見抜ける唯一
お父様鑑定一級保持者。
自他共に認める頭脳明晰。有能さに定評のあるジュリアスだが、非常に困惑していた。
表には出さなかった。ただ、警戒した表情でひたすら迷っていた。
死んだはずの人間がいる。先ほどもいたが、あれは質の悪い幻影だ。そして、ついさっきその正体は消えたはず。少なくともグレイルを真似ることは諦めたはずだ。
(グレイル様? でも、これはどっちだ?)
魔王によく似た男はすべてを惑わす魅力的な微笑で、その場を一瞬で支配した。
誰もが身を硬直させた。何度も偽物を見ていた分、猜疑心が最高潮になっている。
真贋の区別がつかない。それこそ、ただ一人を除いて。
誰もが魔王の溺愛する愛娘――超絶ファザコンのアルベルティーナのほうを見て判断をしようとした。
アルベルティーナは立ち上がり、ふらふらと彼に近づいていく。
「おとうしゃま……」
本物だ。
このイカれたファザコンの目を欺ける偽物などありはしない。
情けなく眉を下げ、大きな瞳は目を開けられないほど涙が溢れている。顔をくしゃくしゃにしながら、よたよたと裸足で前に進む。少しでもグレイルに近づきたくて、懸命に手を伸ばしていた。
先ほどとは全く違う反応。憤怒ではなく安堵と歓喜の涙だ。
だが、皆はどうしていいかわからない。
彼の死を、この場にいる何人もが目撃している。葬儀もやったし、墓にも納めたはずなのに――のちに、暴かれたことを知るのは数名いるが。
アルベルティーナは父親の姿に安心したのか、幼子のように声を上げてしゃっくりとともに泣き続けている。
そんな娘を抱き上げて、幼児にするようにあやすグレイル。
どうして、と誰ともなしに呟けばグレイルの耳にも入ったようで、視線はひたすらアルベルティーナに注いでいるが答えた。
「いや、死んだよ? 正確には魔法で作り出したかなり変則的な仮死状態かな。肉体は死んだ直後で保存し、肉体に引きずられる前に精神――いわゆる魂を移動させたんだよ」
何でもないように言うが、明らかに危険でとんでもないことである。
そんなわけがあるかと突っ込みたくとも、事実としてグレイルはそこにいる。
誰もが狐につままれたような顔をしている中、セバスが前に出て頭を下げる。それは屋敷でも良く見たが、今となっては懐かしい光景だ。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ああ。やっと仕事は終わったよ。セバス、皆も良くやってくれた」
グレイルの労いに一斉に膝をついて一礼した。
その中には一部貴族や、騎士や兵、アルベルティーナの侍女だったベルナもいる。ダナティア派の中にも、グレイルの手の者が多く入っていたのが分かった。
「ラ、ラティッチェ公爵。これは、いったい、どういう……」
ミカエリスが震えた声で問う。それは誰もが思っていたこと。
今はキシュタリアが公爵なのだが、つい今までの癖のままに呼びかけてしまうくらいミカエリスは動揺していた。
「そんなことよりアルベルを休ませたい。この目障りな騒動を起こした者は捕縛しろ」
周囲の動揺を見て『そんなこと』とは。さすが魔王と言うべきか、溺愛する娘しか見えていない。
すんすんと小さく鼻をすすっているアルベルティーナは、離すまいとグレイルに抱き着いたまま舟をこぎ始めていた。
相当疲れているはずである。やっと本当に安心できる場所に帰れて、その顔は安らかだ。
バルコニーの王族の専用通路へ向かうグレイル。その入り口で、不安そうなアンナとすごく申し訳なさそうなレイヴンがいる。
彼らは知っていたのだ――と言うより、この騒動の直前くらいに知らされたのだろう。
「ああ、話はアルベルが起きてからにしようか。この子は一番知る権利がある」
その時、眠る娘の額にキスを一つ。グレイルはようやく申し訳なさそうな顔をした。
きっとこの盛大な茶番劇は、アルベルティーナのために魔王が企てたのだ。
暖かい。柔らかいお布団にまどろんで、ふわふわした心地よい眠気に包まれていた。
ふと、わたくしの頭を撫でる感触が。
………誰? このナデナデをわたくしは知らない。
ぱちっと目を覚まして首を動かすと、そこには初老くらいのご婦人がいた。
年を重ねてなおも気品が満ちている。若い頃はさぞ美しかっただろうと推測できる、年老いてもなお華やかなお顔立ちです。
見覚えのない服装は純白。修道女に似ています。ワンピースもヴェールも白くて眩しい。彼女はわたくしが起きたのに気がつくと、慈愛の溢れる眼差しでゆっくり目を細めました。
「おはようございます。可愛らしいお嬢さん、お加減はいかが?」
茶目っ気のある問いかけに、わたくしは頷く。ものすごく久しぶりなくらい、気分がいいの。
お父様の夢を見たから?
