王子のいない眠り姫
書籍化が決まりました。詳しく決まりましたら、今後活動のほうへ載せていきます。
応援いただきありがとうございます!!!
あ、連載は続きます。ちゃんとハピエン目指していきます。
それに伴い、今後タイトルが変わるかもしれません。
「おはようございます、お嬢様」
シャ、と軽い音を立ててカーテンが開け放たれる。それと同時に薄暗かった部屋に朝日が入り込めば、上品な中に可愛らしさのある豪奢な部屋が浮かび上がる。
そのすべてが一流の職人が丹精込めた物ばかり。量産品など一つもない。どれもこれも、一点物ばかりだ。庶民どころか、貴族ですら手に入れるのが困難な品もたくさんある。
ベッド脇にある手のひらに乗るほどのふわふわとした兎のぬいぐるみ一つでも、王宮勤めの騎士半年分。兵士なら年収相当分だ。円らな瞳だけでも、職人が黒石を磨き上げているオーダーメイド品なのだ。
もぞ、とベッドの中で動く。布団からのそのそと出てきたのは緑色のどんくさい怪獣もどきだ。
「また入り込んだのですか、チャッピー。お前のベッドはあるでしょう」
びくっとするのは緑色のぬいぐるみ系フォルム。
器用に片眉だけ上げたジュリアスは、それだけで端正な顔立ちに酷薄そうな色が浮かぶ。
「お嬢様の寝台に上がるな、と何度いえばわかるのですか?」
軽く指を入れ天蓋の中に入る。
ジュリアスが思いを寄せ続ける最愛。そのそばでガタガタと震えながら「ぴ、ぴぃ」とか細く鳴く不思議生物を軽く一瞥した。ぺしっと片手で軽く払うだけでそれはコロンと寝台から落ちた。
一応はいけないことをしているという認識はあるらしい。
ならやめろ、と何度もお仕置きしてもあれは懲りない。
あれは何度、アルベルティーナの眠る寝台に行くなといっても勝手に上る。
何度閉じ込めても、いつの間にか脱走しているのは謎だ。バカな癖に、脱走スキルだけは異常に高い。
アンナ曰くアルベルティーナのお気に入り。だから余りいびるなとは言われたが、どこから来たか分からない不審な生き物である以上、ジュリアスとしては気に入らない。
相好を崩した思い人の、細い腕とあの豊満な胸に抱きしめられていると殺意すらわく。
そろそろとベッドにまた戻ってきたかと思うと、小さな兎のぬいぐるみを手に取ると逃げ出した。そして、チャッピー用ベッド(本来は小型犬用)に泣きながら滑り込んでいった。
それを冷たく見下ろすと、改めて寝台に向き直る。
そこには相変わらず昏々と眠り続けるアルベルティーナがいる。
幸い顔色はそれほど悪くない。医者の腕が悪くないのもあるが、アンナが香油を使って毎日マッサージをしたり、風呂に入れたりと手を尽くしている。
アルベルティーナはどうも精神的に大きな衝撃を受けると、気絶することが多い。元来の繊細さと、体の虚弱さが原因だとは思っていた。
だが、それと一つある要素が疑われている。
主治医の一人であるヴァニア卿は何を考えているか分からない飄々とした様子で言った。
『ラティッチェ令嬢は、どうも魔力が強い。ううん、強すぎるね。肉体の耐久力に対して、魔力の保有量が多いんだろう』
けして、あり得ないことではない。
アルベルティーナの父親は魔王と称される。それはその冷酷無比な性格以外にも、その圧倒的な魔力の保有量と技量が他に追随を許さなかったことにも意味する。
その直系の娘であるアルベルティーナが受け継いでいても何ら不思議でない。
母のクリスティーナは特に魔力が強いとは聞いたことはない。名高い傾城の美女であったが、優秀な魔法使いとは言われていない。
普通に生活する分では問題ないが、アルベルティーナは先の襲撃でかなり無理な魔法の使い方をした。それが悪かったらしい。
グレイルはそれを危惧してジュリアスにアルベルティーナを預けた。
だが、ジュリアスはぎりぎりまでアルベルティーナを止めることができなかった。あと何分、いや何秒遅れていたらアルベルティーナに致命的なダメージが行くのだろうというところまで止めることができなかった。
基本、アルベルティーナは大人しく従順だ。
使用人にしては生意気であるジュリアスの気安い態度に対しても、破格なほど鷹揚に接してくれている。
まさか、あそこまで拒絶してくるとは。
