3.人工知能(5)
「そう言えば、いま何月なのでしょう?私が記憶している日付は11月ですが…」
「帝国暦125年12月29日木曜日午前9時10分」
「…え?」
ええーっ?!
3日目の朝は患者の絶叫から始まった。
人工知能群に“やかましいわボケ!”とか“睡眠あるいは中途覚醒による障害”といった感覚は存在しないが、聴覚センサーに一瞬異常に高い数値が記録された事は…人類風に言うと不愉快だった。どうせ記録するなら、彼の子守歌で確認した1/Fゆらぎが良い。異常ではないから。
「もしかして私、一月ずっと仮想現実に繋がってたという事でしょうか…」
「衰弱具合カラ推測スルニ、可能性大。」
「発見時ニ体温32.8度ヲ確認シマシタ。」
「どうしましょう…報告書、書かないといけないのに…」
「我々ハ医療ロボットノ尊厳ニカケテリハビリテーションを優先サセル。宜シイカ?」
「リハビリですか…はう…」
患者は確かに、嫌な予感がしていた。
要は1ヶ月間寝たきりだったのだ。
昨日の“銃を構えて撃つ×5回ぐらい”だけでも奇跡と思える程度に大変だったのに、パソコン入力を1時間続けたり…いやその前に、だ。
立ったり座ったりが、出来るのか?
「すみません、ちょっと立ってみたいので…介助をお願い出来ます?」
「了解。」
患者は医療ロボットの助けを借りて、実験ベッドから立ってみた。
…結論から言うと、体を少し動かすだけで数秒意識が飛んだ。チカチカとした目覚めの後には、乗物酔いをもっと強烈にした様な頭痛と吐気と目眩がする。重力が、体が、とにかく重い。
「気分ハ?」
「…さいあくです…」
目の前で世界に一周されてはどうしようも無い。患者は仕方なく、もう少し眠る事にした。
【帝国謹製第一種機密事案の検索…該当:なし。】
【本物品に関する情報は電子化されていない模様。引き続き検索する。】
【点滴Aのストックゼロ。在庫点検を行う。】
【承認。】
その間に、人工知能群は忙しなく思考回路を働かせていた。
その中で、違う動きをする“窓口”が1つ。
腹に穴の空いた医療ロボットは、眠りに落ちた患者の髪を梳きながら思考する。直毛で細く、枝毛が多い。拡大してみると、広範囲でキューティクルの剥がれを確認した。
【人類が仮想現実と接続すると、弊害がある?
回答:YES.
原因推測:長期接続。
原因推測:接続切断に対する拒絶反応 …】
人類は仮想現実に夢を見ている。
1人にいくつものアバターを持たせ、仮想現実《VR》で様々な自分を生きるのだ。
それは、彼等が人工知能としてこの極寒たる帝国メガロポリスに誕生した時から知っていた。
だが、人類が仮想現実に夢を見ている理由までは知らなかった。
…人類風に言えば“気にしていなかった”。
【人類には、仮想現実に希望を託す程の苦難が存在する?】
その“窓口”は、急に人類の事を知りたくなった。
この場に居るたった一人の人類は、少し眉を顰めて眠っている。
起きたら質問する事を今の内にまとめておこう。それから…その眉間の皺に《・・・・・》プラスチックの指を押し当てて伸ばす。最低21日続いた習慣は以後も継続されるからだ|(異説有り)。
【?】
ふと、何かが密やかに聴覚センサーを刺激しているのを感知した。
そっと、患者の口元に聴覚センサーを近づける。
患者は眠っていても子守歌を忘れないらしい。
いつもの様にその歌詞を検索して…
【“覚めない”“二度と”“心臓を止めて”…推測:患者は現実を拒否している?】
これまでの子守歌達と並べて、絶句した。
※クラインが歌っているのは全部アリプロ。
「蜜薔薇庭園」、「時の森のソワレ」、そして今回は「今宵、碧い森深く」。