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後継争い3

 キングオブ貧乏くじ、ゼファール氏。

 基本自由人の兄たちのツケを支払わされている可哀想な人です。

 本人は窓際で茶をシバくのが仕事のような役職でもまったく気にしない人。

 領地の家族さえちゃんと食わせられれば満足。


 グレイルの月命日となった。

 目まぐるしい日々から隔絶された、穏やかな、まるでその時のために切り取られたような日だった。

 喪を意味する漆黒を纏い、キシュタリアは霊廟へと向かう。

 馬車で揺られながら、なだらかに進む風景を眺める。馬の蹄が舗装された道路を蹴る軽快な音と、車輪の音だけが響く。何の変哲もない風景でも、あの姉は目を輝かせて馬車の窓に張り付くのだろう。長年共に居たキシュタリアでさえ、彼女が『外出』した回数は数えるほどだ。

 彼女の出かけるは精々敷地内にある別邸や温室、見頃になった庭園だ。

 外壁から出ることはほぼない。出たとしても、必ず公爵かキシュタリアがついている。

 住居とするラティッチェ邸が広大なのを差し引いても、明らかに少ないといっていい。

 脆弱が折り紙付きのアルベルティーナの要望がふんだんに盛り込まれたローズ商会の馬車は揺れも少なく、快適だった。長時間の移動でもそれほど体が痛まない。

 近くの街に入ると、ジュリアスが声をかけてきた。


「部屋をとっております。小休憩されてはいかがでしょうか」


「それ、食べられるものが出てくる?」


 美食舌の姉に付き合い続けたキシュタリアも、相当なものだ。

 地味に学園の寮暮らしはきつく、ラティッチェ所縁のシェフを何人か派遣してもらい、なるべくそれ以外のものは口にしなかった。

 王都でも人気の老舗レストランや、名家の夜会で何度騙されたことか。社交場でも食事は敬遠していた。

 それなりに多忙だから、食事も意識的にとらなければ体がもたないと分かっている。だが、口に合わないモノを好んで食したくないのも事実だ。


「ご安心を、こちらにはローズ商会のカフェが併設されております」


「なら安心だね」


 食えない笑みの従僕は心得ているばかりに一礼した。

 案内された先は、白壁と煉瓦のコントラストが美しい、個室のあるカフェであった。

 ホテルと併設されたカフェは、ラウンジを兼ねている。オープンテラスもあり、そこには若い女性たちが楽しげに話しをし、老夫婦らしき男女が整えられた庭を指さしながら和やかな空気を出している。

 食事時の時間からずれていることもあり、非常に混んでいるわけでもないが、人気店だと伺えるだけの賑わいがあった。

 キシュタリアが通ると女性の視線が全て吸い寄せられるように突き刺さる。

 ジュリアスも整っているが、彼は気配を消すのが上手く視線を避けている。

 メニューも見やすく、簡単な説明とイラスト付きで分かりやすい。

 注文して間もなく、温かい紅茶がサーブされる。そしてカフェのオーナー、そしてホテルの支配人がやってきてキシュタリアを慮る言葉をかけてくる。

 気づかわし気に恭しくも次期当主を見定めに来た気配も感じ取った。

 だが、アルベルティーナの手紙がある以上、無下に扱えない。顔をつないで損がない存在と判断されたようだ。

 持ってこられた軽食は美味しかった。ラティッチェのシェフにはどうしても劣るが、十分及第点である。

 甘くないクレープ生地にハムとレタスやチーズが包まれたものだ。

 断面も美しく、色彩が美しい。シャキシャキとしたレタスの食感に、ハムやチーズの塩気が合う。クレープに包まれているので、食べやすく汚れにくいのもいい。


(これはチーズがいい。アルベルはもう少し甘いのが好きかな?

 チョコレートやクリーム? 少しくどいかな? 果実の食感の残るヴァレニエやコンポート系がいいな。

 アンナもアルベルの少し食が細くなっていると心配していた……これなら、ローズ商会の話題を振りながら勧めれば手を付けそうだな。

ミカエリス……いや、ジブリールを向かわせて茶会という形で間食を増やすか?

