第三話 『思いの一致』
家の中で一人、紙袋を被っている高校生のシュールな絵面はさておき、キセツはわずかばかりに開いた目元の穴から、地面に落ちたカラスを覗く。
「なんでこんなところにカラスが? それに、なんだこれ――」
鳥は噛むことなく、丸ごと飲み込む食べ方をするというが、いかんせん口から出ている獲物の一部はおおよそ通常のカラスが飲み込めるほど小さくはないように思える。
キセツは、これでもかと開いたくちばしから伸びる人の腕に触れて確かめた。
「……女の腕か?」
細く褐色で、それでいて綺麗なネイルの施された女性の腕にはまだぬくもりがあり、脈を打っているのが分かる。
「まだ生きて――」
ガバアァ!
興味本位で触っていた腕に突然、キセツはまるで痴漢の捕まえる女子高生のように手首を握らた。
「な、なんだこれ!? クッソ――離せ!」
キセツが振りほどくと、重たく鈍い音と共に畳でバウンドした。
そして、その腕は自動販売機の下に落ちた小銭を探るように畳の上をいくらか動き回ると、
ギィ……ゴガッゴリン! メキリ、メキメキ――グベキィ……。
なんとも耳障りの悪い異音を奏でながら、腕の持ち主がカラスの中から現れる。
全身黒のスーツ姿で長い金髪の上に黒い帽子、鋭い目つきでキセツを睨むその女は黒い紙マスクを顎にかけ、なぜだかゴルフクラブを携帯している。
――なんだこいつ。というか、なんでアイアン持ってんだ?
「……通報だと紙袋にタキシード……じゃ無くね? なんで制服着てんの?」
女は首を傾けながら、きまり悪そうに頭を掻く。
「あぁ、移ったか……めんどくせ――」
女は、顎にかけていた黒い紙マスクを口元までもっていく。
すると、女の頭上には真っ黒の輪が現れた。いつか見たウスイの真っ白の輪とは対照的な色である。
しかしながら、この後”何か”が起こることは容易に想像できる。
「はぁ……――ブヒュンッ! ゴン!」
「あっぶね! お前、いきなり何すんだ――!」
女はゴルフクラブで何の躊躇もなくキセツの頭を吹き飛ばそうと横なぎにする。
狭い部屋であることも相まって、ゴルフクラブの先端が壁にめり込んだ。
「チッ……クソが避けてんじゃねえよ」
「いや、避けるだろ」
「あーしに意見すんな。天使ごときが、よ!――ドガッ!」
女はめり込んだゴルフクラブを放って、キセツの腹めがけ強烈な回し蹴りを繰り出す。
「ゴハッ!」
まるでサッカーボールのように蹴り飛ばされたキセツは背中を固い壁に強打した。
蹴とばした本人といえば、どこか不思議そうな顔をしている。
「お前、なめてんの? 力も使わずに何がしたいんだよ……まぁ、抵抗しないなら楽でいいけど」
キセツの力なく垂れている両腕の上に、女は抑えるように靴のまま乗る。
そして、キセツが被っていた紙袋をはぎ取ると、
ビリビリィ、ビリ――
「――はーい。一発ケーオー南無阿弥陀仏」
紙袋は幾度にも破られ、その実用性は野菜やパンを入れることの出来ないゴミと同等になり下がった。
「ふぅ、しまいしまい。早く班長達迎えに来ないかなぁ」
壁にめり込んだゴルフクラブを引き抜いて、下品にも机の上で胡坐をかきながら、女はそんなことを呟く。
キセツは頭を強く打ったせいで身体が思うように動かずにいた。
――あぁ、痛てえ。腹の骨何本か折れたんじゃないか? ついでに内蔵とかに刺さってそうだし、声も出にくい、肺がつぶれたか。ウスイさんにやられた時は、綺麗に全部なくなってたから単純に回復していったけど、こうめちゃくちゃにされたんじゃ、まだ時間がかかりそうだ。
意識の途切れそうな激痛の中、キセツはあるものを目にする。
「か、母さん……」
近くの地面に落ちているおかめの面。
どうやら、先ほどキセツが壁に叩きつけられた際にその反動で落ちたらしい。
キセツは面を取ろうと、手を伸ばした。
「……ん、は? ちょ、なんで動いてんだよ。仮面はもうねえじゃねえか」
女は動揺した様子で体を前のめりにする。
「もしかして……人間? ――や、ヤバい……ヤバいヤバいヤバいヤバいって!」
女はいきなり立ち上がり、頭を掻きむしりながら、ジタバタと歩き回る明らかな動揺を見せる。さながら、仮眠と称して熟睡したテスト前夜のノーベン学生のようである。
――なんだってんだよこの女。人の家を土足で、うちは畳だぞ。スリッパすら許されないってのに……。それになにより――奪いやがった。母さんに会えるチャンスを……コイツ……殺す。
キセツは両腕でお面を握りしめ何を思ったか、おもむろにそれを被った。
――あぁ、クソ……母さん、母さんに……
「――会いたい……」
キセツはわずかに呟いた。
「あぁ、クッソ……でも待てよ……殺すか? 天使が殺したことにすれば、いんじゃね? え、あーし天才!? ヤバ! じゃあ班長達が来る前に……って」
女がキセツの方を振り返ると瞬間、時間は圧縮されソレが女の鼻元にぶつかるまでのわずかな時間に思考は強烈に加速した。
なんだこ――
――ドゴオォンッ!
轟音と巻き上がる砂ぼこりと共に女の姿は壁の向こう側へと消え去る。
「ぶ……ブギ、ブギィギャギャギャ。アッハーいい気分、いい気分だぜこりゃあよお」
キセツはおかめの仮面を被っているだけで、まるで別人にでもなったかのように強い口調で笑っている。
しかし、キセツの変わりようはそれだけではなかった。彼の右肩からは制服を破るように彼物とは別で真っ赤で巨腕が伸びている。今しがた女のことを突き飛ばした拳はどうやらこれらしい。
そして何より、キセツの頭の上には黒色の輪が光る。
キセツは壁に開いた大きな穴へ入っていく。
明かりもなく暗い部屋。隣はだれも住んでいないらしく、その奥には上半身を瓦礫にまみれた女の姿があった。
「あー、死んだかあ? 弱えぇ。雑魚がよお、調子乗ってんじゃねえぞ女ァ! ガァッハッハハハ!!」
キセツは地面に横たわった女を見て、手を叩いて下品に笑っている。
「――てえなぁ。はぁ、仮面しててよかった」
女は瓦礫の中から体を起こす。頭から流れる血が先ほどの衝撃の大きさを物語っている。
「……でも、仮面使いとか聞いてねえよ。めんどくせえ」
「なんだぁ、まだ生きてんのかよ女」
「勝手に殺すなゴミが」
女は瓦礫の中からゴルフクラブを取り出し、それを支えに立ち上がる。
「さっき、オォレの事殺すとかほざいてやがったよなあ? ボコされてやんの! キカカカッ!」
キセツの言葉を聞きながら肩でポンポンとゴルフクラブを鳴らし、女は酷く不機嫌そうだ。
「チッ……あー殺す。ぜってえ殺す。ミンチにしてやるよ」
「やれんならやってみろや。クソ女ァ!!」
小さなアパートで二人の化物が対峙した。思いは一致している。
――互いの殺害である。