残された時間
それぞれの末路
二人の王子は潔く毒杯を空けたが、それ以降は続かなかった。
すっかりぬるくなったワインが入ったゴブレットに、三人は触ろうともしない。
「二人は埋葬の準備を」
テーブルに伏したルーカスとレオルドが、可哀想でならなかったのだろう。見かねたラウゼスが二人を先に下がらせるように命じる。
担架で運ばれる姿は綺麗なものだ。服や髪、表情を整えられ眠っているような二人。顔に布を被せた後、全身を覆う布もかけられた。若くとも王族としての誇りを持って幕を引いた二人を、好奇の目に晒さぬためだ。
「王家の霊廟には埋葬できぬが、丁重に取り計らうように」
ラウゼスにできるせめてもの手向けだ。彼らの母親は最後まで王族としての品格を得なかったが、二人はそれぞれに悪くない器があったのは皮肉である。
ルーカスとレオルドがいなくなった後、再び重い沈黙が流れた。誰もゴブレットに手を伸ばさない。
ちらりと外を見て、動いた太陽の位置を確認したのはガンダルフ。ラウゼスに耳打ちをする。
「やはり受け入れない様子。当初の予定通りにいたしますか?」
「そうだな」
ガンダルフの言葉に、失望したようにラウゼスは頷く。そして、ずっと部屋の隅に控えていた者へ視線をやる。
彼らはラウゼスの視線を受けて、残る三人に近づいた。
どうなるか察したのか、ずっと黙りこくっていた三人は血相を変えて騒ぎ出す。
「わ、私は悪くないわ!! お子ができない体の陛下が悪いんじゃない! 最初から知っていれば、結婚しなかったのに! 騙されたのはこっちよ!」
逃げようとするメザーリンが、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がる。身を翻した拍子に毒入りのゴブレットが裾に当たり、ひっくり返る。その飛沫が当たったエルメディアが、顔を抑えた。
「いやあああ! 毒が! ワインが顔に! 解毒剤を持ってきなさい! 医者を! 早くしなさいってば!」
大慌てのエルメディアが命令をするが、当然聞き入れられるはずもない。
無駄吠えする駄犬を見るように、兵はエルメディアを見る。それは王女を見る敬愛の眼差しではない。罪人に対する冷酷な一瞥だ。
騒ぐエルメディアの後ろではメザーリンが捕まる。エルメディアは自分で落としたワインで足を滑らせて転んでいた。
大騒ぎをする二人から徐々に距離を取り、兵士たちからも離れようとするオフィール。しかし、背に何か当たった。壁にしては当たるのが早く、怪訝そうに振り向けば、隻眼の熊公爵が立っていた。
「ひぃっ! 私は陛下を親にして差し上げたかっただけよ……! 嫁いだ時はもう若くなかったから……っ」
言い訳を口にするが、ガンダルフの眼光は鋭い。体を捩り、逃げようとするオフィール。それはガンダルフに見切られ、あっさりと捕まって兵士たちに雑に放られた。
最後まで醜く足搔き、往生際が悪い。
その浅ましい有り様だ。沈痛な面持ちのラウゼスはずっと口を引き結んでいる。
「杯を空けなかったのだ。あの三人は平民として絞首刑にし、罪状に応じた期間そのまま処刑場に吊るしておく。親族が引き取りに来るようであれば、死体は引き渡せ」
「「仰せのままに」」
ラウゼスの言葉にグレイルとガンダルフは、一礼と承知の旨を伝える。
罪状の大きさを考えれば王都の広場で斬首刑にされてもおかしくない。だが、今は罪人が多くて牢屋もすし詰め状態だ。今は王妃たちより、コーディーと元老会の関係者を処罰するほうが優先された。
王妃――今は元王妃たちの実家であるオルコット伯爵家とミル・ドンスも責任を問われる。罪の大きさが大きさだ。メザーリンやオフィールだけにはとどまらず、連座で責任を問われる。
この状況でメザーリンやオフィールの遺体を引き取りになどこないだろう。もし来れば、その噂を聞きつけて、糾弾される可能性だってあった。
一族と罪人を秤にかけるべくもなく、切り捨てられるだろう。
毒杯を自ら飲み干したのなら、実家の墓は難しくとも故郷には戻れたかもしれない。
そんな『もしも』は、もう存在しないけれど。