 母様は忙しいし、男だと余りフォルトゥナ家がいい顔をしない)


 キシュタリアは義弟という立場があるからこそ他よりだいぶ垣根が低い。

 アルベルティーナがキシュタリアに合わせて、少し食べ物に口を付けるのが一番大きいだろう。

 穏やかに笑っているが、その笑みが心配させまいというものなのは解ってしまう。

 伊達にずっと焦れ、見つめ続けていたわけではないのだ。

 周囲もキシュタリアの視線にこもる熱を知りつつ、苦々し気にしながらも背に腹はかえられない。フォルトゥナ伯爵は色々と融通してくれている。これ以上アルベルティーナに嫌われてたまるかという強い意思が伝わってくる。

 フォルトゥナ公爵のほうは、警備に力を入れている。自分の姿に孫娘が怯えるのを理解しているのだろう。会いに行こうとはしない。だが、よくヴァユの離宮で顔を合わせる。

 フォルトゥナ公爵が直に見回ることにより元老会や王家からの人間を、アルベルティーナの傍に寄せない様にしている。

 姑息な毒虫を入れるなら、頭の湧いた馬鹿のほうがましらしい。その余波で頭の悪いメイドから秋波を受けるのは、我慢している。アルベルティーナが住まう離宮の奥に行けば、その馬鹿はいなくなる。線引きはあるのだ。

 だが一点、アルベルティーナの部屋にぬいぐるみが増えているのが気になる。

 定期的にチャッピーが齧り壊すらしいが、それでも行くたびに増えている。

 なんでも、フォルトゥナ公爵が贈っているらしい。


(………いや、アルベルはもう十七歳だよ? 似合うし、可愛いけどレディに贈るプレゼントじゃないよね)


 女性の扱いに関して朴念仁そうな、武骨そうなあの公爵を思い出す。

 子供すぎるプレゼントだが、彼にしてみれば誤差なのか。孫という存在は永遠のお子様なのだろうか。

 アルベルティーナのベッド脇や部屋のチェストの上に綺麗に鎮座する当たり気に入られているのだろう。ただ単に贈り主を知らない可能性もある。

 一度、オルコット伯爵家が親指の爪ほどある真珠と子供の拳ほどの大きさのエメラルドで作られたブローチを贈ってきた。

 それなりの大きな貴族なので、渡さないということは無理だった。なにせ、オルコット家はメザーリン王妃の実家だ。

 そのキラキラしい宝玉に眉を顰め、それに添えられていた弔文という名の恋文に口を曲げて露骨に嫌そうな顔をしたアルベルティーナ。

 オルコット家の馬鹿息子が先走ったようである。

 その場で捨てなかっただけの自制心はあったが、フォルトゥナ公爵家から角が立たない様にお返しする形になった。

 王妃の実家への対応より、本当に嫌そうなアルベルティーナに気を使っていた。

 まあ、アルベルティーナが喜ぶかどうかはともかく、一般的には宝石やドレスを喜ぶお年頃だ。

 思考もそこそこに軽食を取り終え、また馬車に乗る。

 向かう先はラティッチェ領にある小高い丘の一角。見晴らしのいい場所にラティッチェ公爵家の霊廟がある。歴代の当主や伴侶などがそこに眠っている。

 最近、まだ若い当主が一人眠ることになったこともあり、綺麗に清掃がされている。

 アルベルティーナからは美しい青百合を持たされた。

 行きたいと本人は言っていたが、まだ顔色が悪い。霊廟まで歩けるか不安があった。

 霊廟までは坂道があり、そこは馬車で入ることは禁じられている。そこも既に墓地の一部だからだ。霊廟自体が立派で大きいものなので、それなりに歩くのだ。

アルベルティーナは時々自分が健常だと思っている節がある。だが、二週間以上寝たきりだったこともあり、体力は酷く落ちている。王家に確認を取る前に、外出許可が医師からも下りなかった。

