骨まで愛して。
小さな小さな単線の駅、モンテールの駅から、大人の足で歩いて半日かかる場所に、深い森に囲まれたモートリアムと呼ばれる、小さな村があった。
「神父様、お助け下さいまし」
森の奥深くの教会にすがりつく村のご婦人達。神父は優しく話を聞く。
「主人と息子の様子がおかしいのですの、決まってひと月に一度、駅に向かいますの。帰るのは翌日。列車に乗り何処に行っているのでしょう……、息子の嫁も涙に暮れてます」
「神父様、子供も産まれたばかりなのです。それなのに、それなのに……、夫は、どうしてしまったのでしょうか、私の料理に文句ばかり、苛々としていて、隣街には何が?、気になり連れて行くようせがめば、叱られるのです」
それなりに上等な布地な服を着込んでいる村長の妻と息子の嫁。白いおくるみに包まれた赤子を伴い来ていた。二人共に夫の心変わりを切々語る。
「隣街には娼館がありますわ。 きっとそこの……ああ……、私達はどうしたら良いのでしょう」
神父は優しく励ます。そして同じ様に、嘆きを訴えに訪れる奥方を穏やかに迎え入れると、言葉を繰り返す。
汝疑うことなかれ、と。
昼の列車が滞りなく、上りも下りも無事に通り過ぎた。駅員室に居ても良いのだが、それだと入り込む悪戯っ子や、定刻に通過する貨物列車に対応出来ないので、プラットフォームに、屋根の様に張り出した楠の下に椅子をひとつ置いて、そこで私は過ごしている。
荷物の受け取りは、駅舎でマチルダがこなしている。二人三脚で暮らす私達。ホームには何処からか飛んできた草の種が、根を下ろし芽を出し隙間に伸びる。それを片付けるのも私の仕事。
来たときには、草むしりが追いついていなかったのか、茅や背の高い草が、ボウボウと伸びていたが、今はぺんぺん草一本、生えていない、全く便利な身体になったものだ。一日畑で終わらぬ草むしりをしていた時を思い出すと、バカらしくなっている。
私の手を触れれば、それはカサリと、茶色くなり枯れていくのだから。おどろおどろしく伸び放題の楠も、庭師が剪定しているかの様に整っている。時折そこから私が生気を抜くのが、良い効果を表しているのだろう。
「貴方、冷たい物をどうぞ」
二人分を運んで来たマチルダ。ざっと、ほわほわとした草の芽を消し去り、椅子に座る私の前に立つ。
サワサワと頭上で揺れる木の囀り。誰もいない時間。レモネードが溢れますわ。彼女に口づけするべく、後頭部に手を回し、強引に引き寄せる私。
「大丈夫ですわ、そんなに減っていませんよ、それに……、直接じゃなくても、手を触れたらちゃんと、糧を抜けますわ」
「……、私と違い君は量が必要だろう、溶けて消えてしまったら困る。それとも私より、奴らの方が美味しいとか?」
「まさか、アレらの薄汚れたモノと、穢れなき貴方のモノとは、天地の差がありましてよ、比べるなんて……ん」
しばし甘い時が過ぎる。こくんと飲み込むマチルダが愛おしい。離れて彼女に椅子を譲ると、レモネードを飲む。
「昨日は村長か……、未だ私の身内は来ないな、ケチだかな。馬でも使ってるのか……、隣街までは馬で、五日かかる。そろそろ来てほしいよ、おもてなしするのに」
「まだ塩漬けの肉は残ってますから。ええ、今晩は数えて二十日と一日。バカ息子が来ますわ、貴方の幼馴染も、あの時いた人達も……、死んだ私を辱めた村の人達も、誰が一番早く逝くかしら。ふふ、駅は……、便利ですわね」
にっこりと笑う彼女。
「小包のお客様にお聞きしたのです。最近あの村の村長はじめ息子さん達が、隣町の娼館通いに狂ってるそうですわ、そこで何かに囚われ、列車に乗り通わずにはいられないとか」
「へえ、そうなの、来ても列車には乗ってないけどね、君の特性スープを飲んで、特別室でぐうぐう寝てるだけなんだけど。へぇ……、本当に『駅』は……便利だね」
くつくつと笑う私達。レモネードを飲み干し片付ける。そろそろ貨物が走る時間だ、私は仕事に入る。マチルダは、夜のお客様の為にスープを作らないと、と話す。
「私と貴方、待合室のお客様には、豆のスープでいいかしら」
うん、それでいいと答える。
「特別室のお客様には、いつもの塩漬け肉のスープでいいかしら」
うん、それでいいと答えた。
「後で樽からひと塊運んでほしいの」
うん、分かったと答える。
チュピピピヒ、カサカサ。檜に巣をしている小鳥の番が、葉の陰から空へと飛び立った。
――、コツコツ……駅舎の地下を掘り、誂えてあった食料貯蔵庫へと向う。灯りは無くとも夜目が効くのか、困る事なく進める。全く便利になったものだ。
片手にはあのステッキを手にしている。下に降りるに連れて、壁向こうから、列車の走行音が聴こえるのが心地良い。
メルディアリーからモートリアムに向かう音が、ゴゥ!ゴゥウ!と風斬る音と共に過ぎていく。地下墓場には、駅があると聞いていたが。
