停車駅。
ヒュロロと風が泣くよな音が走るプラットフォーム。そこに私はようやくたどり着いた。動くものは何も無い。
ああ、ようやく辿り着いた。
長方形のトンネルに作られた、それとそれを挟み左右にある、闇の川の様な線路、所々に置かれた篝火の炎のみの場所に。
コツコツと誰もいないそこを歩く。静かだ。匂いが場所によって違う。かび臭い地下道、甘い乳の匂いがした改札、荘厳なコンコースは、乾いた夜の様な、そしてここは氷と錆の匂いがする。
「切符を拝見」
誰も居ないかと思えば、やはり居た。制服を着込んだ男が目の前に湧くように現れると、声をかけてきた。私は手のひらを差し出す。車掌とみられる男は、差し出した私の手首を握りまじまじと顔を近づけ手のひらを見る。
「入場券ね!確認を致しましたよ。あら、もうすぐ到着の時間、ちゃんとしないと車掌に怒られちゃう。でお客様どうなされます?もし駄目なら通過する様、合図を送りますけれど」
そう言うと少しばかり残念そうに、握っていた手首をほどく。私の中で、うす気味悪さと気持ち悪さが、同居した。
そんな事など気が付かぬ車掌は、ポケットから真鍮の懐中時計を取り出し、時間の確認をする。黙って見ている私に声をかけてくる。
「引き返すのなら、このまま回れ右をして、上にあがって下さい、出来ないと少しでも思えば、何もかも潰れてしまいますよ」
そう言いつつ篝火に近づくと、爆ぜる松明を一本抜き取る。
通過?そんな事はあり得ない。なんの為に、ここ迄来たのか……。私は首を大きく横に振る。それを見た駅長は乙女のように頬を赤らめ笑顔を向ける。
「まあ!素敵素敵、とってもす、て、き、ひと目会って……、ククク、もし!術が解けたら私が貰おう」
中年男が上から下まで私を眺めると、舌なめずりをしている。おっさんに貰われてどうなるのだ……。良からぬ事を想像してしまい、この時だけは、ゾゾゾと虫唾が走った。
コトコト、コトコト……、不安そうにトランクの中で音がする。私はもうヨレヨレとなった紙袋から、最後のヌガーと、パンと林檎の無事を確認をした。
「まもなく、列車が到着いたします」
職務を果たす為、車掌はテキパキ動く。私以外誰もいないというのに、松明を片手にプラットフォームを、鐘を鳴らしつつ端から、端まで歩くと、列車の音が響く先に背を伸ばし立つ。
線路側に炎を向けて真横に出す。止まれの合図なのだろう。やがてゴウゴウと音立て入ってくる車両。汽笛が聞こえる。やがて不可思議な地上ではありえない、すす煙出さぬ機関車に引かれた列車が、賑やかな音を立てて到着をした。
「メルディアリー駅、メルディアリー駅、停車時間は……」
カランカラン、カランカラン、車掌が鐘を鳴らしながら、次は機関車に向かい最後方から足早に、前に前に進む。停車時間は、長めに取ってあるらしい。
ギギギギィィィ……、ガタン!プシュゥゥゥ……。
黒い鋼色の車体。窓はあるのだが、分厚い硝子は、夜空をはめ込んでいるので中は見えない。
駅の車掌は、運転手と『閉塞』のやり取りをしている。私はドキドキとしながら待っている。
「ああああ!大変大変、途中下車のお客様が!」
脱兎の勢いで、ぼてぼてと腹を揺らして駆けてくる車掌。すいませんねぇ、なにせ久しぶりで……、私が立つ場に近いドアの取っ手を握る。
「ちょっと中のお客様に、お聞きしてきますからね、これも役目のひとつなんですよ」
ガチャ!ギィと軋みつつ扉を開けると、中に入る。これに乗っている彼女は……果たしてどうなのだろう。信心深かった。それに背く生き方を、私を選んでくれるだろうか。
色々と思い出し、胸が痛む中ドアの前に動く。シュゥゥ……、車両からムワッと湿気った、黒黒とした墓土の濃い匂いがホームの隙間から上がる、鼻孔に届く。記憶を刺激する。
もしやすると姿は『あのまま』なのか?土にまみれていた君。
――、「え……、どうして?なんで?」
君に覆いかぶさる物をすべて取り除いた。棺に収める前に目にした姿とは、何もかもが一変していた。
死者には靴はいらないと?死出の旅にと、彼女の母親が、婚礼を控えて用意していた、真新しいそれを履かせた筈。
私が大きな街で君に似合うと見つけた美しい織物、それを彼女が、一針一針縫いあげた、婚礼の晴れ着を君に着せていた筈……
無い、少し早いが街に出た折に買い求めた、揃いの指輪も無い。私がまだ温もりが残る指にはめたのに……。
棺の中で君は……、ゴワゴワとした、染も無い生成りの布地を、無造作に着せられていた。腹の上にシミを付け、ごろりと転がってる筈の物は……一筋の髪があるだけで……。
「えええ!既にちょんぱ?うそぉぉ!なんで、罪人じゃないのに!どこどこ?、その辺に転がってないの?えー、信じられない。ああん、月光が真上来るし!このままだと、泥に汚れちゃう」
穴の底で、呆然とする私の側に、少女が上からふわりと飛び降りてきた、手には花束を抱えている。神父様にあれこれ指図をする。何かを始める様だった。
何故。共に入っている筈なのに。何処に持ち去られたのか……。それに彼女の形は?疑問が生まれる。
何故どうして、何故。目は前にある物それだけを見ている。脳はそれを映してる。別の場所から自分がそれを見ている。変な感覚の中で、神父様が石を片づけておこう、と言われたのでその通りに動いている。
ザワザワと墓地を取り囲む木が揺れ、白い鷺がギャァ!ギャァ!と何処かから飛び立つ。
「……、シッ!誰か来る匂いがする、取り出した。もういい。早く戻して!」
少女が手にしたそれを、用意していた器にとぷんと落とす、花束を胸に抱かせる様に置く。ふわりと地の上に戻る。
「埋め戻すんだ、見られるといけない」
私は言われた通りに動いた。割れた棺の蓋を閉じ、涙に暮れながら、死にものぐるいで神父様と共にその場を元に戻した。
「はい!では足元にお気をつけて……」
ギィと大きく押し開けられた扉。ハッとして、目の前に意識が戻る。車両の中は、木のうろの様なぽっかりとした黒い色。とぷとぷと満ちている。プッ、割れてヒュルリと吹き出して来る、一筋の風。
その中をそろりそろりと下りて来た。微かな気配。
手に下げているトランクが、ゴトゴトと揺れる。