 貴重な王家の瞳を持つ若い女性――母体として重要視されているアルベルティーナは、非常に食事も住まいも厳選されている。

 そしてキシュタリアもストレスがない場所ならともかく、魑魅魍魎のような欲望をたぎらせた分家たちにアルベルティーナを会わせるのは気が進まない。

 ジュリアスの言葉を借りるなら「躾直してからですね」といったところだろう。

 いっそのこと『再教育』くらいに扱いてやっていいと思うキシュタリアだ。


「おや、野良犬が喪服など着て紛れ込んでいる。ここはラティッチェ公爵家の霊廟だぞ。おい、誰だ? こんな卑しい血をここに招き入れたのは!」


 キシュタリアを見つけるや否や、ニタニタとそれこそ品のない『卑しい』笑みを浮かべたマクシミリアン侯爵がやってくる。

 これに父と同じラティッチェの血が流れているのかと疑問視したくなるような、小太りの凡庸な容姿の男だ。髪色は茶系で瞳も青系だが、印象は何もかも大きく違う。

 いくら子息とはいえ、本家の公爵子息のキシュタリアは若年だが見下される覚えがない。

 どうやら、分家の代表として担がれたのは予想通りのこの男だった。

 頭の軽い男である。煽てに弱い。担ぐ神輿は軽い方がいいという解りやすい例だ。


(クロイツ伯爵に感謝だな。理性的で利口な、本当に厄介なのは彼が諭して口説き落としていたのは……)


 やってきた使者は謎の仮面男、時にくねくねと妙になよやかな騎士だった。

 使者のその異様なチョイスに軽く戸惑ったが、いつも人気のないところで手紙だけ渡してさっさと用件のみで帰っていく。

 お陰で、社交に頻繁に出られなくとも必要な情報がそろった。人脈が広いという噂は確かだった。

 念のためキシュタリアも会ったが、間違ってもマクシミリアンのような対応はされなかった。何人かはクロイツ伯爵を推したそうにしていたのは知っていた。だが、キシュタリアを擁護まではいかなくとも、反対はしないとの確認は取れている。クロイツ伯爵本人が、これ以上の責務はいらないと直々にキシュタリアを公爵として推しているのも大きい。

 多忙なゼファールとして、これ以上やる気のない後継争いのとばっちりはお断りなのだろう。

 ラティッチェ公爵邸の襲撃犯の調査、グレイルの葬式、ラティッチェ公爵家の相続と当主の就任、アルベルティーナへのフォローとキシュタリアのやることは山積みだ。

 こういった馬鹿の対応もその一つである。


「マクシミリアン侯爵、私はラティッチェ公爵家の嫡男です。言葉を慎んだ方が良いのでは?」


「嫡男!? 男爵家の鼻つまみ者だろう! 金で売られたと聞いたぞ?」


 グレイルがいなくなった途端、この態度だ。

 言葉の威勢は立派だがげらげらと品のない。グレイルが屋敷にすら近づけなかったのも頷ける。

 まともな人間は、つかず離れず弔意を述べるにとどまって波風を立てなかった。

 状況次第で、どちらでもつけるようにと考えたのだろう。

 金で売られた、確かにそうだ。キシュタリアとラティーヌを引き取りたいと申し出たグレイルは、決して少なくない金額を払っていた。

 あれには、今後余計な事をするなという意味もあっただろうに。隙の無い義父のことだ、書面を残していても可笑しくない。

 問題は、その書類が入っていそうな部屋が軒並み封印を施されてしまっていること――開かないのだ。グレイルの私室、書斎をはじめとする一部の部屋だ。

 グレイルの死に伴い、自動的にそうなるよう施されていたようだ。遠征などで戦地へ行くことも多いグレイルは己の万一に準備をしていたのだろう。

 お陰で強引に勝手に入ろうとした分家は碌な成果もあげられず、逃げ帰ったが。


「確かに、元の男爵家は養子を出した謝礼に、多少の援助をしたかもしれません。

 父は借りを作るのは好みませんし、何分私は幼かったので詳しくは……」


「ハハハッ、やはりそうか! まるで家畜や奴隷じゃないか! やはり下賤な子だ! こんな人間、栄えある四大公爵家の跡取りには相応しくない!」


「それとこれとは話が別です。父を愚弄するおつもりですか?」


「愚弄ではなく事実だろう! こんな薄汚い血が公爵家に入るなど悍ましい!」


「ですが当主であった父が決めたことです。その決定に、血筋の近さの一存で変えると?

 その法則で言えば最も近いのはクロイツ伯爵ですが」


「そうだ! 本来なら弟君のクロイツ伯が相応しい。陛下や、他の王侯貴族からも覚えが目出度いお方だしな!

