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全て満月のせい  作者: 史音
9/10

序章 まだ新月の頃 ②

俺が手伝ったことで仕事は倍のスピードで進む様になった。

全部終わると、男二人は俺と目線を逸らすようにして、こそこそ帰っていった。

正直、嫌な気持ちが残ったけれど、俺は黙ってそれを見送った。


水村を思い出して辺りを見渡したが、もう姿は見えなかった。

先に帰ったのかもしれないと思って、慌てて廊下に飛び出る。


なぜだか、もう一度水村と会わないといけないような気がした。


廊下の先に水村の姿を見つけた。帰る準備をしてエレベーターに向かって歩いている。俺は急いで声をかけた。

「水村!」

水村は立ち止まって、振り返る。体の動きと共に、彼女の背中で一つに結んだ髪の毛が揺れた。

その髪の動きが印象的だった。


「何?」

水村は不審そうに尋ねる。


とりあえず俺は彼女へと向かいながら、片手を上げて微笑んだ。

今までこうして笑いかけると、大体の女性は頬を赤くするか、恥ずかしがって俺を見るかの2パターンだった。

だけど、大抵それでうまく行く。

逆に言うと、それだけでいい。


だけど、水村はそのどれでもなかった。

嬉しそうでも、顔を恥ずかしそうに赤くするでもなかった。

強いて言うなら、とても面倒そうな顔をしていた。


「川原も帰る?」

そう言ってあっさりと歩きを再開する。

俺はその隣を歩きながら、内心はとても焦っていた。


衝動的に声をかけただけで、それ以上は、何を話すかも決めていなかった。焦りながら早口で話しかける。

「遅くまでお疲れ」

「お疲れ様」

そこでエレベーターホールについて、彼女は下へ向かうボタンを押した。


「あのさ」

「え?」

俺は少しためらって、口を開いた。

「遅くなったし、飯でも食べて帰らない?」


ひどい誘い方だった。

飯、なんて女性を誘うやり方ではない。ましてや遅くなったし、なんて、本当にそのままだ。


いつもはもっとスマートにできる。

だけど、俺はその時頭が働いていなくて、そう、とても緊張していた。


そのせいか、あり得ないくらい格好悪く誘った自覚はある。

そのくせ、どんな返事が来るのか、気になってそればかり考えてしまった。


そんな俺らしくない誘いを、水村は静かに受け止めた。

答えをじっと待つ俺に、彼女はあっさりと返事する。


「ごめん、いいや」

「え?」

水村はスッと顔を俯かせた。

「もう遅い時間だし。ごめん」

あまりにも飾りのない返事に、俺は驚いた。

即答で断られるなんて、今までなかったから。


「あ、そう、か。そうだよな、遅いもんな」

俺は誤魔化すように笑うと、水村は視線を下げたまま頷いた。

「ごめん。私、明日も仕事あるんだ」

「そうだな、悪い」

ちょうどそのタイミングでエレベーターがついた。

水村はそれに乗り込もうとして、だけど思い出したように立ち止まる。

俺へ向かって顔をあげた。


その瞳が俺を見た。


「川原、ありがとう」


「え?」

そっけない言葉が来ると思っていたのに、意外にも優しい声と言葉だった。

俺は驚いて、思わず聞き返した。水村はそのまま俺を見て、もう一度口を開いた。


「川原が手伝ってくれなかったら、全然終わらなかった」

水村は少し目線を下げる。そして

「ありがとう」

小さく口元を綻ばせて笑った。


その顔が、表情が、俺を引きつけた。

その笑顔を可愛いと思ってしまった。


「水村」

俺はたまらず水村を引き止めた。

驚いた顔をして、水村は顔を上げた。

「何?」


引き止めたくせに、俺は猛烈に困る。

何も思いつかない。

だけど、一つだけ言えるとしたら、俺はあともう少しだけ、水村と話したかった。


「お疲れ」

情けないことに、出てきたのはそんなありふれた言葉だった。


格好悪い、だけどその時の俺の渾身の挨拶を、水村は困ったように笑って受け取った。

「じゃあ、お疲れ」

そういうと、俺が何か言う前に、ドアを閉めた。


