後継争い
美しききょうだい愛。
ただ重度のブラコン(無自覚家族愛)と重度のシスコン(自覚あり恋愛)です。
アルベルは基本キシュタリアは大事な弟。弟可愛い。弟大好き。しかし自覚は結構薄い。そしてお父様はもっと好き。これにはちょっと自覚あり。だけど自分のことは好きじゃない。
夢を見た。
幸せな夢だった。
広い敷地にシロツメクサが一面に広がっている。
子供のわたくしは、一生懸命小さな手で花を摘む。そして、不器用に結び合わせて花冠を作る。
そして、何とか花冠が出来上がった。
隣にやってきたお父様の頭に乗せた。
首が落ちた。
花冠は真っ赤な血糊となり、シロツメクサの野原は赤い絨毯と瓦礫が散らばる謁見の間。
呆然とあたりを見渡すと、床が崩れ始めた。
わたくしは崩れていく足場に焦りながら、お父様の首を抱えて走り出した。
嫌だ、嫌だ。捕まりたくない。守らなきゃ。
真っ黒な手が伸びてくる。
渡したくない。捕まりたくない。嫌だ、嫌だ。連れて行かないで!
真っ暗な道を走る。どこからか漏れだす光を目印に、走り続ける。
間に合わない! 捕まる!
「――いや!!」
薄暗い深夜。ぼんやりと魔石の明かりが灯る寝台。
静寂に響く荒い息と、汗で肌に張り付く髪や夜着。半身を上げると、嫌な倦怠感がまとわりつきます。
ノックが響き許可を出せば、アンナが心配そうに顔を出す。
「どうなされましたか、アルベルお嬢様?」
「……ア、ンナ……ごめんなさい、少し夢見が悪くて」
「では……よろしければ、落ち着くようハーブティーかホットミルクなど如何ですか?」
「ううん、大丈夫、このまま寝ますわ。ありがとう」
「いえ、何かありましたらお呼びください。おやすみなさいませ」
「ええ、おやすみなさい」
アンナが傍にいると思えば、気が楽だった。心配かけて申し訳ないという罪悪感と、メイドの心遣いにほっとする。
枕に頭を預けると、左右からチャッピーとハニーが顔を覗き込んできた。
「ふふ、貴方たちもいたのね。心配してくれたの? ありがとう。大丈夫よ」
「ぷ?」
「ぴー?」
それぞれの頭を撫でると、首を傾げならわたくしのお布団にもぐっていきます。どうやら、二匹とも心配で起きてしまったようです。もぞもぞと布団の中で態勢を整える気配に笑みが漏れた。
今度こそ、ちゃんと寝なきゃと目をつぶります。
ああ、でも夢でもお父様に会えたのは嬉しかった。
サンディス王国の王宮。その中でも最も警備が厳しいだろう一角、王の私室。
広々とした室内。高い白亜の天井には、シャンデリアがいくつもぶら下がっている。そして、天井自体にも緻密な彫刻が施されている。深紅の壁は重厚な鮮やかさを持っており、金の装飾が施されている。その装飾はよくよく見れば、サンディス王国の紋章で均一に描かれたそれは職人の素晴らしい技量を感じ取れた。床には毛足の短い絨毯が全面に敷かれている。大きく複雑な文様が描かれている。どれもこれも、惜しげもなく最高級のものが使われているのは言うまでもない。
豪奢だが、息苦しい。慣れたものの、いまだにそう思わずにはいられない。
ラウゼスは、大きな鏡台に向かい合う。そこにいたのは疲れた顔をした壮年の男がいた。
肉体的な老いのせいか、それとも王としての長年の重圧か、はたまた信頼する優秀な臣下を喪った悲しみか――きっとそのすべてだろう。
鏡台の装飾に触れる。ひとつ、ふたつとカチリかちりと微妙に推されて動く。そして、かちりと小さな音がしたのを確認して引き出しに手を伸ばす。二重構造の下を押し上げると、中から長方形の宝石箱が出てきた。縦20センチ、横10センチ、五センチほどの深さである。黒漆に黄金の装飾。蓋には緻密なサンディス王国の紋章が施されている。螺鈿とともに散らばるダイヤは小ぶりだが質が良く輝いている。魔力を通すと、蓋が開く。
蓋の中には、八つサンディスライトがあった。裸石の状態でベルベッド張りの上に鎮座している。澄んだ深いサンディスグリーンは、この国の王色。ラウゼスの瞳と同じもの。
(少しでも、あの娘のためになれば……)
これはもう自分には必要のないものだ。
