王太女の婚約者2
伯母様来襲。
王妃殿下二人から、手紙が来た。
サンディス王国には正妃メザーリン妃殿下と側妃オフィール妃殿下がいらっしゃいます。
たった二人のお妃様たちは、二人でラウゼス陛下を支え合おうと手に手を取り合うのではなく、日夜問わない女の争いは宮殿を巻きこんでやっているらしいのです。
これは結界魔法が使えなくなってしまって、できる範囲でと結界チャレンジした時に得た情報です。
お二人に同じ年齢の王子がいるのも、また苛烈さを増す原因ではあると思います。
そして、このお手紙はその王子たちを売り込むための物でしょう。
一か月待っただけ、まだ良心的なのかしら。プライベートの小さな御呼ばれならば喪中でも行けるらしいのですが、なんというか……お手紙が随分華やかな気がするのです。
封筒と便箋は揃いのものです。色鮮やかな花びらと金粉を練りこんだ紙には、香が焚き染められているのか甘い匂いがします。
開いた瞬間ふわりと香るものではなく、封筒の状態で香ってきます。ちょっと強いですわ。わたくし、ここまで強い香りは苦手なのですわ……
これが王宮のお作法なのかしら?
そもそも、そういったお話はセバスやジュリアスが予定と範囲をもとに相手の家柄と格式を込みで、グレードや規模を確認しているものです。
多分……その、キシュタリアは夜会にもお茶会にもいくのですが、わたくしはヒキニートでしたので、そういったものが余り明るくないのです。
特に、死亡フラグと破滅フラグが満載の王家主催のものは断固拒否しておりました。
もし、ルーカス殿下やメザーリン妃殿下が関わるものに出たら、間違いなくレオルド殿下とオフィール妃殿下の催しにも出なくてはならないでしょう。
そうでないと、わたくしがどっち派かと勝手に周りに判断されて、肯定されてしまう。
困ったわ。どうしましょう。はっきり言っていきたくないわ。
もう考えるだけでもストレスマッハで気持ち悪いですわ。頭痛すらする気がする。麗らかな陽気すら鬱陶しく感じてしまいそう。
「お嬢様……いえ、失礼いたしました、アルベルティーナ殿下。
お顔色が悪くございます。まだ喪中ですので、お茶会はすべてお断りしてよろしいかと」
「ベラ、いいのですか? その………王族の義務などは……」
「殿下には陛下より一刻も早い心身の快気をと仰せつかっております。
御身を非常に大切にしていただくことを優先していただく様にと、予てからお達しがあります。
……そのお手紙は王妃殿下たちが、御自分の離宮へとのお誘いですね?」
「ええ、そうですわ」
「殿下、だとしたら赴いてはなりません」
「なぜ?」
「恐らく、そこで妃殿下たちはアルベルティーナ様との序列をはっきりさせたいのです」
「陛下の伴侶である妃殿下たちと、養子のわたくしとで王族でも立ち位置が違いますわ。
それに、その、わたくしは王太女としての命を受けておりますわ……」
「ですからです。妃殿下たちは『アルベルティーナ殿下に喪を押して離宮に挨拶に来させた』という形をとらせたいのです。
少しでも、御自分の立場を優位にしたいのでしょう。王族として先輩なのだからという形でマウントを取りたいのですよ」
「ひぅぇ……」
既にもう駆け引きが始まっているということですか?
