慙愧
ざんきと読みます。慙愧。
お父様の出張は長引いています。相変わらず。お父様メッチャ苛々してそう。
謁見を終えたキシュタリアは、控室で待っていたジュリアスと合流した。
控室とはいえ重厚な作りで、それなりの広さがある豪奢な部屋だ。だが、反面圧迫感を感じる。そこにピンと背筋を張って立っているジュリアスには気後れした様子はない。
冷めた視線で女性の肖像画を眺めていた。
その時はメギル風邪が流行る前で、まだ王家の瞳を持つ王族は多くいた。
描かれている女性もその一人。二代前の王の妃だ。サンディス王国において最も高貴な瞳を持つ王妃がいたというのに、当時の王は色好みでたくさんの愛妾や側妃を囲い後宮をいくつも増築したときく。
奔放過ぎるその女性関係は熾烈な王位継承争いを生んだ。それも、メギル風邪により多くが命を落としたことにより幾分マシになったというのだから皮肉な話だ。酷い熱を伴う死病により血を血で争う泥沼の争いは終わったのだ。
アルベルティーナのいたヴァユの離宮にかつてこの王妃もいたという。
ジュリアスはキシュタリアが戻ってきたことに気づくと、素早く目礼して定位置についた。
「ジュリアス」
「なんでしょうか」
「うちにいる使用人のフリした溝鼠、炙りだせる?」
「少しのお時間と、傍付きを暫し外れて宜しければ。やはりその線ですか」
さして驚くこともなく、ジュリアスは頷いた。
やはりこの男もその線を疑っていたようだ。そして、できないとは言わないあたりこの男の有能さ故だ。
現在ラティッチェ邸を預かることとなったラティーヌも、その線を考えて屋敷から動けないのだろう。襲撃の爪痕も生々しい状態を放置できないのもあっただろう。追撃があったらたまらない。
「あの数の侵入者はいくらなんでも多すぎる。しかも、アルベルのいた別宅にあの迷惑女が来るなんてどういう確率だよ。
内通者がいるとしか思えない」
「金か、爵位か、はたまた弱みか異性関係か。他の家よりはるかに躾の行き届いているはずなのですがね、公爵家の使用人たちは」
キシュタリアが淡々と考えを述べると、ジュリアスも冴え冴えとした美貌に酷薄な笑みを浮かべて頷いた。
「すでに逃げている可能性も高いけどね。
あとレナリアが計画的な犯行とか無理だろう。誰か参謀役がいるはずだ。
やたらあの女が牢から逃げ出せるのも気になる。
父様に目をつけられた人間がそうそう逃げ出せると思えないし、フォルトゥナ公爵の怒りは演技に見えなかった。
そこまで国の中枢に食い込んだ人間がアイツに肩入れしている?
アイツはどうやって人を調達しているんだ? 金はないはずなのに………
ルーカス殿下を失脚させたアイツを恨むやつは多くても、喜ぶ奴はそういないはずだ。一番喜びそうなオフィール妃殿下だって、レオルド殿下がアイツに関わったせいで結構痛手を被っている」
「大方噂のお菓子とやらで釣っているのでしょう。どうやらかなり酷い中毒性があるようですから」
「そんな奴ら使えるの? 賊の連中をみたけど、だいぶ眼がおかしかったよ。まともな思考回路があるとは思えない」
「使い捨てる分には問題はないでしょう」
少なくともラティッチェでは絶対使わない。使い捨てるにしても、余計な情報を残したりしそうな連中は影ですら使わない。
アルベルティーナの溺愛が増して以降、グレイルの人選はその傾向は強くなる一方なのだ。
「………そのお菓子とやらさ」
「はい」
「奴隷密売の現場に、似たような症状の奴らがいた。あの時は酔っ払いかと思っていたけど偶然かな?」
「押収した品を取り返しに襲撃した可能性があるということですか………」
しかも、ラティッチェ邸では奴隷密売摘発の立役者たちがひしめいていた。
理性の緩んだ者たちに、復讐相手がいるうえ、お菓子と呼ばれるご執心の品があるといえば飛びつく可能性はある。
そして、考えたくはないがラティッチェの使用人や招待客の中――その両方に内通者がいるのであれば不可能ではない。