だがご本人が辞退するのであれば致し方ない……グレイル様の兄君は他所へ婿入りし、連絡も取れないから難しい。

 そうなれば、家柄や歴史を考えれば私が相応しいだろう?」


 そういって、掲げた手には青い宝石が輝いている。

 つければいいというわけではないが、装飾品もだが上等な仕立ての服にもかかわらずその取り合わせはちぐはぐしている。一つ一つの主張が大きすぎてまとまりがない。

 青い宝石の指輪も、デザインはかなり古い。宝石自体は良いものかもしれないが、少し傷が目立つ。あれでは価値も下がるだろう。


「なに、グレイル様の義理の息子のよしみだ。ここはひとつ爵位くらいは委譲してやろう。

 ラティッチェ公爵家は様々な領地や爵位を管理しているからな!」


「お断りします。何故私が引き継ぐべきものを他人に譲り渡さねばならない前提なのか」


「はっ! お前如きには身に余るものだろう!

 多少アルベルティーナ様と近しいからといっていい気になるなよ? あの方は正真正銘、尊き青き血を引く方だ。お前のようなものが軽々しく接していいお方でないのだ」


 ああ、成程ね――キシュタリアはゆるりと笑みを深める。

 爵位をやるなんて言うからには裏があるだろうと思ったが、分家として搾取するつもりなのかと思えば、それだけでなくアルベルティーナへ顔をつないでほしいようだ。

 恐らく、侯爵という地位とラティッチェ公爵家の分家という肩書を持っても近づきすらできなかったのだろう。


「そうですか、姉様に相手にされないどころか疎まれているとも知らずに」


「なっ!?」


「やけに今日は噛み付いてくると思いましたよ。商会で余程手痛く突っぱねられましたか?」


 くすりと困ったような笑みをたたえるキシュタリア。余裕が見て取れるその微笑は、妖艶でいて背筋が寒くなるものだった。

頬に朱が走り、一気にマクシミリアン侯爵の顔が赤黒く染まる。

 怒りで一気に気色ばみ、今にもキシュタリアに掴みかからんばかりだ。

 恐らく、マクシミリアン侯爵がこんなにも噛み付いてくるのは、領地経営が焦げ付いているからだ。

マクシミリアン領は鉱山を所有している。百年ほど前に見つかった鉱山は宝石が良く採れ、いっときは国内でも指折りの財産を築くほどに隆盛した。ここ最近の採掘量は伸び悩んでいるときく。目ぼしいものは取り尽くしいい加減、底をついたというところだ。

 さらに、アルベルティーナがローズブランドで透明度が高いカラーガラスといった安価な宝石の代用品を作り出しているのもあり、値段は立派でも質の悪い宝石は買い手がさらに減っている。

貴族としての自負は人一倍でも、それは傲慢さだけ。

 マクシミリアン侯爵家の豊かなのは表だけ、実質的なものはかなりひっ迫している。

 かといって幼少期より貴族として豊かに育ったオーエン・フォン・マクシミリアンの脳味噌には節制や節約といった言葉はない。なければ領民から搾り取り、さらに足りなければ他所から借りてくる。

 自分の生活を見直そうとはしなかった。そして、それを見て育った息子のヴァンも似たようなものだという。落ちぶれるのは火を見るよりも明らかだ。

 これで息子のヴァンが反面教師の理知的な性格だったらまだよかったが、大らかといえば聞こえがいいがガサツなうえに衝動で動いては問題を起こしているそうだ。驕った性格や一時の感情が先走り、持参金目当てで婚約した子爵家の令嬢とも仲が悪い。それを身分で強引でねじ伏せている問題児だ。