思わず情けない声が出ます。震えてしまいそうなわたくしを、ベラが痛ましげに、ですがしっかりと目を捕らえるように言います。
「お二人とも男児の殿下がいらっしゃいます。それを足掛かりに接点を持たせ、何とかして選ばせたいのでしょう」
「アルマンダイン令嬢と、フリングス令嬢は? 確かお二人ともまだご婚約中ですわ」
「義兄弟は婚姻可能です。特にメザーリン妃殿下は必死ですよ。
学園での失敗でルーカス殿下の王位継承権は大きく下がりました。もはや挽回するチャンスは姫殿下からの寵愛を頂いて、王配に引き立てていただくことのみ。
もし子が一人でも出来れば、それが王家の瞳でなくとも王族として扱われますので。
場合によっては、ラティッチェに婿入りも十分可能です。大公もあり得ますし、最低でも高位貴族として盤石な地位は約束されるでしょうから……」
必死過ぎて笑えない。
絶句するわたくしに、ベラは頷いた。冗談ではなくわたくしは狙われているのです。
「王家の一員としてこちらがいろいろ便宜を図ってさしあげるといった形で親切にはしてくださるでしょう。
ですが、その見返りは姫殿下自身を求められる可能性があります。
それでも、行きたいですか?」
フルフルと首を横に振った。
そんな魔窟にはいきたかないでござる。手助けOR結婚とか悪夢ですわ……
王族の話が出る前から、わたしの血は厄介だと感じていましたわ。
もし、夫となった人が……キシュタリアを引きずり降ろしてラティッチェから追い出そうとするならば、堕胎薬でも飲んで阻止してやる。絶対に権力を与えてなるものですか。そして復讐しますわ。
人道に悖るとは分かっていますが、そのような人間と手を取り合える気はしません。
絶対に嫌ですわ。王家より、わたくしはラティッチェ公爵家のほうが大事ですの。
結局、お茶会のお誘いは丁重にお断りすることとなりました。
一応、初回であるからこういった話がもう舞い込み始めているという意味を込めてベラとアンナはあの手紙を持ってきてくださったのです。
宮中での戦い方を知らないわたくしに、少しでも教えるために。
元々断っていいもので、断る予定だったのです。ですが、判りやすい形で一つ一つ説明することによって、少しでも身を守れるようにという配慮を感じます。
ですが、一難去ってまた一難。
わたくしを自分の宮に来させることができないのなら、王族用の別の離宮に招こうとしてきました。しかし、それも同じ理由で断りました。すると、ついにはヴァユの離宮に来たいとご連絡があったのです。
「……これは、いいのかしら? その、ご挨拶だけでもした方が良いでしょうか?」
「そうですね、こちらであれば……あちらも大きく出ないかと。
王妃の身分のある方々で、女性たちのトップにいらっしゃる方です。これ以上、撒くことは後にこちらの不利になるかもしれません」
「お姉様、ご安心なさって。わたくしもフォローしますわ。
フォルトゥナ伯爵夫人も来てくださるそうですし、全力でお守りいたします」
「ありがとう、ジブリール。心強いわ……その、どうもラウゼス陛下以外の王族の方は恐ろしくて。
妃殿下たちは……なんというか、お顔は笑ってくださっているのですが、目が恐ろしいのです」
「悪くない勘です。女狐と女豹ですからね。ルーカス殿下もレオルド殿下もお二人ともラウゼス陛下というより、お妃様方に似ていますしね。外見が似ているせいで、余計そう感じるのかもしれませんが……
どうして、あのお優しい陛下の御心を受け継がなかったのかしら?」
切れがあるジブリールは今日も絶好調のようです。その様子に少しだけ安心して、微笑ましくて笑みを浮かべる。
「ふふ、わたくしの可愛いジブリール。余り良くない言葉は使ってはダメよ? 貴女は笑っているのが一番素敵よ」
「はい、お姉様!」
はうう、ジブリールの向日葵のような明るさと薔薇も霞みそうな鮮やかな笑みに昇天してしまいそうですわ。
可愛い、ジブリールがすごく可愛い。可愛いはジブリール……語彙が溶けてまいそう。
ぎゅう、と隣に座っていたジブリールを抱きしめる。華奢でいい匂いで凄くきゅんきゅんしてしまいます。癒されますわ。
ここ最近、気疲れするようなことばかりだったから余計に。
アンナはいつものことなので流していますが、ベラはちょっと呆気にとられているみたいです。
「はあ、でもこれからはお姉様をお姉様とお呼びすることも憚られるのですね。悲しゅうございますわ」
「わたくしも悲しいわ。でも、ヴァユの離宮やラティッチェ邸でプライベートな場所ならいいのよ? わたくしはジブリールが大好きなのだから」
「嬉しい! では、内々の場所ではお言葉に甘えて、このまま呼ばせていただきますわ!」
「ええ、勿論よ」
あんまり悲しいことを言わないでほしい。可愛い妹分からすら姉呼びがなくなるなんて!
