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姉弟の心境

 ラティッチェ姉兄のそれぞれの胸の内。

 すっかり切り替えの終わっているキシュタリアと、まだまだ抜け出せないアルベルティーナ。

 


 何とか現状を説明し、警告したものの泣き疲れたアルベルティーナ。気絶するようにキシュタリアの腕の中でまた眠りについた。

 グレイルが居なくなった今、王家や元老会は一刻も早くアルベルティーナを引きこみたいだろう。アルベルティーナは着飾らせて立っているだけで、求心力がある。国の英雄の娘であり、様々な悲劇に見舞われた哀れな姫君。可哀想で、美しい、お人形のお姫様となるのだ。

だが、少なくとも慶事になるようなことは表立ってできない。

 あの場で死んだのはグレイルだけではないし、賊の侵入を許したことは王家や騎士団の威光を傷つけた。

 また、それ以前のスタンピードの被害は甚大だった。その後始末も多い。

 そういった事情から、早急な対応をしたくてもできないのだ。

 だが、いましがた目覚めたばかりのアルベルティーナにとっては良いことだ。考える時間も、悩む時間も、悼む時間も必要だから。

 サンディスの王侯貴族は身分が高ければ高い程、形式に則った喪に服す。それにより、新体制を整えるのに集中するためでもあり、水面下で同盟を様々に結ぶためでもある。

 でも、おそらくそれに合わせて元老会は一気に畳み掛けてくる。

 グレイルの死でかなり憔悴し、落ち込んでいるアルベルティーナにあれ以上情報を与えても受け付けるか分からない。


「アルベルティーナを王太女として公表して、合わせて婚約……ううん、もしかしたら結婚の発表まで推し進めてくるかもしれない。

 恐らく、国としては盛大にやりたいし国民に周知させるのも含めてやるのは半年ないし一年後だろうね。

 そしたら、持参金という名目でラティッチェ家にもとめてくるだろうね。王籍を与えて、王太女に引き立てたんだって恩着せがましく言ってくるのは容易に想像できる」


「すでにヒルデガル伯爵家が、元老会の一つであるトールキン侯爵家と接触をしているとのことです」


「ケビンのところか。アイツ、昔から僕を目の敵にしていたからな。相変わらず浅はかだよな。狙うなら議長のファウストラ公爵家のほうが勝率もあったろうに」


「如何します?」


「まだ泳がせておけ。あの甘ったるいボンボンケビンならいくらでも落としようがある。

 アイツは酒癖も女癖も悪い。尻尾を掴むのは簡単だし、今までの女癖を考えれば素行の悪さを理由にヒルデガルに後継争いでも起こさせろ。

 どうせまき散らした胤が一つや二つあってもおかしくないし、なければそれっぽいのを引っ張り出せばいい――できるだけ引っ張って、揉めそうな時期に暴露しろ」


「ではそのように。それと、ミューラー侯爵夫人が少々きなくさいですね。ラティーヌ様へ動きがあります」


「……あそこの息子、確か今年で十三だよな」


「今は無理でも二、三年待てば十分ですね」


 キシュタリアは自分の記憶違いでなかったことに忌々しい思いになる。

 すぐさま婚姻は出来なくとも、婚約期間を設ければ十分可能だ。アルベルティーナは今年で十七。この程度の年齢差なら些細だろう。身分も侯爵家出身なら問題ない。


「絶対近づけるな。アルベルは年下に弱い。滅茶苦茶弱い。色気づいたガキ猿は絶対ダメだ。何かあってからじゃ遅い」


 キシュタリアは身をもって知っている。ジブリールやレイヴンでも感じたが、アルベルティーナは年下に対して甘い。

 弟を可愛がっているつもりで近づかれ手籠めにされるのが容易に想像つく。アンナが目を光らせているとはいっても、アルベルティーナにも気を付けてもらった方がいい。

 暴挙に出るようであれば結界魔法で物理的排除を図ってでも、排除する必要がある。

 ジュリアスもそれを承知しているようで頷いている。


