届かなかったもの
ミカエリス、アルベルティーナを見舞う
「ようこそいらっしゃいました、ドミトリアス伯爵。お嬢様もお喜びになることでしょう」
恭しくメイドが頭を下げる。金髪を左右に緩やかに編み込み、後ろでシニョンにしている。上げた顔には期待と羨望にキラキラしたピンクアイが煌めいている。
若く可愛らしいメイドだが、この状況においては相応しくない対応だ。
またか、と内心ミカエリスはうんざりとしながらも、おくびにも出さずに「ラティッチェ嬢は?」と聞いた。
確かどこかの男爵家か子爵家の娘だったはずだ。王宮や上級貴族の使用人に、下級貴族の子息や息女がいることも珍しくない。
少なくとも、こんな浮ついた眼をするのはラティッチェの躾の行き届いた使用人ではない。その時点で信頼度はかなり低い。
アンナはアルベルティーナの世話は己だけでしたかっただろうが、現時点ではラティッチェ公爵家直系の令嬢。そして次期王太女候補と名高い。アルベルティーナのいる宮殿の侍女が一人だけというのは本来あり得ない。結界という物理的な障害も無くなってしまった以上、仕方がないのだろう。
「まだお目覚めには……午前中いらっしゃったクロイツ伯爵やヴァニア卿の見立てでは、魔力はだいぶ回復してきているとのことです」
そういいつつ、ミカエリスの手に持った花とミカエリスの顔に交互にチラチラと目をやっている。
年のころ十五、六といったところだろう。本来メイドであれば粛々と仕事に従事するところであるが、デビュタントの令嬢のように浮かれている様子にため息を禁じ得ない。
別にミカエリスにとって秋波を女性から送られることは珍しくない。
自分が女性からモテるという自覚はあるが、時と場合を考えて欲しいものだ。
そもそも、この朝摘みのマーガレットは見舞いの物であって、間違ってもこのメイドへの贈り物ではない。手渡すなら、このようなメイドではなくアンナにしたい。彼女なら、間違いなくアルベルティーナの部屋に飾ってくれる。
この浮かれ舞い上がっているメイドはこの花をくすねてピンハネしそうだ。一輪くらい――と。既にキシュタリアが被害にあったと先日聞いた。だが、みんなでやれば怖くないとばかりに数人同じことをした結果、妙にスカスカとしたバランスの悪い花に、アンナが不審がってお局メイドに相談したら即座に締め上げて回収してきてくれたそうだ。
もちろん、即座に雷が落ちて解雇だ。他にくすねたものがないか厳重にチェックされた。だが彼女らは『キシュタリアから贈られた花』が欲しかっただけと許しを請うたが当然そんなものあるわけない。なんでも、王都で流行っているラブロマンス小説だのの影響らしい。
そのお局格のメイドはかつてクリスティーナの乳母をやっていたという。ぴんと伸ばした背筋は女教師を思わせる厳めしい背の高い女性だった。ややきつそうな顔立ちだが、厳格ではあるが面倒見がいいとアンナは言っていた。
(アルベルを見た途端、泣き崩れたときく……ご母堂であらせられるクリスティーナ様に似ているアルベルに思い出すものもあったのだろう)
彼女の名はベラといいフォルトゥナ公爵家から派遣されたメイドだ。本来なら引退していい年齢だが、クリスティーナの娘と聞いてその身一つですっ飛んできたという。
だが、ミカエリスの訪問に浮かれるメイドの後ろにすっと音も無く件のベラがやってきた。ミカエリスに夢中でメイドは気づかない。
「フィルレイア・ノール。貴女、庭の掃除が終わっていませんよ。今すぐいきなさい」
「ひっ! えっ! ちゃんとやりましたし、そもそも庭師が――」
「隅の灌木の下に集めた落ち葉を隠すのが掃除というのですね? 庭師は庭師で別の仕事を持っているのです。きちんと自分の仕事をしなさい。
お客様をお取次ぎする役目は、決められたものだけですよ。貴女は違うはずですよ? フィルレイア・ノール」
「で、でも………」
「フィルレイア・ノール。貴女はここでは令嬢でもなければ客人でもないのです。ただの使用人ですよ」