王太女の立場になり、公私はつけられないとは分かっています。というより『私』の時間ばかりが多かったわたくしは逆にならなくてはならないといっていいのでしょう。
「そういえば、ジブリール。貴女はいつの間にフォルトゥナ伯爵夫人とお知り合いに?」
「ふふ、これでも顔は広いのですわ。夫人もお姉様に会いたいとこぼしていましたし、きっと力になってくれますわ!
……できればラティーヌ様もお呼びしたかったのですが、少々お忙しそうですので。あと、どうも誰かが公爵家からの手紙を一部握りつぶしているようですわ。
ラティーヌ様なんて、手紙ばかりでしたから特にそう。今度、お持ちいたしますわ」
「え!? ……酷いわ、誰がそんなことを」
「お姉様の御心を、ラティッチェから離したい愚か者の仕業でしょう。
既にセバスさんやジュリアスを通して働きかけてはいるはずですわ……全く、嘆かわしいわ」
一応、念のため検閲は入るそうですわ。
キシュタリアやラティお母様のお手紙に変な事があるはずもありませんのに!
「お姉様は心配せず、どうかお体と御心を御休め下さいまし。
あの三馬鹿、ここにきて役立たずだったら、本当にあいつらを〆あげてさしあげますわ!!!」
ぐっと握りこぶしが勇ましいジブリール。頼りになって可愛らしいのですが……
三馬鹿ってまさかキシュタリアとミカエリスとジュリアス………????
なぜこうもジブリールは時折辛辣なのでしょう。
クリフトフ伯父様――フォルトゥナ伯爵の奥様はとても可愛らしい方でした。
チャキチャキとよく動く小柄でちょっとぽっちゃりめの御婦人です。
胡桃色の髪と、生き生きとした瞳はブラックベリーのような深色です。光の当たる角度によって赤みや青みを帯びるのですが、一見すると黒ですわね。ふっくらとした頬は、ほんの少し笑い皺があって夫人の豊かな表情を物語っているようです。
豊麗な身にまとうエンパイアドレスは濃いグレーに銀糸の刺繍が入っています。一見すると地味に見えるかもしれません。ですがよく見ると非常に繊細な模様が描かれていてとても上品です。
にこにこと人好きのする笑みで、ちょっとした仕草がチャーミングなおばさまでした。
「まぁまぁまぁ! 本当にクリスちゃんそっくりで可愛いのね! あらあらあら~」
わたくしを見るとぱっと瞳を輝かせて、御付きのメイドたちを置いて駆け寄ってきます。
そしてしげしげとわたくしを見る目は悪戯っぽく、でも子供のように輝いています。フォルトゥナからきたメイドたちは「奥様! 奥様、落ち着いてぇええ!」と声を押さえて必死に止めています。
ベラは満足げに頷いています。同類という言葉が頭をよぎったような。気のせいですわね!
「お義父様とクリフがデレデレしているはずだわぁ! あの二人、昔からシスお義母様とクリスちゃんを溺愛していたんだもの~。
構い過ぎないように何発かどついておいて正解だわぁ~」
クリフ伯父様は確かに甘っちょろい気配を感じますが、熊公爵には一切感じませんわ……相変わらず睨みがきついですわ。
その、たまになんかもの言いたげな気配は感じますが……溺愛? まさか。
しかし、このお優しそうなおばさまがあの二人をどつく? それこそさらにまさかですわ。
「あら、ごめんなさいね。ついつい暴走しちゃったわ……ご拝謁を賜りますこと、誠に嬉しく存じます。
改めまして、初めましてアルベルティーナ王太女殿下。
フォルトゥナ伯爵が妻、パトリシア・フォン・フォルトゥナでございます。
お父様であらせられるラティッチェ公爵……誠にご愁傷さまでございますわ。
あの方は非常に素晴らしい方でした。貴族として、政治家として、軍人として、父として。最後まで貴女を守り通したのです。
今はまだお辛いと存じておりますが、どうかお父様の思いをお忘れになられないでくださいね」
優雅なカーテシーと、柔らかくも凛とした滑らかな口上。
先ほどまで気さくなおば様だったのが、一瞬にして伯爵夫人として、貴族の一女性として塗り替わりました。
「いえ、お気遣い痛み入りますわ。
アルベルティーナ・フォン・ラティッチェ……サンディスでございます」
どうしても、最後の王家を示す家名には違和感しか残らない。
何とかカーテシーを返すものの、その名を出さなくてはいけない時には、胸に鉛玉でもたまるような気分になります。
「無理をなさらないで。少しずつ、少しずつ慣れていってちょうだいな」
「は、はい……あの、伺ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。なにかしら?」
「フォルトゥナ伯爵夫人は、クリスお母様のことをご存知ですの?」
「よければ、パトリシア伯母様とよんで? トリシャおばちゃまでもいいのよ?