(ああもう……そうだ、あの方は懐に入れた人間に対しては異常なほどの献身を見せる方だ。公爵様が居て、キシュタリア様とミカエリス様が参戦している状態でいうことを聞くはずなんてない)
完全に読み違えた。
酷い失態だ。
あり得ない。
腕の中でどんどん疲弊していくアルベルティーナに、知らず焦っていたのかもしれない。
アルベルティーナが己に対する価値観を軽視しているのは感じていた。
自分の取り柄は容姿と血筋と家柄だけ。親からもらったものだけで自分には価値がない。そう考えている節がある。
過小評価にも程がある。
ジュリアスは見てくれと血筋だけの女に入れ込む趣味はない。
……全く魅力を感じないというわけではない。
素晴らしい血筋と家柄であるのは否定しないし、あの圧倒的な美貌と年齢とともに妖艶になる瑞々しい肢体は実に魅力的である。
ジュリアスは、自分がかなりの面食いであることに自覚がある。
当の本人は身長ばかり気にしているが、華奢で儚げさと匂いたつ色気を持つ首、穢れを知らないように真っ白なデコルテ、繊細さとなよやかな線を描く爪先まで美しい腕、女性的で豊満な胸にコルセットを付けなくてもほっそりとしたくびれ、悩ましい腰のライン、ほとんどドレスに隠されているがその下に程よい肉付きのまろやかさと女性的な細さを併せ持つ脚。
抱きしめると香水ではなく柔らかく香油が薫る。
彼女の体から香るのは長年使っている化粧水や香油が染み込んだものだ。強すぎる香りを嫌い、香水類を一切つけないアルベルティーナ。香油といっても柔らかく爽やかな香りが多い。どれもこれも特注で、香油や化粧水一つとってもその辺の令嬢が気取ってつけた香水とは違う、彼女だけの香りだ。
キシュタリアが良くアルベルティーナに抱き着いているのも、好意や心配性、そしてその芳しさが癖になっているのだろう。
だが、それを差し引いてもアルベルティーナのスペックは優秀だ。
公爵令嬢としての体の髄まで染み込んだ最高の教養と洗練された所作、座学に対しても真面目に取り組んでいて勤勉なほど、得手不得手には偏りがあるが魔法使いとしても優秀、領主の娘としても領民を思いやる志、経営者としてもかなり使用人や職人の待遇に心を尽くしている。ローズブランドは雇われ先としても人気で、破格の給金と待遇が約束されているので希望者が後を絶たない。彼女の人柄も穏やかで愛らしい。
欠点といえば、少々体が弱いこととかなりぽやっとした警戒心の無さだろう。野放しにしてはいけない類の危なっかしさがある。
屋敷の内外に熱狂的なファンが多いが、怖がりなアルベルティーナを刺激しないためになるべく伏せられている。そしてその強烈な熱意をぶつけない様に統制されている。
例外はあのジブリールくらいだ。アルベルティーナがおっとりと許容し、グレイルが黙認しているからこそできることだ。ジブリールはかなりグレイルに気に入られていた。もし、彼女が令嬢ではなく令息だったらかなり危なかった。
あの魔王の娘でさえなければ――と、何度思ったことか。
もしクリフトフのような優秀程度の人間なら、簡単に国外に連れ出せた。
多少時間がかかるだろうが、少なくともアルベルティーナがデビュタントの年齢に差し掛かる前には可能だっただろう。
アルベルティーナは懐に入れた人間に甘いし、巧く言いくるめることも簡単だ。その手のことはジュリアスの最も得意な事の一つだから。
矛盾なく、不自然なく、かといって完璧すぎでもない言葉で虚像を相手に植え付ける。
ほとぼりが冷めたころに、少しずつ遠い国に移住すればいい。商人あたりがちょうどいいだろう。庶民の戸籍であり裕福であっても、他国に精通していても、移住しに流れても不自然ではない。貴族の出入りの商人が懇意になり、御手付きになり、道ならぬ恋に落ちるのは珍しくない。また、商売で財を成した者が次に望むのは名誉や地位だ。箔をつけるため貴族籍を求めて没落しているが高貴な女性を娶るのは珍しいことではない。
ジュリアスは、それをするだけの能力と豪胆さがあった。
大抵の人間なら、手の平で踊っていることも気づかれずに動かすことができた。
だがグレイルは違う。得体のしれない視野を持つ傑物。僅かでも間違えれば、ジュリアスの首が飛ぶ。
アルベルティーナの守護者はあまりに鉄壁で恐ろしい存在だった。