額を抑え、項垂れるラウゼス。そんな彼に、強張った顔をした一人の騎士がやってきた。
緑の髪の精悍な青年はウォルリーグ・カレラス。若くして王族の護衛をするほど優秀で、真面目な仕事ぶりに定評がある。
「陛下、お忙しい中失礼いたします。急ぎでお耳に入れていただきたいことが」
語尾が僅かに小さく、暗くなるウォルリーグ。嫌な予感がしたが「話せ」と先を促した。
「投獄中の元宰相……ダレル・ダレンが自害しました」
「なんと……っ」
「申し訳ございません。投獄をする際、持ち物検査をしたのですが歯に細工を施し持ち込んでいたようです。奥歯が入れ歯で、その中に――」
歯に毒の細工を入れているなんて、かなり用意周到だ。きっと、ダレルは自分が乗った船がそう長く持たないと察していか、最初から切り捨てられる側だと察していたのかもしれない。
彼にはラウゼス毒殺に加担した容疑がかかっていた。その後にラウゼスの名で作られた王配選定の書類。玉璽を持ちだしたのも、彼が絡んでいたとされている。
これから彼を追及する予定だった。
「妻子が心中したことを知って、命を絶ったようで……」
夫人は夫ダレルの失脚に絶望したのだろう。次期当主予定だったグレアムも、悪女レナリアにいいように利用されて、将来性は見込めなかった。
宰相の地位を得た当主は失墜、ダレン伯爵家は凋落の未来しかなかった――貴族が平民として暮らすのは非常に困難だ。ましてや罪人であれば過酷な労働地に行かされることだってある。
這い上がろうにも、人望も消えうせた。友であり主君を裏切った人間など、誰も信用しない。
「情報漏洩はどこからだ?」
「食事を運んできたメイドと看守の会話を聞いてしまったそうです。迂闊な新入り同士が口を滑らせたようで」
ウォルリーグの報告に、頭を抱えたくなるガンダルフ。
宮廷内の欠員が多いのは貴族や官僚だけではない。兵や騎士も大幅な人事の削減が起こっている。罪人の親類などは関係性が薄ければ左遷、更迭で済むが、近しければ解雇の事例も多くあった。
圧倒的な人材の枯渇の影響は大きい。王宮のいたるところで人事再編を余儀なくされ、経験の浅い部署への配属もやむをえなくなっている。
新しく採用する者は過去の経歴や親族や派閥の関係を調べたうえで雇っている。本人たちは憧れの宮廷勤めに舞い上がっている者も多かった。人材育成がこれから大変である。
こればかりは今すぐどうにもできない。今後、避けて通れぬ課題だ。ガンダルフは険しい顔で、低く唸る。
「その馬鹿はクビにしろ。軽口を叩く場所も考えられないのか」
ダレル・ダレンは多くの罪に問われている。当人の死刑は免れない予定だったとはいえ、ここで死なれたのはよろしくない。
使用人たちの失態に、グレイルも冷たい視線を寄越している。
ウォルリーグはあくまで報告を受けて、ラウゼスに伝達しただけだからとばっちりだ。
「罪への関与の件ですが、ダレル・ダレンは遺書を残しておりました。囚人服の切れ端を使ったメモですが、彼の使っていた執務机に関わった事件についての書類があるそうです」
「……そうか、分かった」
ラウゼスは歯切れ悪く頷く。ダレルを拘束した際に、一度彼の家や王宮の執務室は調べた。今まで報告の上がらないくらいには、巧妙に隠したのだろう。
証拠を残したのは、元老会やコーディーに抵抗するためか、この時のためかは分からない。
「証拠隠滅の仕掛けあるかもしれない。その手の細工に詳しい者に開かせる。くれぐれも素人に触れさせぬように厳命しておけ」
グレイルの言葉にウォルリーグは頷く。すぐに兵を向かわせて机を解体して探すつもりだったので、危なかった。
突然のダレルの死に、ウォルリーグも気が急いていたのだ。
「セバス。一時間以内に戻れ」
「畏まりました」
グレイルが言うと、いつの間にか頭を垂れた老執事が近くにいた。
セバス・ティアンは魔王閣下の右腕といえる執事である。綺麗に撫でつけた白髪頭に、埃一つない黒い燕尾服。大人しげに見える老人だが、とてもキレの良い蹴り技を繰り出す健脚なのは宮廷内でも有名だ。
セバスは当たり前のように主人と国王へ一礼し、かくしゃくとした足取りで退室していく。