あの子の未来が、少しでも明るいものになればと願う。
老王の固く閉じた瞼の裏に、どんな思いが飛来しているのかは彼しか分からない。だが、手が白くなるまで強く握りしめる指が、その覚悟を物語っているようだった。
キシュタリアは週に一回は必ず会いに来てくれます。
忙しいだろうに、そんなそぶりも見せずにいつものように優しい笑みを浮かべてやってくるのだ。当然、前触れがあるのでその日はいつも楽しみにしています。
キシュタリアの好きなクルミとナッツのタルトや、好んで飲む銘柄の紅茶を用意して待つ時間は嫌いじゃない。
アンナもキシュタリアが来るのを楽しみにしているみたいで、色々と用意を積極的にしてくれるのです。とてもできた侍女で頼もしいですわ。
心はどこかで、哀しい、痛い、寂しい、と悲鳴を上げている気がするのです。いつもいつも泣き喚いています――ですが、そんなわたくしを抱き上げて涙をぬぐってくれる方はもういないのです。
甘く落ち着いたアンバームスク、細身に見えてしっかりした肩幅。優しい玲瓏としたテノールと、頭を撫でる広い掌。両手を広げればいつもある。わたくしが飛び込んでいた、わたくしだけが許された場所。
――お父様はもういないのです。
下手に弱っているところを見せたら、付け込まれるのではないかと気を張ってしまいます。
最近よく眠れないし、大好きなアロマオイルやお香も効きが良くないのよね。なんとなく真夜中に起きて読書をしていたら、気づいたアンナが眠るまで付き添ってくれた時もあった。申し訳ないですわ。本当に我ながら軟弱な……
気を取り直して、お茶の準備をします。ラティッチェの料理人も来ていて、ローズブランドにも並ぶケーキがトレーに並んでいます。
「キシュタリアはチーズクッキーやペカンナッツショコラも好きよね」
ペカンナッツショコラは、ペカンナッツ(ピーカンナッツともいう)をチョコレートで包み、ココアパウダーでさらにコーティングしたお菓子です。まだローズブランドの製品にはなっていないのですが、おねだりしてわたくしがレシピを完成させたものの一つです。
ちょうどいいナッツを仕入れるのには苦労しましたわ……ジュリアスが。最初は胡桃で代用していましたが、より渋みがなく甘みの濃いものを探し求めました。ドミトリアス領で品種改良をし、何とかペカンナッツを作り上げたのですわ……
わたくしが求める味に若干ジュリアスが引いていた気がしましたが、ペカンナッツショコラができたら即座に商品化をもぎ取ろうとあの手この手でわたくしを転がそうとしてきました……しかもココア、キャラメル、ビターなどとフレーバーを複数作る羽目になり、本当に大変でしたわ……太るかと。それはもう。ナッツとチョコなんておデブちゃんへの最強タッグですわ。
「でもビターはキシュタリアが好きなのよね、お父様も……」
美味しいって言ってくださった。
甘い物をそれほど好まないお父様に褒められたのが嬉しかったのです。
暫くしてから、お父様が執務室の息抜きにとそのお菓子をお召し上がりになると、そっとセバスが教えてくれた時など、一人でニヤニヤしてしまいました。
思い出してじわりと眼窩が熱くなり、視界が歪む。流したくもない涙が零れ落ちそうになり、口を押えて嗚咽を飲み干す。
「お嬢様……」
気遣うアンナの声に顔を上げて笑みを作ります。だめですわ。心配させてしまいます。シャンとしないといけませんわ。
優しいメイドや使用人たちはわたくしの味方。四面楚歌ではないのです。
「ごめんなさい、アンナ。大丈夫よ」
そのとき、ベラが「お嬢様」と少し強張った表情で声をかける。
ベラは昔いたメイドのドーラに似ている。お母様だそうですわ。キシュタリアはそれを知った時、顔を歪ませていました。その、やはりと言いますかドーラに良い印象は残っていないのですね……でもベラはわたくしに優しいです。その、たまにうっとりと見つめている気がするのですが。
怖くはないので、まあいいです。ベラとクリフ伯父様から紹介いただいたセシル女史は、今後色々頼りになりそうですし。その、ちょっとアレな感じですが。
