魔王の計らい
特別恩赦のターン。
彼女は静かだが迷いのない足取りで向かう。その場所が普段あまり赴かない方向なのは察していた。
ラウゼスは国王だ。彼にとって王宮とは華やかで絢爛で、権力と陰謀が渦巻く魔窟だ。進みゆく廊下は道を照らすものはベルナの燭台一つだけ。
周囲には燭台やランプなどはない。踏みしめる床だって年季の入った少し埃っぽい石畳と、同じような床や柱ばかり。普段通る王宮の通路は、いたるところに絨毯が敷かれている。目につくところには絵画や旗やタペストリー、壺や像などで周囲に華やかさを添えていた。
最低限の形成しかされていない、岩肌を思わせる壁は粗野である。彩りも乏しく冷然とした場所。頼りない光源はベルナの持つ燭台のみで仄暗い。寂しげな雰囲気で、廊下の奥はさらに暗い。
安置された部屋の前には警備がいた。すでに話が通っているのか、二人の姿を認めると施錠を解いて扉を開く。黒い簡素な棺が二つ並んでおり、ベルナが促すと兵は一礼して退室する。
王子――王族ではなく、罪人の息子として安置されているルーカスとレオルド。
何度もラウゼスの中で渦巻く後悔。毒杯を与えたのはやりすぎではなかったのか。一方であの二人の歩む人生を考えるとこれも慈悲だと理性は首を振る。
国王を、貴族を、国民を謀り悪女となり果てた元王妃たち。その汚名はずっとその子供たちにも纏わりつくだろう。存在が罪悪だと後ろ指をさされ、その評価を覆すのは限りなく難しい。努力や結果が正当に評価されず、悪意に晒され続ける。
人間は残酷で、罪人であればどんなに蔑んでもいいと考えている者が一定数いる。悪なのだから、何をしてもいいと醜悪な正義感を振りかざすのだ。
何も知らずに玉座を懸命に目指していた二人は、周囲の欲に踊らされていただけだ。ラウゼスはそれを知っているが、周囲はそう受け取ってはくれないだろう。
棺に駆け寄り、震える手で蓋を開ける。そこにはルーカスが横たわっていた。白く血の気の引いた顔色を除けば、眠っているように穏やかだ。
血も拭き取られ、髪も服も綺麗に整えられていた。寝台というには狭いが、柔らかな褥にいる。
「……ああ」
それは呻きか、安堵か――それとも懺悔か。ラウゼスの声には複雑な感情が混じり、なんとも力ない響きだった。
足元から崩れ落ちるような無力感に苛まれながら、息子の手を取る。その手は想像より大きく、幼い時に握った手との違いを感じた。あの小さく温かい手は、すっかり大きくなりラウゼスの手と変わらないほどになっている。
節くれだった手にはたこがある。指にあるたこは筆をよく手にするから、手の平のたこは剣の鍛錬を積んだから。この手は、まさしく努力をした証だ。
学園の一件以来は大半を貴賓牢に入れられていた。研鑽の機会は減っただろうに、長年かけて作られたものは消えない。
子供たちの成長は、重責の多い玉座にいるラウゼスにとっては数少ない楽しみだった。
この温もりが消えるのが恐ろしい。
温かい?
ラウゼスは顔を上げる。見下ろすルーカスの顔色は青白い。喉元を隠し、胸元を膨らませるようにゆったりと巻いたスカーフに目が行く。
まずは口元に手をやるが、震えた手でははっきり分からない。緊張と興奮を抑えながらゆっくり首元にやると、確かに温度を感じる。
ルーカスが毒杯を呷ったのはだいぶ前だ。とっくに冷たくなっていてもおかしくない。
いくつもの可能性や期待、憶測が目まぐるしく交錯する。混乱する中、いつの間にか背後に控えていたベルナが耳打ちをする。
「陛下、そろそろよろしいでしょうか?」
「ま、待ってくれ! ルーカスが……! レオルドも確認させてくれ!」
情けなく追い縋るラウゼスだが、なりふり構っていられなかった。今を逃したら、一生後悔する。その一心が、ラウゼスを急き立てていた。必死の形相を見たベルナは「困りましたわ」と言わんばかりに、頬に手をやって眉を下げる。
その姿は魅惑的で艶やかである。使用人に不釣り合いで、妙に芝居がかって見えた。
「ですが、そろそろ取り替えなければなりませんので。大変でしたのよ? 条件の合う遺体を用意するのは」
「しかも死罪相当の罪人の死体だからな」
後ろからひょっこりと現れたのはジェイルだった。後ろには大きな荷台があり、たくさんの木箱が積んである。
一つ一つは立方体に近い形だが、その木箱は実は繋がっており大きな一つの箱となっている。二人分くらいの成人男性なら何とか入れるサイズだ。
「ちゃんと入手したのよね? ……まあまあね。これなら化粧とウィッグで誤魔化せるわ。どこのどいつよ?」
「死体愛好家の貴族のボンボンと、イカレサイコの側近だな。別荘にあっただけでも二十はあった。相当ヤッってやがる。裏稼業で賊と繋がっていたから、そこから旅人や行商を襲って収集していたらしい」
「二十では少なくない? 被害が平民だけだったら、貴族を始末するには足りないんじゃなくて?」
「形があるのが二十ってだけだ。死体を繋ぎ合わせて、理想の女を作ろうとしていたみたいだぜ。つぎはぎだぞ? その何倍もヤッてやがる。部品なんてその何十倍もあった」
「それならいけるかしら」
二人からは悍ましいワードが漏れているが、ラウゼスは息子たちを取られまいと険しい顔をしている。
「じゃあ、燃やす前に取り替えますよ」