 そのためグレイルには当然器量なしと判断され、援助も受けられなかった。かといって今更新しい取り組みをするなり、生活を改めるなりしなかった。

 結局は歴史ある貴族であり、侯爵家というのが彼の縋るところなのだろう。


「なっ、あれは! たまたまだ! あの商人どもめが公爵様がお亡くなりになったことをいいことに、大きな顔をしおって!」


 素晴らしいブーメランである。

 大きな顔も何も、アルベルティーナ直筆のお達しが出ているのだ。

 キシュタリアはここまで馬車で来た。途中、ローズ商会所縁のカフェで軽食をとったが、重役たちが出てきて弔意を述べるとともに忙しさを労わられた。

 もちろん、そこ以外でも露骨にキシュタリアを追い払う人間などいなかった。

 ラティッチェ公爵家の人間として扱われていた。

 この男は、強気でいけばキシュタリアが畏縮するとでも思っているのか声ばかり張り上げて煩い。


「知らないとは幸せな事ですね」


「あ?」


 ここで貴族としてあり得ない、この蛮人そのものの振る舞いをしている彼こそ鼻つまみ者だろう。

 マクシミリアン侯爵は周囲を見ているが、誰も彼の言葉に賛同も、フォローもしない。

 それはそうだ。少し耳の敏い人間や、勘の鋭い人間ならアルベルティーナ直筆の御触れを知っている。知らなくとも、何かを感じ取り沈黙する。

 何も知らず、調べず、感じ取れない愚か者だけが空回っている。

 当てが外れ、ますますマクシミリアン侯爵は焦っている。


「ラティッチェ領は広いですよ。また、国王から貴族たちのバランスと国境を守る役目を仰せつかっています。

 領主として、貴族として、軍人として、魔法使いとしての技量を求められます。

 スタンピード一つ、ダンジョン一つ制すことのできないような人間には務まりません」


「だ、だからなんだ! スタンピードなど騎士の応援を送り、それまでは傭兵でも雇えばいい!」


「ああ、成程。ご自分の領地もそのように管理なさっていたのですね」


 道理で出費が多いはずだ。

 騎士を要請し、傭兵を雇う。国と傭兵やギルドに金を払い、そして折角討伐した魔物たちも彼らが報酬として取っていったのだろう。

 鉱山頼りの甘ったるい領地運営をしていれば、底をつくに決まっている。ああいった埋蔵資源は無限ではない。既に限界が来ている。

 そしてグレイルは、魔物や賊など領地を荒らすそういったものは自ら対応していた。

 私兵を指揮しながら彼自身、圧倒的な魔法で殲滅し、畏怖とカリスマを領民や騎士たちに植え付けていた。

 腑抜けた貴族などとグレイルを揶揄する人間は飛んだもぐりにもほどがあるといわれるほどに。


「ラティッチェにそんな軟弱な当主は務まりませんよ。自らの力を示せなければ、ついてくるものも来なくなる」


 そんなグレイルに憧れて騎士や魔法使いとして志願してきたものたちは少なくない。

 グレイルは近寄りがたいが、熱狂的な部下や私兵は数多といる。集めなくとも、カリスマがあるので寄ってくるのだ。


「はっ、青二才が。貴様ができると? いくら優秀と言われようが学生だろう。

 公爵の威光に守られた小倅ごとき、何ができる」


「おや、これは手厳しい」


 手厳しいなんて思ってもいない、不遜なほど余裕のある笑みが美貌を彩る。

 だが、無駄な抵抗をする羽虫を甚振るような愉悦すら感じる。

 宝石のようなアクアブルーの瞳に、艶やかなアッシュブラウンの髪、甘い美貌に何を考えているか分からない笑み。

 美しい、化け物。

 それはまるで――誰もが思いかけた。

 だが、認めないとばかりにマクシミリアン侯爵は声を張り上げる。


「ふざ、ふざけるな! 認めてなるものか! 貴様など、貴様など………っ」


 乱暴に腕を振り上げた。誰かが息を飲み、悲鳴を上げる。

 キシュタリアは嘲笑った。論破もできず、圧倒することもできない。だから暴力で誤魔化そうとする。

 一撃目はすっと体を引いて捌いた。無様に空振りし転びかけるのを冷たく一瞥する。

 マクシミリアン侯爵の暴挙に、周囲が青ざめた。いくら侯爵とえど、彼は分家でしかない。公爵家のキシュタリアに暴力を一方的に振るえる立場ではないのだ。

 もし、キシュタリアがマクシミリアン侯爵家よりずっと下の立場なら泣き寝入りだ。だが、寧ろ家は格上である。あってはならないといっていい。

 貴族にとって、立場や身分は重んじられるもの。それに合った振る舞いが求められる。

 このような場所で暴力沙汰を起こした時点で、マクシミリアン侯爵家は咎められるべき立場だ。本来、ここはグレイルの死を悼むべきところ。下世話な争いをする場所ではないのだから。