ですが、わたくしを『悲劇の令嬢』や『王太女』として見ていない目は好感が持てます。
絨毯にはいつくばって「歴史を感じていますの!」と真顔で言われたときは、軽く引きましたが……無言でベラが回収していきました。
「何かしら、ベラ」
「……こちらを」
そっと銀のトレーに乗せられた一通の封筒。真っ白で少し厚手な上質紙で作られた封筒は、王家の封蝋が押されている。
この王家の封蝋を押せる人間なんて、本当に一握り。陛下、もしくは殿下と呼ばれる方だけである。しかし、わたくしは家族と愛顧している商人や職人、ドミトリアス伯爵家以外とやり取りなどしたことない。
そっと持ちあげ、誰からのかを見極めようとする。
「恐らくは陛下かと。こちらの封筒に入っています、緑の文様の組み合わせは陛下がお使いになるものです」
「ベラ、知っていますの?」
「ええ、システィーナ奥様とクリスティーナお嬢様に宛てられていたものとお変わりないので」
ラウゼス陛下ならまだ、とだいぶ警戒心は下がった。これでメザーリン妃殿下やオフィール妃殿下でしたらちょっと怖かったです。
あの二人からは魔弾の連絡は来ていません。その、アンナやフォルトゥナ公爵がそっと破棄なさっていなければの話ですが。一応、わたくしは喪に服していますので、華やかな場所には余りいけない立場です。
そもそも……全く行きたいとは思いません。
それでしたら、お父様の死を悼み、お父様の御冥福をお祈りしとうございますわ。そちらの方がよほど有意義です。喪というのは、そのための期間ですし。
「これは、部屋でゆっくり読んでもよろしいものかしら? 今すぐ目を通した方が良くって?」
「至急、とまではいきませんが早めにとのことです」
「……解りましたわ」
あまり気が進まないが、国王陛下からの物を無下になどできない。重大な事が書いてあったら、うっかり信用ならない者の耳に入っては困る。一応、フォルトゥナ公爵家や王家が厳選したという使用人たちだが、たまに三流以下が混じっているときがある。でも、ベラやカレラス卿のようにきちんとした人たちもいるのです。
凄くできるのとできないのが交じり合うのは、おそらく水面下でフォルトゥナ公爵家と王家――の裏にいる元老会が争っているからだろう。
その、セシル女史のような特例もいますが……
恐らく、尻尾が出やすい人間を入れることによって、ある程度は元老会の要請にも対応していますよとうまくかわしているのでしょう。三流使用人は、ものの数日でわたくしの視界から消えることが暫しあります。
今のところ、王家や元老会は大人しいです。
しかし、キシュタリアの話では喪が明けたと同時に一気に事態が動くことは確定。まごうことなき事実です。恐らく、その喪の明けるまでの一年、その下準備をしようと画策し、仕掛けてくるのは間違いないでしょう。
そして、わたくしに対して色々と周囲に制約を掛けている。
抜け駆け防止というか、取らぬ狸のなんとやらに近いだろう御上の高尚な話や位という奴です。不愉快ですわ。誰が思い通りになってやるものですか。
お父様はわたくしの幸せを、最後まで望んでくださいました。
できることなら、今すぐ出家なりなんなりしてお父様の御冥福をお祈りしながら穏やかな日々を過ごしたいですわ。
ですが、現状のサンディス王家には王家の瞳はいないのです。そこでわたくしを引っ張り出したいのは知っています。王家の都合で子供を作れと言われるのでしょう。見ず知らずの男を宛がわれて? 冗談ではありませんわ。
そもそも、わたくしが触れる異性は本当に一握り……きつい。本当にきつい。
見ず知らずの人間に肌を見られ、体を暴かれるのはぞっとしますわ。
キシュタリアからも自衛を心掛けてと心配されていますわ。うん、全くその通りなので気を付けますわ。
その後やってきたキシュタリアはやっぱりわたくしのことをとても心配していて、優しい義弟にとても癒されました。
なんだかベラとアンナが微妙な顔をしていましたが、なんででしょうか……こんな姉想いのいい子のキシュタリアになにがあるというのでしょうか?