「キシュタリア様、少々お伺いしてよろしいでしょうか?」


「アルベルのこと?」


「はい、お嬢様は……御無事でしたか?」


 キシュタリアは苦り切った表情となる。

 ジュリアスは未だ、アルベルティーナに会っていない。アルベルティーナが目覚めたばかりのとき、随行を許されなかったのだ。

 キシュタリアはジュリアスの言葉の真意を読み取っていた。無事、とは身体的な事ではない。精神的なことだ。

 アルベルティーナにとってグレイルは絶対だった。目の前で最愛の父の首が落ち、その肉体が魔物に乗っ取られて醜く成り果てた。その様を目の前で見てしまったのだ。その衝撃があの繊細な少女の心にどれだけ傷を残すか、計り知れない。

 ずっとずっと傷つかないように真綿でくるまれていたアルベルティーナ。この事件で心を壊しても、閉ざしてもおかしくない。ジュリアスは、それを危惧しているのだろう。

 恐らく、ジュリアスの情報網にもアルベルティーナのことは引っかかっている。だが、アルベルティーナが信用しない人間への態度と、心を許した人間への態度は大きく違うのは言うまでもない。

 だからこそ、より詳細な真実を知りたくて面会を真っ先に許されたキシュタリアに問いかけたのだろう。従僕としては過ぎた質問かもしれないが、キシュタリアは不快に思わない。身分差はあれキシュタリアとジュリアスの間には、長年培われていた主従的なつながり以外にも悪友のような、兄弟のような、それでいて好敵手のような関係性もある。


「思ったよりは体調は悪くなさそうだ。でも、酷く憔悴している」


 当然だろう。頷くジュリアスは従僕の仮面から、気づかいの気配が漏れる。

 この冷酷鉄面皮を揺らすことができるのはアルベルティーナだけだ。


「会話をした時点では、かなり動揺はあるけれど正気ではあると思うよ。

 少なくとも、気が触れたような気配はない。

 会話も成り立っているし……現実を受け入れがたい素振りは見せるけど、理解はしてくれている」


「然様ですか」


「ただ、知らないメイドたちが増えているからかなり怯えている。これ以上精神的に追い詰めたくないから、ラティッチェの使用人は増やしてはいるんだけどね……かといって、余りに屋敷を手薄にし過ぎるのも。

母様はいいって言っていても、万一があったら困る。『ラティッチェ公爵夫人』の肩書は伊達じゃないしね」


「ええ、ラティッチェの青薔薇。社交界の華。マダムの中でもいくつもの流行を作り出したラティーヌ様を信望する方は幅広い層にいらっしゃいます」


 そしてそれと対を成すドミトリアスの紅薔薇も、精力的に動いていると聞く。

 ここぞとばかりにキシュタリアを貶め、アルベルティーナを好き勝手に噂をする人々に、心に凄まじい青筋を立てながら、おもては嫣然と微笑んでいるのだろう。取りあえず、どこかの阿呆に手袋を叩きつけたとか、ワインを引っかけたり、ぶん殴ったりという噂は聞いていない。

 ジブリールはやろうと思えばそれはもう可憐で美しい完璧な令嬢として振舞える。


「それにしても、ずいぶん早くアルベル様にお会いできましたね」


「目が覚めたら僕は優先的に通していいってことになっていたみたい。

 義理でも弟だし、僕に対してはアルベルがかなり気を許しているのは解っていたみたいだよ。ついでに、自分たちが出たらアルベルが余計怯えるかもしれないってこともね」


「学習能力があったようで何よりです」


 辛辣だ。これぞジュリアス。妙に安堵してしまうキシュタリア。

 慇懃無礼な男だが、キチンと時と場所を選んでいる。かなりきわどい発言をしているが、なんだかんだでしれっとすり抜けてお咎めなし。要領がいいのだ。そして悪運も強いのだろう。









 毛足の長い絨毯の上に、ぺたりと座り込んだ人影がいる。

 ネグリジェにココアベージュのケープを羽織り、膝の上にチャッピーを抱いてぼんやりとしている。思い出したように時折瞬きをして、茫洋としていた深い緑の瞳には覇気がない。