ベラとミカエリスを数度交互に見て、ミカエリスからもなんの手助けも来ないと分かると、しぶしぶフィルレイアと呼ばれたメイドは離れていった。
何度かこちらを振り返っていたがびしびし氷の礫のように飛ぶベラの視線に、のろのろと歩いていった。
くるりと向き直ったベラは鷲のような鋭い眼差しでミカエリスと手に持った花束を見る。
ミカエリスは多忙であったが、キチンと身なりは整えている。赤い髪は梳り、紺の貴族服は襟と胸元に細やかな刺繍が少し施されている。黒い革靴もきちんとハウスメイドが磨いたので、曇りなくピカピカだ。手に持った淡い黄色とピンク、そしてオレンジのマーガレット。絢爛さはないが、可憐な小さな花束。百合や薔薇でもいいが、アルベルティーナは素朴な花束も好む。匂いも柔らかい花を選んだ。
査定されているような気分で、ベラの視線を甘んじで受ける。やがて、よろしいと言わんばかり目が優しく細められる。
「お嬢様もお喜びになられるでしょう」
お眼鏡にかなったようだ。
少し背筋がひやりとした。
ミカエリスは思う。この人は間違いなくアンナと同じ属性だと。
通された部屋は女性らしい可愛らしい部屋だった。
元はそうでなかった。アンナがお嬢様の好みでないと伝えたら、すぐさまクリフトフが大至急で職人を呼んで、宮殿を少しずつ改修したのだ。急ピッチだったが、もともと長らくこの宮殿を使える資格を有す高貴な女性が居なかったため、最低限しか維持されていなかった。
勿論最高級の出来栄えばかりではあるのだが、老朽化が進んでいた。だが、使うものが居なくては早々予算も割けず放置されていたのだ。
アルベルティーナが現れたことによりこの宮を使うことになり、同時に改修しようとしていたが強固な結界に阻まれ断念。そして、アンナ一人しか通れず最低限のアルベルティーナの生活に困らないことを最重要課題としていたため、少し奥まったところはすっかり放置されていた。
結界がなくなったことにより、できるところから修繕の手が入っている。
ラウゼス陛下も「アルベルティーナに配慮を」とあったので、ラティッチェ公爵家所縁の職人や使用人たちにも聞き込みをしてアルベルティーナの嗜好に合わせたものにしてあるのだ。
王宮は由緒と伝統の塊のような場所だが、ラウゼス陛下は余程アルベルティーナの立場に心を痛めているのだろう。随分と気に留める様子から、少々妃たちが苛立っているらしい。だが、彼女の最近の身に降り注いだ悲劇を考えれば、少しでも慰めになればと思うのが人というものだろう。
フォルトゥナ公爵が厳選した騎士を護衛に置き、公爵自身もギラギラと目を光らせている。もはや血走っているといい。鼠一匹許さんと言わんばかりに、その眼光の鋭さだけで滅多刺しのハリネズミにしそうな勢いだった。
しかし、急ごしらえなのでどうしても穴が開く。
王宮から派遣されたメイドの中には、社交界でも財力と家柄のある美男子といわれるキシュタリアやミカエリスが頻繁に足を運ぶと知るや否や、元居たメイドを押しのけてきたものもいる。アンナとベラが容赦なく叩きだしてはいるが、補充したのにも浮ついたのがいる。人材の質が悪いとミカエリスは思うが、魔性の美貌の公爵子息といわれるキシュタリアと薔薇の伯爵といわれるミカエリスを前に、年頃の女性でなくとも心を揺らがせるなという方が難しかった。
アルベルティーナの美形ジャッジはシビアで高度であったが、それ以上に美形耐性やフェロモン耐性が要塞だった。魔王の保護の下ですくすく聳え立った天然要塞は、その辺の女性とは比較にならないものなのだ。
「お嬢様、ミカエリス様がお越しになりました。お花を下さいましたよ。ほら、とても可愛らしいでしょう」
その声に我に返る。
アンナは天蓋の降ろされたベッドに行くと、目覚めていないアルベルティーナに優しく声をかける。
普段は冷淡なほどのアンナからは考えられないほど柔らかな声音。
「傍に置くとチャッピーたちに悪戯されてしまいますので、向こうのチェストへ飾りましょうか。
