戻りつつある日常
アルベルとお父様とラウゼス陛下&幼馴染トリオのお話です。
王宮のど真ん中で起きる不毛な親子喧嘩。この状況を見かねたのは、ラウゼスだった。
まだ本調子ではないが、少しずつ執務は行えるようになった彼は義娘に会いに行った。
喪に服しずっと暗い衣装ばかり纏っていたアルベルティーナは、グレイルの生存が発覚してからは明るい色のドレスを着ている。
もともとは暗い色より、明るく淡い色合いが好みなのだろう。
表情や仕草も変わった。以前の陰鬱や危うさはなくなっている。初めてであった頃のような、穏やかで明るい表情が増えていた。
そんな義娘の顔色はいいが、今日の表情は冴えない。
「余計なおせっかいなのは分かっているが、そろそろ仲直りしてはどうだろうか?」
「でも、お父さ……その、父にここで約束していただかないとまた無理をします」
ふるふると首を振る姿が、幼い少女のようだ。
王太女としての典雅な所作ではなく、アルベルティーナ本来のものなのだろう。
それでも気品は損なわず、いじらしい愛嬌を感じるのは義父の欲目だろうか――もう一人の娘エルメディアは自分の思い通りにならないと号泣ヒステリーか暴飲暴食暴力。圧倒的な暴のスリーコンボなので比較できない。
エルメディアの処遇も決めねばならない。何も知らず、理解せず、いつまでも嫌なことは受け入れないなんて無理である。
「そうだね。アルベルティーナの気持ちも分かる。でも、グレイルが折れるきっかけくらいは与えてあげてはくれないかい?」
「きっかけ、ですか?」
「とっておきの秘策を教えよう」
幾度としてシスティーナがガンダルフを黙らせ、クリスティーナがグレイルを降伏させた技である。アルベルティーナならば効果覿面だろう。
ラウゼスとしてもやっとまた会えたのだから、いつまでも仲違いさせたくない。
彼の提案は、アルベルティーナとしても渡りに船であった。折れたくないが、仲直りしたい。
アルベルティーナの耳に近づくラウゼス。義父娘のひそひそ内緒話。
それを聞いたアルベルティーナは小さく目を見開き驚きの声を上げる。
「お父様、折れてくださるかしら?」
「私の知っている限り、二人は無敗だったよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべたラウゼスは、少し心配そうにしつつも期待しているアルベルティーナの頭を撫でる。ラウゼスからの精一杯の鼓舞激励だ。
こうしてアルベルティーナに、彼女の母と祖母が夫を陥落させ続けた必殺技が伝授されたのだった。
翌日、王太女と話し合って――僅か三十秒で魔王が折れた。
あの魔王はとことん娘を溺愛しているのは周知の事実だったが、こんなにあっさり降伏したことに激震が走る。
しかし、二人を知る親しい人たちほど動揺は少なかった。
王配候補の幼馴染トリオもその一部だ。
「父様、ついに折れたって」
「さすがの閣下もアルベル相手では無理だったか」
「最初から勝負は見えていたじゃないですか」
今にも泣きそうな緑の瞳で見つめられたグレイルは、傍目で見ても揺らいでいた。他の誰かが泣いて追いすがろうが、平気で足蹴にして振り払えるが、これだけはどんな事情でも無視できない。
散々塩に徹しきれないアルベルティーナの姿に焦らされていたこともあり、あっさりと折れた。
愛娘の哀願の眼差しは、どんな言葉より雄弁。
潤む瞳から雫がこぼれる前に、魔王の心は圧し折れた。
「なんでも、ラウゼス陛下が取り持ったらしいですよ」
「ええっ、よくそんな危ないことしたね。陛下って結構肝が据わってる?」
ジュリアスの言葉にキシュタリアがぎょっとする。危うくティーカップを落としかけたが、ぎりぎり回避し何とか口をつける。
いくらラウゼスでもそんなことをして、魔王の顰蹙を買わないだろうか。
仕返しには軽率なほどのフットワークを持つグレイルだ。思い付きや悪戯でとんでもないことをする。
「……なんとなくだが、アルベルと陛下は似ているところがあるから平気だと思う」
ミカエリスの言葉に、少し間をおいて「……ああ」と二人も納得した。
あの人畜無害で穏やかな性格。情が深く、寛容で忍耐強い。なのに、いざというところで出る意外性や行動力。グレイルはああいう性格に弱いのだろう。
口には出さないけれどアルベルに次いで、ラウゼスの扱いは別格だ。
グレイルは己とは真逆の強さとしなやかさを敬愛する。
グレイルがラウゼスを強引に玉座からどけないのは、あの人柄を気に入っているのが大きい。
王族と言う単位では嫌っていても、その悪感情は国王ラウゼスには向けられない。
