悪意の襲撃
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「お父様っ!」
ようやくわたくしを見て、名を呼んでくれたお父様に喜びが溢れる。
長い遠征で草臥れて傷ついた衣類や解れたアッシュブラウンの髪、少し埃っぽい姿は今まで一度も見たことがない。でも、今目の前にいるお父様がご無事であればこそ、なにも文句も不安もありはしない。
はしたないと分かっていても、逸る気持ちも、踊る心も、翻るドレスの裾も止めることはできない。
少しドレスを摘まんで、転びそうになりながらもお父様の前にはせ参じる。
抱き着こうとしたが、お父様はいつものように手を広げてくださらない。それどころか、静止するように手を前に出した。
「ダメだよ、私のアルベル。今の私は汚れているし、何度も血を浴びてしまっているからね。ある程度は魔法で洗浄したが、綺麗なお前を抱きしめられるほどではない」
そういって手袋を外し、その場に捨てて新しいものを取り出してつけ直す。
白い手袋で覆われた手を差し出すお父様。
この手だけは触れていい、ということなのだろう。そんなことは気にしないし、本当は抱きつきたい。ですが、お父様の心遣いを無下にできずその我儘を胸の底に押し込んだ。
許されたその手を両手で包み、縋るようにお父様の前で膝をつく。
「そんなことっ! 些細な事ですわ! お父様は国のために、国民のために尽力してくださってくださったのです!
身を呈してくださるお父様を誇りに思い、心配することはあっても疎むことなんてあり得ません!
今回のスタンピードも、お父様以外であればどんな被害になっていたことか‥‥‥‥っ!
下手をすれば全軍呑み込まれた挙句、呪いの傀儡となった元兵士たちが近隣の村や街を襲い、さらに数を増やして王都に押し寄せていたかもしれませんわ!」
なんか外野がざわついたけど無視ですわ。
国一番、それも抜群の戦闘の力を持つお父様が、かなり不利な状況であるとはいえ後手に回る。魔法にもかなり詳しいはずのお父様ですら、この有様。他の人が当たっていたら、もっと凄惨な状態になっていておかしくない。
お父様の殲滅力は国随一といっていいはずです。そして、そもそも私やクリスティーナお母様以外に慈愛の心を発揮する気のないお父様。容赦なく敵とみなしたものたちは屠っているはずだ。
もし、この事態に当たったのがお父様以外だったらどうでしょうか。中途半端に実力があって、判断を鈍らせた挙句ありがたくもないマジカルバイオハザードが出来上がるなんて悪夢ですわ。
「よく御無事で、御無事で何よりです。お父様……アルベルティーナは、お父様が生きて帰ってきてくださり、それが何よりの喜びです。
どんなお土産より、どんな贈り物より、お父様の元気な姿が嬉しゅうございます」
お父様が触れて欲しくないというなら、許してくださる唯一の手に自分の額を押し付ける。そして精一杯魔力を込める。
お父様の周りに淡い青と緑の燐光が舞い踊り輝く。それは収縮し、一陣の風を起こして消えた。それと同時に、お父様の傷も消えた。
……はず? 目に見えた生傷がぱっと見なかったのですが。
「お父様、勝手に魔法を施してしまいましたが、まだお辛いところはありますか?
未熟ではありますが、わたくしも魔法の使い手。力及ばずながら、助力をさせていただきとうございます」
「お前の優しさが、何よりも嬉しいよ。ありがとう、アルベルティーナ」
優しく柔らかいアクアブルーの瞳に見つめられ、私はようやく息ができる。
お父様……これから忙しくなりますわよね。人に寄生する物騒な呪いとやら……あの熊公爵はどう考えても物理系にしかみえないですし。
お父様は実物を見ているうえ、魔法について見識の深い方。
お父様は傷を受けた形跡はありましたが、例の寄生型の魔物の影響はないようです。
うーん、寄生するにも条件があるのかしら? お父様は寄生に至るまでの致命傷ではなかったから? 抵抗力とか耐性とかかしら?
どちらでもいいわ。お父様が御無事なら。
とろりと甘い声とともに頬を撫でるお父様の手が心地よく、うっとりと目を細める。
その時、また周囲がざわり。
うざい。
親子の感動の再会をいちいち邪魔するというか、水を差す余計な観客にわたくしうんざり。
「さあ、帰ろうかアルベル。屋敷は少し遠いから――今日は王都の別邸で休もうか。
ああ、こんなに窶れて………王宮は我が娘一人すら持て成せないのかな?