「ババアのお節介だけど、安易に悪魔と取引はしてはなりませんよ。貴女のような稀人の魂は悪魔の大好物なんですから」
「気を付けます……」
なんでバレたのでしょう。いえ、バレるか。そうですね、あんな大騒ぎになっていましたし。
しかもわたくしって悪魔の好物なの? 有益だけどすごく怖い情報ですわ。
「さて。無事に意識も戻られましたし、魂にも問題はないでしょう」
年齢の割にかくしゃくとした動きで、老婦人は立ち上がりました。
え? なになに? わたくし治療を受けていたのかしら?
わたくしが起き上がると、無言でアンナが抱き着いてきました。心配かけて申し訳ない。
まったく状況に付いて行けず、老婦人を見れば誰かと話していました。
「例の聖女は邪法にて紛い物の治療を施していたようです。属性の適正はありましたが、過去の経歴や素行があまりに良くない。犯罪の多さから、性格的資質は皆無かと……」
「そう、やっぱり。聖女が現れたと聞いたから会いに来たのだけれど、残念ね。サンディスでは百年以上ぶりだったのに」
それは砂漠の聖女ことレナリア・ダチェスでしょうか。お縄についたっぽいですわね。
ちょ、ちょっとアンナさん? ハグがきつい。ぎゅーってされて内臓まできゅってなっていますわー!
そんな様子をベルナがにこにこと眺めており、更に後ろでベラが微笑まし気にしています。ちょっと恥ずかしい。
……ん? あれ? ベラはフォルトゥナ公爵家の使用人だったからと、ヴァユの離宮担当を外させられていたはずでは?
「失礼しました……っ! ご無事で何よりです」
わたくしの呼吸が怪しくなりはじめたあたりで、アンナは身を離してくれました。
「ええ、わたくしは元気ですわ?」
なんだか状況が呑み込めない。先ほどの老シスターさんが治療してくださったということなのかしら?
はてさて、いったいどこから質問すればいいのかしら。
首を捻っていると、視界の隅で見慣れた茶髪が揺れる。彼女は綺麗にシニョンで纏めたアンナとは違い、艶やかなストレートロングの茶髪を流していた。
姿勢の良いすらりとしたスタイル。レースのケープを羽織った下には、深い青のマーメイドラインドレスが良く似合っている。
わたくしと目が合うと、お父様より少し濃い青の瞳が細められた。
「おかあ、さま」
ラティーヌお義母様。
ずっと、会えなかった。ラティお義母様はとてもお忙しい。ラティッチェを守るために自分が屋敷に残り女主人として取り仕切ることを選んだのです。
それをきっかけに、走馬灯のように記憶が一気に押し寄せてくる。
わたくしの体が震え、呼吸が不規則になったのに気づいたアンナが、背中を軽くぽんぽんと叩きながら宥めてくれる。
「大丈夫です。すべて終わったんです。お嬢様をいじめる悪い奴らはいませんよ」
「そうよ、アルベル。だから私は王都にいるのよ」
優しく微笑みかけるラティお義母様。そのお姿をしっかり目に焼きつけたいのに、ポンコツな涙腺は大波のような涙を作るものだから姿が滲んでしまいます。
嘘じゃないと思いたくて、夢じゃないと確信したくてラティお義母様に手を伸ばす。
「終わったの……? 本当に? ここにいるの? 嘘じゃない?」
「ええ」
「他のみんなは?」
「いるわよ。でも、パトリシア様に部屋に入りたくてうずうずしている連中を足止めしてもらっているの。可愛いアルベルにはまだゆっくり休んでもらいたいから」
「……お父様は?」
その瞬間、ラティお義母様が止まりました。
なんでしょうか。お父様の話題を出した瞬間、嵐の前の静けさと言うか、噴火直前の火山口を思わせる気配を感じたのは。
何故でしょうか……先ほどまで一点も曇りなき優しさのだった、慈愛の聖母ごときラティお義母様の笑顔が凍てついて見えるのは?