「義父という立場が被りかねないラウゼス陛下が、アルベル様の離宮に出入りしていても嫉妬しないですよね。むしろ二人が一緒にいると穏やかに見守っているような……」
ジュリアスの意見に思い当たる節があるのかキシュタリアが口を尖らす。
今回の騒動で自分を危険に晒してまでアルベルティーナを守ろうとした功績もあるだろうけれど、あの警戒のなさは珍しい。
「贔屓じゃん。こっちは今まで散々邪魔されているのに」
「閣下の好き嫌いの激しさは今に始まったことではないだろう」
グレイルは関心、無関心が極端であり、好悪の振れ幅も激しい。
好の最上に君臨するのはアルベルティーナやクリスティーナなのは確かだが、普通やどうでもいい、嫌いには犇めき合っている。
どんなに好みの性格を模倣したとしても、魔王の慧眼の前では看破されるのは目に見えている。
その鋭さは仕事にも生かされている。グレイルの辣腕は轟いており、つい最近まで死んでいたのが嘘のような仕事ぶりだ。キシュタリアがおもむろにため息をつく。
「はぁ、父様が戻ってきてくれたのは嬉しいけど……爵位返上しなきゃダメかな? 明らかに父様のほうが影響力あるんだよね」
「現状は無爵位で死亡手続きだけ白紙に戻っていますからね。ですが、臨時顧問として役職はほぼ全復帰ですから……」
それでも有能さゆえに引っ張りだこだ。
ゼファールと二馬力で、大幅な欠員の出ている王宮の執務を回している。
あれだけ大量の罷免や解雇をしたのに、グレイルの追加だけで何とかなっているのが恐ろしい。
キシュタリアの憂いも仕方なくジュリアスは言い淀む。ラティッチェ公爵当主の座がなくとも、キシュタリアが太刀打ちできる相手ではない。
そんな時、爆ぜるように扉が開いた。
真っ青な顔をしたゼファールが、片手にヴァニアを引きずり資料を抱えて立っている。
「兄様知らない!?」
ゼファールの登場は心臓に悪い。彼は悪くないのだが、なにせ顔面だけは見慣れた魔王。それなのに表情と雰囲気が大きく異なるので、脳内が処理落ちどころか処理拒否を起こすのだ。
相変わらずグレイルと瓜二つ――違いはその金髪と紫を帯びた青い瞳だけだろう。
四十近いのに二十代に見える年齢不詳に美貌のグレイルと、年相応だけど苦労が顔に出やすいゼファール。
今回もとばっちり率が高い可哀想な有能である。
悪い人じゃないし、味方だと頭では理解しているが――やはり受け付けない。
「アルベルと庭を散歩していますが……」
顔を引きつらせながら、何とか窓の外を指さすミカエリス。
そこには三人(一応は婚約者)を差し置いて、幸せそうな男女二人(父娘)が歩いている。
グレイルを視界に入れた瞬間、凄まじい速さで走り出すゼファール。
「にーいーさーまーーーーー!!!」
絶叫が響く。いつになく荒れた姿は、平素の穏やかさが吹き飛んでいる。
またグレイルが好き放題して、ゼファールが巻き込まれたのだろう。多分。
紅茶を傾けていたキシュタリアが、ふと気づいたように顔を上げる。
「クロイツ伯爵が引きつけている間に、アルベルを奪還できるかも」
仲直りをするまでラティーヌにべったり甘えていたアルベルティーナ。今まで会えなかったこともあり、その交流を阻むのは気が引けた――と言うより、近づくだけでラティーヌの視線が怖かった。
愛娘不足はラティーヌも相当ストレスになっていたのだろう。
仲直りした後はグレイルがべったりしているので、なかなか隙がない。
「お預けも飽きてきましたし、追いかけますか」
ここ数日、アルベルティーナに会いに行ってもグレイルに搔っ攫われてばかりだ。
紅茶一杯分の時間も与えてくれない。
グレイルからアルベルティーナを奪還したい気持ちは理解できるが、ミカエリスは難色を示す。
「……折角仲直りしたんだから、もう少しそのままにしてやれないのか?」
ミカエリスの悠長な意見にキシュタリアは声を荒らげた。
「何言ってんの!? ぼうっとしてたら折角の婚約を有耶無耶どころか破棄される!」
「そうですよ。認めたら認めたで葬り去ろうと地獄の婿イビリが始まりますよ」
ジュリアスもすかさず追撃を入れてくる。こんな時ばかりコンビネーションが抜群な元主従である。
しかもそれが否定できないのがグレイルである。
子供の頃ですらミカエリスが婚約者に名乗り出ただけで、指導の厳しさが跳ね上がった。
(……今邪魔をしても、手の平で転がされて厄介ごとを押し付けられるだけな気がするが)
そう思いつつも、幼馴染を追いかけるミカエリスである。
読んでいただきありがとうございました