪の毛、どこか甘い香りを漂わせるその女は、常人ならば色気がなんとも股間いマズい。
しかし、キセツはそんなことどうでもいいといった感じであった。
「おかめのお面……そういえば、あれはどこ――!?」
キセツはハッと視線を助手席にやる。
すると、女の足元というべきか、足を乗せているダッシュボードの上に面が置かれているのが見えた。
「――!」
キセツは失ったはずの腕を伸ばす。ないものを伸ばすというのもなんとも面白いものであるが、しかしながらキセツの腕は裏返った長袖シャツの袖を治すときのように内側から外側へ、ミリミリと再生し、伸びていく。
「――ゴガッ!」
しかしながら、キセツの腕はヘッドレストにすら届くことなく口にパターを押し込まれながらも解いた場所に戻される。
そして、右頬に拳銃。首元に警棒を突きつけられ身動きは一切取れなくなった。
「あらあら、ダメでしょ? 待てない男はモテないよー」
「いいですか、キセツ君? 今の状況をチンパンジーでもわかるように教えてあげるとね。君の周りには四人の仮面使いが座っている。そして数分前、君はその中のたった一人の仮面使いに再起不能にされたばかりだ。つまり、ここでそういった僕たちの気を悪くするような自分勝手な行動はしないほうが良い。ただ質問に答えればいいんだ。それはもう就活生の面接みたいに手を膝につけて、背筋を正し、慎重にね……まあ、それでも君が暴れるっていうなら話は別だけど……」
自分の枯れている状況を再認識し、仕方なくキセツは口を開いた。
「それは母さんの形見で……それ以外は知らない」
「じゃあ、カボチャじゃないのか……班長どうします? これ本物ですけど」
車内のキセツ以外の人間の死せんが運転席の方へと向けられた。
コツ、コツ……。
運転席でバイクでもないのにもかかわらず、両手に黒い川手袋をはめ、黒子の頭巾をかぶった男がハンドルを指ではじいている。
手袋も頭巾も運転に支障はないのだろうか。
「……」
そして喋らない。
先ほどから、車内は熱々ににぎわっていたが、彼だけは冷静――というか呑気に運転を続けていた。文字通り、うんともすんとも言わずに。
ペラ――カリカリ……。
すると、内ポケットからメモ帳と面を取り出し器用に膝の上で何かを書き始める。
そして、それを後部座席のキセツ方へ千切ったそれを見せた。
『マスクをポイっされちゃうのと、おまわりさんのワンちゃんになるのどっちがいい?』
いい年こいた大人が書いている文章とは思えず、勘違いした女子中学生が安価で可愛らしさを出すために用いる丸みのある文字で書かれたそれは、おおよそニ・三発殴っても許されるほどには腹立たしく感じる。
「えっと……要するに、仮面を破壊するのと警察に協力するのどっちがいい? ってさ」
――ひっでえな班長。大事なこと言わねえじゃん。
そんなことを考えながら牛藤は慣れた口調で顔色一つ変えることなく、班長の見せる怪文書を翻訳する。
どうやら、このふざけた文章はいつもの事らしい。らしいついでに丸い文体も同様である。
「壊すって、それを壊すのかよ」
警棒でぺしぺしとキセツの胸元を叩きながら、キセツの隣の女が口を開いた。
「そうだよお。仮面はね、一般人が持ってちゃいけないんだぁ。それも仮面使いともなると、なおさらねぇ。君がもしその気になっちゃうと危ないでしょ? 好きな女の子の彼氏殺したり、遅刻にうるさい生徒指導を殺したりね。だから、周りの方々にご安心していただくためには、壊すしかないのよ」
――まぁ、壊すだけならみんなそうするけどね。
しかし、キセツにとってその答えは容易に選択できるものであった。
消去法という意味では、もはや初めから一択であったと言っていい。
物として母親を思い出せる唯一のソレをマザコンの彼が捨てることができるのだろうか。
「じゃあ……協力する」
いや出来ない。
ビシッ!
キセツの回答に、班長はメモを裏返す。
『ようこそ特異課、鬼灯班へ』
「……黙って壊されてりゃいいのに」
助手席でふてぶてしい態度の女が吐き捨てるようにそう言った。