「水煙草って連中は呼んでいたけどね。結構な高値で取引されているから、もしかしたらレナリアの資金源かもしれない。
中毒性があって、人の理性を狂わせる類の物ならあり得なくはないと思う」
「水煙草………ですか、そういったものの類はゴユランでよく使われますね。
ですが、一般の火煙草より常習性が強いと聞きます。
戦奴を奮起させるためや、性奴隷に仕事をさせるための興奮剤にも、似たような常習性のある薬物があると聞きます」
「しかもゴユラン国といえば、奴隷産業の大きな国だ。奴隷密売に乗じて一緒に流れてきてもおかしくない」
「スパイス、薬味、漢方などの名産国でもあります。毒と薬は紙一重とも聞きますから、そちらに紛れ込ませていた可能性もありますね」
「アルベルが料理に興味を持って、ここ数年でスパイス関係の輸入は大幅に増えたからね。
サンディス王国ではただの調味料や香辛料でも、知られてないナニカがあってもおかしくない」
その手のものは、魔法薬の調合でもよくある。魔力や属性の加え方、薬草の淹れるタイミングで効能が変わることなんてざらだ。
魔法陣だって文字の配列を少しずらしただけで、威力は大幅に変わるし、発動しないことだってある。
「特殊な調合、もしくは焙煎や処理により成分が変質する線も調べましょう」
「人は足りる?」
「これでも顔は広い方です。情報は商人にとっても金ですからね。巧くやって見せましょう」
「頼む。どうも嫌な予感がしてならない」
まるで、この国の魔王であり――番人とも呼ばれる義父の不在に相次いで起こる事件。
あちらにもスタンピードだけでなく、人災絡みの厄介が起こっている。
(………まるで父様を足止めしているみたいに? それにしても遅い。父様が、ここまで遅くなることなんてなかった。アルベルの危機には真っ先に嗅ぎ付けて駆けつけてきたのに………)
そこではっとなり首を振るキシュタリア。
何を考えている。今ここに義父はいない。恐ろしくも頼もしかった公爵はいないのだ。
自分しか、ラティッチェ公爵家の力を示せないのだ。アルベルティーナを守る最大の力を自分が示さなくては、アルベルティーナはあっという間に食い荒らされる。
母のラティーヌは屋敷の留守を任せている。
女主人として、彼女も迂闊にあの場所を空けるわけにはいかない。
「僕はミカエリスに会ってくる。あっちもアルベルのことは心配しているはずだしね。
それにもしかしたら何か目ぼしい情報があるかもしれない。
貴族の人脈は僕の方があるけど、騎士や兵の間にはあちらのほうの情報が強いし」
「ジブリール様に聞いてみてもいいかもしれません。女性の噂も、存外侮れないものがありますよ」
「解った。屋敷に戻るなら、母様にもアルベルのこと伝えておいて。
あの人、僕よりアルベルのほうがずっと可愛いみたいだから」
「日頃の行いですね」
にっこりと笑顔で断言するジュリアス。
キシュタリアがアルベルティーナに際どく触れすぎるたびに、ラティーヌが説教のために呼び出している。ヒールをへし折らんばかりにテーブルに蹴りを入れている姿を何度も目撃している。
図太く逞しくすくすく成長した息子。顔は綺麗でもお腹の中は真っ黒。そんな彼が恋情に焦れた眼差しを、繊細で脆弱でぽやぽやした深窓令嬢の義娘へ注いでいる。危機感のないアルベルティーナは、弟としてキシュタリアを溺愛してその過剰な触れ合いを許容している。
貴族令嬢らしからぬふわふわとしたふやけた笑みで屈託なく懐くアルベルティーナ。
そりゃ腹芸・姦計お手の物な魔王ジュニアより、可愛いだろう。
ラティーヌが初めてラティッチェ公爵家に来たときは、キシュタリアとともに身を強張らせて畏縮していた。
頼りなく薄幸そうな美女であったが、今では女帝さながらの威圧を放つ。アルベルティーナは優しい義母だと慕っているが、彼女はラティッチェ公爵夫人。白い婚姻だが、ビジネスパートナーとして十年以上あのグレイルと連れ添った女傑だ。その辺にいる貴族の女とはわけが違う。