夫のクリフトフとの仲も、クリスと知り合ってからなのよ。まさかあの時、辺境伯の家とは言え、特に器量よしというわけでもなく大して美人でもない私がこんな良縁がくるなんてね」
「では、その、パトリシア伯母様はもともと婚約者ではないのですか? 貴族の多くは幼い頃から婚約者を定めると聞きます。高位貴族程、家同士での取り決めがあると聞きますが」
「そうよー、いたわよぉ。私にもいたわ。金で爵位を買った子爵家のドラ息子が!
うふふふーっ、そしたらそのバカ子息が寄りにも寄って親友のクリスちゃんに手を出そうとしたから、思いっきり花瓶で殴ってやったの!
クリスちゃんは読書友達でね。女性には当時はあまり流行ってない冒険譚ものにド嵌りしていて、よくお泊りして語りあったわー」
意外と過激だ!?
ほんのりと上気した丸いほっぺたに手を当てて、ニコニコするパトリシア伯母様の発言に、わたくしは眼を真ん丸にして白黒させてしまう。
「貴族の令嬢が、爵位が下とはいえ婚約者を殴ったなんてそりゃもう顰蹙モノよ。
あの子爵家、当主様は立派な方でねぇ、なんであんな息子になったか分からないほどやり手の商人でしたのよ。人情深くて、でもとても資産家でねえ。
殴った瞬間青褪めたのは今でも覚えているわ。お父様もお母様も、もうカンカンに怒ってしまって、婚約も流れてしまったわぁ。
悪いのは浮気したあっちなのだけれど、当時戦争で流れてきた流民や賊が多くて、領地が荒れてしまっていてね。うちも余り裕福じゃなかったら、融資と引き換えの婚約だったのよ。当てがなくなって、真っ青。
修道院に入れられるのかしらと思ったら、フォルトゥナ公爵家から御呼ばれがあってね、そこでクリフトフ様がね、見事なダリア園の見えるバルコニーで「結婚してほしい」といきなり膝をついて一輪の真っ白なダリアを差し出してきたの」
早くない!? 展開が早すぎではなくて!?
「あとで聞いたら、もともとクリスちゃんから色々わたくしのこと聞いていたみたい。
でも、婚約者がいたでしょう? あまり評判の良くない人だったけど、クリスちゃんに強引に迫ったことであっちはフォルトゥナ公爵家にコテンパンにされたそうなのー。
ずっと前からクリスちゃんの信望者で、付き纏っていたみたい。通りで婚約者ほってどっかにほっつき歩くはずだわ。その癖、クリスちゃんと話していると割り込むし、私の屋敷に急に来たりして。
必死に牽制はしていたけど、馬鹿はダメね。子爵子息風情を公爵令嬢がまともに相手にしてくれる理由も解らなかったみたいよ。
わたくしとの縁の切れ目が決定打だったみたい。本当、びっくりしたわぁ。婚約の申し込み吹っ飛ばしてプロポーズですもの~」
「クリフ伯父様、意外と情熱的な方なのですね……」
「違う違う! すっごいシスコンなの! 選んだ理由っていうのもクリスちゃんと仲良くできて、体を張ってクリスちゃんを守ったってところに感動したのよー。あの人!
