悪あがき
久々のヤベー人が登場です。
相変わらず胸糞ヒロインモドキさんなので短めです。
何かが壊れる音がする。陶器かガラスかは分からないけれど、そういったもの硬い物が壊れる音だ。
薄暗い部屋の隅でうずくまっていたカインは、のろのろと顔を上げる。
また彼女の癇癪が始まったのだと、いつものことなので理解する。この仄暗いおんぼろ屋敷にいる人間など限られている。
怒る人間も、当たり散らされる人間も、止める人間も。
重い足取りで立ち上がりドアを開けた。さして距離のない部屋に渦中の人物たちはいた。
「どうしてグレイル様に会えないのよ!」
「レ、レナリア……落ち着いてよ、グレアムに当たっても無理なものは無理だよ」
中身の入ったティーカップごと投げつけられたグレアムは、額を押さえて蹲っている。
カインはヒステリックに喚くレナリアを宥めようとするが「触らないで!」と冷たくはねつけられた。
「なんでよ!? アルベルティーナの奴、どこに薬を隠したの!? 地下牢がどうしてなかったの!? あれを見つければ、絶対私の勝ちだったのに!」
ままならぬことに怒りをまき散らすレナリア。
その形相は、本来の愛らしい顔立ちを鬼のように醜くさせている。激しい焦燥と憤慨が滲み出ていた。
学園の栄華が崩れ去り、追われる身となったレナリアはすぐに激昂するようになった。
「流石悪役令嬢は悪知恵が働くわね………絶対、絶対尻尾を掴んでやるわ」
「レ、レナリア……すまない。俺の失態だ……」
「全くよ。折角とびきりの情報を教えてあげたのに! グレイル様はいないし! アルベルティーナは殺せないし! おまけに私が捕まるとかあり得ない……失敗ばっかりじゃない」
謝罪するグレアムを、レナリアは高圧的に睨みつけた。
あの別宅にはアルベルティーナ愛飲のハーブティーの材料をはじめとする香草や薬草だけしかないのだから、見つからないのも当然だ。
そもそも俗世から隔離されているといっていいアルベルティーナ。禁止薬物の斡旋等していないし、使用もしていない。関わり合いがないものがあるはずもない。
「ルーカスもレオルドも全然協力しないし、使えない! フィンドールはさっさと学園に戻って知らん顔するし……折角可愛がってあげたのに、恩知らずもいいところだわ」
そもそもフィンドールは学園から監視という命令を受けて、仕方なくレナリアにへつらっていただけだ。手玉に取った気になっていたのはレナリアの勘違いである。
キシュタリアとミカエリスはレナリアをかなり疎んでいる。
結果、レナリアの手元に残ったのはグレアムとカインだけだ。ジョシュアはルーカスとともに叱責を受けて学園を退学させられ、辺境に一般兵の一人として送られたと聞く。
本命とそれに準ずる男たちは手に入り損ねた。
しかも、指名手配されている為コソコソとしなくてはならないことが、さらにレナリアを惨めにさせていた。
「まさかバッドエンド? ……ううん、こんなパターン聞いたことないし。今はどこのルートなの? ちゃんと正規のルートに戻さなきゃ……グレイル様のルートはかなり複雑で分かりづらいから、やっぱりこれがそうなのかしら」
ぶつぶつと独り言を言いながら考え始めていたレナリア。そんな彼女の裾を引く手があった。
「………なに、グレアム?」
「お、お菓子を。お菓子をくれないか? もう限界なんだ。気が狂いそうだ。おかしくなりそうなんだ。お菓子、お菓子を。おかしおかし」
「五月蝿いなぁ、もう。汚いからやめてよ」
泡を吹きそうなグレアム。その目は血走り、ぶるぶると震えている。こめかみから血を流しながら、どこか狂信めいた眼でレナリアに縋っている。
かなり恐ろしい姿に、一瞬カインが身を竦めた。レナリアは鬱陶しいと言わんばかりに顔を顰めただけだった。
そして、うんざりとした様子も隠さずポケットから包みを出すとグレアムの顔に叩きつけた。
「それ食べたら、さっさと動いてよ」
グレアムが床に落ちた包みに歯を立てて齧りつく様子は犬のようだった。
なんでこんな下品なのを相手にしなくてはならないのだという表情を隠そうともせず、それを見下ろすレナリア。
宰相令息とは思えない飢餓じみた様子でお菓子にがっつくグレアム。
その異様な光景に震えるカイン。
学園で出会った当初、レナリアは優しかった。
こんな高慢ちきで、すぐに怒り当たり散らす人ではなかった。
生まれながらに膨大な魔力を有し、その身に呪いを宿すカインにも優しかった。魔法特待生でありながらも、成長が止まったその身に厭わしさと煩わしさを感じていたカインにとって、レナリアは優しく明るく笑顔で話しかけてくれる光のような存在だった。