時にはあのグレイル相手にぴしゃりとモノを言うほどの気骨を持ち合わせている。
ちょっとやそっとの相手では動じないだろう。
今回のラティッチェ公爵邸で行われた慰労会を兼ねたお茶会。襲撃を受けたが、招待客は誰一人被害がなかった。もちろん、客のふりをして入り込んだ賊は縛り上げたが、あれだけの襲撃でけが人は出なかったのだ。ラティッチェの護衛は何人か被害が出たが、離れで明らかな物音に対して、ラティーヌが不動の精神でホストとして徹しきった。堂々としたラティッチェの女主人の様子に招待客らも落ち着いていた。余計な不安をあおることはなく混乱が少なかったのも被害を小さくした要因だろう。
アルベルティーナがフォルトゥナ公爵に連れ去られたと聞き、ラティーヌは顔を流石に青ざめさせた。しかし彼女の決断は早く留守は自分が預かるからとキシュタリアとジュリアスをすぐさま送り出した。賊に荒らされた屋敷や周囲への対応を全てラティーヌが引き受けているのだ。
フォルトゥナ家とラティッチェ家の確執は社交界に精通するラティーヌが知らないはずはない。本当は心配で仕方ないだろう。
ふと、何か言い争っている声が聞こえた。
ヴァユの離宮へ続く通路からだと気づき、思わず視線を向けるキシュタリア。
見たくない相手がいた。あの隆々たる筋肉の気配が激しい巨体。あんな後姿をしているのは、王城でも一人しかいない。貴族かというのが本当に疑わしい程に逞しい。
騎士と文官らしい影が必死にフォルトゥナ公爵を説得している。
どうやら、結界で阻まれないぎりぎりの位置で彼は居座っているらしい。それも、ずいぶん長い間。遠目からわかるほどのサイズの大きな剣を佩いている。良く見れば、その服は謁見時の盛装から、動きやすい簡易な礼服へ着替えている。
だんだんとヒートアップしてきた文官をひょいと摘まみ上げると、ぺいっと庭の方へ投げた。一般的な成人男性サイズだが、まるで小さな子供の様な軽々とした動作だった。
それを合図のように、騎士たちがフォルトゥナ公爵へとびかかった。
武器は持っていないうえ、だいぶ逃げ腰だった。それはそうだ。あの熊公は身分がべらぼうに高いうえ同じ人類かいぶかしむレベルで大きい。何から何まで。
しばらく兵や騎士たちがフォルトゥナ公爵に泣きながら挑みかかっては張り倒されたり、投げ飛ばされたり、薙ぎ倒されたりしている。
その時、何かキラキラとしたものがフォルトゥナ公爵からこぼれた。それは放射線状を描き、灌木のほうへと落ちた。大きさからして、少し大きめのボタンか、小さめの懐中時計くらいだった。
フォルトゥナ公爵は気づいていないのか、そこら中に蔓延る死屍累々をつまらなそうに一瞥した。そして、結界ぎりぎりの位置に戻って仁王立ち状態で止まる。
もしや、今後アルベルティーナに会いに行くたびにあれとも会わねばならないのだろうか。
物凄く嫌だ。余計な詮索はされそうだし、そもそも会いたくない。アルベルティーナに会えて浮いた気分もマントルまで落ちるというものだ。アルベルティーナだって、外に出てすぐにアレがいるなんて嫌だろう。外に出る気も萎えるし、結界を消したくもなくなるだろう。
あの男のせいで、アルベルティーナはこんな場所にいる。
望まない場所で、望まない立場を押し付けられそうになっている。
あの男のせいで――それは言い訳だった。
グレイルであれば息をするように、当たり前のようにアルベルティーナを助け出すのだろう。
誰に何を言われようと、一切動じずに痛烈な切り返しで相手を跳ねのける。
相手が誰でも、どんな状況でも、揺ぎ無く。
キシュタリアにはそれができない。
自信も、能力も、覚悟も何もかもが足りない。
アルベルティーナに会えても、気休めの言葉しかかけられない。そして、ごまかすことしかできないのだ。
そんな自分が嫌いだ。認めたくなくて八つ当たりのようにフォルトゥナ公爵を憎む自分が最も惨めでさらに嫌になる。
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