 噛み付いてきたのはマクシミリアン侯爵。キシュタリアは穏便に努めていた。


「おのれ! ちょろちょろと!」


 頭にき過ぎて己の行動に伴うものを理解していないらしい。マクシミリアン侯爵はなおもキシュタリアににじり寄って拳を振り上げた。

 そんな彼の背後に人が立つ。どこかで見おぼえがあると思ったら、生家にいた実父や異腹兄によく似ている男だ。

 何故ここに、と思った――どうせキシュタリアたちと引き換えた金銭などあっという間に使い果たしたのだろう。そして、この愚かな分家に近づき金を無心しに来たと簡単に予想がついた。あの時、金で売り払った時点で縁は切れたというのに。

 彼らにとってキシュタリアは膨大な魔力を持った化け物。家族ではない。

 余計な口を開く前に、別の手がマクシミリアンの手首を掴む。


「そこまでです、マクシミリアン侯爵」


 その腕を後ろから掴んだのは――グレイル。

 思わず一瞬息を飲んだ。

 違う。彼は金糸の髪をしているし、ほんの少しだけ瞳も青も紫がかっている。みなと同じように喪服に身を包んだ彼はゼファール・フォン・クロイツだ。

 元々グレイルと容姿は似ていたが、冷たい表情をすると一層近づく。

 彼もまた実兄のグレイルの月命日に墓を参りに来たのだ。


「クロイツ伯爵! 何故ですか! 何故この小僧をのさばらせるのですか!?」


「確かに彼は若い。ですが、その若者を支えるのが我々大人の役目。そして分家のものたちの役割でもあります」


「ですが、この小童は……っ」


「ラティッチェ公爵子息で、正統な後継者ですよ。

 念のため戸籍でも確認しましたが、キシュタリア君は実子に準ずる扱いです。法令と精査しても、彼はラティッチェの名を引き継ぐに問題ない立場です。

 まだ完全に成人の年齢ではありませんが、一年の喪が明ける頃には問題ないでしょう。

 それを差し置いて、分家の人間がラティッチェの名を語ることこそ簒奪者の謗りを受けることとなるでしょう」


「……この、根性なしが! それでもラティッチェの血を継ぐ誇り高き貴族か!?」


「ラティッチェには血統魔法などないですよ。血が繋がる、繋がらないではなく、できるかできないかです。

 できると見込まれたからこそ、彼は公爵子息でいられた。

 兄の死後の対応から見ても、私は彼が公爵当主の器であると判断しました」


「馬鹿な……不愉快だ! 失礼する!」


 腕を乱暴に払うと、ドスドスと足音を立てながらマクシミリアン侯爵は去っていった。

 当てが外れたのだろう。久々に見た顔も去っていった。ちらりと怯えのある顔でキシュタリアを見ていたが、目が合うとそそくさと消えた。

 その後ろに執事や従僕らしき男たちと、貴族らしい女性らが追いかけていく。妻か娘達だろう。

 騒がしい愚か者の退出に、誰でもなくため息が漏れる。


「すまない、手を出してしまった」


「い、いえ……」


 キシュタリアはその顔を見て引いた。

 遠目では見たことがあるし、夜会で薄暗い中ではあるが数回挨拶もしたことがある。

 似ているとは思っていた。だが、明るい場所ではっきり見ると余計にそう感じた。


(う、瓜二つだ)


