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知られざる告解 前

 例のあの人について。

 覚えている方はいるでしょうか。


 アンナの敬愛するお嬢様は素晴らしい方だ。

 酷く世間知らずだけれど、途轍もない慧眼の持ち主でもある。

 今まで誰も思いつかなかった方法で、既存の食物をとても美味しいものに変化させたり、調理したりする。ある時は美しいドレスや宝飾品を作り出し、世の貴族たちを席巻した。またある時は、調味料、紙や文房具と多岐にわたり思いついては作り出して世に送り出している。

 本人は何故か指示を受けて実行したジュリアスや、ラティッチェの財力のおかげだと思い込んでいる。

 確かにジュリアスは優秀な人材であるのは事実だろう。

 ラティッチェ公爵も確かに多才な方ではあるが、アルベルティーナは別方向に多才である。

 発想一つで生み出した莫大な資産は巧く父である公爵が誤魔化し、アルベルティーナには繋がらないようにしてある。一人娘を溺愛する公爵に抜け目はない。

 事業に関わるものは使用人も商人も選り抜き、公爵が厳しく吟味している。

 だが、その名義はきちんとアルベルティーナのものだ。

 大商会となったローズ商会の管理は、グレイルが選り抜いた家令や使用人、セバスやジュリアス。そしてラティッチェお抱えの商人たちに任せている。

 アンナがヴァユの離宮から出て、物資を調達しに行くたびに様々な人間が現れる。本来、アルベルティーナに会える唯一の侍女として非常に重要な人物とされているアンナ。事前の通告なしに会える人間なんて離宮の護衛か、大臣クラスやその補佐に当たる上級文官くらいだ。


(信用できそうなのはほとんどいなかったわね。どいつもこいつも甘い汁を啜りたい顔をしていた。

 ………でも、城内にクロイツ伯爵がいらっしゃったのは僥倖だわ。公爵様はこのことを見越していたのかしら………いえ、あの窶れ具合からしてご自分のいない穴にねじ込んだ可能性も否定しきれないわ)


 グレイルの実弟、ゼファールはたびたびグレイルに呼びつけられては穴埋めに使われてきていた。

 なまじ有能過ぎるため、また人の良いために酷使されている代表格だ。

 その酷使具合は彼がまだ幼い年齢であるときからだという。人の感情の機微にあまり敏感とは言えないグレイル。かなりの愛妻家であるがクリスティーナと珍しく喧嘩をしたときなどはご機嫌取りの仕方を聞くために影たちに誘拐されたことが幾度もあると聞く。

 グレイルのナチュラル鬼畜は当時から健在で、学生寮にいようが、実家にいようが、登城していようが、領地にいようがお構いなしだったらしい。

 当時ラティッチェ公爵子息とは言え三男坊のゼファールはスペアのスペア。兄二人が健在であり、公爵家を継ぐ可能性は低かった。彼は学園に入学し、騎士コースと文官コース両方の単位を取得していた優秀な生徒だった。性格も温和で誠実。そしてあの美貌。彼を婿に取りたい人間や、跡取りとして養子にしたいと多方からお呼びがかかっていたという。

 婚約者選定も熾烈を極めてすったもんだがあったときく。

 本来優遇されるべき能力がありながら、彼の結婚生活は複雑だ。駆け落ちのように他家に出た長男、簒奪するように公爵家を継いだ次男、そしてそのツケを払うように家の都合で不釣り合いな婚姻を強いられたという。

 おそらく背後で彼の周囲はお前だけは言うことを聞け、と気性の穏やかなゼファールに圧力をかけていたことは容易に想像できる。逃げた長男、王族から女性を奪う苛烈な次男、そして温和な三男とくれば誰にしわ寄せが来るかなんて考えなくても解る。

 グレイルがダメでも、ゼファールなら。

 グレイルは恐ろしいが、ゼファールは優しい。魔王と聖人。若いメイドがゼファールに入れあげて騒ぐのは新人の通過儀礼と言えた。

 しかし、あれほどグレイルに目を掛けられているはずのゼファールですら、アルベルティーナとは直接会ったことがない。誘拐前は面識があったが、おそらく今はないだろう。記憶の混濁が多く実母の顔すら忘れていたという。


