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全て満月のせい  作者: 史音
7/10

後日談 ここで、キスして。②

私は言葉を失った。


「……ねえ、キスして」


川原はそう言って、ゆったりと笑った。

綺麗すぎて、ちょっと怖いくらいの笑顔だった。


「キスなんて、たくさんしているでしょ」

その笑顔に見惚れてしまった。

だから、私はそんな言い訳をしてしまった。


川原はそれを聞いて小さく首を横に振った。

「わかってる?それ、全部俺からしてるから」

そう言って視線を俯かせる。

「好きだって言ったのも、キスしたのも全部、俺」

ちらりと視線だけ向ける。

「水村は好きだとも言ってくれないし、キスもしてくれない」

ため息をつく。

「手も繋いでくれないし、会社でもそっけないし」

悲しそうに肩を落とした。


手は繋いでいないかもしれない。

だけど、それよりもっとすごいことをしている。

むしろ、そこから始まったのだ。


私だって、本当はもっと順番通りの恋愛が良かった。

外で待ち合わせしてドキドキしたり、手を繋いで歩いたり。

笑われそうだけど、そういう事をしてみたいという気持ちはそれなりにちゃんとある。


だけどいろんなことをすっ飛ばして、いきなり物事を強引に一気に進めたのは誰なんだと言ってやりたい。

それに会社でそっけないのは、どちらかというと、気を緩めると川原がベタベタしてきて周りの目が痛いからだ。


確かに、私は彼に好きだと言ってはいないかもしれない。

多分、言っていない。

いや、絶対言っていない、気がする、けれど……。


「だけど、それは関係ない」

「関係あるよ」

「だけど……」

川原はまた、寂しそうに視線を伏せる。

「いつも思うんだ。好きなのは自分だけで、水村は俺に対して何の感情も抱いていないのかもしれないって」

「……」

「少しは言葉や態度に出してもらいたいって考えるのは、普通じゃない?」


言いたいことはわかる。

とても理解できる。


だけど、どこか引っかかってしまうのは、私がおかしいのだろうか。


見上げると、川原は目を伏せて、物憂げな顔をしたままだった。

とりあえずこの場をなんとかしようと、私が何かを言おうとするより前に、川原は私の目を見た。

「だから、俺を安心させて?」

「え、でも……」

「そうしてくれたら、俺の気持ちも少し落ち着きそうな気がする」

ね?そう言って私を覗き込んでくる。


「俺、今こんなだから、俺からは何もできないし」

そう言って両手を上げると胸のところでヒラヒラと振った。

私に壁ドンされているのを、うまいこと利用している。

「それは」

思わず口ごもる。

だけど、川原は両手を下ろすと、そっと私の腰に添えてきた。

「ダメ?」

そう、遠慮がちに微笑んだ。


そんな顔されたら、何も言えなくなってしまう。

動けないって言ったの、ついさっきなのに。

そう言いたいけれど、言えない。


私はじっと川原を見上げた。

川原は私と視線を合わせて、それから悲しそうな顔になる。


少し、もしかしたらそれなりの時間だったかもしれない。

迷った後に心を決めて、顔を上げた。



彼の顔の横に突いていた手をゆっくり離して、彼の着ているジャケットを掴むと、グッと自分の方へ引き寄せた。

不意を突かれて驚いた顔の川原が、前屈みになる。

私は彼に向かって、つま先で立って背を伸ばす。


そして、自分の唇と彼の唇を合わせた。


それはとても短い時間だった。

辛うじて触れたとわかるくらいの、短い時間。

だけど、それは私が初めて彼にしたキスだった。



唇を離して、彼の上着から手を離すと、私は大きく息を吐いた。

なんだか大きな仕事をやり遂げたような気分だった。


火が出そうなくらい恥ずかしいのを堪えて、そっと顔を上げると、川原と視線があった。

「これで、いい?」

私は、少し掠れた声を出した。

これが精一杯だ。

これだけで、こんなにも顔が熱い。


頑張ったのに、川原は困ったような顔をした。

「もう、終わり?」

「え?」

「あっという間すぎて、わからなかった」

おかしいな、そう、首を傾げる。


その言い方とか、顔とかを見ていれば、それがわざとだってすぐにわかる。

自分がからかわれているのも、わかる。

わかるのだけれど…私はもう一度川原をみる。

彼はとても期待している顔で私を見返してきた。


嫌だと言って断ればいいのに、どうしてだろう?