 というか、声も似ている。アルベルティーナ以外の相手にこの柔らかい声が掛けられることに怖気が走る。

 キシュタリアのひきつった顔に気づいたのか、柔らかな笑みが苦笑に変わる。


「申し訳ない、あまり時間が無くて……献花をさせてもらったら失礼するよ。

 私の顔はどうしても兄を思い出させるだろう。すまないね、余計に哀しみを思い出させるような真似をして」


 違う。

 違うけどグレイルの幻影と、現実のゼファールの落差に吐き気がする。

 こんな優しい生き物は父様じゃないと頭が理解を全力拒否して、アレルギー症状に似た反応を示していた。

 ぞわわわと得体のしれない怖気が全身を駆け巡る。不作法だと分かっていても、今すぐ腕をさすり、背中をひっかきまわしたい衝動に駆られる。

 葬式の時は疲れ切ってくたびれ果てていた。だが、馬車に揺られている間に睡眠や休息が取れたゼファールは若々しい雰囲気を取り戻していた。

 奇しくも、年齢不詳のグレイルと同じくらいの二十代後半ほどの年齢に見えるくらいに。

 助けてくれたんだろうけど、体に染みついた美貌の義父グレイルへの畏怖と、目の前のほわほわとした優し気な叔父の差に色々メンタルが悲鳴を上げた。

 キシュタリアの反応を勘違いしたのか、申し訳なさそうに、そして少し悲しそうにゼファールは目を伏せる。


「あ、あのありがとうございます。その、色々と……」


 ぎこちなく絞り出すと、ぱぁっと表情を明るくさせるゼファール。

 喜びの踊る青い瞳が突き刺さる。物凄く逃げたい。好意を寄せられているのに、ものすごく逃げたくて仕方がないキシュタリア。


「いや、まだ若いのに大変だろう。君には期待しているよ」


「はい、若輩者ですがよろしくお願いします。クロイツ伯爵の噂はかねがね聞いておりますから、ぜひお会いしたかったです。

 魔法学にも精通なさっているし、騎士としても高名な方ですので……これを機に、是非良い関係を作れればと思っております」


 嘘じゃない。だけどもうキツイ。できれば二度と会いたくない!!!

 鋼よりも頑丈なはずのキシュタリアの心が全力でエマージェンシーコール。キシュタリアの心に赤いランプが瞬いてサイレンが鳴り響く。

 それでも口からはぺらぺらと耳障りのよい言葉が出てくれた。

 味方なんだけど、多分クロイツ伯爵は味方なんだろうけれど色々辛い。

 グレイルに扱かれ、社交で鍛え上げた鋼の精神の分厚い仮面で乗り切る。

 ここで、クロイツ伯爵と友好関係にあることを示すのは非常に重要だ。彼にその気がなくとも、担ぎたい輩は多い。

キシュタリアが公爵家を継ぐことは双方納得の上と周囲に知らしめる必要がある。

 何とか握手をしっかり交わし、表面は優雅な笑みを張り付け続けた。

 それをきっかけに、次々と別の分家もキシュタリアに挨拶の口上を述べ出す。

 それはキシュタリアを格上と敬うものであり、キシュタリアが次期公爵であると認めたということである。

 ちなみにジュリアスはもっと遠くに逃げていた。キシュタリアにもゼファールにも頑なに目も合わせないあの従僕の顔色の悪さも、気のせいではないだろう。

 護衛失格じゃなかろうかと思ったが、ゼファールに敵意はなかったのは確かだ。

そしてキシュタリアよりはるかに苛烈にグレイルに当たられていたジュリアスにとってもまたゼファールは強烈だったらしい。

 顔と声が激似の癖に、何故あんなにも違う。滲み出る人柄が、オーラが違う。

 流石、グレイル・フォン・ラティッチェが母親の腹に置き去りにした良心まで持ってきた男。

 彼は別の意味で多大なダメージを与えて去っていった。









「あら~、ゼフちゃんご機嫌ねぇ」


「キシュタリア君、いい子そうだったよ。よかったー、兄様に近い人ほど僕を怖がったりドン引いたりするから」


「良かったわねぇ、坊ちゃんだけじゃなくて、お嬢様のほうも仲良くできるといいわねぇ」


 ゼファールは知らない。

 危惧した通り、キシュタリアがゼファールに対し筆舌にしがたい気持ち悪さを覚えていたことに。

 それはキシュタリアのせいでもないし、ましてやゼファールのせいでもない。

 敢えて言うなら、グレイルの日頃の行いというものである。

 ゼファールは知らない。

 可愛い姪からも『お父様モドキ』という微妙な覚えられ方をしていることも。

 悲しい現実をよそに、仲良し祝いとジョセフィーヌが良い紅茶を奮発して用意していた。



 読んでいただきありがとうございました!

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