この子は公爵令嬢であり、我が愛娘であるというのに。
どうせ王宮の連中はアルベルの容姿ばかり見て、勝手に思いのままに操ろうと散々アルベルを追い詰めたんだろう? 怖かったろうに………私どころかラティーヌもキシュタリアもいない場所に閉じ込められては心から弱り果ててしまう繊細な子に……
だからここに連れてくるのは嫌だったんだ」
じっと私を見つめながら微笑むお父様。
ですが、その言葉とともに垂れ流される猛烈な怒り。私には優しさが溢れるように注がれているのですが、周囲にはダイヤモンドダストが見えそうなほどの吹雪が吹きすさんでおります。
いえ、実際は吹雪いていないのですが、そんな勢いで周囲の人たちの顔色が悪くなっています。
だって、その通りですもの。
無理やり連れてこられた私は拒絶の極致のあまり、結界を発動。
長年一緒にいたメイドのアンナをはじめ、ごく一部以外絶対拒絶領域を構築しました。
うん、我ながら酷い拒絶っぷり。わたくし、絶対王族とか無理ですわ。周囲の貴族も大臣も宰相も元老会とやらも王族も信用なりません。
お父様がお隣にいてくださるなら、妥協に妥協を重ねて、お父様がお願いするのであれば頷いてもいいかもしれないレベルに無理ですわ。
わたくし以上に、お父様の説得は困難を極めるでしょうけれど。
そんなことするなら、国外逃亡する方がましですわ!
もちろん、ラティッチェ公爵家全員と家宰をはじめ使用人たちは連れて行かせていただきます!
お父様になお食い下がろうとした人たちはいましたが、マジ魔王モードのお父様の一瞥に言葉を飲み込み後ずさり。
最初は威勢の良かった大臣だの元老会だのという、実力は定かでなくともやたら身分が高貴なお偉い様方。なるほど、お父様に本当に手も足も出ないのね。
……本当に結界があってよかったわ。そうでなければ、何をされていたか分かったものではないですもの。
「帰ろう、アルベルティーナ」
「はい、お父さ……」
その時、謁見の間が揺れた。
物理的に、凄まじい振動がきたのだ。
轟音とともに揺れる床に思わず膝をついてしまった。
その時、自分のすぐ真横に何か湿ったものが鈍い音を立てて転がった。
それは結構な速さでゴロゴロと転がり、周囲にいた貴族の誰かに当たった。
いったい何なの、と最初に轟音が上がった謁見の間の出入り口のほうを見るとそこには倒れた兵士と、白銀の鎧の騎士たち。そして、開け放たれたというより抉じ開けるのに失敗し、破壊された扉。王国のシンボルが入っていたはずが木っ端になっている。
あの重厚な扉を破壊するなんて、どれだけの力が振るわれたのかと思うとぞっとする。
その時、青いものが視界の隅で翻った。つられるように顔を上げれば、そこにはお父様の背。
「え………」
頭が、理解するのを拒否した。
お父様越しに、何か悍ましいものがいる。
どろどろというべきか、どこか粘着性のある音を立てながら蠢くそれ。
薄い油膜を張ったような、エナメルのような光沢があるそれは流動するように常に動いている。
前世でも今でもこんな生き物見たことがない。
図鑑でも神話でもUMAでも、こんな不気味な生き物を知らない。
なにか爆ぜる音とともに、目を焼くような光が弾ける。お父様の手から生まれたそれは、見るも悍ましい化け物へと叩きこまれた。ビクンと硬直し、そのまま後ろに弾き飛ばされた化け物は、白い大きな支柱に叩きつけられた。
『ヴァぅ……っ』
呻きとも喚きともつかない鈍い声が聞こえた。
周囲に驚愕と緊張感が走る。
「どうやったら王宮まで湧いてくるのだか……」
「お、お父様……あれは?」
「例の寄生型の呪いの馴れの果てだよ。余程魔力の多い人間が素体だったんだろう」
恐れよりも呆れの多いお父様の声。
確か目ぼしいのはお父様が倒したと言っていたような?
でもなんであんな化け物が王城に現れるのでしょうか?
外から入ってきたのなら、城下町は大パニックではないのでしょうか?