アンナから見れば確かに弟としての心はあったかもしれないが、それ以上に恋慕を抱いて有り余るのを知っていた――十年以上の熟成モノの初恋だ。だが、アルベルティーナにとってキシュタリアは未だに異性というより弟というイメージの強いことを知っているアンナをはじめとした使用人たちは黙った。野暮なことは言わないできた使用人だからだ。
「アルベル、その手紙なに?」
「これ? ラウゼス陛下からいただいたのよ。あとで部屋で読もうと思って」
「ふぅん、見ていい?」
気になるのかしら。
にこりと笑うキシュタリアに、その手紙を渡す。
そういえば、ラティッチェ家にいたときもお父様かラティお母様、もしくはセバスかジュリアスが確認してから見ていたのよね。
……そのせいで、修道院の資料や平民の生活を調べるのがすぐにばれてしまったのですが。
うーん、そう思うとラウゼス陛下のお手紙をキシュタリアに渡さない方が良かったのかしら? でもわたくしだけで判断できるものじゃないかもしれません。
「あ、宛先人しか見れない魔法があるみたい。アルベルが開けなきゃ燃えるかもな……」
「それは危ないわ。わたくしが開ければ問題なくて?」
「うん」
アンナがすっとやってきてペーパーナイフを差し出す。
すっと封筒に滑らせる。中の手紙、ひっかけてないわよね? 中から一通の手紙を取り出すと「気を付けてね」とキシュタリアに渡す。紙でスパッと切れると結構深くて治りにくいのよね……
なんだかキシュタリアの顔が心なし引きつっているような? あら?
「………ダメだ、アルベルはやっぱり僕が守らなきゃ」
「え?」
「ううん、こっちの話。じゃあ見るね」
「ええ、どうぞ。何の御用事だったのかしら?」
なんでしょうか。わたくし、何か間違えたのでしょうか。
キシュタリアだけでなく、ベラや護衛の騎士が何とも微妙なお顔をしているような気がしますわ。アンナは平然としているのですが。
キシュタリアは手紙を広げると視線を走らせる。
じっくり読んでいますわね。何か難しい内容だったのかしら。わたくしはティーカップを傾ける。今日の紅茶はアンナが淹れてくれたものね。うん、流石わたくしの専属侍女。大変結構なお味ですわ。
キシュタリアは席を立つと、わたくしの前に手紙を広げて耳元でささやく。
「会いたいんだって、アルベルに。直接。陛下自ら足を運んでも構わないから、時間を貰いたいって仰っている」
「まあ……」
「必ず二人きりで、できるだけ内密にって」
陛下がわざわざいらっしゃるってこと?
