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王族だった者として

ご退場。



 自分の出生の事実を知ったルーカスは、すぐに切り替えた。王子ではなく家臣として、最後の沙汰が決まるまでラウゼスのために動くと忠誠を示したのだ。

 それに、ルーカスにはまだやってもらうことがあった。往生際の悪いメザーリンとエルメディアを監視してもらわないといけない。メザーリンが息子を自分の駒だと思い込んでいるからこそできることだ。

 ルーカスは聡明だった。それに引き換え、その妹は実に愚鈍に育ったものである。

 ラウゼスの子ではないと言われたエルメディアは、地団太を踏んで癇癪をおこし続けている。どんなに怒っても訴えても、エルメディアが王家の血筋を汲んでいないという事実は変えられない。

 エルメディアは何もない。

 知性も美貌も教養も、魔法や経営の才能もない。

 エルメディアは嫌なことはすべて放り投げてきて、怠惰に生きてきた。

 彼女の心の拠り所は、自分が王族であることだけ。父を王に持つ、王女であることだけが自慢できることだった。

 アルベルティーナに対しても、自分ほうが偉いと散々威張り散らしていた。ことあるごとに本当に血統正しいのは自分だと怒鳴っていたのに、真実とは皮肉なものである。

 エルメディアは泣き喚く。涙や鼻水や汗で顔がぐちゃぐちゃになっている。顔じゅうから水分が溢れだして、メイクが崩れ、ところどころ剥げたり溶けたりしている。

 立派にホラー映像だが、エルメディアは子供のように泣き続けている。


「王女よ! 私は王女なの!」


 床にごろんごろんと転がりながら、手足をばたつかせている。完全に駄々をこねる子供だ。幼子ならまだ良かったが、やっているのは巨漢と見紛う肥満体型の大女だ。

 これが王女を名乗るものの言動なのか。どう見ても相応しくない。冷めた眼差しのグレイルは「これがアルベルだったら可愛いのに」とぼそりと言い、それを想像したガンダルフをときめかせ、それ以外にはドン引きされた。

 ぐずぐずと鼻をすすり、やっと泣き止む兆しが見え始めたエルメディア。


「いや、違うから。もう調べたから。何言ってもそこは変わらないから。良くて修道院、最悪処刑なんだから少しは大人しくしてたら?」


 呆れたヴァニアがため息と共に言い捨てる。最初から期待していなかったが、醜態の上塗りを重ね、更新し続ける姿についこぼしてしまったのだ。

 誰も慰めに来ないことを怪訝に思っていたエルメディアは、想像もしていない言葉に驚愕した。


「……は? 処刑? なんで」


「んー、君は何も知らなかったけどメザーリン妃殿下はやりすぎたからね。オフィール妃殿下もだけど。毒杯与えられたらマシじゃない?」


 毒杯は王侯貴族としての品位は保たれる。自分で呷るから、自分の意思でその時を決められる。

 ヴァニアは茶化しているようだが、要所で必要なことを言っている。エルメディアが今できることは、精々しおらしく振る舞うことくらいだ。

 とりあえずエルメディアは黙った。

 周囲が少しもご機嫌取りに来ず、それどころか空気が悪くなっていくのをようやく理解したからだ。

 ヴァニアはにっこり笑うと、ラウゼスに一礼する。

 一瞬だけラウゼスの目は諦めと哀切が滲んでいたが、一度固く目を閉じるとそれを消し去った。次に目を開けた時は為政者の目をしている。


「お前たち二人の出方次第では、穏便にできる方法も考えたがやむを得ぬ……それぞれの罪を鑑みても、そのままにしておくのは言語道断。第一王妃メザーリン、第二王妃オフィールは妃の地位を剥奪。