どうして伝令が来ていないのかしら。ついさっきお父様が指示を出したばかりとは言え、タイミングが絶妙におかしい。
いつから、こんなものが王宮に入り込んでいたのだろう。こんな姿、どうあっても目立つはずなのに。そして、そんな化け物とお父様が対峙しているという事実に足がすくむ。
混乱しきった頭でふらふらしていると、背後にいた誰かが私を抱き上げた。
「公爵様、お嬢様をお連れしても?」
「死んでも守れ」
「御意に」
振り返らずとも分かるその声は、ジュリアスだった。
誰かがわきを通る。お父様の背に続くように、すぐ後ろにミカエリスとキシュタリアもいた。それぞれ手にミスリルの剣と、魔力球を構えて険しい顔をしている。
ジュリアスが私を抱き上げた状態で下がれば、当然距離が開く。嫌だ、お父様。離れてしまう。
「お父様、お父様ぁ……いやぁ! 折角会えたのに! 放して、ジュリアス!」
「なりません、お許しを」
「やだっ! お父様、お父様ーっ!」
お父様はお疲れなのに。
ずっと戦って、戦って、ようやく戻ってきたのに。私が呼んでいるのに、お父様はこちらを向いてくれない。それがさらに絶望を呼び込む。
大丈夫だといって欲しいという願いと、危険だから逃げて欲しいという相反する思いでぐちゃぐちゃになる。
戦っている姿すら見せてもらえないのか、素早く私の体を回して背を向けさせたジュリアス。
反抗するようにその背中や肩を叩くが、ジュリアスはびくともしない。
その間にも、お父様たちのいた方から凄まじい音がする。
謁見の間に詰めていた人たちはみな阿鼻叫喚である。命乞いをしながら逃げまどっているが、そもそも入るべき入り口に化け物が居座り、戦える人たちが化け物と対峙している。
他に行けそうな場所は王族が出入りできる特別な出入り口。当然そこに人は詰め掛けている。王族専用なのに、ラウゼス陛下を先導しようとする騎士たちを無視して詰めかける貴族たち。自分たちが先だと金切り声を上げるメザーリン妃殿下とオフィール妃殿下、そしてエルメディア殿下。
ラウゼス陛下は顔色を悪くしながらも、玉座に座りながら戦闘を注視している。その隣で顔を引きつらせながらも、父王を逃げるべきだと説得しようとするレオルド殿下。
陛下を守るように数人の騎士と、フォルトゥナ公爵がいる。以前見た眼光に比較にならないほど鋭い目で、前を見据えている。
だが、何を考えたのか突然、大剣を構えて私の方へ走ってきた。
ジュリアスも解っているだろうに、特に表情を変えず向かっている。
「ぬぅん!」
低い掛け声とともに巨大な獲物が振りかぶられる。それをスピードを落とさぬまま、私を抱えたまま身を屈めて避けるジュリアス、そして、ついさっきまでジュリアスのいた場所に白刃の軌道が吸い込まれていった。
「え?」
そして、それは先ほどお父様と対峙していた化け物にめり込んでいった。
なんで。
なんで。
どうして。
お父様は?
キシュタリアは?
ミカエリスは?
「気を付けよ! 迂闊に傷を負えば取り込まれるぞ! こやつ、増殖するぞ!」
咆哮の様な警告に、さらに謁見の間は恐慌状態になる。
フォルトゥナ公爵の声に、青ざめながらも顔を引き締める騎士たち。だが、それはすべてではなく、中には恐怖に負けて逃げ出すものたちもいる。
「放しなさい、ジュリアス! 命令です!」
「聞けません」
「貴方はわたくしの従僕でしょう!?」
「解りませんか!? アレは貴女を狙っています!」
ジュリアスのまさかの言葉に息を飲む。
狙う? 私を? 何故? ぐるぐると視界が回りそうになるは、必死に自分を叱咤して深呼吸をする。
あの化け物がお父様と対峙していたのは、私が狙われてお父様が立ちふさがったから?
フォルトゥナ公爵が大剣を振りかざしたのは?
どうして私を狙うの?
素体として? 寄生するため? 魔力が強いならお父様やキシュタリアがいる。あちらの方が強いはず。
権力という点なら、ラウゼス陛下が国主である。
『あるべるてぃーな……コロス、殺す、ころす……』
鈍い呻きを上げながら化け物は暴れている。
幾重もの不協和音を重ねたような、鈍く奇妙な重なりのある声。
私を呼ぶ声は怨嗟に塗れて、それだけで肌が粟立つのが分かった。
『あ、あ、ああああああ! レナリア……』
異形の慟哭にも似た絶叫が響いた。
読んでいただきありがとうございました。
次から戦闘入ります。