――、戻って来たら、本当にあった。小さなホームに、あの少女が出迎えに来てくれていた。
「お帰りなさーい!ふぅ!新婚さんっ!きゃっほー!て、いうんだっけ?」
「これこれ、御苦労様、色々学べておめでとう、不器用な、戦闘馬鹿の師匠の元に、美しい妻を連れ戻って来てくれ、大変光栄だな、はははは」
師匠の乾いた笑いが虚しかった。戦闘馬鹿だったのか。駅長さんの言葉を思い出した。
……、私はここに集まる良からぬ存在を滅する為に、手にしたステッキを握りしめる。それらはマチルダを狙っている。実はシスター達を棄てた男達は、飽きたと言うより、わけのわからないモノ達と戦う事から、逃げただけなのかもしれない。
地下に辿り着く。私が最後の一歩を踏み入れると、空間がぐにゃぐにゃと歪み、広がる様な感覚。今日も居るのか。影に、陰に、夜の時に、地下室の闇に、一日一回、何処かで追払えば、どうってことは無いのだが。
ワインの棚に肉や魚の塩漬けの樽が並んでいる。そこここ隅に潜む、ヌルリとしたモノが形を創り上げると、一斉に襲ってくる。今日は大きな魚の様、口をパクパク開いて私を喰らおうと、突進してくる。
「魚か!ヌルヌルしたナマズみたいだな。頭落として捌いて終わり!」
他愛もない、ほんの数振りしただけでソレは、切り身となり、ビチビチと床でのたうち回っていた。放っておけばそのうち消える事を知っている。足に絡みつこうとするソレを蹴散らし踏みつぶしながら、奥の大樽に近づく。
グチャグチャ……シクシク、しくしく、ぺちゃグチャ!コツコツ……、シクシク、シクシク……。
目当ての特性スープ専用の、塩漬け肉の樽の側には、青白く透き通った、肉の塊と化した『妹の霊体』の声すすり泣き。ぐねりながら空間がもとに戻った地下室に、嫋々と流れている。
私はそれに近づく。優しく話しかけてやる。
「カタブツで、しがない村の男で悪かったな、ご貴族様を誑かし、持参金をうんと積んで嫁入りしたんだってね。すまないな、頭と内臓は修繕費に使わせて貰った」
何時もの挨拶を済ませると、妻に頼まれたモノを手に取り私は地上へと戻った。
そして夜になる。
特別室では駅に泊まりに来た、村長の息子がお目当ての料理を満足そうに口に運んでいる。少しずつだが、やつれて来ているのが見て取れる。しかし美味しそうに食べている。ワインを頼まれたので、運んだのだが、置かれた小鍋のソレは、綺麗に浚えて皿の中。
最終列車が入る頃には、特別室のお客様は夢の中に入っている。美味しいと虜になる塩漬け肉のスープだが、私は遠慮しておこう。
キィィィ!ブシュゥゥ……ガタン!
最後の列車が入ってきた。御苦労さん、運転手と閉塞のやり取りを済ます。汽笛を鳴らし進んでいく列車。カンテラを振り合図を送った。
駅舎に入ると、マチルダが、火事にならぬ様に蝋燭を下げに行くという、いつもの様に、ついていかねばならない。大事な妻がお客と言えど、他の男が眠る部屋に、ただ一人で向かわす趣味はない。
……、ぐうぐう寝ている男の額に手を当てる。彼女の夜食の時間。ここで仕留めるのは塩漬け肉にする時だけ、その時には、色々手筈を整えなくてはいけない。怪しまれないようにしなくては。駅で不審死など出したら大事だ。
「長く長く……楽しみたいわ、先ずは、妹を味わった全員に、スープを飲ませたい……、フフ、よく言ってたの。私の事を、みんな骨まで愛してくれるのよって、あの子も望みが叶って幸せね」
二人で部屋に向かいつつ、囁くマチルダ。
「そうだね、ところで塩漬け肉って、どうして虜になるの?なにかしてる?」
私の疑問に答えてくれる。
「貴方はこれを食べにここに来る、これは神の味、天国のスープ。食べなければ天罰が下る……。力を抜く時に入れ込んで置くの、暗示ね、他愛もない。フフ、次のお肉は誰にする?まだまだ先だけど、結構、量あるのよね。妹って」
「そうだな、でも牛一頭だと、もっとあるぞ、ヤギでもそこそこの量だし……、出来れば私を売り飛ばそうとし、君を折半した、我が一族の誰かがいい、ただ、ケチだから駅に来ない」
今宵は待合室には泊まり客はいない。確認をしてから、特別室へ入り事を済ませて、消えた燭台を持ち、さっさと出る。
ようやく息が自由に出来る時間が来た。昼間に眠たそうにしたり、動きを鈍くしたり、人間のフリをするのは些か大変。マチルダが、カンテラ以外に贈り物をしましょうと、話してきた。そうだな……、
「手紙と……、上等の干し肉に、シェーブルチーズ、それとカンテラにシスター達には甘いものかな、駅長さんにはどうする?」
愛しい妻に聞く。クネクネ喜ぶ車掌の顔と、メルディアリー駅長の姿。由緒正しい落とし物、ビスクドールの無表情が、何故か脳裏に浮かんだ。
終。
最後まで、お付き合いありがとうございます。何故か美味しそうな、特性スープのお話になりました。