耳元でささやかれるのでちょっとくすぐったい。頬にキシュタリアのアッシュブラウンの髪があたる。日差しに透けてきらきらと輝く色は、お父様に似ている。何度、この色を羨んだことでしょう。わたくしは、お父様に似ているところが少ない。特に容姿は。髪も、瞳も、顔立ちもお母様によく似ている。お父様は喜んで、とても褒めてくださっていたけれど……ない物ねだりをしても詮無いことですわ。
陛下個人に対してはそんなに嫌な思いはないのです。ミカエリスの剣術大会でお会いしましたけれど、お優しそうな方でした。
メザーリン正妃は怖かったですし、エルメディア殿下は衝撃的でした。
ラウゼス陛下はとても、その、なんだか頭を撫でていただいても嫌な気持ちにならず寧ろほわほわとしました。
ですがこの呼び出し、何か重要なことがありそうな気配がプンプンとしますわ。
「アルベルはどうしたい? ある程度なら気持ちが整わないって誤魔化せるよ」
「……いえ、お受けいたしますわ」
「そう、あとで話を教えてくれる? ダメなら無理にとは言わないけど」
「ううん、わたくしだけでは判断できないかもしれない。相談させて?」
「……ありがとう、アルベル」
なんでわたくしが感謝されるのでしょうか?
首を傾げると、額にキスを落とされる。キシュタリアは困ったような、嬉しいような複雑な笑みを浮かべている。すみません、わたくし本当にポンコツで。
「そうだ、アルベル。ちょっと確認したいことがあるんだ」
「なにかしら?」
「分家から、へんなちょっかい掛かってない? 手紙とか、社交場に誘いとか。
こっちでも対応しているけどかなりなりふり構わないのも出てきたから、アルベルに不作法な介入をしてくるかもしれないんだ」
「分家? ごめんなさい。わたくし、お医者様のクロイツ伯爵は叔父様だとはお聞きしましたの。でも、それ以外の方は誰も知らないから、教えてくださいまし」
キシュタリアが黙った。
あのお父様モドキさんは、お父様の実弟だそうですわ。最近は顔をみませんの。なんでも、お父様が抜けた穴に宛がわれて大変多忙だそうですわ。
でも、わたくしはラティッチェの主治医が一番安心で信頼できます。適材適所ですわね。
「お父様から、誰も聞いたことない? クロイツ伯爵家以外だと、マクシミリアンやバルカス、カイディンスキーが有名なんだけど」
どちら様……?
全く持って聞き覚えのない家名? 人名? それとも領地? 思わず首を傾げますわ。
「あー、うん。お父様が気に食わないものをアルベルに寄せ付けないことはよく知っていたけど。そっか、家名すらか……まだ続いていたんだ……」
お父様が知らせる価値なしと判断した家の人間を、わたくしが知るはずがありません。
お父様は信用できる人間を選りすぐっていました。恐らく、名家であろうとお父様のお眼鏡にかなわない方々だったのでしょう。ならばわたくしが特別に覚える必要はあるのかしら?
「その方々、キシュタリアに何かしていない? その、ちょっと聞きましたの。分家が、随分と最近貴方やお母様と対立しているって……」
これは、結界魔法を再度使おうと頑張っているとき、情報収集を兼ねていたらたまたま耳に入ったことです。簡単に言ってしまえば、この宮殿内を魔法でスキャンしています。
噂好きの人間とは、どこでもいるものです。そして、休憩中なんかは特に隙ができます。
やると疲れるのですが、最近やり始めました……
じっとしていても、情報は入ってこない。わたくしに入る情報は制限されている。それは、わたくしの弱い身心を気遣ってか、それとも蚊帳の外にされているのかはわかりません。
アンナにはすぐに気づかれてしまいましたが、これしか方法がない。
それに、一刻も早く結界魔法を取り戻さなくては。やはりこれが重要なのです。
「そんな話……いえ、その通りです。元は養子であり、そして遠縁であることを理由に正統な後継者ではないと不満を出すものたちがいるのは事実だね。
そして、公爵家に繋がりのあるところへ、自分たちこそは正当なラティッチェの人間だと不穏な呼びかけをしている」