セバスだけではダレルの執務室の入室許可が下りないと気づき、その後を慌てて追いかけるウォルリーグ。
「お前の執事はそんなこともできるのか」
「一通りのことは」
ラウゼスの驚嘆交じりの言葉に、さらりと答えるグレイル。
普通の執事はそんな技能を持っていない。扉を閉める直前に聞こえたウォルリーグは思ったが、何も言えるはずもない。セバスは魔窟であるラティッチェの古株執事だ。常識で考えても無駄だ。
すっかり人の減った部屋を見て、ラウゼスは心にずしりと冷たく重くのしかかるものを感じた。それの正体を知っている。だが、今はまだそれを直視したくない。
妃たちを糾弾していた時から、明らかに気落ちしているラウゼス。ラウゼスは王として最後まで手を緩めなかった。父や夫としてはどうしようもない辛さがあったはずだが、彼は鋼の精神で持ちこたえたのだ。
グレイルは他の者たちに下がるように目配せした。それに応じ、静かに退席をしていく。
二人だけになり、どれくらい時間がたっただろう。
「陛下、お疲れでしょう。ダレルの件は整いましたら、追ってご報告いたしますので一度お休みください。明日にはご用意いたします」
「いや、いい。執務がまだ残っているだろう」
「取り急ぎの件はありません」
さらりとグレイルは否定した。ラウゼスは仕事に没頭して、今の遣る瀬無い思いを紛らわせたかった。
己の愚かさや無力さが、浅はかな期待が裏切りや失望となって纏めて戻ってきた。ただそれだけだ。グレイルはラウゼスを責めない。ラウゼスは責務を全うした。裏切者たちは己の欲望に突き進み、周囲を顧みなかった。
グレイルはそう考えている。グレイルにはそう見えている。事実、メザーリンとオフィールはラウゼスの諫めを重く受け取らず、自分の欲深さに足を取られただけだ。でも、ラウゼスは自分の不甲斐なさに押し潰されそうだった。
項垂れるラウゼスをちらりと見やるグレイル。グレイルはこういう時にかける言葉を知らない。慰め方も癒し方も分からないから、ただ事実を言うだけだ。
「あのお二人ですが、明日には火葬する手はずになっております。ご子息の姿を見られるのは今日だけでしょう。最後に会いに行かれては?」
毒杯を呷ったルーカスとレオルド。即効性の毒でのた打ち回る暇もなかった。
毒を手配したのはグレイルだ。苦しむこともなく逝けたのは、彼なりの慈悲なのだ。休めと言ったのは、ラウゼスに悼む時間を残すため。
グレイルは魔王なんて言われているが、存外情の深い男だ。哀悼を誰よりも知っている。
(毒……生き物は内臓から腐るらしいからな。それにアンデッドを防ぐために火葬するのは当たり前のことか)
時間を置けばどんな美しい人間だって醜く腐食していく。かなりレア事例だがグレイルのホムンクルス事件もあるし、早急に処理をするのは当然だろう。
グレイルが静かに去っていき、ラウゼスが一人部屋に残された。ぼんやりとしているうちに、時間は過ぎ、気づけば部屋中が黄昏の暗さに沈みかけていた。
残されているのは今日だけ。
血は繋がっていなくとも、最愛の息子たちだった。一度は血迷ったけれど、最後は王族の誇りを持って前を向いていたのに、結局は母親たちの業に飲まれてその命を散らすことになった。
次に太陽が昇れば、父として言葉をかけてやれなくなる。
心を奮い立たせたラウゼスは立ち上がる。猛然と扉を開けた。そこには黒髪の美しい侍女がいた。
アルベルティーナの侍女兼護衛。そして少し前まで元老会やコーディーを長年騙し続けていた裏社会の人間だ。
ベルナはずっとラウゼスを待っていたようだ。すべてを知っていると言わんばかりに嫣然と微笑む姿は、使用人というには含みがありすぎるくらい。
「お待ちしておりました。お二人の下へご案内してよろしいでしょうか?」
「ああ、頼む」
一礼をしたベルナは燭台に火をつけると、くるりと方向転換をした。
彼女の動きに合わせて灯りが揺らぐ。夜の暗さと火の明るさ。足音を立てない美女の背中が、まるでこの世ではないどこかへ誘う気がした。
読んでいただきありがとうございました。
後でレナリアとグレアムのところも書きたいと思いつつ。長くなりそうですね。