「ピンピンしているわよ。会う前に軽い食事にしましょう? 三日も寝たきりだったんだから」
「えっ!?」
そんなに寝てたの!? えーっ! うん、すっごく体も頭も元気ですっきりですわ。
あ、でも節々がちょっと違和感。ずっと寝っ転がってばっかりだったなら納得です。腰もちょっと変な感じが。
「まずは軽い水分を取ってから、お風呂で体をほぐしましょう。それに、これから体重を戻すために高栄養メニューですからね。運動としてお散歩だけじゃなくて、乗馬も再開しましょう」
アンナがわたくしを健康的に肥えさせようとしていますわ!
乗馬はずっとできていませんでしたわ。忙しかった以外にも、いろいろ敵対勢力の圧力で馬を入手できなかったのです。
乗馬か………久々すぎてキッツイ筋肉痛がきそうですわ。それでも楽しみ~。
ワクワクしているとひょっこりとトリシャおばちゃまが顔を出しました。
「あら、アルベルちゃんも馬が好きなの? だったら一度フォルトゥナに来たらどう? いい子のいっぱいいるわよ~。名馬の産地なの。うちの実家からも取り寄せできるわ」
「軍馬とかもいるんですか?」
「いるわよ。お義父様も乗れるくらい立派なのもいるんだから!」
「まあ!」
ポニーや小柄な馬しか縁のないわたくし。一番大きいのは馬車馬で、実はばんえい系や軍馬系は見たことないのです。
はっ! なんだか流されていたけれど、フォルトゥナの皆様は大丈夫だったの?
「あの、お怪我は? お体は大丈夫ですか? ダナティア伯爵に冤罪を着せられ、貴賓牢に監禁されたと聞きました」
「平気よ~。一番危なかったガンダルフお義父様や、ジュリアスも元気よ。クリフはあんまりうるさいから、さっきちょっとシメちゃったけど」
茶目っ気たっぷりに言うトリシャおばちゃま――の手に握られた、男性用タイ。まさか戦利品……?
周りの皆さんはいつものことなのか、気にしていないご様子。いいのでしょうか。
「アンナ様、お湯の準備が整いました」
「お嬢……いえ、姫様。果実水は飲めそうですか?」
「ええ」
「蜂蜜入りになさいますか?」
それは外せませんわ! こくこくと頷いているとアンナが笑顔で蜂蜜入りの瓶を持ち上げ――それと一緒に釣られた蜂蜜塗れのチャッピーを無言で見つめたあと、外にぶん投げました。
ドップラーのかかったチャッピーの悲鳴が細くなり、遠くで水しぶきの音が。
「ちゃっぴー!?」
「大丈夫ですよ。亀のいる池に向かって投げましたから、綺麗さっぱりになるでしょう」
蜂蜜が落ちるという意味ですよね!? それとも骨も残らずとかいうお話ですか!?
いずれにせよチャッピーは泳げないので危なくてよー!
「レイヴン! レイヴンいる!? チャッピーを助けてあげて!」
ひょこと窓から顔を出したレイヴンはわたくしとアンナ、そして池と思しき方向を見て複雑そうな顔です。
「御意に」
それでも請け負ってくれるレイヴン大好きですわー! ありがとう!
危機的状況、終息へ。
ここからは仕組んだ犯人による説明(釈明)のお話。