私は腕を伸ばして、もう一度彼のジャケットを掴むと、今度はさっきよりも強い力で引き寄せた。

力が強い分、川原と私の距離はさっきよりも近くなる。

思わぬその力の強さに驚いている顔を両手で挟む。


そしてさっきよりももっと長い、キスをした。


私が今できる一番濃厚なもの。

とてもとても恥ずかしいけれど、私は彼に、今できる1番のキスをした。


息を吸うために少し顔を離した時に、川原と視線があった。

それが合図になったみたいに、私の腰に添えられた手が私の背に回って、強く抱き寄せられた。

後頭部に彼の手が添えられて、ぐいと顔を引き寄せられる。

その分、キスが深くなる。

だけど、私たちはそのキスにのめり込んだ。


しばらくして私達は唇を放す。お互いの視線が絡み合う。

間近で見る川原は少し顔が赤いけれど、真剣な目で私の目を見つめる。

少し呼吸が荒い。

その姿から猛烈な色気が漂って、思わず顔を放して目線だけを川原に向ける。

「これで……いい?」


返事の代わりに、川原は笑った。

すぐに体が動いて、その腕がさっと私の膝裏を掬った。

「え?」

あっという間に私を横抱きにすると、川原は早足で歩いて寝室に入って、ベッドの上に私をおろした。


「ちょっと、川原」

ベッドに横になった私の体の上に覆い被さるように膝立ちになった川原が、今度は私の顔の両脇に自分の腕を突く。



ついさっきまで壁ドンしていたのは私なのに、あっという間に私がドンされる方になってしまった。

おかしい。



川原の奥に、天井が見えた。


初めて来た時には、この家の天井なんて見る予定はなかった。

だけど、それはいつの間にか見慣れた天井になってしまった。


天井だけじゃない。

今は自分の家よりも、この人の家で過ごす時間の方が長いかもしれない。

それだけじゃない。

自分の家に一人でいると、なんだか落ち着かない。

少し前まで一番落ち着ける場所だったのに、今は変わってしまった。


この人と一緒にいるようになって、いろんなことが変わってしまった。


なんだか負けたみたいで悔しくて、私は川原を睨む。

「何もできないって言ってたのに」

意地悪く言ったら、

「水村にされるのもいいけど、やっぱり自分からしたい気分になった」

逆に自慢げに返してきた。


どういうことよ。

そう言いたいけど、言えない。


川原は上着を脱ぎ捨てるとネクタイの結び目に指を引っ掛けて、それを解いて放り投げた。その少し荒々しい手つきに、思わず胸が鳴った。


こんな風に、私は川原の何気ない仕草に、時々目を奪われてしまう。

今みたいな仕草とか、家の中で一人で本を読んでいるときの真剣な横顔とか、寝ている時の無防備な顔とか、私を抱き寄せる時のとても甘い顔とか。

そんな、今までは見ることもなかったたくさんの川原に、胸が高鳴る。


そういう時はいつも、胸がドキドキして、どうしていいのかわからなくなる。

思わず自分から彼に抱きついてしまいたいような気持ちでいっぱいになって、

その衝動と必死に戦う。


私にはわかっている。

それがどういう事なのか。



それは私が彼を好きってことだ。



だけど、そんなの本人には言うつもりはなかった。

絶対に秘密にするつもりだった。


ほんの少し前まで。



「ねえ」

そんな声がして、私の目にかかった髪が、そっと払われる。

「俺からも、していい?」

私の胸の中を全く知らない川原は私をじっと見つめる。

目が合うと、その顔が嬉しそうに笑う。

「いいよね?」

私の返事を待たずに、その綺麗な顔をゆっくりと近づける。


「ま、待って」

キスされる直前に、私は自分の顔の前に手のひらを広げることで、私は彼を止める。


「何?」

手のひらの向こうの顔は、すぐに不機嫌な顔に変わる。

それが分かったから、私は慌てて口を開いた。

「あの、」

「何?」


私は川原の目を見た。

黒い瞳は私をじっと見ていた。

その瞳をじっと見返して、息を吸って呼吸を整えてから、思い切って口を開く。


「好き」


とても恥ずかしいけれど、勇気を振り絞って、その短い単語を口にした。


川原はとてもとても驚いた顔をしている。

私はもう一度、口を開いた。


「大好き、玲司」


川原は目を丸くした。



好きだといったのも、下の名前を呼んだのも、初めてだ。

私と同じように、きっとこの人もその事をわかっている。



だからこんなに驚いている。



川原はしばらく固まっていたけれど、我にかえると私の顔の横に、自分の顔を伏せた。

彼の両腕に力が入って、強く抱きしめられる。

「え?」

少しして、川原は顔を上げた。そしてとても嬉しそうに、だけど恥ずかしそうに笑った。

ちょっと子供みたいな顔だった。


こんな顔は初めて見た。

初めて見た表情なのも、それを私が見ていることにも、驚く。

同時に嬉しいような恥ずかしい様な気持ちになる。


二人だけの時を過ごしていると、実感する。


川原は私の額に自分の額を当てると、大きく息を吐いた。

「水村には敵わない」

そうして腕を伸ばして私を抱きしめた。

「え?どういうこと?」

うーん、と川原の困ったような声がした。


「色々あるけど。俺は絶対に水村に勝てない」

「どうして」

「俺の方が好きだから」


切なそうに見つめる瞳に、また胸が鳴った。

川原は私と目があうと、笑った。


いつもの気取った笑顔ではなくて、少し幼くも見える満面の笑みを、なんだか可愛いらしいと思ってしまった。


そしてとても愛おしい、と思った。

全部、抱きしめたい、と思った。


「俺も好きだよ。(めぐみ)

近づいてくる綺麗な顔を、抱きしめる腕を、

待ちきれなくて、私は腕を伸ばして迎えに行った。



すごいのはこの人で。

私はこの人に敵わない。


私だって、負けないくらい好きなのだ。


少し重い時もある、時折暴走してしまうこともある。

けれど、それでも許してしまうのは、好きだから、に他ならない。

いつの間にか、私はこの人がとても、好きになってしまった。


悔しいけど。


それも全部、全部

きっと全てこの人の思い通りなのだ。



私たちはその夜、たくさんお互いの名前を呼んだ。

同じくらい『好き』と囁いた。


そうしてたくさん、抱きしめあった。



今夜の私の言葉で、彼の不安が解消されたかというと、

残念ながら、そうでもなかった。


だけど、それはまた、別の話。




後日談 ここで、キスして。



次回からは男性視点の話を投稿予定です。


誤字脱字報告いただきました。ありがとうございました。

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