魔王の手中
手の中でフラメンコ。
「アルベルの安全はお前たちが決着をつけるか、喪が明けるまで保障されていた。
コーディーたちも同じだ。奴らもアルベルには健康でいてもらわなくては困るからな」
眠っていたのなら、なおさらだっただろう。何もできないし、世話されないと生命維持にも支障をきたす。完全無力なアルベルティーナの治療に最善を尽くしたはずだ――彼女の代わりはいないのだから。
だからグレイルにとっても、愛娘の憤怒の発起は予想外だったのだ。
「キシュタリア、ミカエリス、ジュリアス。アルベルが選ぶなら、必ずこの三人。
私は誰であろうと許すつもりだった。だが、裏切者は許せない。無力な奴も許さない。最後までアルベルを愛し、尽くし、ためらいなくすべてを差し出して死ねるか確認する必要があった」
三人はグレイルの動きを悟られないための囮役であり、アルベルティーナが目覚めるまでの時間稼ぎ。
その中でアルベルティーナのためにどれだけのことができるかで、グレイルは見極めようとした。
優秀な三人。才能を見出し、グレイル自らが育てたのだから、そうでなくては困る。
彼らを守る大きな存在がいなくなり、どれだけ適応して最善を尽くせるかを見ていた。
愛だの恋だの口ではどうとでも言える。不利な状況でどれだけアルベルティーナの力になれるか、見定めていた。
「……信用ならなかったと仰るのですか?」
落ち着いたキシュタリアの声には、不満や不快が見て取れる。
それに対し、魔王は当然のごとく言い放つ。
「当り前だろう。お前たちは常に私の威光の下にいた。その気などなくても、周りはお前たちの後ろに私を見ていた。
それを失い、お前たちだけになってどれだけできるかを知りたかった。お前たち自身も、知る必要があった。分からないとは言わせない」
確かに、グレイルが死んだ途端に態度を変える貴族たちはいた。
媚を売る視線が捕食者の視線に変わった。自分たちを獲物と見做す馬鹿どもが沸いたのは事実。
「玩具だった分際で揃いも揃って隣に立ちたがった。アルベルが気に入っていたから黙認はしたが、私が納得できる実力はない。
没収すればアルベルが悲しむと分かっているならば、すぐに死にそうな愛玩犬ではなく番犬や猟犬にはなってもらわねば困る」
「……分かりました」
グレイルが言い切ると、キシュタリアは歯切れ悪くも納得した。
テストの内容はかなり不服だが、問答無用で廃棄されなかっただけましなのだ。
アルベルティーナは非常に複雑そうな顔をしているが、これはグレイルの独断だし、彼女が止めても実行されただろう。
だが、アルベルティーナ以上に納得していないのがグレイルの隣にいる。
「それなら三人をダンジョンに投げるなり、スタンピードに放るなりすればよいでしょう! アルベルだけは巻き込まないで!」
それ言っちゃうか、ラティーヌ夫人。
さっきから実の息子のキシュタリアより、義理の娘のアルベルティーナへの愛情の比重が重い気がするのは気のせいじゃないだろう。
「だから、私の手の者をアルベルの近くに配置した」
そう言うと、セバスの後ろに控えていたベルナとジェイルが恭しく一礼をする。貴族に通じる優雅さで、隙のない洗練された動きだ。
王族の傍に相応しい教養の持ち主である彼らを、敵陣営に忍び込ませていた。
グレイルのスパイだと知らず、自分の手駒だと思って使っていたのだ。
「アルベルの護衛はレイヴンがいた。ジェイルを近づけると争いになりかねない。レイヴンは何も知らずに、アルベルを守り従うために傍にいた。私が死の商人の中に忍ばせた手駒と殺し合いをされては困るからね」
ちらりと視線を送ると、ジェイルも頷く。
ジェイルもレイヴンの存在を察知して、なるべく近づかなかった。
もし出会ってしまい、戦闘となれば互いに無事では済まないと理解していた。双方が手加減できる力量差ではなかった。
あの状況下で、潰し合いなど危険極まりない。
「ベルナは癖が強いけど、使用人としては一流だ。いたらそれなりに便利だっただろう? アンナは侍女としては優秀だが、荒事には向かない」
アンナの忠義は疑っていないが、彼女は戦闘員ではない。
アルベルティーナの傍にいられ、堂々とコーディーを監視する役としてベルナがいた。