ベッドからも見えますし、ちょっと高いから届かないでしょう」
流石に未婚の女性の寝顔など、ミカエリスが窺うことはできなかった。
だが、ミカエリスはとても仲が良かった数少ない一人だから、寝室まで来ることができるのだ。
眠っていても、声は聞こえるかもしれないとクロイツ伯爵からの助言もあり、声をかけることは許されている。
近寄るとレースの奥に薄っすらと寝台に横たわる姿と、アンナの影が見える。
ベッドの傍で何かが動いている。恐らくチャッピーというアルベルティーナの珍妙なペットだろう。動くぬいぐるみのようなそれに、何度か周囲をぐるぐる回られ、足をつつかれた記憶がある。アルベルティーナに言葉をかけているとき、ティーセットからつまみ食いをしようとしたのをアンナに気づかれ、バルコニーに叩きだされているのも見たことがある。
そのたびに悲痛な鳴き声を上げてバルコニーのガラス戸に張り付き、ぺちぺちと叩いている。
実に哀れである。
妖精や精霊といった存在は稀少である。場所によっては神ごとく崇拝されて敬われる。だが、ここではオツムゆるゆるの幼児扱いだった。
見かねたミカエリスが何度かそっと中に入れてあげたが、最初の二回だけは目こぼしされたが、三度目になると「甘やかさないでください。躾になりません」とぴしゃりと言い放たれた。
強い。
アンナはアルベルティーナ絡みだとすさまじく強い。
伯爵だろうがペットだろうが容赦ない。
「ミカエリス様、どうぞこちらへ」
花を手に戻ってきたアンナが促す。示す先、天蓋の外に椅子がある。そこからであれば話しかけることも許可されている。
天蓋越しに薄っすらではあるが、アルベルティーナの輪郭と顔立ちが判る。
「……アルベル」
『――ミカエリス』
ふわりと咲き誇る薔薇すらも恥じらって蕾に戻りそうな笑みと、鈴を振るったような可憐な声が返ってくることはない。
それだけで、こんなにも苦しい。
令嬢にしては無邪気な、やや子供っぽい表情。優雅で洗練された所作とのアンバランスさが好きだった。
こみ上げる悔しさと苦々しさを飲み込みミカエリスは口を開く。
しかし、それを押しやりできるだけいつものように話しかける。
最近の出来事、キシュタリアやジュリアスの近況。領地のことやジブリールのこと。
ミカエリスもまた『あの』グレイルが死ぬとは思わなかったのだ。
確かに、あの魔物は強力だった。だが、明らかに消し炭になった状態でまだ息の根があるとは思わなかった。素体のカインも魔力を吸われつくされ、やせ細った案山子のような有様だった。最後の執念で近くにいた兵を食い、そのわずかながらの力をもとに一矢報いた。
その標的が――アルベルティーナだった。
もし、狙いがグレイル自身だったらああはならなかっただろう。
あの場にアルベルティーナが居なければ、城が壊れようが死者が出ようが容赦なく灼熱地獄でも雷鳴豪雨でも永久凍土でも作り上げて屠っただろう。
あまりに巡り合わせが悪すぎた。
だが、これはけしてアルベルティーナには言えないことだ。
自分を庇って死んだ等、余計に彼女に重責を負わせるだけだ。最愛の父親を喪ったばかりのアルベルティーナには酷すぎる。あの二人は仲が良かった。仲が良過ぎる程に。
グレイルの重すぎる愛を受け入れていたアルベルティーナ。
常日頃から溺愛し、私の天使と言ってはばからないほどだった。
まさか、魔物となったグレイルがあの姿になってまでアルベルティーナを庇うのは驚いた。頭を切り落とされれば、大抵の生き物にとって致命傷となりえるし、寄生されても知能は下がる。もしくは、元の宿主の意思など食われてしまうことが多い。
アンデッドやパラサイト系の魔物に操られた動物を見たことがあるが、傀儡だった。
カインは膨大な魔力と全身を奪われていたからこそ、意識も辛うじてあった。もはや残滓だったかもしれないが。
それにも関わらず、アルベルティーナに迫る凶手に誰よりも早く気付いた。
誰もが口をそろえて『執念だ』といった。
愛情ではなく執念や妄執といわれる当たりグレイルらしいのだが、それほどの情を持っていたのだ。
