魔王なりの理由
グレイル的には、時間稼ぎができる面子が揃っている時しか勝機がない。
最愛の娘からの大嫌いショックで、なかなか床から立ち上がらなかったグレイルを何とかして部屋に運び込んだ。
ずっと陰鬱な空気を纏いながら、譫言が止まらない。
ベッドの中でも止まらず、ずっと精彩の欠いた返事ばかり。普段なら精彩どころか鋭利な言葉が飛んでくるのに大違いだ。
ぐったりと褥に沈むグレイルの傍に、ゼファールが腰を下ろす。
正直言えば、ゼファールも連日の忙しさで疲れ果てている。それでも、今問いただしたかった。
「兄様、さすがにやりすぎだ。我が子が可愛いのは百も承知だが、巻き込み方もやり方も強引すぎる」
「だが方法がなかった」
「貴方ならあったはずだ」
ゼファールが思い浮かばなくてもこの兄ならあるはずだ。そう思ったがグレイルは力なく首を振った。
「ない。アルベルが最も傷つかず、国への損害もなく、奴らを根絶やしにするにはあの時が最善だった。
アルベルが成人前に、私の庇護下から僅かでも外れる前にすべてを終わらせる必要があった。
あれ以上先延ばしにすれば、いつまでも結婚しないあの三人をアルベルが気にする。奴らが生涯独身で後継者がいなくて自業自得でも、アルベルは良心の呵責を覚える。自分のせいだと気に病むだろう。あの子は基本的に欲張らない。すべてを選ぼうとせず、一人も選べない。ならば、三人とも手元に来るようにすればいい。
私が老いてからでは遅い。衰える前にやらねばならなかった。そもそもアルベルをそこまで待たせるなんて言語道断だ。
そうでなくともそのうちあの三人が力をつけ、知恵を回してあの子を囲うのは時間の問題だろう。そのために王太女の立場が役に立つ。国のため、王家のために必要だからと、大義名分を用意した。それぞれに立場と、側にいられる理由をやったほうがずっと安全だ」
アルベルティーナは道徳にもとることを嫌う。だから理由と考える環境、そして選択肢を与えたかった。
「それが理由か……」
あの三人の執着ぶりを見れば、否定しきれない。
それぞれが情念を燃やしてアルベルティーナを慕っている。
アルベルティーナはそれぞれに愛情を持っているが、それは一線を越えない。花開く前にそっと摘み取って終わらせていたのだろう。
貴族をやめた彼女が修道院に駆け込んでも、地位と財を得た彼らに引きずり出される可能性は十分ある。
それぞれが突出した才能を持ち合わせている。行動力や決断力、そして忍耐力もある。
強硬手段に出た時、その思慕は狂気や執念だけになっていたら地獄だろう。
国を巻き込んだ闘争になりかねない。
「それにはサンディス王国の存続にも必要だ。あの子は公爵家と言う箱庭だけでは守り切れない可能性があった」
一貴族と、一国の王族では違う。王家に勝るとも劣らぬラティッチェ公爵家でも外から見ればたかが貴族と侮る人間がいる。
彼女の美しさは時に人を狂わせる。コーディーのように手段を択ばず手に入れようとする人物が現れる危険もあった。
だが、一国の王太女となれば嫁がせるのは難しい。
ましてや今のサンディスに、アルベルティーナに勝る後継者はいない。
サンディスは一種の安全地帯だ。周辺国もバランサーをなくして困る国が多い。それらを考慮すればおのずと大国であろうと、強引に嫁入りを迫れなくなる。
必然的に彼女を望むなら、相手のホームではなくこちらのホームに来なくてはならなくなるだろう。
アルベルティーナにはすでに三人の騎士がいる。
それぞれが持つ人脈に根を張り、敵の排除に余念がない魔王の直弟子ばかりだ。
今から近づくのは至難の業だろう――本人もかなりの人見知りである。財力や人脈、美貌を見せつけて近づいたコーディーを見ればわかるが、少しも靡かず手を焼いていた。
「私が相打ちになろうとも、仕留めるべきだったんだ。元老会も、コーディーも。
下郎だとは思っていたが、あそこまで大きな禁忌を犯して出てきたのは驚いた。よくもまあ……気色悪いものだ」
「それは思った」
その辺には全面同意のゼファールである。
十代の少女と子作りする気満々だったし、まだ現役だったのだろうか。だとしたら大した絶倫である。
年老いても現役騎士であるガンダルフのように筋骨隆々でもなく、二十代の姿でも優男と言った見た目だった。
男性の精力は大腿部の太さに比例すると聞いたことがあるが、彼の筋肉の付き方は平均かそれ以下に見えた。