なんて恥知らずなのでしょう。言葉を失います。
お父様がお選びになり、育て上げられたキシュタリアを差し置いてなんてことを。
「また、母様も元は貴族でもない後妻だと排斥しようとする輩もいる」
酷いわ。そんなことない。ラティお母様は、立派に公爵夫人として動いていました。
義理の娘であるわたくしにも、非常に良くしてくださった。クリスお母様の記憶などほとんどないわたくしにとって、ラティお母様の存在がどれだけ心強かったことか。
そんな表情を読み取ったのか、少し困った笑みのキシュタリアがチーズクッキーを一枚とる。そして、それをすぐ食べずに少し眺めていた。
「大丈夫だよ、アルベル。そんな軟じゃないから」
くす、となんというか冷ややかな笑みを浮かべる。なんというか、悪戯っぽいというにはぞくりと肌が粟立つような蠱惑的な笑み。さくりとチーズクッキーを食む姿は、なんとも言い難く惹きつけるオーラがあります。
……やっぱり、キシュタリアはわたくしよりお父様に似ていますわ。くやしい。
「アルベルは心配しないで。元々これは想定内のことだから」
「想定内って……」
「お父様が生きていても、絶対これは起きたことだ。僕がお父様の実子じゃない以上はね」
「ラティッチェの後継は貴方よ。キシュタリア以外、わたくしは認めない」
「貴族に血統主義は多いから。ありがとう、アルベルにそう思ってもらえることが何よりも心強いよ」
引き籠ってばかりのわたくしが、そう思っていても対外的には?
心無い言葉が沢山、優しいキシュタリアに向けられていると思うと無力さに腹が立つ。少し俯いて、きゅっと唇を引き結ぶ。
わたくしは、無力だ。何の影響力のない小娘。面倒くさがり、怖がって逃げて社交を疎かにしたツケがこれ。いざという時に、わたくしは力になれない。お父様がいないと何もできない。
「キシュタリア、わたくしにできることはある?」
「アルベル、安易にそんなこと言ったらだめだよ。うーん……そうだ、僕のお嫁さんになってとか?」
伸ばされた手が、するりとわたくしの指に絡む。
先ほどとは違う輝きを宿したアクアブルーの瞳が、絡め取るようにこちらを見つめています。
護衛が動こうとした気配がしたが、この手のことは定期的に言われるので……
でも、わたくしの婚姻一つでキシュタリアやラティお母様、ラティッチェが守られるのなら安いものですわ。でも、本当に血筋以外役に立たない公爵夫人のできあがりでしてよ?
「キシュタリア、確かに家のために婚姻を結ぶのは貴族の、当主としては正しいのかもしれません。
ですが、わたくしは貴方には無理な結婚はして欲しくないわ。本当に好きな方が居たら、わたくしも協力しますわ」
もし、わたくしがラティお母様やジブリールのように社交界でも役に立つのならまだよかった。ですが、今のわたくしは爆弾のようなものです。
絡められた手に、もう片方の手を重ねてぎゅっとする。少しでも、この手に不幸が降りかからないように。
ですが、その言葉にカラーンと音がします。ベラは信じがたいものを見るようにわたくしを見ています。手に持ったトレーを落としたのでしょう。
「いいんだ、判っているよ。この程度では挫けない。解っていた。解っていたよ。
また変な翻訳や気づかいやおせっかい精神が斜め向こうに発動したんだってわかっている。
うん、まだ傷は浅い。アルベルの寂しさに付け入る気はなかった。なんかまた変な方向に盛大にこじれた気配がするけど僕はめげない。うん、がんばれ僕」
「ど、どうしたのキシュタリア? 何かありましたの?」
「いいんだ、アルベルはアルベルのままだった。うん、正気でいただけ喜ばしいいつものアルベルティーナだ」
「な、なんですの? どうしたの? お腹が痛いの? 頭? どうしたの?」
「――ねえ、アルベル」
「なに?」
「僕を好き?」
「ええ、勿論。大好きよ、キシュタリア。貴方はとても大切な人よ」
何故でしょうか……ベラが目頭を押さえています。アンナは「それでこそお嬢様です」と頷いて、護衛たちは男泣きをしそうな感じなのは。