己の命を躊躇わず捨てるほど。
あまり顔には出さないが、キシュタリアも相当喪失感を感じているのは間違いない。そして相応の覚悟を決めている。
アルベルティーナの唯一にして最も安らげる場所を荒らされてたまるものかと、笑みの下で張り詰めさせている。
そして、その裏でジュリアスが暗躍して、十全に向かい打てるようにサポートしていた。
だが、そんなキシュタリアから容赦なく血筋を武器に爵位を奪おうとする分家には、その厚顔さに呆れた。
血筋ではグレイルの弟、そしてアルベルティーナたちの叔父のゼファール・フォン・クロイツ伯爵が最も有力視される。だが、彼は訃報に対して弔辞を述べてはきたが、執務にかかりきりだという。そして、このことに関してはキシュタリアが正統な後継者であると考えていると、書簡をラティッチェ公爵家に送ってきている。そして、どうやら他の知り合いの貴族にも根回しをしているらしい。
彼は人脈も広いこともあり、大体といっていい程の実力ある家柄はキシュタリアと分家との対立を静観している。擁護まではできないが、日和見側はすべて分家に味方をしない様にとも根回しをしているという。
彼も多忙を極めているはずなのに大したものだ。
ジュリアスはお陰でだいぶやりやすいと、食えない笑みを浮かべていた。
しかし、それほど評判のいいはずの人物をなぜグレイルがアルベルティーナに紹介しなかったのかというのは気になる。ほとんど会ったことの無い義理の甥にこれだけのことをしてくれるのなら、アルベルティーナならばもっと親身になるのではないだろうか。現に、忙殺される勢いの合間を縫ってまでしてゼファールはアルベルティーナを見舞い、同時に体調を診ている。
謁見の間でゼファールかセバス以外には診せるなというほど信頼しているはずなのに。
グレイルの思いの裡など、今更分からない。
「……子供の頃に」
ぽつりとこぼす。
「ラティッチェ公爵に、貴女の婚約者になりたいと願い出たことがある」
あの時の冷たい一瞥は未だに記憶に残っている。
「素気無く断られたよ。そんな価値、考えることもなく私にはないと。
もし、アルベルを振り向かせ、公爵に一本取れたら考えてやるとは言われた」
ミスリルの剣はガイアス――ミカエリスの実父が家宝として持っていた。
当時のミカエリスは知らなかったが、ガイアスは叔父らが去り危機が去っても我武者羅に剣を磨き、勉学にも社交にも打ち込むようになったミカエリスに特例として成人前であるにもかかわらず爵位とともに引き継がせてくれたのだ。少しでも手に馴染み、剣技を磨くことに専念できるようにと。
自分が妻にと希った相手が余りにも高嶺の花だったことを知っても、苦笑してはいたが止められはしなかった。
「……ずっとかなわないまま終わってしまったな」
その声は酷く寂しげだった。
父が病に倒れたとき、後見人のようにミカエリスたちを保護してくれたのはラティッチェ公爵だった。
母がイチかバチかで出した手紙。その中で、唯一動いてくれたのが隣の領地の大貴族である彼だけだった。
貴族として、軍人として、騎士として、領主としての必要な事を叩きこまれた。彼の存在無くして今のミカエリスはいないだろう。伯爵としてあっても、ここまで領地を豊かに発展させることはできなかった。貴族としても名を上げることもできなかっただろう。
師であり、もう一人の父のような人であった。余りに遠く恐ろしい存在だったが、確かにミカエリスは庇護されている存在だったのだ。
グレイルは気にもしてないかもしれない。とるに足らないことだったかもしれない。だがミカエリスは恩を碌に返せぬまま、彼は帰らぬ人となってしまった。
ずっと背を追いかけているだけ。
叶わないなのか、敵わないなのか――どちらかはミカエリスだけの心の中に。
読んでいただきありがとうございます。
シリアスが多いのは心にきついので、ペースアップ中……
感想を見るとお父様ロスの方がいっぱいですが、お付き合いいただければ幸いです。