禁忌を犯してまで得たその姿はもうない。今ではその若さも失っている。悪魔の力が消えた後ではすっかり老いさらばえて萎びた姿は控えめに評しても、枯れ木である。
「アルベルが望む幸せのためには、王家は避けられない障壁だ。血守の一族が破綻した時点で終りだった。他の王子や王女に結界魔法は発現しない。その子孫たちも同様だ。
いつかあの子が望んで結婚したとしても……そうでなくても、産んだ子供が将来的に王家に奪われるだろう。あの三人のうち誰を選んでも、我が子を奪われたら復讐に走るだろうな。
それ以外と結婚し、奇跡的にあの三人が引っ込んでも同じだ。律儀で真面目なあの子は、王家から権力を盾に脅されたら精神的に参る。絶望し、悲嘆にくれるアルベルを見たら、アイツらは一気に狂暴化する」
「………地獄じゃないか」
あの三人はアルベルティーナの前では忠犬か愛玩犬のように振る舞っているが、その本質はグレイルに近い。そんなことしないと言えない。
すごく認めたくないが、どん詰まりだったのだと認めざるを得ない。
この魔王は慧眼の持ち主だ。誰が何を考え、どんな行動をするか見通しての結論だったのだ。
結局のところ、グレイルの選択でいろいろ解決している。
サンディス王国を悩ませた犯罪の温床、長年の腐敗、不穏分子の排除、王家の後継者問題、アルベルティーナの結婚と健康の問題、外交的利益――心情的なものはともかく、すべてが良い方向へ行っている。
「私は唯一と言える女性が死んだ時、世界が終わった。すべてが色あせた。それを救ったのは娘だった。
そんな娘に同じ思いをして欲しくない。三人いれば、そのうちの一人さえ残ればあの子は折れない……それでも、できるだけ傷ついて欲しくない」
だから、一人ではなく三人。間引くなら、とっくに間引いていた。
自分のせいだから。『自分だけの娘』であってほしいと願っていたのを、あの子は知っていた。
だから、娘が諦めた願いを拾い上げるのも自分の役目だ。
グレイルの内心の吐露を聞いていたゼファールが訝し気な目線で問う。
「殊勝なこと言って、本当は『唯一の夫』が腹立つんじゃないの?」
「当り前だろう」
それとは別に、その苛立ちは父親として正当な権利だと思っている。
アルベルティーナの役に立たない夫などいらない。これも娘を心配する父親として当然の考えだ。
もし、三人のうち一人でもグレイルを圧倒したのなら、アルベルティーナへの求婚も認めるつもりだ。だが、そんなことにはならなかったし、今も尻に卵の殻をひっつけたヒヨコのままだ。
グレイルの足元でぴよぴよついて回って、マネをしている雛鳥である。
だから三人セットでギリギリ認めてやったのだ。
グレイルの最大限の妥協。そして譲歩だ。
(……これはまだまだ先は長そうだな……)
認めてやるとは口では言いつつも、不満げなグレイル。
魔王の子離れはまだ先のようだ。
こんなに拗ねている姿、義姉のクリスティーナが生きていた頃以来は見ていない。
グレイルはなまじ有能なため、折れ方が分からない。常に合理性の最短ルートで、失敗を知らない。あまりにも普通とかけ離れている兄。謝り方を知らないので、ご機嫌取りのダシにされ続けていたゼファールだから分かる。
(これは兄様が折れるな)
こっちは思ったよりすぐに片が付きそうだ。
グレイルは謝罪ができないのではない。アルベルティーナのために命を張るなと約束したくないのだろう。
アルベルティーナに頭を下げること自体は厭うことではない。それで娘の怒りが解けるなら、安いものだとすら考えているはずだ。
アルベルティーナの『大嫌い』は『命を軽んじる』『危険なことをする』お父様が嫌なのだ。
心配と愛情の裏返しだから、グレイルはアルベルティーナに強く出られない。
互いへの思いやりで起きた親子喧嘩だ。
「ところで、殿下のアミュレットの解析と兄様の使った死の偽装魔法について詳しく教えて欲しんだけど……!」
「セバスに聞け。タウンハウスにある」
うきうきとする魔法オタクの弟に、ぶっきらぼうに答えるグレイル。
自分が不在の間に散々こき使われているのは知っていたから、それくらいは容認してやるのであった。
浮足立つ背にグレイルが問いかける。
「例の件、指示通りにしただろうな?」
「……したけど本当に動く?」
「しぶとさとしつこさだけは確かだからな」
それだけ言ったグレイルは、それ以上は語らない。
ゼファールは小さくため息をつくと、気を取り直して退室したのだった。
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