婚約中も結婚後もしょっちゅうクリスちゃんを取り合ってたわぁ」
「あの、クリフ伯父さまに婚約者はいらっしゃらなかったのでしょうか?」
「いたけどシスコン過ぎるクリフ様にドン引きしていて、常々婚約破棄の機会を虎視眈々と狙い続けていたの。
わたくしが気づいたら全力で外堀埋められたわ~。クリフ様以外とは結婚はあり得ないってくらいに……
曰く、他所から見ている分にはいいけど、傍にいたらストレス多くて無理だそうよ。
引き取ってくれてありがとうと、あの子爵家の代わりに融資を申し出て下って、盛大にお祝いしてくださったわ」
何故でしょうか、公爵子息のクリフトフ伯父様の残念臭。
でも分かる気がします。わたくしに対する顔のユルユル具合からして、お母様に対してもそんな勢いだったのでしょう。
元婚約者さんのコメントが辛辣ですわ。高みの見物希望なのですわね。
そしてそんなロマンスかコメディか分からないような結婚の経緯を、パトリシア伯母さまは「うふふ~」と朗らかに笑って話しています。
そのお顔はちっとも嫌そうではなくて、むしろ楽しそうなのです。
結婚を何だと思っているんだと怒っていいと思います。妹基準ですよ、あの髭様。
パトリシア伯母さまは初対面ですが、とてもお話がしやすい。チャーミングでこんなに素敵な方ですのに。
「でもねぇ、前がすごいクズ男だったから全然平気だったわ。
なんか部屋の周りをうろうろしていると思ったら真っ赤な顔して花束用意して待ってたり、ちょっと遠くの街の視察に行ったと思ったら王都で店でもやるの!? ってレベルのお土産持ってきたりしてね。
辺境伯であっても貧乏貴族でしたのよ? 四大公爵家の資産にびっくりして縮み上がったわ。これはわたくしの手に負えないって、世界の違う方だとすら思ったわ。
それなのにダメね、すっかり絆されちゃった。
強引でもやっぱりまんざらでもなかったのよ、シスコンでもクリフ様はわたくしに優しくしてくださったし、エスコートは完璧だったわ。やることワンパターンなんだけど本当に真面目に悩んでわたくしのために贈り物を選んでくださっていると思うと、ね?」
「まあ」
からからと笑うパトリシア伯母さまは、ふんわりとした雰囲気に似合わずなかなかに過激な人生を歩まれていたのですね。
しかし、あの髭伯父さまが花を持ってプロポーズとは。
意外ですわね。貴族の慣例や風習に対しては堅物そうですのに。
「とても家族思いな人よ。貴族としての誇りも持ってらっしゃるから、目つきが悪くて余計に冷たい言動に見えてしまうけどね。
ラティッチェ公爵や、公爵子息に態々毎回嫌味を言いに行っていたけど、貴女やクリスちゃんが心配だったのよ」
「そう、ですか」
「うふふ、そんなに硬くならないでわがまま言って振り回しちゃいなさい?
大慌てになりながら尻尾振って喜ぶわよぉ。この前だって手紙を託されただけで、すっかり舞い上がっていたもの~。
手元にあるものはガンガン使って慣らしておいた方がいいわ」
「ふぇ……?」
いいのでしょうか、奥様。貴女の旦那様をこんな小娘に扱き使わせて。
乙女のようにふわふわと微笑んでいらっしゃいますが、髭伯父様を売り飛ばしてませんか?
「あ、ごめんなさい。ついつい馴れ馴れしくなってしまったわ。殿下、申し訳ありませんわ」
「い、いえ……その、できれば私的にお会いするときは畏まらないでいただけた方が嬉しいです。
そのパトリシア伯母さまが嫌でなければ」
「まあ~、カーワーイー! 伯母ちゃんもう張り切っちゃいそうだわ~。これじゃあクリフのこと言えないわねえ! うふふ~」
伯母さま、テンションが高いですわ。
やーん、といいながら紅潮した両頬に手を当てて身を捩っています。
そして、私に手を伸ばしたかと思うとぎゅっぎゅっとその豊満なお胸に顔が埋まります。オギャりそう……ハッ、わたくしにはラティお義母様がいるのに!!!
ダメですわ、驚きの包容力とママ力に屈しかけました。
ジブリールはずっとにこにこと笑っていました。
気配を完全にけさないでくださいまし! 完全に圧倒されっぱなしでしたわ……
あうあう……姉、姉の威厳が……オットセイかアシカのバブちゃんになりそうですわ。
始終ニコニコと、所によりマシンガントークのパトリシア伯母様との楽しいお茶会はあっという間でした。
ジブリールはずーっとニコニコとその様子を微笑まし気に眺めていました。
姉 の 威 厳 が ! !