「姫様、お体に障ります」


「――ひっ」


「……アンナ、頼みます。まだ姫様は……」


「いえ、申し訳ございません。ベラ様……もう少しすれば段々慣れると思われますので」


 人見知りは発動しているが、その怯え方は驚きのほうが強い。アンナが手を握れば、すっかり冷たくなった指先にどきりとする。

 ベッドへと案内して、しっかり首元まで毛布と布団を掛ける。そして、その横に滑りこもうとしたチャッピーの尻尾をひっつかんでペットゲージに突っ込んだ。

 油断も隙も無い。ふと視線を動かすと視界に緑が入った気がした。チャッピーが瞬間移動したと思ったが、いなかった。気のせいだったらしい。


「……気のせいかしら?」


「どうしたの、アンナ?」


「いえ、何でもありません。お嬢様、お休みなさいませ」


「……ええ、おやすみなさい」


 返事があったことに安堵するアンナ。

 眠るのを嫌がり、また起き上がっても体調を崩してしまうかもしれない。

 アルベルティーナは何かしようとして、でも何も手につかなくて物思いにふけっている。だが、その浮かない顔からあまりいいことではないと感じ取っている。


(少しでも良い明日が、お嬢様にありますように)


 ただ切実に願った。これ以上、大切な主が傷つかない様にと。





 ぴぃぴぃと鳴くチャッピーの声と、静かに閉まるドアの軋み。

 ぼんやりと天蓋を見上げれば、今では見慣れた――いつの間にかどこかの美術館を思わせる裸の天使たちではなく、可愛らしい野兎たちの日常のような絵があった。茶色のふさふわの毛並みにくりっとした黒い瞳。お腹の部分は白っぽい。息遣いすら聞こえてきそうだ。

 少々子供っぽいかもしれないけれど、こちらの方が好きだ。

 お父様がなくなった。その事実をまだ受け止めきれない。でもキシュタリアがそんなひどく不誠実な嘘をつくわけがないと分かっている。

 そのとき、ぬっと影が差した。


「ぎゃう」


 覗き込んできたのは緑の小さな怪獣さん。

 座ろうとしたが上手く行かない。わたくしの胸元に足を踏み踏み。すみません、そこには無駄に栄養が行っているようで凸凹していますよね。


「チャッピー……? ではないですわね」


「ぎっ」


 でも同じ種類ですわね。こころなしチャッピーよりお顔立ちがしゃきっとしている気がしますわ。

 じっと大きな瞳が私を見つめる。思わず見つめ返す。

 良く分からない、何も知らないはずの彼(彼女?)に懐かしいような、安心するような感情が漏れる。人間が相手じゃないからかもしれないし、この愛らしい外見に気が緩んでいるのかもしれない。


「ぴぎーっ」


 ぴょんとベッドシーツにダイブしようとしたのは、今度こそチャッピーだった。

 まあ、どうやってアンナから逃げ出したのかしら。本当に不思議な子ね。

 だが、飛び込む高さが足りなくて、お腹がつっかえてべしゃっと下に落ちた。床には毛足の長めの絨毯があるし、痛みはないだろう。すぐに起き上がったチャッピーはぴょこぴょこジャンプして、なんとかシーツに縋り付いてよじ登ってきた。

 だが、一瞥したチャッピーのお友達がげしっとおでこを足蹴にして、ごろごろと床に戻って転がった。


「ぴふぎゃっ」


 なんだか侮蔑というか嘲笑の気配を感じます。

 何故でしょうか、サイズも形も同じようなこの子はチャッピーよりちょっと気の強い性格なのかしら。


「あまりいじめないであげてくださいな。チャッピーと仲良くしてさしあげてくださいまし」


「……ぴ?」


「わたくしはアルベルティーナ。アルベルティーナ・フォン・ラティッチェよ。貴方はチャッピーのお友達かしら?」


「ぎーぁう?」


「ふふ、よろしくね。そうだ、貴方も甘い物がお好きかしら?」


 首を傾げる姿が愛らしくてベッド脇のチェストに手を伸ばす。

 チャッピーは甘い物が大好きなのだ。保存できるクッキーやビスケット、チョコレートやキャンディなどは小瓶に入れて保管している。

 引き出しにあったのは、蜂蜜入りのキャンディだった。それを掌に載せて差し出すと、暫く胡乱げに眺めていた。だが、ちょいちょいと突いた。そしてふんふんと匂いを嗅いで、ややああって慎重に手を伸ばしてちょいと拾い上げる。