(でも、あの方の容姿はグレイル様に似ているし………アルベルティーナ様も余り恐れないかもしれない)


 だが積極的には使いたくない。

 余計なのがついてくる可能性もある。

 キシュタリアとジュリアスが離宮に来ようとしたときも、余計なおまけがついて来ようとしたと聞く。

 ヴァユ宮の外には、アルベルティーナと一目相見えようと手ぐすね引いて待っているのがごまんといるのだ。

 あのお方は絶対守る。

 アンナは戦闘向きではない。当然だ。彼女はメイドなのだから。

 アルベルティーナの健康管理をするために、食事、美容、薬といった物には詳しい。

 高貴な立場にいる人間とは、時としていろいろな方向から狙われる。王族に次ぐ貴族筆頭と言えるラティッチェ家もそうだ。今まで、アルベルティーナは実父の公爵によって手厚く守られていた。

 だが、絶妙に運が悪いアルベルティーナは非常に稀なお出かけ先で酷い目に遭った。

 学園で以前、ルーカスから理不尽な暴力を振るわれた。

 その裏にいたのはとんでもない性悪糞ビッチな小娘だったが、あの時のアンナは肉盾にすらなれなかった。

 身を呈したものの、屈強な騎士の前では一振りで薙ぎ倒された。

 結局アルベルティーナは馬車から引きずり出され、ずいぶんな言葉を吐かれたという。

 不甲斐なさを恥じたが、二心なき忠心はグレイルにも認められた。アルベルティーナはかなり危険な目に遭ったが、僅かとはいえその場から離れていたレイヴンとは違いアンナは一切の叱責がなかった。


(………私は二度目、ということもあるからでしょう)


 一度目はドーラだった。

 もとはクリスティーナ付きの侍女だった上級使用人。

 あの女はラティッチェ公爵を――グレイル・フォン・ラティッチェを愛していた。主人として敬愛するのではなく、異性として。身の丈に合わぬ情念を燃やしていた。

 だからこそ、後妻の座を狙っていた。

 クリスティーナの侍女をしながら、内心は嫉妬が渦巻いていたのだろう。

 父は四大公爵家のガンダルフ、母は臣籍降嫁した元王女システィーナ。誰もが羨む美貌と間違いない由緒ある血統。貴婦人の鑑と言える優美で洗練されたすべての所作。

 栄えある公爵家の若き当主であり絶世の美男子といえるグレイルに並ぶに、全く遜色のないクリスティーナ。並ぶだけで一枚絵のような夫妻だったことは想像に難くはない。グレイルにとっては一般的にはそこそこの美人である程度のドーラなど路端の石だった。グレイルは全くドーラに興味を示さなかった。

 どちらが相応しいなんて比べる必要もなかったし、グレイルはクリスティーナだけしか見えていなかった。

 クリスティーナが亡くなった後ですら、グレイルの寵愛はクリスティーナのものだった。後にラティーヌを娶ったのも、クリスティーナの残したアルベルティーナの為。そして、クリスティーナの生きた証と言えたその娘にだけ愛情は向かった。

 だからこそドーラはその面影を強く映すアルベルティーナを疎んでいた。

 グレイルの特別はアルベルティーナだけ。

 しかも、アルベルティーナのためにと分家から養子とその母親までついでに引き取って後妻に据えた。

 わざわざ周囲に根回しをして、他所の女を入れたのだ。ドーラの矜持は酷く傷ついただろう。

 アルベルティーナを使って後妻に成り上がる気だったあの愚かな女。その短絡的な愚策はすぐに周囲に見抜かれていた。そして、幼子であったアルベルティーナの恩情で首の皮が繋がっているだけだったことに最後まで気づいていなかった。

 暗闇と閉所を恐れるアルベルティーナのトラウマを抉るようなやり口で、何度も陥れた。そして、自分で仕組みながら、真っ先に駆け付けたように見せかけてアルベルティーナを懐柔しようとした。

