車掌
「ああ。神父様……、この様な時間に?」
あの時来たのは彼女の祖母だった。
「ええ、若くして死した彼女にやすらぎを与えたいと思いまして……」
その言葉に、ハラハラと涙を流す祖母。懺悔が始まった……。姿を隠した木の陰で、少女が酷いわと呟き、私は、黙って聞いていた。
ここでの事を終え彼女と共に、村へと戻らねばならない。
マチルダが車掌に抱えられる様に、ステップをそろり、そろりと下りてホームに出た。私はガタガタ騒ぐトランクと紙袋をその場に置くと、彼女を迎えに行く。
ああ……、マチルダ、マチルダ。冷たい冷気の塊となった彼女を、腕の中に迎え入れる。かたかたと震える彼女触れられぬ霊体気配を感じる。
「では!出発の支度がありますから」
車掌が足早にこの場を離れた。持ち場に向かったのだろう。やがて、鐘が鳴り響く、汽笛を大きく鳴らして、ガコン!ゴゴゴ!ギギギギィ、車輪を軋ませ、列車が出ていった。
ふわふわと、私が囲う中で浮いている愛しい彼女。勿論、首から上は……、無いのだ。ああ……それだけが悔やむ所だ。村を出る迄に、時間が許す限り探したのにも関わらず、見つけ出すことが出来なかった。
見つけだしこっそり墓に埋め戻しておけば、分離はしてるが五体満足だったのだが……。まあいい、そこは私の 記憶力に物を言わそう。
なので彼女は今、当然ながら喋れない。しかし私も事が終えるまで、声を上げるのは禁じられているので、良いことかもしれない。可愛い声で名前を呼ばれたら……、返事を堪えるのが、地獄の苦しみだと思うから。
「ぁぁー、ああー、あ~あん、あーあー」
触れられぬ霊体なのだが、久しぶりの彼女の存在を感じ、少しばかりの幸せに浸っていると、通る風に乗り声が聞こえて来る。誰だ?何だあの変な声は、取り敢えずそちらに向かう。
ホームの端まで行ったのだが誰もいない。まさか転落?立ち止まり線路を覗くべく、身を乗り出した時。
うわぁ!声が出そうになる。ぐいっと足首を掴まれ引っ張られたのだ。不意な出来事に、不覚にもトランクの取っ手から手を離してしまう、ゴッ!ドン。ドサリバサリ!音立て固い床に落としてしまった。中身が心配になる。
足をするりとすくわれる。身体が斜めになり天井が滑って見える。目が回る様に背から落ちる。いきなりの事に、慌てて私を探すマチルダの姿。
「あ~あんああ?あー!お客様!」
ドサリ、音と声が重なった。何処かで後頭部を打ったのか視界が青になりキィン!耳鳴りが伴う。息が詰まる、そのままの体勢でじっとしていると、足首をグッと爪立てて握られている感覚、それと声。
「ホームから身を乗り出してはいけません」
は?クラクラしながら目を開けると、誰もいない。声は聞こえる。その方向を見るために首を動かす。ゴリゴリとした敷石が痛い。
……唇がある……。上の灯りが届かぬ漆黒の中、ボゥとソレが空に浮かんでいる。喋るために開けると白い歯が見え、舌が動く。顔はどこに行った?
「車掌です、ホントです!」
車掌?私が怪訝に思っていると、ぺちゃくちゃ勝手に喋りだす。
「あ、えと!その辺に目玉転がってません?さっき出発した列車に、轢かれたのですよ、いえね、制帽落としたから、間に合うかなって……、時間的に無理でしたの。やっぱり。あ!目玉は、多分、パーツで転がってる筈……お客様が綺麗に欠けることなく見えますから。何処かしら?まだ手のお肉、全て寄ってないのですの、ホホホホホ。片手だけなのですよ……ううん、ほれ、お前たちさっさと寄るんだよ!」
はあ……、ミシミシ、ギシギシ……骨が軋み声を上げる身体を起こした。空を浮くマチルダが私の気配を察したのか、スゥゥと下りてきて私の頬を弄り探すと、両手で包む。
しばらくすると、視力が戻ったのか、あちこちで動くものが見えてきた。
足首に感じたソレは、パッと外れると、カシャカシャ蟹のように歩き仲間を集めている。薬指の先が見つかった様だ。
クルクルクル、タンタンタン!跳ねて回って喜んでいる。アチコチで、赤黒い肉塊がピコピコ、ぷるぷると震え、ころりころり、もじもじ、ズリズリ僅かずつ寄って、それぞれの形を復元している。
ビクビク動く臓物達、ズルリズルリと長くなる腸。足に腹の肉が集まっている。いち早く完成した心臓が、ぴょんぴょん跳ねている。じゅうじゅうと音立て、血が集まる……飛び散った代物が。集まり人の形を創る。肉塊の中には骨がキキキ、カチンカチンと音を立てている。
「ああ!血が寄った様です!血管と心臓、臓物達から揃いそうですねぇ、お客様、目玉……片目でよろしくてよ」
じっとしていても、そのうち揃いそうだったが、耳元で野太く女喋りのそれが、些か不快に思い始めたので、目玉を探すべく立ち上がる。距離を考えると……離れた所に落ちてるのだろう。
ピクピクと動くそれをなるべく踏まぬ様歩くのだが、時折、プチンと靴底で音がし、頬肉と顎に出逢った唇が、あはんと、訳の分からない甘い声をその度に上げた。
頼まれた物は、少し離れた場所にあった。ぐりぐりとした目玉が、眉毛を上下させたり、パチパチとまぶたを開けたり閉じたり……、週位の肉やら骨と一緒に、ゴロンと落ちていた。取り敢えずじっとそれを眺めていたら。
「首って、こんなに太かった?あらん鼻はもう少し……、そうそう、耳の位置がずれて、お客様、ありましたか!出来ればそれ、持ってきて下さいませんか?」
――、モゴモゴモジョ、ズリズズコツコツ、キリ、ギ!ああん、右目の位置が、あら、足の親指が左右逆よ逆!
先にホームに上がっても良かったのだが、車掌の彼を、レールの上に座りじっと待つ。鼻にどろりと、煮詰まった鉄錆の臭いがしっかりと染み付いた頃……。
「ちょっとぉ、そのままで、待っててくださいましね、服着ないと……そこの壁の窪みに予備を置いてますから、あ!お客様には、特別にお見せしてもいいのですが、勤務時間なのでね、ホホホホホ」
ソレは再構築できないらしく、真っ裸らしい中年男はは、ペタペタとレールの上を音を立てている。いや、私にはマチルダがいるし、どう見てもパーツパーツが……。
先ほど見た通り、太鼓腹の男。しかもポヨンとしたそこには、胸毛が結構あった、髪は……薄いような生え方だったが……、いけ好かない村長を思い出す。そして用意が整った所で、私達はプラットフォームへと戻った。
――、「すみませんが、ちょと、睫毛が一本、欠けてるので、なんか持ってません?食べたら生えますから」
私は車掌に林檎を差し出した。それを受け取るとシャリシャリと食べている。
「ああん、お客様に無礼を働いたと、駅長に怒られます……うん、美味しい」
食べ終わり芯をポイッと線路に投げ捨てる車掌、キャハハハ、クスクス、笑い声が闇から湧き上がる。
「ふう、落ち着きました。ああ!睫毛!生えたのね!この度は、誠にありがとうございました」
そう言うと深々とお辞儀をして、彼は現れた時と同じ様に溶けて消える。