失恋の痛みのせい
「藤田には助けられたことがあって」
ぽつりと話し出したら、川原は驚いた顔をした。私が本当に話すなんて思っていなかったのかもしれない。
「新入社員研修の時、うちのグループ、教官に睨まれてて、大変だったの」
入社してすぐに、新入社員を対象にした2泊3日の研修旅行があった。顔見せと、親睦を深めるための旅行だ。
数名ごとのグループに分かれて、そのグループごとに指導教官がついて簡単な作業をする。
だけど、その研修はひどいものだった。うちのグループを担当する教官が、とにかくキツかった。
意見を求められて発言すれば注意され、黙っていれば何も考えていないと怒られる。時間通りに行っても5分前行動が常識と言われ、5分前に行っても理由をつけて怒られた。
愛のある指導、とは少し違ったと思う。
その指導にみんなが落ち込んで、どうしていいかわからなくなってしまった。
だけどそんな中みんなを引っ張ってくれたのが、同じグループにいた藤田だった。
冷えた雰囲気を和ませたり、みんなの気持ちを前向きにしようと頑張ってくれた。決してスマートではないけれど、みんながそれで頑張ることができた。
「藤田がいなかったら、多分頑張れなかった」
それがきっかけで私は彼に恋をした。
私は違う部署になっても、藤田とだけはよく話した。
そのうちに、いつの間にか藤田にくっついて来た川原が私に話しかけてくるようになった。
川原と藤田が並んでいたら、みんなが川原を見る。
見た目がいいのも、話がうまいのも川原だ。
だけど私は、私だけは藤田を見ていた。
私は見た目の極上の男より、不器用な藤田が好きだった。
へえ、と川原の声がした。
「それからずっと藤田のこと好きなんだ」
「そう、だね。ずっと好きだった」
私は目の前のビールを飲んだ。この話を人にしたのは初めてだったから、恥ずかしい。
川原は私から目線を逸らした。私は笑って少し離れた隣にいる川原の腕を突いた。
「呆れたでしょう?」
「え?」
川原は驚いた顔をして私を見た。私は苦笑いした。
「何も言わずにじっと遠くから見てるだけで、終わっちゃうなんて」
私はため息をついた。
ずっと彼を思っていたけれど、何もしていなかった。
それでうまくいくほど、恋愛は簡単ではない。
目の前のモテる男なら、恋愛になんてとても簡単なんだろうけど。
「告白しようと思わなかったの?」
その質問に、私は少しだけ考えた。
「仲が良かったから、それを壊すような気もして……」
よくある話だ。私は藤田と仲が良かったからこそ、言えなかった。
普段はなんでもいえる関係でも、だからこそ、言えないこともある。
からかわれるかと思ったのに、川原は意外にも大きく頷いた。
「俺にも、わかるよ、そういうの」
「ええ?川原が?」
こいつは歩くだけで女性を引き寄せるような人間なのに、何を言っているんだろう。
だけど、川原は肩をすくめた。
「さっきも言ったけど。俺はずっと片想いしている人間だからね」
目の前のビールを飲んで私を見る。
「片想いの辛さを語ったら、水村は俺には叶わないよ」
「それ、本当?話をあわせてるだけじゃなくて?」
どうせ適当な話だろうと、私は苦笑いした。
「恋愛対象として見てくれない人もいるんだよ」
私はそれに本当に驚いた。
「そんなこと、あるんだ」
それを聞いて、川原は大きなため息をついて憐れむような目で私を見た。
「俺は自信を失うよ」
川原は立ち上がって冷蔵庫からビールを取ってくると、さっきよりも少しだけ近い距離に座った。持っていた缶をあけて自分のグラスにビールを注ぐ。
「ひとまず、藤田のことは残念だけど。またいい出会いがあるよ」
「そうかなあ」
私はため息をついた。
私なんて大して美人でもないし、性格もこんなだし、モテる要素がない。
「水村は性格もさっぱりしてて、付き合いやすいし。すぐいいヤツが現れるって」
そう言って川原はニヤリと笑った。
「もうすぐにね」
その胡散臭い笑顔に、私は息を吐いた。
川原はそんな私を笑って、それからビールを飲んだ。
その手は指が細くて長くて、そんな女性みたいに綺麗な手でグラスを持って、ビールを飲む。その顎から首にかけてのラインも綺麗で、喉仏がゆっくり上下する様は、なんというか男らしさを感じて、思わずドキリとさせるものがある。
ただお酒を飲んでいるだけなのに、なんだか、本当に絵になるな。
じっと見ていたら、川原が居心地悪そうに私を見た。
「何?」
「あ、ごめん、つい」
私は苦笑いした。見惚れていた、なんて絶対に言わない。
言ったら、負けた気がする。
勝ち負けなんて関係ないことだけど、なんだか負けた気がしてしまう。
だから私は誤魔化すように、川原に向かって手を伸ばした。
気がついたら、とても近くに彼はいて、ほんの少し腕を伸ばすだけで私は彼のシャツの袖を掴むことができた。
「今日、川原のこと見直した」
「は?」
私は笑った。
「川原、話してみたらいいやつだった」
「何、いまさら」
私を見て、照れたように笑って顔を逸らせた。
「確かに、話してスッキリしたかも。飲みなおして良かった」
あのまま一人で家に帰ったら、きっと家でぐずぐずと考えてしまったかもしれない。だけど、川原と飲んで話していたら、気持ちは少し前向きになった気もする。
来る気は全くなかったけれど、後悔していない。
「誘ってくれてありがとう」
私は川原を見た。
「いいヤツだね、川原は」
そう言って笑うと、視線のあった川原は少し赤い顔をした。だけどそれを隠すように、顔を逸らすと、もう一度ビールを煽ってグラスを空けた。
「はい。この話は終わり」
私はそう言って、テーブルの上の新しいビールを手に取る。
だけど、ビールに手が届く前に、私の手は隣から来た手に掴まれた。
驚いて顔を上げると、目の前に川原がいて、私の手は彼の手にがっちりと掴まれていた。
「か、かわはら……?」
川原は体を動かして、あっという間に私の目の前にきた。
膝をついて、少し上から私を覗き込む。
それから私の手を掴んでいない方の手で私の顎に手をかけた。
さっき綺麗だと褒めた顔が、目の前にやってくる。
近くにあるせいか、いつもよりもその顔は迫力があった。
そして、その顔はとても、真剣だった。
あと1話で終わります。今夜中に更新予定です。