 幼いアルベルティーナに対して陰湿な罠を何度も仕掛けた。

 そのたびにメイドたちが、従僕たちが、執事たちが、家令長で公爵付きのセバスの目すら鋭く吊り上がり始めたのさえ気づいていなかった。

 当然、アルベルティーナの周囲を整えるメイドの一人だったアンナもその一人だった。

 以前は癇癪持ちというより、加虐的だったアルベルティーナは正直嫌いだった。

 でも、誘拐されて戻ってきたアルベルティーナを、アンナは憎からず思っていた。

 恐怖心から泣き叫ぶことは多かったけれど、暴力は振るわない。トラウマにさえ触れなければ、にこにこと可愛らしい笑みを浮かべる天使のような小さな令嬢だった。

 着替えを手伝うときや紅茶を淹れたときなど笑顔でお礼をいう。泣き叫んで暴れた後は、愛らしい顔を申し訳なさそうにしょぼくれさせて詫びる姿を見れば、だんだんと絆されていってしまう。

 公爵令嬢のアルベルティーナはラティッチェ公爵家では女王として君臨できる存在だった。

 だが、実際いるのは童話から現れたようなか弱く可憐なお姫様だった。

 すぐそばには、その優しいお姫様を利用しようとする邪悪な魔女がいる。

 どちらに味方をするなんて、迷う必要すらなかった。

 当時のアンナはまだ下級使用人だった。アルベルティーナには気に入られていた方だったけど、古参のメイドであるドーラを制御できる存在ではなかった。

 あの女は、自分に意見のできる立場がいない隙を狙うのが上手かった。姑息な女だった。

 できることといえば、眠るアルベルティーナにドーラが近づかないように目を光らせるか、深夜でも見回りをしてアルベルティーナに妙な事をされていないか見守るくらいだった。

 目隠しするような布を被されていないか。

 枕もとの魔石のランプは隠されていないか。

 不自然に分厚い天蓋やカーテンが引かれていないか。

 何度も何度も、毎日毎日。

 根気強くドーラと戦った。

 いつか、決定的な証拠を見つけて絶対追い払ってやると心に決めていた。

 結局、あの女が考えを改めることなんてなかったようだったけど。


(………お嬢様の前で謝罪させたかったわ)



 思い出すのは暗い部屋。




 あの女が足音をひそめて、コソコソと不自然にアルベルティーナの部屋に入っていくのを見た。

 深夜にメイドの御仕着せのものではない夜着にナイトガウンを羽織った姿で入っていったドーラは周りを気にしていたようだけど、息をひそめたアンナの気配までは気づいていなかった。

 一見すると、夜更けにまで仕えるべき小さな令嬢に尽くす古株メイドとも考えられるが、ドーラのやろうとしていることは逆だった。

 ベッドにあるアルベルティーナのお気に入りのぬいぐるみを遠くへ置き、魔石のランプを隠し、分厚い遮光性の高い天蓋を解いて広げた。そして、眠るアルベルティーナに目隠しの布を掛ける。身じろいだアルベルティーナ。ずれかけたそれをしっかりと再び置き直す――暗闇に気を動転させて泣き喚くアルベルティーナを見る目は、鬱陶し気なくせに、そうなるように何時もドーラは仕向ける。アルベルティーナの心を揺さぶり、弱らせ、自分の思い通りにするために。

 当然ながらアルベルティーナは起きているときは狭い場所に絶対に行きたがらないし、暗所も避ける。

 だからドーラは、アルベルティーナの意識がない時を狙うのだ。

 お嬢様を起こしたくない。こんなことに巻き込みたくないし、恐ろしい思いもさせたく無い。

 怒りで我を忘れそうになりながらも、ドーラが部屋から出てきたところを捕まえた。

 アルベルティーナが心を許していない人間の気配に敏感になったのは、ドーラが原因の一つでもあった。漸く安住の地と言えるラティッチェ家にいるというのに、ドーラが執拗な嫌がらせを続けるうちに他人の気配に気を尖らせるようになっていった。

 それを歯がゆく見つめ続けていたアンナの怒りは、頂点に達していた。


「………お嬢様の部屋に何の御用ですか、ドーラ様」



 読んでいただきありがとうございましたー!

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