キシュタリアはわたくしの肩口にぽすんと頭を乗せるとぐりぐりとすり寄ってきた。頭を撫でて、よしよしと甘えるキシュタリアを抱きしめる。わたくしが力になれればいいのですが……寧ろ墓穴を掘りそうな未来しか予測できませんわ。
大きくなってもまだ甘えたなところが可愛いわ。
それにしてもキシュタリアったら、プロポーズみたいな………昔もあったわね、告白してくれたことが。あの時は林檎みたいに真っ赤にした頬が可愛らしかったけど、十年後に同じように思ってくれるならってごまかした記憶が。あの頃は未だ、キミコイのゲーム補正や強制力があるんじゃないかってちょっと疑っていたわ。
その、レナリアの処遇を見る限りなさそうですが。一番酷いエンドでも、可哀想な立場にはあったけどああいった外道に成り下がってはいなかったですわ。
困ったように微笑むキシュタリア。
今、キシュタリアは岐路に立たされている。ここ一番の正念場でしょう。
そこで気づく。
「キシュタリア、わたくしが貴方と婚姻をすれば、邪魔されずラティッチェを継げる?」
血の繋がりを主張するなら、わたくしは一番正統性がある。
その、わたくしの身分はどうしても高いので本命の方が居たら、第二夫人になっていただかなくてはならないわ……いえ、キシュタリアが婿養子? わたくしが嫁ぐの? でもそしたら王家のほうは?
「できるね」
「なら――」
「でも、同時に君は王家に熱望された存在だ。サンディス王家は、王配となる人物が『ラティッチェ公爵』となることは許さないだろうね。
少なくとも王位継承権を持たせたくないはずだ。サンディス王家がラティッチェ公爵家にとって代わるようなものだ。それくらい、ラティッチェは力が強すぎる。
他に既に王家の瞳を持った王位継承権がある人間がいたならともかく、僕や他の王子や王女はともかく君のスペアは一切いない。現王家と元老会は反発間違いなしだね」
ラティッチェ公爵家は名家。それが逆にネックになるということ?
わたくしを王女と擁したとしても、元がラティッチェ公爵家の人間であるのは事実。そのうえ、夫までラティッチェ公爵家であるのは……そうですわね、王家がサンディスではなくもうラティッチェになってしまうくらい要素が強い。
……では、わたくしが不快ながらもラティッチェ以外の家と婚姻して、王家の瞳を持つ子供がいれば何とかなる?
「ごめんね、変な話を振ってしまって。アルベル……特に君からは不用意なことは言わない方がいいし、考えない方がいい。
僕だってそれなりに考えているよ。ごめんね、少しふざけすぎてしまった。僕だって、アルベルには幸せになって欲しいよ。できれば分かり合える、好きな人と一緒になって欲しい」
それが、僕であれば――と小さく聞こえた。
顔を上げると泣きそうな顔。
違うの、そんな顔をさせたかったのではないわ。
己の浅はかさに今更ながら強烈な罪悪感を覚える。少しでも力になりたかった。結果、キシュタリアを傷つけてしまいました。彼の思いを踏みにじってしまった。ふざけた振りと言わせて、ごまかさせてしまった。
「キシュタリア、あの、あのね―――」
とん、と唇に指が置かれる。思わず口を噤んだ。
「僕はね、気が長い方なんだ。十年待った。まだ待てるよ。いくらでも、可能性があるならね」
その可能性が、現状限りなく際どいものになっている。それをキシュタリアは知っている。
「君を守れるだけの、隣に並べるだけの力が僕にはない。だから悪いのは僕だ」
そんなことはない。軽率なのはわたくしだった。都合の良いことばかりに目をとられてしまう愚か者は。
「気づいてくれただけ重畳っていったら、意地悪だね――また来るよ、愛しているよ。僕の大切なアルベルティーナ」
そういって笑ったキシュタリア。
昔から伝えてくれる『好き』や『愛してる』の重さが、今更になって重さを持った気がする。
わたくしは、キシュタリアに何も返せないのに。
読んでいただきありがとうございました。