 チャッピーよりも警戒心が強いようですわね。チャッピーはためらわずにぱくりと飲み込み、のどに詰まらせてしまううっかりさんだ。その時、わたくしが半泣きで慌てているとチャッピーの顎をアンナが容赦なく蹴り上げて事なきを……得たというのかしら? あれ? 蹴られていますわよね? 治療というか、医療行為ならいいのかしら?

 口に入れる前に用心深く匂いを嗅ぎ直し、そっと食む。

 だが、ビクンと痙攣したと思うとすさまじい勢いでガリガリ噛んで飲み込んだ。

 そして、引き出しの飴が残っていると分かると「びーっ、ぴっぴーっ」と指さして訴えてきた。

 

「気に入ったの? このキャンディはチャッピーも好きなの。わたくしもお気に入りなのよ」


 飴をさらに取り出して掌に載せて差し出すと、今度は躊躇わずに口にした。

 だが、それにも飽き足らずもっととねだる。その様子が可愛らしくて、残っていた飴を全てあげた。


「貴方はね、そうね、ハニーにしましょう。わたくしも蜂蜜が大好きなのよ」


「ぴぎゃっ!」


 分かった! と言わんばかりに手を上げて返事をするハニーは可愛い。思わずぎゅっとするが、逃げずに抱っこさせてくれた。


「このキャンディはね、蜂蜜が好きなわたくしのためにお父様が用意してくださったの」


 ぱた、と涙がこぼれる。枯れることの無い涙。ふとした時、ちょっとしたはずみでハラハラと流れていく。


「嬉しかったわ。お父様はわたくしに好きな事をしていいといってくれていたけれど、本来なら貴族の令嬢が事業を立ち上げるなんて一般的ではないの。

 ほとんど使用人に任せていたとはいえ、好き勝手にいろいろ作ってしまったわ。

 ふふ、幼いって、知らないって怖いわね。自棄だったのか、愚かだったのか……

 お父様がわたくしに好きにしていいっていったのは、どうでもいいからじゃないかと少し思う時もあったの。甘やかされていて、失礼な話よね」


 どうか、幸せに。


 その声はどんな言葉より、慈愛に溢れていて永遠に叶わないと決まった呪いのようだった。

 わたくしの幸せは、ラティッチェの中にあったのだから。

お父様の箱庭の中で完成されていたの。


「お父様がね、わたくしの為に好きでもないお菓子を、飴を作ってくださったの。

 嬉しかったわ。わたくし、馬鹿だからセバスが教えてくれるまで気づかなかったのよ。シェフかパティシエの誰かが考えたと思ったの。

 大好きな蜂蜜をいつでも持ち歩けるようにって。滋養にもいいから……お父様がちゃんとわたくしのことを見てくださっているって安心したわ。凄くうれしかった」


 もっと蜂蜜が好きになって、紅茶の時も砂糖よりも蜂蜜を好んで入れるようになった。

 だから、わたくしもお父様の好きなものをもっと作ろうと思った。お父様の食事の時に目を光らせ、こっそり観察した。

 まさか、セバスやシェフまでお父様がお豆腐好きなんて知らなかったのは意外だったわ。

 お父様、意外と舌が渋好みといいますか、脂っこいものやきつい味よりも滋味に富んだもののほうがお好きなのよね。

 お豆腐のステーキはやはり好みだったようで、いつもよりナイフの入りが良かった気がする。

 優しい笑顔と声で、本当に嬉しそうにしていたお父様。

 最初は、転生したばかりのとき、本当は少し怖かったお父様。愛情過多で、怖いくらい有能で、でもわたくしをドロドロに溶けるくらい溺愛してくださったお父様。

 お父様といることに幸せを感じ、お父様の幸せを願うようになったのは必然だった。

 もう、お誕生日をお祝いすることすらできない。ご恩返しもできないのだ。





読んでいただきありがとうございました。

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