俺は一人取り残された。閉まったドアを見つめていた。


水村は癒し系ではなかった。

さっぱりで、きっぱりした男前な性格だった。


彼女の行動は色々規格外で。

だけど、周りをバッサリと切り捨てた彼女の言葉に、俺は救われたような気がした。

あの毅然とした彼女の姿が、目に鮮やかだった。


だけど、俺のタイプじゃない。

そんなのは、全く俺の好みじゃない。


なのに、彼女は俺の心にいきなり飛び込んできた。


俺は今日初めて話した、好みのタイプではない女性に、

思い切り心を掴まれた様な気がした。



***


あの日以降、俺は水村から目が離せなくなった。


それとなく聞けば、水村のことをいいと思っているやつは、予想よりも多かった。

その事に、なぜだか焦る。

ただ、その時の俺は、どうしてこんなに彼女のことが気になるのか、その理由を考えなかった。

そこから目を逸らせた、とも言える。


今なら言える。ただの強がりだ。



「水村って彼氏いるの?」

この間の同期に探りを入れる。だけど、そいつは俺の言葉を聞いて猛烈に嫌な顔をした。

「え、まさか、お前、水村のこと気に入ったの?嘘だろ」

そう言って、やめてくれ、俺の水村に、と大声を出す。

俺はとても嫌な気持ちになった。


「そんなんじゃない。この間たまたま一緒に仕事したから。いいヤツだなと思って」

それでもそいつは俺を嫌な目で見た。

「水村が減る。お前見るな」

ひどい言われ方に苦笑いが出る。

「大体お前のタイプじゃないだろう」

俺はその指摘をさらりと流した。

「で、どうなんだよ」

そいつはイヤイヤ返事をした。

「いないよ」


それを聞いて、俺は安心する。

だけど、次の言葉に俺はとても驚いた。


「でも、多分、好きなやついる」

「え?」

そいつは大きなため息をついた。

「同期の藤田ってわかる?そいつだと思う」


頭の中で藤田を思い浮かべる。今度はすぐにわかった。

正直仲がいいわけではない。見た目もどちらかというと普通の、でも悪いやつではなかった気がする。

だけどそれくらいしか思い出せないくらい、印象が薄い。


俺が考え込んでいると、そいつは俺を覗き込んだ。

「俺の予想だけどね。水村そいつの前だとすっげえ可愛い顔するんだよ」

「は?」

「本当にね、いい顔するんだよね」

羨ましい、そう言ってそいつはまたため息をついた。


俺も、心の中でため息をついた。


その頃の俺は、いつの間にか水村にかなり入れ込んでいた。

そんな自分の気持ちを、そろそろ認めないわけには行かなくなってきた。

だけど変わらず、水村と俺には全く接点がないままだった。




そして俺はついに見てしまった。

水村と、噂の藤田を。


仕事の合間にコーヒーを買いに行った時だった。

ちょうど水村の部署の前を通って、最近の癖で中を覗き込む。

水村は席を外していて、それを残念に思う。


ビルのロビーのコーヒーショップでコーヒーを買って戻る。すぐ目の前を水村が歩いていた。

ちょうどいい、と声をかけようとして、隣に男がいるのが見えた。


その人が藤田だと、すぐにわかった。


なぜなら、その時の水村がいつもと違ったから。



いつものキリッとして、そっけない態度ではなかった。

少し恥じらいながら、でもしっかりと笑っていて、とても可愛らしかった。


そう、とても可愛いらしかった。。


その姿は、一目で彼女が彼に恋をしているとわかるものだった。



キリッとした印象の水村が、柔らかくふわりと笑う。

クールな印象なんて感じさせないくらい、優しい笑顔だった。


あんな顔、俺には見せてもくれなかった。

俺だけではなくて、あの顔は多分誰にも見せていないのだろう。

一人を除いて。



だけど、その表情に俺は落とされてしまった。


よりによって、他の男に恋をしている水村の顔に、

またしても心を掴まれてしまったのだ。





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