コーディーはラティッチェの襲撃に成功し、セバスを手中に収めたと思い込んでいた。だが、実質は手元に老獪な狸執事を招き入れただけである。
「じゃあ、わたくし相手にやたら暑苦しかったのも演技……?」
「いえ、それは私の趣味です。美少女・美女大好きですので。美しさとは人類の宝です」
表情をきりりと引き締めて断言する美女メイドに、その場にいた面子が結構な割合でドン引きである。
特に間近で見ていたアルベルティーナとアンナは、残念さを隠しきれない視線である。
アルベルティーナの可愛らしさにしょっちゅうのたうっていたのは、完全なる素の表情なのだ。彼女はどうあがいても残念美女である。
今までもあれが素ではないかと察しつつも、それとなく目を逸らしていたが本人が肯定した。してしまった。
「これからは堂々とお世話させていただきます!」
宣言するベルナは物凄く嬉しそうだ。
とびきりの笑顔を向けられたアルベルティーナが微妙な顔になるのも仕方がない。確かに有能だが、性格もとい性癖がとても振り切れている。
「若作り糞野郎と爺の世話はうんざりしていました。これで本当に本物の美を堪能できます……」
とても濃いご趣味をお持ちである。ジェイルが「やめろ」「それ以上喋るな」「ひぃさんや坊ちゃんたちが引いている」と指でドスドス突いても、めげる気配なしだ。
変態の気配にアンナは警戒しているが、アルベルティーナは「お父様の認めた方ならいいのかしら?」とここにきて雑ジャッジである。
一方、キシュタリア、ミカエリス、ジュリアスはすごく嫌そうである。
アルベルティーナの周囲にガチ勢&強火で物理的にも手ごわそうなのが増えてしまった。
裏社会に潜伏し続けた猛者だ。敵に回したくない。
人材としては頼りになるが、頼りたくないと思ってしまう。
彼ら以外でも、ガンダルフの顔は複雑そうに顰めている。
そんな状況の中、ヴァニアが挙手した。
「ハイハイハーイ! ちょっと話を戻すけど、どうやって蘇りしたの? サクッと説明していたけど、あれ現実的にはかなり無茶だと思いまーす!」
「そうだね。肉体の物理的保存はともかく、魂は深淵の領域。精神を保護するには自力のみでは不可能だっただろう」
グレイルは自身の魔力量と卓越した叡智と技術をもってしても至難の業であると認めた。
魔力を保存するのは珍しくないが、精神系とはまた別の話。魂はもっと複雑だ。
「だが、アルベルのアミュレットは可能だった。結界と言う特異な属性。絶対不干渉・保護・保存にかけては他の追随を許さない。
試してみたくて一度、とびきりの呪詛を込めた一撃をくれてやったのがいたのだが、多少血を流したものの発動したらけろりとしていた」
物凄く残念そうなため息をつくグレイルに、沈黙が下りる。
グレイルがとびきりと言うくらいなのだから、すごく強力で途轍もなく質が悪く途方もなく救いようのない呪詛だったのだろう。
アルベルティーナからアミュレットを貰う人間なんて限られている。
すっと懐や腰元を探るキシュタリアとミカエリスが、それぞれの色を宿したくす玉のアミュレットを手の平に出す。一人、ただでさえ色白の肌を青白くさせたジュリアスが壊れたくす玉の残骸を出した。
ジュリアスのアミュレットだけは白いハンカチに包まれている。破れた紫のくす玉と砕けた魔石――そう、彼が実験台になったのだ。
「やはり実験は大事だな。現実と予想とのずれがはっきりする。
アルベルの魔法は特殊だから、発動のトリガーや結果に至る過程……非常に参考になったよ」
感謝している顔ではない。優美に微笑んでいるが、その目には冷ややかな温度があった。
三人はぞっとする――そうだ。グレイルはそういう男である。
ジュリアスはいまさらながらに背筋が凍る。あの時はアルベル様に優遇されていることや、想いを寄せていた腹いせだと思ったが、そういう裏もあったのか。
「お父様? ジュリアスをいじめたの? 呪詛はダメですわ」
「大丈夫だよ。残念なことにジュリアスはいたって問題ない」
反省の色が微塵も見られないグレイルに、アルベルティーナがぴーぴー説教をしているが響いていない。
アルベルティーナは割と本気で叱っているが、グレイルには愛らしく囀る娘の姿しか見えていない。言葉の内容はスルーである。
