階段で会う人
赤い葡萄酒の小瓶と、シェーブルチーズにパン、スモークした肉ひと切れ、青い林檎を一つに、甘いヌガーを数個、それらを通りがかりに見つけた路地裏近く、片手間に食堂をやっている店で買った。
「こんな夜遅く夜食?宿はあるの?瓶は……」
「ああ、トランクに入れるよ」
薄っすらと、埃が叩いた様に深い緑に模様をつけているそれを先に受け取ると、トランクを開けて、ぽんと置くと閉じる。
化粧と安い香油の匂いを振りまく女は、カウンターに並べたそれらを、寄せて盛り上げた白い胸元近くで、丁寧に袋に入れながら、あれこれと聞いてくる。
「ねえ、兄さん。遅いしさ、ここで一泊していかない?部屋は空いてるよ、どう?旅の遊びに、さ」
意味深な事を言う女は、ちろちろと媚を売ってくる。いや、宿はある。それに、モートリアムに恋人が待っているから、と左手の薬指を見せて断る。
「ふ、ん!そりゃようござんした!」
私に自分を売りそびれた女は、笑みも金と思っているのか、それまでとは違う顔になる。くしゃくしゃ……と袋の口を折ると、ぐい、とぶっきらぼうに差し出しだした。
ろくでもないな、私は言われた代金を払うと、足元に置いていたトランクを持ち、紙袋を小脇に抱える様に持つと店をギィ……、蝶番に油が切れてる薄汚れたドアを押し開け、外に出た。急がなくてはいけない。
ここから地下鉄の駅に降りる入口迄は少しある。新月の夜の、この街、この時を逃してはいけない。トランクを持つ手に力を込めると駆け出す。
カッカッカッカッカッ!
兄さん!そんなに急いで、遊んでおいきよ、キャーハハ、嬌声が響く。すえた匂いが籠もる路地裏を抜けて、走る。走る。走る。生真面目に並び立っている街灯、ボウ……と、した灯りは、霧煙り寝静まる街の道を照らしている。
走りつつ上着から、古めかしい懐中時計を取り出し時刻を見る。どうやら間に合いそうだ。目の前にぽっかり口を開いた、階段の入口が見えてきた。息を整える時はありそうだ。私は神に感謝をする。
……早く……、時計塔よその音を鳴らせ。私はジリジリとしながら入口で待っていた。最初の一歩、一歩。街中に響くその音に合わせ、トランクと紙袋を荷物にし、儀式の様に階段を降りる。それが古からの決まり事。
ボォォォン…………、ボォォォン、コツ…………、コツ。
きっちりと合わせる足音。勿論、下りるまでには数は足らない、しかしそれでいい。
「なんだぁ、誰じゃ?けけ、宿無しけぇ?オラァと、一緒らな、なな、酒ねえか、タバコタバコ……クスリクスリ」
夜をそこで過ごすのか、しゃがれた男の声が、左右からちらほら。
「荷物おいてけやぁ!通行料じゃけ!ここで寝るんなら、その料金も貰わにゃあかん!ケケ、若えの」
一人が懐中電灯で無遠慮に私を照らした。途中には踊り場がある。そこでは怪しい商売をしている者もいるらしい。
下りた先、ホームに続く地下道は、時折警官の手入れがあるらしい。なので逃げやすい地上に近い場所で……との噂を聞いたことはある。
荷物を巻き上げて、その上宿賃を、どうやって取るつもりなのだ。身ぐるみ剥ぐのか、その先は……、声に生臭い熱を帯びている男の言葉。
ボォォォン…………、ボォォォン、コツ…………コツ。
それらを無視して進む。通行料男が私を捉えようと、腕を捕んできた。引き寄せられ倒れそうになるのを、ぐっと堪える。荷物を落としてはいけない。
ギリ!睨みつける一瞬の勝負。音に遅れてはいけない。足を前に出す。殺気を感じ、殺気を放つ。
「ひぃいぃぃ!な、なんだぁぁぁ!」
ボォォォン…………、ボォォォン、コツ…………、コツ。
男の穢い手がするりと通り抜けた、背後で、ド、ゴトンと、意外に重い音がした。
「手が!手がァァ!手がぁぁ!落ちた!おちたぁぁ!ヒイイイイ!」
「クスリクスリ、酒酒、持ってないのか、ケケケケ」
手がぁ、手がぁナイナイ、手が無い無いぃぃ!ケケケケ、クスリ酒酒、タバコ……狂乱の声が響いている。
ボォォォン…………、ボォォォン、コツ…………、コツ。
私は面倒に巻き込まれず良かったと安堵をしつつ、恐れおののく声を無視をし、溢れる期待で胸をいっぱいにしながら、ゆるゆると階段を下りていく。目的地のメルディアリー駅へと向かう。