アルベルティーナは気づいていなかったが、グレイルは愛娘の周囲には使用人には手練れでない方が少ない程に護衛を配置していたし、影を付けていない方が珍しい程だった。
ジュリアスはアルベルティーナの従僕をしていた。あのお嬢様は普通に生活していても、危なっかしい。本人の知らぬところで何度も影が表へ出かけたのを知っている。
あのポヤポヤポンコツ令嬢にとってはにこにこ好々爺の執事、庭師の自称腰痛持ちの老人と庭師見習の少年たち、お嬢様は天使と常日頃猫可愛がりするメイドたち、お嬢様からもらったレシピをしょっちゅう奪い合っているシェフたち――それらはすべて精鋭だ。
あの優しい箱庭は、グレイルの執念とアルベルティーナを慈しむ者達の成せるもの。
(あの人は、自分が誑し込んだ人間がどれだけ気難しいのか分かっていないだろうが……)
ジュリアスもその一人だ。
アンナも相当のものだし、セバスや庭師のアグラヴェイン、シェフのゴルドー。懇意にしている教師たちも相当曲者だ。
グレイルが引き取ってきたばかりの頃のキシュタリアやミカエリス、ジブリールも年齢の割に警戒心の塊だった。
人見知りのある癖に警戒心ゴリゴリの偏屈人に限ってコロッと転がしてくるのだ。
あの見てくれの良さで先制パンチをかまし、人見知りの中で高貴な令嬢らしかならぬ無邪気で庇護欲のそそる優しい性格が表れてくる。目下の者にも優しく穏やかで丁寧だ。
誘拐前の悪鬼のような性格を知っている人間すらも、見事に転がし尽くした。
どんな魔法や呪いでも使っているのだろうと思っても、怪しげな様子や仕草はみられない。割と本気で目を凝らして観察したが、可哀想なほど純粋培養で無駄にあざとい生き物だと再確認しただけだった。
一時期アルベルティーナが魔法の勉強の一つとして、呪いを学んでいた。なんでそんなもの、と思うだろうが致命的に攻撃魔法が使えない苦肉の策だった。
攻撃魔法をどう必死に学んでも、魔力が強いはずなのにヘナヘナな魔力の塊が水の中に入れた砂糖のような脆さで出てくる程度なのだ。呪いも心なしもやっとしたものを感じるような……? というレベルだった。
当然、その余りの酷さに周囲は目を覆い『この人は私が守らねば』と過保護さは増す。
なまじ他の魔法が優秀なので落差が酷かった。
ヴァユの離宮の侍女頭であるベラも一目見てアルベルティーナにメロメロだった。恐らく、起きて実際接したらノックアウトだろう。人見知りでぎこちなく怯えている姿にすら母性本能と保護欲が暴発しそうな気配がする。
(ドーラの母親と聞いて警戒していたが……おそらく大丈夫だ)
ドーラがラティッチェに既におらず、消息不明だと聞いても軽くため息をついていただけだった。
やはり昔から難アリの性格だったのだろう。フォルトゥナにいたころからクリスティーナの侍女であると威張り散らしていたのが容易に想像できる。
しかしそれも昔の話。アルベルティーナに寄生先を変える前に始末した。
「大丈夫ですよ、アルベルティーナ様………皆、貴女の眼覚めを待っています」
もし、何かあっても、何があろうとも――ジュリアスは迷わない。
この人を喪うなら、国を捨てた方がましだ。アルベルティーナが泣き叫ぼうが、家族を恋しがろうとも全てを奪ってアルベルティーナの命を一番に守る。
自分の強さの一つは、この傲慢さだ。躊躇わず他者を切り捨てられる冷酷さ。
その性質を知っていたからこそ、グレイルに酷く嫌われていた。
最も、手段を選ばず愛娘を奪う可能性のある男を危険視していた。だが、当のアルベルティーナがジュリアスに無垢な信頼を寄せて兄のように幼馴染の従僕を慕っていたからこそ目こぼしされていた。
(もしアルベル様からの恋情を向けられることができたのなら、その日のうちに始末されている自信がある程度には疎まれていたな……)
繊細な娘を任せられる気配りと、突飛なお願いを叶えられる優秀さ、そして数少ない信頼と心を開いていたからこそ。
最後こそ、本当にジュリアスにとってありがたい誤算だった。
なんでアルベルティーナがジュリアスにあそこまで心を許したか分からない。
お世辞にも、自分は人好きな性質ではない。確かに有能ではあると自認しているが、性根は歪んでいる。
生まれた血筋は定かでなく、育ちも卑しい。実力主義のラティッチェだからこそここまで引き立てられた。