「ま、待ってくれ……ルーカスとレオルドをどうする気だ?」
近づこうとするジェイルに、理解が追いつかないラウゼスが問う。
困惑するラウゼスを見たジェイルは、口角を釣り上げる。にやりと獰猛に笑うと表情を変えた。粗野な姿から想像がつかないほど華麗な臣下の礼を取り、恭しく答える。
「別人として生きます。ここで元王子たちは完全に死んだことになり、新しい名と身分を与えます。それがグレイル様からのご指示であり、ラウゼス陛下へのお詫びとのことです」
ラウゼスは目がこぼれんばかりに見開くと、ジェイルはおどけた様子で肩をすくめる。
魔王だなんだと言われるグレイルだが、気に入った相手に対しては情が深い。しれっと融通を利かせたり、粋な計らいをするのだ。
この老王はグレイルのお眼鏡にかなった。それだけでジェイルやベルナが敬意を表すに値する。
「あの時にすぐに毒杯を呷ってくれなきゃ、処刑で殺すしかなかったんですけど潔く飲んでくれましたからね。
陛下には迷惑をかけ過ぎたと、閣下なりにお心を痛めておられるんです」
それはラウゼスにであって、ルーカスやレオルドに対しては良心の呵責がないのがグレイルである。
あの二人は見事な忠義を見せた。母親を切り捨て、自分の命すら散らす覚悟で臨んだ。それに対しては評価をしていた。王子たちは王妃たちの企てに加担していない。そういう意味では被害者だ。
「生きているのか……まだ、生きて。ああ、なんてことだ。何ということだ」
ルーカスとレオルドには気概も更生の余地もある。王子としては二人が普通に生きることすら難しいが、別人なら何とかなる。
息子ではなくなった二人に会えるのは二度とないかもしれない。でも、どこか遠い空の下でも二人が生きてくれるならラウゼスにはこれ以上にない救いになった。
大粒の涙をこぼしながら、ラウゼスは嗚咽をする。家族を裁いた時ですら流れなかったものが、溢れ出て止まらない。
あの場では許されなかったが、今はただ一人の父として泣くことが許された。
「では、陛下。よろしいでしょうか?」
「ああ、頼む」
ベルナに促され、ラウゼスはルーカスの棺から離れた。すぐにレオルドの棺へ向かい、彼の姿を確認する。髪を撫で、頬を撫でて涙をこぼす。二人の姿を瞼に焼き付けておきたいのに、滲む視界ではそれも難しい。
残された時間は限られている。グレイルが手配したなら、大丈夫だとは思うがやはり心配だ。
「顔色が悪い……大丈夫なのか?」
「化粧です。一時的に仮死状態になり、心拍や呼吸数は減りますが二日ほどで戻ります」
ラウゼスの心配そうにつぶやけば、ベルナがウィンクをしながら茶目っ気たっぷりに教えてくれた。
ベルナのメイク技術は見事なもので、入れ替わる者同士の顔立ちを似せてみせた。余程親しい人間が確認しなければ分からない。ジェイルはルーカスとレオルドを木箱に入れると、身代わりの死体を棺に入れた。
燃やされる身代わりは正真正銘の外道罪人である。ラウゼスも複雑な思いはあるがあまり心が痛まない。
「しかし、この二人の死体が消えて怪しまれぬか? 一人は貴族出身なのだろう?」
「大丈夫ですよ。趣味とやらかしがバレて、お縄になる直前だったんです。最後の抵抗か死霊魔法を使って現場はめちゃくちゃ。死体がアンデッドになって討伐隊が編成、急遽派遣される騒ぎになり、面倒なんで屋敷に閉じ込めて纏めて燃やす処理がされています。
一番大きいコレクションルームで死んだことになっているので、罪人と死体、アンデッドが混在し、どれがどの死体なのか不明状態。犯人死亡が確定していればいいって状態ですよ」
王子たちの身代わりだ。それなりの身分でなければならない。意外とバレやすいのが手足である。爪や指の荒れ具合などから、どういった生活をしていたか看破される。
(旦那も人使いが荒い……! 俺が月狼族だからってゾンビの群れから回収させるなんて……っ)
屋敷に火が回る前に、何とか二人分回収してきたジェイルである。
無辜の人を殺めて偽装するのはグレイルのポリシーに反していた。使うならばあと腐れない外道に限る。冷血な魔王だと言われるがグレイルだが、その辺はきっちりしている。
燃やされるのは貴族であっても許されぬ重罪人。裁判にかける必要性より、アンデッドが外に出て無辜の周辺の住民を脅かすほうが問題だと判断された下衆の中の下衆だ。
ベルナは素早く身代わりの死体に偽装を施す。髪の色味は近いので長さや形を整え、目立つ黒子や傷を消す。閉ざされた瞼をずらし目薬を点眼し、瞳の色を変える徹底ぶりだ。パッと見には取り換えがバレないようにしている。特に化粧の腕は素晴らしく、近しい人間にしか区別がつかないだろう。
「こんな屑でも、最後は誰かの役に立てて本望でしょう」
一仕事終えたベルナは晴れやかに言い、ジェイルは頷いている。ラウゼスは苦笑するしかない。
ただ、この秘密は墓場まで持って行かねばならないと心に誓うのだった。
読んでいただきありがとうございました。
ちなみに二人が毒杯を躊躇っていたらアウトでした。時間経過とともに毒性アップ系。
ルーカスとレオルドの対応は、ラウゼス陛下への迷惑料として&保険。文官足りないし、二人の能力なら取り立てられる可能性ありなので人材枠。
アルベルにやったことはムカついているけれど、それはそれこれはこれ。這い上がってきたら使い倒す所存。