「姫殿下」
「なに、ベラ?」
「パトリシア様にはお気を付け下さい」
「え……? 何故? とても優しい方に見えましたが」
「パトリシア様の元婚約者ですが。
花瓶でぶん殴られただけではなく、そのままみぞおち、顔面、背骨に飛び膝蹴りを喰らい、肋骨と鼻骨を骨折し、両肩を脱臼しております。
そして、そのまま屋敷を闊歩、庭園まで引きずり回され、庭でも数年間は水を入れ替えていないヘドロのような噴水に真冬の寒空の中、公衆の面前で突き落とされたそうです。
そして、自分もその水の中に入り、クリス様が追い付いて止めるまで、靴をなくすほど蹴っていたそうです。
パトリシア様の祖先は騎馬民族で、かの辺境伯家は男女ともに武勇に優れています。
一見朗らかに見えますが、一度怒ると手が付けられません。
パトリシア様の別名は『フォルトゥナの狂犬』です。解放つときは、相手は殺すつもりで」
ふわもこのポメちゃんみたいな伯母さまは、まさかのケルベロスだったでござる。
呆然としてしまいます。
狂犬……? あのにこにこのおばちゃまが?
アンナがそっとわたくしの肩に手を置きます。
「ジブリール様と懇意になったきっかけも、とある貴族の求愛を決闘で跳ね除けたときです。その貴族男性は負けを認めず、ネチネチと言い訳をしていたそうです。
それを一喝して黙らせたのがパトリシア伯爵夫人です。
あの二人、見かけのタイプは違いますが、根っこは近いです。同類です」
後日、毎度のごとくわたくしの顔を見に来たクリフ伯父さまに「そんなことないですわよね?」と伺いました。
クリフ伯父さまはちょっと照れながら頷いていました。
あ、クリフ伯父さまは大好きな方には痘痕も笑窪になるタイプですのね。知っていましたわ。
そして、他にも伯母さまの武勇伝を聞かせていただきました。にこにこと完全のろけモードでした。その内容というのが、手作りクッキーお上手であること。そして器具を使うのを面倒くさがって片手で胡桃を粉砕するとか。あの小柄な体で馬を乗りこなすとか、それが軍馬の中でも使い手が限られる魔馬であり、狩りをやらせたらフォルトゥナ公爵にも勝る腕前だとか。腕相撲をさせたら、並みの男より全然強いとか。
数日後、クリフ伯父さまはこってり絞られたご様子。しょんぼりとしながら怒られたと報告しに来ました。
大丈夫です。わたくしも大人です。胸にちゃんとしまって封印しておきますわ。
後日カルマン女史にもフォルトゥナ伯爵列伝を色々お伺いしました。
引き換えに、ヴァユの離宮の書庫から色々とカルマン女史の興味を引きそうな本を探しましたが。
学生時代は同学年だったので、色々知っているそうです。
あのふわふわにこにこで人畜無害そうなところが、悪い貴族たちの鬱憤の捌け口に目を付けられやすいそうです。
酷い話もあったものですわ。
「いや、でもすごいのよ。トリシャは昔っから変わらないわよ。
ニコニコしながら相手をコテンパンに叩きのめすことを常に頭の中で考えているようなやつよ? 腕っぷしだけでなくメンタルが強いの。
その分、裏表のないクリスティーナ様を随分可愛がっていたとお聞きしますわ」
「伯母様はすごい方ですのね……」
「それでコテンパンにした相手から弱みを搾り取るタイプですわ」
敵に回したくないですわ!
「アルベルティーナ様のことは完全に可愛がりたい枠というか甘やかしたい枠でしょうから、概ね無害でしょうね。だから野に放つときはお気を付けくださいね?」
情報が多いですわ。
とても情報が多いですわ。わたくしを敵視してらっしゃらないのはとてもありがたいですわ。
「でも結婚するときはかなり旦那を吟味するでしょうね。下手な男は諦めてください。これは確定です」
「……わたくしの結婚は王家が決めるのでは?」
「それを全力で阻止したいからフォルトゥナの狂犬が解き放たれたのだと思います。
この手の根回しはフォルトゥナ公爵様よりトリシャのほうが得意ですので。
トリシャが姫殿下を気に入ってしまったから、義務ではなく本気でやりますよ。恐らく、婚約者に収まっても全力で躾が待っているかと」
読んでいただきありがとうございました!