親に捨てられスラムで路上生活をしていた。ラティッチェ公爵の目に留まり、頭の回転の良さから使用人として礼儀や技術や知識を叩きこまれた。
自分が溝鼠のような存在だなんて、ジュリアスが一番よく分かっている。澄ましていても、いくら優雅に振舞っても、心の隅にこびりついている。
(アルベル様は態度を変えなかった……俺が八つ当たりのように告白しても、下賤な人間だとはっきり告げても)
手を伸ばせば、華奢な白い手を乗せてくれた。
変わらず向けられる笑顔に、寄せられる体に、掛けられる声にどれほど救われたのかを知らないのだろう。
告白したばかりの時は戸惑っていたが、嫌悪や侮蔑ではなく困惑が強かったように見えた。
そのことに、ジュリアスがどれほど安堵したかアルベルティーナは知らないだろう。
この人の目に、自分はちゃんと人間として映っている。
庶民や使用人という下等生物ではなく、対等なヒトとして見えている。
当たり前のようで、当たり前でないことだった。
使用人ごときが、公爵令嬢に懸想するなど不敬だと言われてもおかしくないのだ。アルベルティーナが嫌悪を示していたら、即刻殺されていたか公爵家から叩き出されていた。それほどの立場の違いがある。
グレイルが居なくなった今、アルベルティーナに近づく人間はたくさんいるだろう。そして九割九分九厘が碌でもない。
どう、陥れてやろうか。
仄暗い笑みが浮かぶ。
ああ、こんな表情はお嬢様のいる場所で浮かべていいものではないのに。
そっと隠しながら、軽くベッドメイクをした。チャッピーが動き回ったのか少し中のブランケットが乱れている。
そのとき「ぴぃいいいーーーっ」と断末魔のような絶叫が響いて、舌打ちしたい気持ちで振り返る。
あの珍獣、お嬢様のお休みしているというのに煩い。外にぶん投げてやろうか、と動物愛護の精神に極めて反する気持ちを抱くジュリアス。
「……ジュリアス・フラン。お前は何故、天蓋の中にまで入っているのですか?」
地の底から響くような声。
吹きすさぶ冷気とともに、片手に大きな裁ち鋏をもったアンナが仁王立ちしている。もう片手には怪獣もどきがじたばたしている。
その鋭利な刃が輝く鋏はジュリアスに向けられている。
「少々ベッドの乱れを直そうと。その珍獣がまた入っていたようですので」
「男のお前が? 部屋は許しましたが、天蓋の中は私の管轄です」
「お嬢様がお風邪を召したら大変ですので」
「お前のような劣情害獣がお嬢様に触れる方が由々しき事態です」
バチバチと静かに火花が散る。
確かに下心はあるが、意識のない相手を犯す趣味はない。そういった趣味の輩はマイノリティだが存在するのは知っているが、少なくともジュリアスは違う。
「それは失礼しました。以後気を付けます」
にこり、とそれでおしまいだと笑みを向ける。アンナの霜の降りたような眼差しが刺さるが、それに笑みを浮かべていなす。
やるのなら眠っているときなど勿体ない真似をせず、はっきり意識があるときに、しっかりと自分が異性として愛しているとあのポンコツの頭に叩き込んでから抱く。何せ相手は永遠の幼女と住み着いているんじゃないかという温室と結界の二重構造の箱庭育ちなのだ。伝えているはずなのに、しょっちゅうそれなりに良いはずの頭から抜け落ちるのだ。あのお嬢様は。そして時たま思い出してアワアワしている。それはとても可愛い。
だが、しょっちゅう斜め向こう側に勘違いしている傾向があるため、くれぐれも誤解がないように突き詰めてから抱いた方がいいだろう。
馬鹿馬鹿しいおままごとのような恋愛未満を続けていられるのは、偏にアルベルティーナへの愛情が勝るからだ。
基本、ジュリアスはかなりドライな性格だ。
愛だの情だのといったモノにあまり振り回されることの無い人間だ。
――この人に会うまでは。
ジュリアスの愛する眠り姫。アンナが慈愛すら感じる声で話しかけている。
目覚めないほうが幸せだろう。
ジュリアスの冷静な心が冷ややかに囁く。でも、誰もがアルベルティーナの眼覚めを待っている。ジュリアスもまた、切望している事実だった。
ジュリアスは王子様にはなれない。それを、自身が一番わかっていた。
きっと今まで王子枠はお父様だったと思う。
読んでいただきありがとうございました。