その屈託のなく朗らかな性格に惹かれた。
レナリアの一番がルーカスでも、その近くにいられるなら――と、思いを押しやった。
それが崩れたきっかけは、レナリアがお気に入りでありながら靡かない二人の男子生徒にちょっかいを掛けたことだ。
もとよりレナリアと距離を置きたがっていたが、二人とも学園内で名家の貴族筆頭であり人気があった。なにせ容姿端麗。名家であり財力、領地共にも当然莫大なものだ。眉目秀麗な彼らには婚約者もいないこともあり、レナリアは自分の取り巻きに加えたがった。
当時レナリアに好意を抱いていたルーカスたちは良い顔をしなかったが、レナリアが蔑ろにされても憤慨するというかなり面倒くさい状態だった。
カインはうすうすレナリアが自分に対して興味がないことを理解し始めた。
レナリアは自分の様な子供ではなく、ルーカスやグレアム達の様な背の高い『男の人』が好きなのだ。
公爵子息のキシュタリアも、伯爵のミカエリスもそれに該当した。キシュタリアの従僕だという男にも、レナリアは興味を持っているようだった。
レナリアは可愛くて素敵な女の子だから、たくさんの男の人に好かれていても仕方がないと理解した。
今は冷たくしていても、そのうち彼らもレナリアが大好きになってしまうのだろう。
だが、それは杞憂に終わった。
特定の相手を作らない彼らが、とある女性を随分大事そうにエスコートしていたという噂が駆け抜けたのだ。普段、二人に近づくなら鉄壁として立ちふさがるジブリールすら黙認しているどころか、歓迎している程に仲も良さげだという。
その頃になると彼らにレナリアはお茶会も断られ、話しかけるなとすら言われていた。
レナリアを泣かせた彼らが、その彼らが大事にしている女性が許せないとルーカスたちは立ち上がった。
義憤に駆られていたといえば聞こえがいいが、客観的に見ればレナリアこそが複数の男を侍らし、王族の権威を振りかざすとんでもない少女だった。彼女自身は、平民に毛の生えたような男爵令嬢。
カインは違和感を覚えながらも、レナリアが好きだったから見て見ぬふりをした。
レナリアが望むままに、件の令嬢を馬車から引きずり下ろして、見せしめにしようとした。
それが、レナリアのハーレムの崩壊となった。
田舎貴族の令嬢だと思っていたのは、サンディス王国でも筆頭貴族と言える大貴族の娘だった。序列一位のラティッチェ公爵家、唯一の直系。それも王族の血を引く由緒正しき深窓の令嬢だった。
王族の失態により瑕疵を受けた令嬢は、社交界に出ないほど人見知りが激しい。そして、体も弱く父親である公爵から溺愛されていた。
父親についてきてもらいながら、義弟と幼馴染のいる学園にやってきたのだ。数年ぶりに領地を出た彼女は、そのたった一度で理不尽な謗りと暴力を受けた。よりにもよって、王族から。王族は、過去の失態から現在も彼の令嬢に賠償をしている。
行きは国一番の魔法使いの父親、帰りは上級騎士の護衛。
か弱い令嬢を守るにしても厳重すぎる警護は、父親の溺愛を物語る。権力で無理やり暴いたのだ。当然、ラティッチェ公爵は激怒した。
すぐさま学園に戻り気絶している娘を見舞うと、王子であるルーカスやレオルドごとグレアムやカインたちをも処罰しようとした。
間一髪のところで目覚めた愛娘の懇願により、目こぼしされただけだ。
ルーカスたちはそれぞれ謹慎、レナリアは今までの余罪も含め投獄された。
それからは落ちる一方だった。
今までの横暴を責められ、説き伏せられ、嘲笑われた。
レナリアは学園のマドンナではなく、身を弁えない悪女として扱われた。
カインはどこか遠い意識でレナリアを見る。
自分に手を差し伸べてくれた優しい少女は、今や悪し様に周りを罵る汚物のようだった。
カインが縋っているのは、幼い恋心の残骸だ。
色褪せた淡い期待と、ほの暗い絶望。
「……あの女さえ、アルベルティーナさえいなければ……!」
「レナリア……」
ぽつ、と呼んだ声は珍しく彼女に届いたようだ。
振りむいたレナリアは、優し気に目を細めてはくれない。鬱陶し気に目を眇めた。
だが、何か思いついたように媚びたような笑みを浮かべた。
「ねえ、カイン。私のこと好きでしょ? お願いがあるんだけど」
有無を言わせぬ圧力。
可愛らしいようなおねだりは、絶望をもたらす警告にしか聞こえなかった。
読んでいただきありがとうございました。