そんな二人を横目で見つつ、キシュタリアがこっそりと聞く。
「何されたの?」
「愛剣で背中から心臓めがけて一突きにされました」
殺意が高すぎる。
防御どころか、気づく余地も与えない完全な不意を突いた物理的な攻撃+呪詛。
「当時は刺されただけだと思いましたが、そんなものまで仕込んでいたなんて……」
「いや、死ぬだろう」
軽く首を振って当時の恐怖を振り払おうとするジュリアスに、ミカエリスは呆れつつ驚愕している。グレイルなのだから間違いなく致死性の攻撃を与えたと理解する。
さすがのガンダルフも、義息子の扱いに同情的な視線だ。
アルベルティーナ以外の王族はお通夜である。
実際に魔王の噂に違わぬ言動を目の当たりにして、腰が引けていた。ラウゼスは付き合いが長いので頭を抱えているだけだが、学園で顰蹙を買って怒られているルーカスとレオルドは無言で青ざめている。王妃二人は扇で顔を隠しているが、ずっと口を閉ざしたまま。エルメディアは話について行けなったのか、聞いていなかったのか周囲の様子に怪訝な顔だ。
誰もが、心のどこかで――もしくは心が満杯になるくらい思っていた。
もうこの魔王ヤダ。
厄介すぎる。
味方なのに迷惑極まりなく、有能極まりないアンビバレンス。
「なるほど……そのために兄様のアミュレットは一つ消費されていたのか。すでに体に仕込み、本番用に備えていた。言うのは簡単だが、発動のタイミングをずらすトリガーは兄様の死? いや、意識レベルの低下か? 肉体の損傷度合だとすれば、誤発動も……やはり……それとも複数条件だと誤発動も減りそうだが、逆に――」
一人、否、二人元気そうなのがゼファールとヴァニアだ。
「殿下の魔力と魔王閣下は親子。魔力は属性が違っても、波長は似ている。クロイツ伯爵ともだいぶ近かったから、ウィンコット寄りの性質が出ているとして……あっちはあっちでウォリス王家にも近い。元は同一説があるから、血筋と言う点でサンディスの系譜とも相性が良かったのか? 伝承ってのも案外馬鹿にならないな。その血筋が混じりあった殿下が、相乗効果の先祖返りが起こった可能性も――」
魔法マニアどもが早口で議論をしている。
それを、それぞれの執事と助手が引き剥がして会議の邪魔にならないように移動する。
「魔王閣下! もう一回実演してもらえません!?」
「戯けたこと言うな! 復活騒動なんぞ何度も起こされてたまるか! 国葬までしていたのだぞ!?」
嬉々としたヴァニアの要望に、即座にアルマンダイン公爵が却下を入れる。
それも問題だ。誰もが死んだと思ったのだから、国葬をしたのだ。それなのに死人がのうのうと顔を出したら大変なことになる。
周辺国にもグレイルの死は伝わって、だからこそ隣国のゴユランはきな臭い動きをしていたのだから。
「私の死は誤報だとして、あの死にぞこないたちに責任を取らせればいい。あれらの罪がひとつふたつ増えたところで、課せられる刑は変わらない」
グレイルの提案はおあつらえ向きではあるが、ナチュラルに濡れ衣だ。
フリングス公爵が微妙な顔で同意しながらも歯切れが悪い。
「あーうん。彼らなら自分の都合くらいで君の死くらい偽装するよね。
あのホムンクルスの件もあるし……あれが生きている状態で動いていたら判別は困難を極めただろうね。王太女殿下くらいじゃないと看破は難しいはずだ」
どうしてグレイルのホムンクルスを作っていたのか、という疑問があった。
考えられる一つとして、キシュタリアを払い落とし、ラティッチェを乗っ取るため。
グレイルの隠し子と言うカードは有効だろう。血統を重んずる王侯貴族は多い。
それに、グレイルは非常に勘が鋭く警戒心も強い。しかもクリスティーナ一筋なので説得力が薄い。多少似ている程度じゃ話にならないのだ。
グレイルの美貌と酷似した子供を用意するのは難しく、人よりできるでは許されない能力も期待される。
「アルベルのためなら何度だって死ねるけど、それ以外はお断りだよ」
そう言いつつ、優美な所作で紅茶を傾けるグレイル。
麗しき魔王はなんてことのないように言うが、それに巻き込まれるこっちは堪ったものではない。
読んでいただきありがとうございましたー!
現在原稿作業ゴリゴリ中。秋~来春あたりに続巻が出るといいなーと、アバウトな予定です。