 何も知らなかったとはいえ、それぞれの子も連座は免れぬ。王位継承権と王籍を剥奪とする。これはたとえ私が死んで代が変わろうと戻さぬ。

 また、メザーリンとオフィールの実家にも追って沙汰を申す。無事では済まさぬと心得よ」


 ラウゼスの言葉をもって、五人は王族ではなくなった。

 メザーリン、オフィールは真っ青になって立ち尽くし、エルメディアはまたぽかんとしている。ルーカスとレオルドは、粛々と聞いていた。


「だが、最後の温情だ。お前たちに死に方だけ選ばせてやろう」


 ラウゼスのその言葉は、死刑勧告だ。

 特にメザーリンとオフィールの罪は重かった。子供たちは知らぬことが多かったとはいえ、分別の付かない年齢ではない。

 年端もいかぬ幼子なら、何も理解しなうちにどこかへ養子にするか、修道院に入れることもできた。そうするには、三人は遅すぎる。

 エルメディアは唖然としているが、ルーカスとレオルドは理解しているから静かだ。母親に内密に動き始めてからこうなることは予感していた。すべて承知の上だった。

 ラウゼスが軽く手を挙げると、扉が開く。

 数人の使用人たちが入ってくると、五人をテーブルのある席に座らせる。抵抗しようとしても無言であしらわれ、力づくで大人しくさせられた。

 ようやく全員着席したところで、艶やかな黒髪をした妖艶な女性がワゴンを押してやってくる。お仕着せを纏っていても分かるメリハリのある体。しなやかな足運び。使用人というより、恋多き貴婦人や高級娼婦を思わせる色っぽい美女だ。

 彼女はグレイルの部下であり、今はアルベルティーナの専属侍女の一人であるベルナだ。

 ワゴンの上には赤ワインが二本と、ゴブレットが五つ――そして、透明な小瓶が一つ。

 瓶の中には鮮やかな赤紫色の液体が揺れている。

 ベルナはそれぞれの隣に立つと、淀みのない手つきでサーブする。だが、普通と違う点が一つ。必ず最初に小瓶を傾けて数滴たらし、赤ワインを注ぎ込む。

 紫色の液体はあっという間に真っ赤なワインの中に混ざり、消えたように色が消える。


「こちらは、それぞれメザーリン様とオフィール様のご実家で醸造されているワインです。最近ではヴィンツ産を好んでお召しなられていたようですけれど、飲み慣れた味というのも乙というでしょう」


