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掃除婦。

『水音を聞き、黴の匂いがしたら成功』



 故郷の神父からそう聞いている。時計塔の音は消えてしまった。足が覚えているリズムに従いコツコツと下りていた。漆黒の闇なのだが、私の周りだけ灯りがある。例えると、燐が淡く幽かに燃えてるかの様に、ぼんやりと明るいモノに包まれている。 


 授かった胸に下げている十字架が熱い……、秘められた力があると聞いていたが、本当にあったと思い知らされた。敬虔な気持ちになり、そこに手を当て御言葉を述べる。


 本当に向かっているのだろうか。何時もの薄汚れた、白いタイル張りの地下道に、たどり着くだけではないのか?些か不安になった時のこと。


 ……チャン。……ピチャ………ン。ピチャン。


 聴こえた?耳底に響く滴り落ちる水の音。逃さず耳に留める。あと少しなのだろうか、ツンとした黴の匂いが鼻に付く。ああ……、上手く行ったようだ。


 古めかしい隧道、湿気って淀む空気。まるで時が止まっている世界の様な地下道に辿り着いた。


 壁には篝火が一定間隔に並べてる。パチパチパチパチと、音立て朱色と白の火の粉を、闇夜に撒き踊らしていた。



 ――「やだねぇ、改札に行くんかい」 


 ジャボ!ブリキバケツに洗剤の色だろうか、深い深い、濃い紅、黒薔薇パパメイアンの花弁を、集めて絞った様な液体に、使い込んだデッキブラシを突っ込む、年老いた掃除婦が眉を潜め声をかけてくる。


 ゴシゴシ、ゴシゴシ、ジャボジャボ、ゴシゴシゴシゴシ。


 フリルとレースに襟元、袖、裾を飾られたメイド服を着込んでいる老婆は、私の行く手を阻む様に、苔むした床をせっせと磨いている。


 ゴシゴシ、ゴシゴシ、ジャボジャボ、ゴシゴシゴシゴ


 ブグブク、ジャッジャ、ジュリジュリ、シュワシュワ……、赤黒の細かな泡が、いやらしく立つ。


 トランクを床に置くのは嫌だったが、諦め床に置くと、紙袋から燻した肉を取り出す。掃除婦にそれを差し出した。


「牛の肉!」


 老婆が皺が走る顔を輝かせる。垂れ下がった瞼の向こう側で、金色に光る目。ニィと笑うと、年に似合わず、素早い動きで、乾いた肉をひったくり手に取る。


 嬉々としてしゃがみ込み、ジャボン!ブリキのバケツに肉を持った手を突っ込んだ。膨らんだスカートの裾が床に広がり泡に触れ、じっとり染みて濡れる。



 ガシャガシャガシャガシャ!ガシャガシャガシャガシャ!



 バケツの中で手にした肉を、洗い始めた老婆。わたしゃ、清潔(きれい)好きなんだよ!と、肉をそれはそれは丁重に洗う。




 ガシャガシャガシャガシャ!ガシャガシャガシャガシャ!




 ……きれいなきれいな娘さん、恋人戻って婚礼さ。

  白いドレスを縫ってまっていた、まっていた。


 ガサガサとしゃがれた声で、節っぱずれに歌いつつ、ジャボジャボやっているのを黙って待っていると、気が済んだのか、肉をバケツから引き上げた。


「クヒヒヒヒ!ほうら……旨そうだろ?」


 薔薇の汁をポタポタさせて引き上げたそれは、血が滴り、ぬらぬらと松明の灯りを浴びて、光る生肉に戻っている。クンクン……香りを嗅ぐと、ペロリと表面を舐めた。離れる時、舌先に肉とつながる糸引く涎。


 老婆は片手に肉を握りしめ、よいせっと立ち上がると、折れた腰を空いた片手で、トントンと伸ばす。そして……。


 ほら、旨そうだろともう一度言う、広角を上げて笑むと、プツプツと唇が割れて血が滲む。シワシワの唇をクワッと開ける。


 歯の無いそこは、ポッカリとした木のうろの様。ニタリと金目を歪め、グゥゥ!むしゃぶりつく。グチャァ、ギッ!チャ!噛みちぎる。



 グチャ!グチャ!ギギ、クチャ、クチャクチャクチャ、ボリボリ、ショーリショーリ……、コリコリコリ、もぐもぐクチャクチャクチャ、もぐもぐもぐもぐ。




 目の前で歯の無い老婆が、美味しそうに音立て、肉を喰む。噛みちぎる。生肉なのに骨を齧るような音立てて、食べ進む。滴る肉汁、一滴も落とすまいと啜り喰う。



 奇跡が起こる。


 金の目の色が碧空のそれに変わる。萎びた頬が薔薇色に、ふっくらと柔らかく姿を取り戻す。シワシワの唇はさくらんぼの様に艷やかに膨らむ。黒のボンネットから背に流れる、ガサガサの白髪が、絹糸の様な金の波を打つ。


 折れ曲がっていた腰がすっくと伸びる。萎んだ身体は、ふくよかさが戻り瑞々しさが弾けるよう。口に当てている、枯れ枝の様な指が白く細く貴婦人のそれになる。ふう、漏らす満足の吐息の声が、ナイチンゲールの様に可愛らしいそれに変化を果たした。


「美味しかった。さあ、合格でしてよ。わたくしを見ても声を立てぬ、先に進むことを許しましょう」


 メイド服は変わらないのだが、絶世の美女となった彼女。口元に鮮血の糸をつう……と引きつつ微笑む。それを指で拭うと、チロチロと蛇のような舌を出して、ペロリと舐めとる。


 私の行く手を優雅な動きで、白く柔らかな手を向け奥を指し示した。



 オオオオ……、オオオオ……オオ……ドドットドッ………



 闇の先から風が渦巻く様に、咆哮が響いている。私はトランクを掴むと紙袋を小脇に抱え直し、頭をひとつ下げる。先へと進む。



 ……娘さん、娘さん、きれいなきれいな娘さん。

  花婿待ってた娘さん。ある日ある日ある……


 ゴシゴシ、ゴシゴシ、ジャボジャボ、ゴシゴシゴシゴシ。



 鈴を転がす声で歌いつつ、床を磨いている音が聴こえた。振り向かず私は、コツコツと歩く。


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― 新着の感想 ―
[一言] ふおおおおおお!!!! 引き込まれるうううう!!!!!
[一言] これはこうの項はグロで……
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