 柔らかい声音、淑やかな笑顔。一流のソムリエのように優雅な所作。だが、その笑みが魔王と同種の気配がする。

 細められた双眸の奥にある鬱屈した怒り。年月を経ても褪せることのない、煮詰められた憎悪。それぞれの前にゴブレットを置く一瞬だけ、その瞳に凄絶な激情が宿る。

 彼女もまた誘拐事件で大事な存在を奪われ、傷つけられた側の人間なのだ――そんな気がした。


「早めにお召し上がりくださいね。折角のワインがぬるくなってしまいます」


 静かに笑うが、その瞳は笑っていない。

 剥き出した敵意。むしろ殺気。ここまで堂々とぶつけられたことのない感情に、王妃であった者たちは絶句する。


「それくらいにしなさい」


 グレイルが言うと、ベルナは何事もなかったようにしずしずと下がっていった。

 目の前には良く磨かれたゴブレット。グラスでないのは、金属なら叩き割れないからだろう。破片で最後の抵抗を試みられないように――そんな配慮だ。

 メザーリンは冷や汗だらけで毒杯を見つめている。先ほどまでの威勢は消えて、泣き叫ぶのを何とか堪えて震えている。隣のオフィールも似たようなものだ。

 エルメディアはやたら目をきょろきょろさせて、どうしていいか分からないという顔だ。

 そんな三人を見たルーカスは、自分と同じように静かにしているレオルドを見た。


「さて、レオルド。私は先にいかせてもらおう。最初で最後の合同任務は、悪くなかった」


 そう言って、ゴブレットを持つルーカス。

 彼は死を目前にしながらも、不思議なほど穏やかに笑えた。一瞬だけ、脳裏に会いたい人の幻影が浮かぶ。

 美しい金髪に宝石のような碧眼。気高くも、いじらしい一面を持つ少女。薬で我を失った偽りの恋愛ではなく、内側から熱が絶えず燻るような淡い恋情。

 気づいた時にはすべて遅すぎた。

 ルーカスに笑いかけられたレオルドは、一瞬だけ目を見開く。その表情は、幼い頃に体に不釣り合いなほど大きな図鑑を持って庭で迷っていた姿を思い出した。

 まだ、二人が幼かった頃。同い年なのに、あまり顔を合わせない兄弟だった時。メザーリンとオフィールはいがみ合っていたけれど、ルーカスとレオルドは違った。

 最初は不仲じゃなかった。

 むしろ、レオルドは仲良くしたがっていた気がする。幼少期は内気なレオルドがルーカスに話しかけようとするのを、気の強いオフィールが怒鳴って遮っていた。

 もどかしげにこちらを見つめるレオルドの眼差しが、忘れかけていたかつての姿と重なる。


「兄上、私は――」


 穏やかな笑みのままルーカスは小さく首を振る。レオルドは一瞬言葉に詰まり、口を噤んだ。きっと聞いたら、また一つ心残りが増えてしまうから聞けなかった。

 ルーカスはラウゼスを見た。感情の揺らぎを悟られないように、小さく息を吸う。


「父上――いえ、ラウゼス陛下。私は陛下の御子として育てていただき、本当に感謝しております。身に余る光栄だったとはいえ、最後まで私の名誉まで守っていただき、これ以上の幸せはありません」


 十七歳のルーカス。少年と青年の間であり、大人になり切れない年齢だ。それなのに、こんなに覚悟を決めている。

 ラウゼスは何も言わない。何も言えないのだ。

 我が子として愛したのは紛れもないことで、ルーカスは若くして多くの期待を背負わされていた。親子としてあった時間は紛れもなく本物なのだから。

 ルーカスは一気に流し込むようにゴブレットを傾けた。その杯を空けて、テーブルに置く前に手から転げ落ちる。口端から赤い筋が落ち、ルーカスはそのまま突っ伏した。そのまま、動かなくなる。

 悲鳴も苦痛もなく、速やかに。

 これほど即効性の毒を用意したのは慈悲だろう。苦しませないための、最大の配慮。

 潔く飲み干したルーカスを見て、レオルドは泣き出しそうな目を強くつぶる。


「兄上……貴方と兄弟でいられたことは光栄でしたよ」


 絞り出すように言うと、レオルドは目を開いた。決意をした彼もまたゴブレットを手にする。

 レオルドもラウゼスのほうを向くと、眦を下げていつもの皮肉気な笑みではなく情けない笑顔を浮かべる。

 幼い頃はこういう顔をしていた。いつからしなくなったのだろうとラウゼスは悲しくなる。彼は自分の性格も、笑い方も、振る舞いもすべて母親(オフィール)の望み通りにしていたのだ。


「陛下。最後に兄上との時間をくれてありがとうございます。本当は、ずっと兄上は私の憧れでした。

 陛下のことも、尊敬しております。私は甘え方も知らない可愛くない子供だったでしょうに……陛下からいただいた愛情は本物でした。少し人より短かったけれど、悪くない人生だったと思います」


 うっすら涙が浮かんでいるのに、その笑顔は晴れやかだ。

 色々なしがらみから解放されたレオルドもまた、ルーカスと同じようにワインを飲み干す。

 即効性の毒は苦悶を浮かべる暇なく命を刈り取ったのだろう。頬を一筋濡らしたレオルドもそれきり動かなくなった。



読んでいただきありがとうございました。


7月2日『転生したら悪役令嬢だったので引きニートになります』だい7巻発売です。

なんだろうか。最近忙しすぎてこちらがこちらの更新が滞りがちに。しばらく頑張ります。

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